三章 『らーめん』という美味

第31話『不可思議な屋台』

 どれだけ歩こうと、道は続いている。地を踏みしめ、進んでいる実感はあれど、終わりへ向かっている実感はない。旅立ちを祝福してくれていたかのような暖かな微風も、今や向かい風となって俺の行く手を阻んでいる。


――まぁ、まだ旅立ちから数時間しか経っていないが。


「うわっ! 目に砂入った!」


 片目に砂が入り、目を擦る。微かに視界が滲み、また擦る。


「ったく、失明したらどうするってんだ」


 明らかに大袈裟である。が、この微風に僅かな苛立ちを感じているのは確かだった。なにせ、現在の季節は夏。じりじりと肌を焼く日差しに加え、暑苦しい熱風まで吹いてきたら暑さで倒れてしまいそうになる。


 水を持ってこなかった事を、どうしようもなく後悔しているところへ、またもや鬱陶しい微風が吹く。


「あ? なんだこの匂い?」


 風に乗ってきた妙な匂いに首を傾げる。今まで嗅いだ事のない、おそらく何らかの料理の匂いだ。それも、多分超旨い料理の、だ。途轍もなく食欲をそそるその匂いにふらふらと導かれ、匂いの元へと辿り着く。そして、そこには、


「らーめん?」


「お? 客か兄ちゃん、安くしとくぜ?」


 不可思議な屋台と、頭にハチマキを巻き、黒いエプロンを着けた男が立っていた。


 *


「客かどうかを聞くって事は、ここは屋台でいいんだよな?」


「ったりめえよ! で、兄ちゃんは客か?」


 笑いながら答える男に毒気を抜かれるように、口元が緩む。逆に聞き返してくる男に近寄りながら、こちらも答えを返す。


「まぁ、腹が減ってるのは確かだな。らーめん? ってのは何なんだ?」


 曖昧に答えを出し、聞き覚えのない単語が書かれた暖簾のれんを指差し、男に尋ねた。すると、男はさらに深い笑みを口元に浮かべ、清々しい声で


「よくぞ聞いてくれた!」


 と、大声を上げた。俺があらかじめ耳を封じておいたのは俺の危機察知能力が正しく機能してくれた証である。流石俺、近づく危険には鋭い。


「『ラーメン』っつうのは、様々な出汁に様々な工夫を加え、そこに麺を加える事で成立した究極の料理だ! 職人の数だけラーメンの数があり、それはまさしく無限大の可能性を秘めた――」


「もう分かった。食う」


「まいど!」


 止まりそうになかった語りを遮り、特に怪しくもない料理なのも察した。故に、食欲に従い食う事を決めた。人懐っこい笑みを浮かべる男は、屋台にある簡易台所でネギをみじん切りにし始めた。

 その様を、屋台前に設置されている椅子に座って眺める。


「そういや、そのラーメンってのは何処の国の料理なんだ?」


「さあな。俺も知り合いに教えてもらっただけだからよく知らねえんだ」


「一気に怪しさ出てきたな」


「ははっ! 身体に悪いもんは何も使ってねえから安心しな!」


 ふと浮かんだ疑問を口にしたところ、その作っている男すらもその答えを持ち合わせていないらしい。はい、怪しい。

 まぁ、俺としては安全性が保障されていれば何でもいいのだが。


「よっしゃ、出来たぜ! その名も『ネギ塩ラーメン』だ!」


「また聞き覚えのない単語を……」


 ドン! と目の前に力強く置かれたお椀を覗き見た。いい香りのするスープに、この料理の主役である麺。そしてネギ、肉、ゆで卵がトッピングされている。彩り的にはあまり健康に良さそうには見えないが、限りなく食欲をそそるこの見た目はまさしく魔性であるといえる。


 手渡された箸とレンゲを受け取り、食べ方を享受されながらスープも飲み干し完食したところ。感想は、


「――旨い」


「だろ!」


 思わず漏れ出た感想を聞き、男は会心の笑みを浮かべた。常に楽しそうに笑う男も、今はしてやったりと言いたげに笑っていた。釣られて、俺も小さく笑う。


「ふっ、これは食った甲斐があったな」


「だろだろ!? 食ってよかっただろ?!」


「おう。あと、出来れば水が飲みたいんだが」


「お安い御用だぜ! ――ほらよ!」


 ちょろい。そんな意味を込めた笑いが出てしまうのを耐えるのは苦行だった。出されたコップ一杯の水を飲み干してから、席を立つ。


「ご馳走さん。うまかったよ」


「おう! また会ったら御贔屓に頼むぜ!」


 右手の親指をぐっと立ち上げ、掲げる男に苦笑し、手を振る。もう出会う事はないだろうが、それでもラーメンという料理名だけは覚えていてもいいかもしれない。


 そして先の道に戻り、再び歩き始めた。


「あっ! 兄ちゃんお代は!?」


 全力疾走した。




 


 

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