第18話 灰色の世界に佇む女神
「あーはっはっは!!」
「笑い過ぎですよ、ミルクリフトさん」
ミルクリフトは笑い転げていた。
「だ、だって……くっくっく!!」
「はぁ……」
あの後、システィはロズと共に人混みを突き抜けようとした。
だが、システィだけは学園に辿り着けなかった。
最初はロズの先導によって人混みを掻き分けていたが、次第に揉みくちゃにされ、気が付けばロズと離ればなれになっていた。そして、あれよあれよと後ろに引き戻されてしまったのだ。
しかし、ロズはそんなシスティの状況に気付かないままずんずんと先へと進んでいた。しかも道を開けるために、『システィ様を通せ! こいつは王家の先生だぞ、お前ら頭が高い!!』と大きな声を上げながら。
「もう恥ずかしくて……」
「いやぁ、最高の独り言だよ。島民の皆さんにシスティさんの変な噂だけを振り撒いて、一人で行ってしまった訳だ!」
「私は止めたんですよ!?」
「あーっはっはっは!!」
人混みの最後尾に戻されてから、システィには不安が襲い掛かった。ロズが先に進んだのはいいが、ちゃんと先生方に髭男爵による襲撃犯の可能性があると報告してくれるのか。もしかして、自分で捕まえに行くのではないかと。
とにかく、学園の中に入らないと何も出来ない。人混みから脱出してどうにかして学園に入る術を探していたら、大聖堂にある貴族用の入口の向こうにいたミルクリフトと目が合った。
だが、システィはそこでへたり込んでしまった。
気が抜けたのだ。慌てて救護にやって来たミルクリフトに現状を伝え、こうして書庫で横になっていた。
「はー、久しぶりにこんなに笑った」
「もう……でも本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいよ、これは貸しにしておくさ。兵士たちも飛んで行ったからね、流石のロズさんでも襲撃犯に手は出さないだろう」
「いやぁ、どうでしょうねぇ……」
「――おーい、システィー!」
「ははっ、噂をすれば」
「あぁもう、大声で私の名前を呼ばないで下さいよ……」
システィは膝掛けに顔を埋めた。
そして、ロズが書庫に飛び込んできた。
「おいおいシスティ! やっぱりここに居たな、起きろシスティ!」
「寝てますよ」
「起きてるだろう、起きろよ先生!」
「――ぶふっ! あっはっは!!」
その笑い声で、ロズはミルクリフトがいる事に気が付いた。
「ミルクリフト、こいつはどうしたんだ?」
「羞恥心と戦っているんだよ」
「何だそれ、業でも背負ってるのかお前」
「背負ってますよ!」
システィは膝掛けから顔を出した。
ロズの悪魔のような笑顔が現れる。
「あの髭男爵な、お前の言う通りだったぞ」
「――まさか、手を出したんですか?」
「あぁ。安全な右後ろからな」
髭の襲撃犯は左利きだった。ナイフを握る手が左手であるならば、右側に立っていれば攻撃をは受けにくい。ロズは簡単に男の右手を掴み上げ、一瞬で捕らえていた。
「危ないって言ったじゃないですか!!」
「大丈夫だって。あの棒立ちの護衛兵達に任せていたら死傷者が出ていたところだぞ。そもそも、私達に黙ってるからこんな事態になったんだ。ここぞという時に覚悟しないのは、大人の悪い所だな」
「ロズさんは本当に強かったんだねぇ」
「もう……はぁ」
言わなきゃよかったと思ったが、言わなければ確かに大変な事になっていたかもしれない。たとえそうだとしても……システィは、ロズに何かある方が心配だった。
「流石の王子様も襲撃には驚いていたよ」
「でしょうねぇ。ロズの正体には?」
「気付かれなかった。あいつは一生、私が何者なんだと気になっていればいい」
「ふふ、すぐにバレると思うけどねぇ。国王の権限って滅茶苦茶なんだよ?」
ミルクリフトはそう言って、近くの木箱に腰掛けた。
「大丈夫だって、学園長を脅しておいたからな。私の目の前に王族を出した報いだ。
「ははっ! よく不敬で捕まらないね!」
「奇運ですよねぇ」
システィがそう言うと、ミルクリフトは再び笑い始めた。ロズは相手が学園長や王子であっても、その態度を変える事は無い。
「しかし、これで私は学園長に貸しができた。また悪い事ができそうだな」
「今度は何をする気ですか?」
「もちろん、次の演劇の脚本をやらせてもらうさ」
「ふふ、悪い事なんですかそれ?」
「あぁ。大変失礼な話なんだが、私の演技は見ていられない程に輝かしいらしくてな。だからあえて私の書いた脚本で、私の威光を観衆に見せつけてやるんだよ。私の中にいる天使がそうしろと囁いてる」
ロズはそう言うと、システィの腕を掴んだ。
「さぁ行くぞシスティ。楽しいたのしい昼食の時間だ」
「ここでいいですよ、パンありますし」
「何言ってるんだ、今日は食堂に行くぞ。ようやく特等席が空いたんだ、これから毎日座れと囁かれている」
「それも天使が?」
「私だよ。まぁ、悪魔かもな」
「ふふ、何ですかそれ」
システィは腕を引かれたまま起き上がり、木箱から下りた。
先程まで力が入らなかったその体は、まるで羽が生えたように軽くなっていた。
◆ ◆ ◆
その日の夕方。
メクセスは王都に戻る前に、護衛数人を連れて再び学園へと入った。
それはメクセスの我が儘だった。予定を少し遅らせてでも、命の恩人に礼がしたい。そう学園長に頼んだところ、嫌そうな顔でここに案内された。
「彼女もその……難ありでございまして」
難ありでも構わない、ここの生徒は伸び伸びとしていて良いものだ。そう言い返した時の学園長の怯えた顔は、暫く忘れないだろう。
だが、学園長の言っていた意味がここに来て理解出来た。
その人物は、小さな書庫の中で取り憑かれたように本を読んでいた。椅子があるにも関わらず床で本を開き、正座をして前かがみになり、蝋燭に火も灯さず、開いた扉から差し込む僅かな外光だけで。
エスメラルダ王家特有の灰色の長髪に、輝く白い肌。王城にいる誰よりも整った美貌。そして、瞬きを忘れたかのように本を凝視する眼。舞い上がっている埃でさえ、彼女を引き立てるための光のように映った。
一体、何が起きたのかは分からない。その姿に、一瞬で心を奪われていた。あまりの神秘性に目が離せなかった。大聖堂で祈りを捧げた相手は、この人物だったのだと思ってしまう程に。
集中しているのか、こちらに気付く様子は無い。声を掛けるのも
だが、礼を伝えなければならない。
「し、失礼する、システィ・ラ・エスメラルダ姫。俺はメクセス・フィン・グレルドール。貴女のおかげで命拾いした者だ。ありがとう、助かった」
「この本を読み終えたらにして下さい」
こちらを見る事なく返事をした彼女に対し、護衛兵が武器を取った。
「……なるほど、難ありか」
「不敬だぞ!!」
「止せ。体面など不要、邪魔をしているのはこちらの方だ」
「し、しかし殿下……!」
この学園は、グレルドールを含む各国の人的資産の隠し場所だ。不可侵の修道院という特殊な環境を利用して要人が潜んでいる。もちろん、平和を望む者達が平和に暮らしているだけだ。
彼女は、そんな希少な人物の一人。
守るべき者だ。
「……学園長と司教に伝えてくれ。あの者を、陰から守護せよと」
「はっ!!」
にしても、確かにこの態度は駄目だろう。
そう考えたら、何故だか可笑しくなった。
「――ふっ、待とうではないか。命の恩人だ、ちょっとぐらいいいだろう?」
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