第四章 時間が進んだ男

第14話 時間が進んだ男



 それは、耳を疑うような指令だった。


 何故このような忙しい情勢の中で、俺が辺境の修道院へと出向かなければならないのか。その問いに答えてくれる者はおらず、ただ『密かな伝統』どいう言葉だけが文官から返された。


 あの島は非常に特殊な島だ。それは、ただ防衛に優れているだけではない。我らがグレルドールと争った国々や同盟国の貴族に、平民までもが一緒くたになって生活しているのだ。それこそグレルドール領地ではなく、まるで他国のような場所だった。


 計り知れない価値の眠っている島。しかしそう言われても、限られた時間の中でわざわざ何の為に……というのが俺の本音だった。行って視察して帰って来るだけだろう、どうせ何もあるまいと。



 ――だが、そこで俺は確かに価値を見た。


 仄暗ほのぐらい倉庫の中で、今にも闇に溶けていってしまいそうな、灰色の女神を。



―メクセス・フィン・グレルドール―



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 修道院島にも、暖かい季節の風が吹き始めた。


 この島は年中温暖な気候ではあるが、今の時期だけは暑いと感じる程に気温が高くなる。それは日照時間が長いという意味と同義で、じりじりと照り付ける日差しが島を覆っていた。岩山の上に建つ修道院も例外ではない。


 そんな学園にて、システィはまた怒られていた。



「耳を疑ったぞ、システィ・ラ・エスメラルダ。最近は寝坊しないと感心していたが、まさか書庫に住み着いていたとは……君に常識を教えたのは本かもしれないが、世間とのズレは認識しているのか?」

「……やっぱり、駄目ですか?」

「駄目だな」

「寝坊改善」

「ちゃんと起きろ、もういい大人だろう」


 それを言われてはぐうの音も出ない。むしろ、常識を知った上でこっそりと住んでいたのだ。システィはしょんぼりと首を垂らし、学部長室から出る。



「あー、ちょっと待て。戻るついでに頼みがある。この手紙を修道院の写字室長に届けておいてくれ。いよいよ始まるそうだ」

「……いよいよ?」

「あぁ、いや何でも無い。では頼んだぞ」



 システィは学部長室の扉を閉めた。

 そのまま修道院を通過し、写字室へと向かう。



 修道院というのは本来、修行の場だ。修道士が経典の教えに基づいて自分を律し、慎ましく生活するのだ。


 それがこの島では『貴族が何となく学問を修めるための宿屋』という形に姿を変える。隣接している大聖堂も、その実態は観光施設だ。おかげで島が潤っているため、誰からも文句が出る事はない。



(平和な光景ですねぇ)


 システィは写字室長に手紙を渡し、大聖堂へと向かう観光客を横目に書庫へと戻る。


 修道院はとても静かな空間だ。騒がしい大聖堂とは一転して、どこからともなく現れた小鳥たちが中庭でさえずさえずり、穏やかな陽気が眠気を誘う。そして、そこに住む貴族達も同様だ。



 休日の修道院ともなると、外出許可の下りない貴族達はとにかく暇を持て余す。かといって本を読む訳でも学を修める訳でも無く、優雅なティータイムを過ごす生徒が大半なのだ。彼等にとってはここは不自由な牢獄らしいが、本物の牢獄にいたシスティにとっては天国だった。


 美しい中庭に置かれたテーブルには菓子が並んでおり、いつもと同じ貴族の女生徒が、いつもと同じようにお喋りをしていた。淑女というのは、ああして交友を深めるのだという。



 そんな修道院の廊下を、システィは静かに歩く。


 廊下ですれ違う貴族や、窓辺で寛いでいる貴族。システィが近くを通りかかると、彼らは驚いた様子で振り返る。『本の獣が、100人の貴族相手に啖呵を切った』という面倒な噂が広まったせいかもしれない。


 毎回毎回、誰が噂を広めているのか。噂コレクターという噂までも起こり、もう何がなにやら分からなくなっている。


 ようやく書庫に到着し、扉に触れる。



(『灰色の獣の亡霊』ですか……)


 書庫の木の扉にいつの間にか書かれていたこの悪戯書き。記された高さから考えると、低学部の生徒だろう。この文字を学んでいるとなると、貴族の子か。


 これを見つけたロズは、『なるほどな』と言って笑っていた。扉を半開きにして床で本を読む姿が、まるで本に憑りつかれた亡霊に見えるらしい。それが子供にとっては畏怖であり、結局のところは自業自得で――。



「おいシスティ! おいおいシスティ!」

「……何ですか、ロズ」

「何だよそのあからさまに嫌そうな顔は! 今日はビッグリニュースだぞ!!」

「ビックリって」


 ロズが書庫に飛び込んできた。休日の学園にいるという事は、演劇会の練習だろうか。


 システィは深い溜息を吐いて、ロズに振り向いた。『何やら奇妙なお祭りがあるんだ』と言って誘拐旅行に連れて行かれた、つい最近の記憶が頭をよぎる。



「システィ君の退屈な日常に、とんでもない刺激を与える話題だ」

「また人頭税が上がるんですか?」

「馬鹿! そんな刺激があってたまるか。貴族や為政者のゴシップはどす黒い話ばかりだからな、私はそんな大人達の隠し事では興奮しない」


 そう言いつつも、ロズはすっかり興奮状態だ。この蒸し暑さなど微塵も感じさせない。よっぽど面白いものを見つけたようだ。



「ほらほら、何か当ててみろよシスティ」

「えぇ……」

「世間ではどうでもいいと思われるが、私にとっては画期的な発見だ。魚料理の骨が簡単に取れる裏技や、鱗が簡単に取れる裏技と同じぐらいにな!」


 ロズにとって画期的というのがポイントだ。宝の地図でも見つけたか、学園の開かずの間が開いていたか、頭をぶつけて中身が入れ替わったとか、あるいは……。



「……主役を貰ったんですか?」

「残念、ハズレ! ……というか、私の主役をどうでもいいと思ってたのかお前」

「ヒントが無さ過ぎますよ、降参です」


 システィが両手を上げると、ロズはその片腕を掴んだ。

 そのまま引っ張って歩き出す。



「暇だろ、システィ。娯楽をくれてやるよ」

「わっ、ちょ、ちょっと!?」



◆ ◆ ◆



 連れて来られたのは、食堂だ。


 この学園には食堂が2ヶ所ある。修道院宿舎にある貴族用の食堂と、学園の隅にある平民用の食堂だ。貴族用の方がしつらえは立派だが、平民用の方が景色は良い。


 そして今日は休日。いつものように生徒達でごった返している訳でもなく、広い食堂にはぽつぽつと人が座っている程度だった。閑散としている。



「……ところでシスティ。時間ってのは、ある一方向に進むんだよな?」


 ロズの突然な質問に、システィは目を丸くした。勉強は体で覚えるものだと豪語していたあのロズが、時間について口にしている。



「わ……悪い物でも拾い食いました?」

「酷いなシスティ君。まるで私が普段から拾い食いをするみたいな言い方だ」

「するじゃないですか」

「で、どうなんだ?」


 システィは目を細めた。

 ロズには何か意図がありそうだ。



「……時間というのは、太陽からの角度の変化を数値化したものです。単なる変化の尺度ですよ。ですから、時間は一方向に進むというよりも、万物が変化し続けているというのが正しいでしょう」

「……んん? 何だか難しいな」

「それで、時間がどうしたんです?」


 システィがそう尋ねると、ロズはシスティの肩に手を回した。そしてそのまま壁際の椅子に座り、小声で返事をする。



「いやな。時間……お前の言い方を借りると、その変化ってのは全てが同じように影響されるじゃないか。だが、それがある特定の物だけが急激に変化するとしたら、という風に言えないか?」


 ロズがニィっと微笑んで話す。


 言っている事は非現実的だ。

 急に種から実がなるのと同じように、通常ではあり得ない話だ。



「つまり、どういう事です?」

「あの窓際に座っている男を見ろ」


 そう言うと、ロズは顔を上げて視線でその方向を指した。


 この食堂は角部屋となっており、角の席には2方向の海を見下ろす事の出来る特等席がある。そこに、一人の男子生徒が座っていた。


 猫背のままペンを走らせていた。左利きのようだ。顔はよく見えないが、髪はくるくるとした短い黒色で、顎髭あごひげも黒いモジャモジャだ。



「聞いて驚け。あの男子生徒はな、昨日まで髭なんて一切生えていなかった」

「……えぇ?」


 システィはもう一度、目を凝らして男子生徒を見た。


 どう見てもモジャモジャだ。ペンを持ちながら触れている姿を見るに、その行動が癖になっているとも考えられる。つまり、普段からああして生やしている可能性は高い。



「伸びてから経っているはずです」

「それが、違うんだって」


 ロズはその生徒をじっと見つめ、口を開いた。



「分かるかシスティ――あいつだよ。あいつだけ、急激に時間が進んでいるんだ」


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