第18話『邂逅と兄の役目』

 一度は通ったことのある道を悠然と歩くのは、この俺アルキバートである。


 人々で溢れ、活気に満ち溢れた大通りを見ているとかなり高揚するものがあるが、今ははしゃぐ程の気力が無いのでただ歩くだけに留まった。


 検問所を抜け、真っ先に俺が目指したのは、あの不愉快な出来事が起こった冒険者ギルドである。向かう理由などただ一つ。冒険者登録を済ませる為だ。


 冒険者というのは、世界一自由な職業のことを指す。副業や退職は簡単な手続きをするだけで行えるし、数年活動していなくても特に何も言われることは無い。自由人にはぴったりの職業だ。


 セレスのようなSランク冒険者は例外たが。


 冒険者になる利点は、今の俺には全くと言っていいほどないが、今後どこかで冒険者の資格を持っていたことで役に立つこともあるかもしれない。つまり、持っておいても損はしないので、どうせなら持っておこうというだけだ。


 一応、セレスにはバレない様に努めたいが、おそらく問題ないだろう。あの時の受付嬢やら冒険者たちの対応を見れば、たとえ冒険者ギルドにセレスが居たとしても俺に会わせようとはしないだろうし。


 それと、無職と言う称号はなんか嫌だ。


 そして遂に冒険者ギルドの真ん前まで来たわけなのだが。当然ながら、入りたくない。今後の事を考えれば、冒険者という職に就いておくだけでもそこそこ役には立つ。


 だが、入りたくない。途轍もなく。


 なんかもう逃げてもいい気がしてきた。冒険者として活動するのはもう却下されたし、ただ職が欲しいだけな感情で動くなら、別に王都じゃなく他の町にあるギルドで冒険者登録を済ませればいい。


 だがそれだと、セレスに聞きつけられた時が面倒だ。俺が冒険者になったのだとセレスが知ったら、無理やりにでも俺の下にやって来るのは目に見えてる。こっちは会いたくも無いのに、今でもたまに会いに来ようとするときがあるんだ。俺と師匠がセレスを押しとどめるのに何枚の手紙を送った事か。


 ――それを踏まえると、伝えておいた方がいいんだろうな。嗚呼、憂鬱だ。


ガチャリ、と両開きのドアを開けて、中に入る。


案の定というか何というか。冒険者らしいというのかもしれないが、昼から酒を飲む奴もいれば、クエストの張り紙がされている掲示板を目を見開いて凝視している奴もいる。どちらにしろ、今日もギルドは騒がしいようだ。


ギルドの酒場は、以前ここに訪れた時よりも心なしか盛り上がっていたように見えた。何か、興味深い話題でもあるのか、皆口々に会話し、怒鳴り、喚いている。俺としては、こんな環境にあのセレスが馴染めている事に驚きだ。その順応性、分けて欲しいね。


真っすぐ冒険者登録の受付へと歩き、やがて受付に立つ受付嬢の顔が見えてきた際に、思わず足を止めてしまった。


 間違いなく、の彼女だ。俺のセレスへの伝言をことごとく断り、遂には俺に散々罵声を浴びせたクソ女。会いたくねえとひたすらに思ってはいたが、運が悪かったようだ。


 最近は本当に運が悪い。とうとう俺も、神に見放されたという事か。元から見放されていたような気もするが。


「おい、冒険者登録をしたいんだが?」


 話しかけたくはないと思いつつも、声をかけなければ話が進まない。仕方なしに発した声は、酷く低い声音だった気もするが、まぁ特に問題は無いだろう。


 俺の機嫌が悪い事を知られるだけだ。


「は、はい! 気づかず申し訳ありま――」


 それまでどこか上の空だった受付嬢は、パッと勢いよく顔を上げ謝罪の言葉を発しようとしていたが、俺の顔を見た瞬間に動きが止まってしまった。どうした? 遠慮なく謝罪の言葉を言いたまえ。


「あ、あの!? もしかして、アルキバート様ですか?」


「お、おう。噂に名高いアルキバートとはまさに俺の事だが


 怪我の功名、窮鼠猫を噛む。そんな言葉が思い浮かぶような、絶望を切り開く希望を見たかのように瞳を爛々と輝かせる受付嬢に少し気圧されながらも、辛うじて返答する。


 すると、受付嬢が何か言葉を発する前に、何処かから俺の名前を呼ぶ声が上がった。


「――アル兄っ!?」


 突如として俺の前に現れたのは、蒼金の少女。言わずもがな、セレスである。一体どこに居たんだ?


 セレスのやって来た方を見ると、セレスの友達らしき二人の少女と共に、やけに苦々しい顔をしている一人の頼りなさそうな男が仲良く酒場の席に座っていた。


――あの男は後で処理しよう。


「あ、アル兄! アル兄だよね?」


 咄嗟に反応して出てきたのか、セレスは目を見開き、少し興奮気味な様子でこちらを黙って見つめている。俺からしたら最悪の再会なのだが、コイツからしたら中々に嬉しい再会だったらしい。


 見るからに嬉しそうに頬を緩め笑みを浮かべている。だが、長年にわたり築き上げてきた俺の危機察知能力が今、目の前にいる少女に途轍もない反応を示している。


 俺には分かる。今、セレスは間違いなくご機嫌な斜めなご様子だ。感情の割合的には、嬉しさ半分  半分といったところか。理由は知らんが、こうなると俺がどうにかしてセレスの機嫌を戻さなければ、また手紙が送られてくる生活に逆戻りしそうだ。


 理由も知らない俺に、セレスを慰める事は不可能。ならば、慰めるのではなく褒める事で、セレスの機嫌を元に戻す。


 考えろ。俺が人生で培ってきた対セレス感情方程式を、全力で稼働させ、この修羅場を乗り越えろ。


 刹那の間に思考を全力回転させ、閃いたのは、意外としょうもない普通のことだった。生き別れの兄弟が久しぶりに会ったのなら、こういうことを言うのかもしれない。


「――成長したな、お前」


 ミノタウロスの時のような相手の挑発を誘う笑みではなく、師匠に対する煽りを含めた笑みでもなく、ただ妹の成長を喜ぶ兄の様に、自然に笑って言えた。


 数刻の沈黙が下りる。セレスが俺の言葉を聞いて石化したように固まって動かなくなった。酒場で耳を澄ませ盗み聞きをしていた冒険者達も、口を閉ざすというよりも、唖然として言葉を発せていないように見えた。


 もしかして、地雷を踏んだか? 冷や汗を背中に流して、静寂に動揺を隠せずにいると、ふとセレスは聞いてきた。


「本当に、そう思う?」


 不安そうに、迷子の少女の様に聞いてくる。見たことの無い少女の姿に瞠目するのも束の間、ここがセレスを立ち直らせる機会チャンスだと正しく認識し、その問いに応えた。


「おう、当たり前だ」


 セレスに近づき、頭に手を置いた。セレスは普通の男共なら卒倒しそうで、俺には全く効果のない上目遣いで、俺を見上げてくる。


 師匠に頭を撫でられるのが好きだったセレス。だが、俺がやったところで効果は薄いだろう。けれど、今のセレスになら効くかもしれない。頭に手を置くのが限界だったが。


「俺さ、前にここに来た時めっちゃ暴言吐かれたんだわ」


 果てしない恨みを込めて、言葉を紡ぐ。ピクっと肩を跳ねさせ、俺の言葉に反応するのは、あの時にその場にいた奴等だろうか。ふっ、この後セレスに成敗されるがよい。


「……うん。知ってる」


 知ってんのかーい。


 にしては、奴等の身に損傷が無さすぎる。ということは、セレスは俺への悪口を許したというのか。この贔屓女め、師匠の悪口は決して許さないくせに。


 セレスは顔を俯かせ、目線を下にやった。


「ごめ――」


「嬉しかったよ」


 食い気味で、セレスの謝罪を遮った。


「妹を守ってくれる奴がこんなにいるんだって知って、嬉しかった」


 セレスは顔を上げ、潤んだ瞳で俺の目を見ている。


「お前が、こんなに多くの人に囲まれているんだって分かって、安心した」


 俺も、セレスの瞳に目を合わせた。


「お前は人に支えられるようになって、守ってもらえるようになった」


 それは、紛れもない成長なのだと、セレスに言い切った。


 また、沈黙が下りた。けれど、先程のとは違う種類の沈黙である。


 セレスの瞳から、水滴が落ちていた。酒場の冒険者たちは、そのセレスと俺を見守るように見ている。


 俺が言った言葉は、もしかしたら多くの物語に出てくる主人公たちが発してきたありきたりなものだったかもしれない。けれど、今のセレスには必要な言葉だったと、確信している。


 だから、この俺が主人公を気取ったことを今だけは許してほしい。というか許せ、神様共。


「――アル兄」


「ん?」


「私ね、いっぱい戦ってきたんだよ」


「ああ、知ってる」


「手紙じゃ全部かけないくらい、沢山の事があったんだよ」


 ぽつぽつと語りだすセレスは、泣きながら微笑んでいて、確かに嬉しそうに、立ち直ったように見えた。それこそ、兄との再会を心から喜ぶただの妹のように。


 なんとか、立ち直ったようだ。危機は去り、これで俺も遠慮なく冒険者登録に移れるというものだ。


 そう思えていたのもまた、束の間だった。


「だから、アル兄と一緒に、沢山のことを話したい」


 セレスは真っすぐに、前に共に暮らしていた時と同じように俺を射抜いてくる。


 察するに、どうやら今日は――


「ふっ、了解した」


 兄でいなければならないようだ。


「じゃ、立ち話は嫌だし座って話そうぜ。いいとこなんだろ、この酒場は」


「うん!」


 今度こそ、セレスは満面の笑みを浮かべた。


 


 









 

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