9章 母よりの手紙

明朝。

ヴェルは朝食を終えた後、家のことをひとしきり手伝い、

もう日が南の空に昇ろうという頃、入り口の前で宿主の二人に声をかける。


「二日にわたり世話になった」


旅立ちの朝は晴天なり。

…朝ではないが。


「とんでもございません。私たちの方こそお世話になりました。」


とエリスは返す。

エリスの家の玄関前、人気のない街路でエリスとイーラは

再び旅に戻るヴェルを見送る。


本来は明るく見送ってあげたいのだが…


「…」


こういう時は一番騒がしくするはずのイーラが、

今日は何かを考えるように俯いている。


「良い。コーヒーの礼だ。旅をしながら各地を回ってきたが最も優れておった」

「まぁ。ふふふ。相変わらず大袈裟ですね」


大人たちは簡単な挨拶の言葉を交わす。

俯くイーラが何を考えていることなど気にしていないかのように。


ヴェルもイーラが何を言いたいのか言われずともわかる。

もちろんエリスも。


「ふむ」


彼女の思うことを聞くべきか否か。

少しヴェルが迷っていると


「イーラや。ご挨拶は」


エリスの方が先に彼女の扉を叩く。


「…ねえ、ばあば」

「なんだい」


答えは初めから知っている。

あなたはあの子の娘だから。


「ばあばは、私がいなくても寂しくない?」


イーラは恐る恐る顔を上げて、エリスに聞く。

そこにはいつもと変わらない大好きなばあばの笑顔。


「…そうさね。もちろん、寂しいよ」


寂しくないはずはない。

それでもエリスは笑顔で気持ちに応えたい。


「…そっか」


反して少し尻込みをするイーラ。上げた目線がまた下を向く。

ロクシーであれば、寂しいかとも聞かずに飛び出していくだろう。


「イーラや」

「ううん。いいの。なんでもない。なんでもないの!」


イーラが自分の思いをかき消すように、エリスの言葉を遮る。


「ヴェル!いっぱいお話してくれてありがとう!」


再び上げた顔は、にっこり笑った満面の笑顔。

誰が見ても作ったことが分かる。


「ふむ。」


様子を伺うようにヴェルは一つ頷く。

そしてまたイーラは視線を足元に落とす。分かりやすい。


「…イーラや」

「なに?ばあば」


一人でわだかまりの消化をはじめたイーラにエリスが声をかける。


「いつかあなたに見せようと思っていたものがあるのよ。」

「見せようと思っていたもの?」

「そう。」


イーラは小首をかしげながら、少しだけ視線を足元から浮かす。


「…ヴェル様や、すみませんが、もう少しだけこの場で時間をもらえますかね」


ふむ。


「構わない。旅人なのでな」

「今、お持ちしますから。二人とも少しだけお待ちください。」


エリスは二人に背を向け家の方へ向かう。


その場に残る二人、

ヴェルは無言でその場に佇み、イーラは


「ううぅうぅ」


と引き続き己の迷いと格闘しているようだった。



一方、家に戻ったエリスは居間を通り階段を足早に上がる。

上がり切った先の右手、娘の部屋へ上がる。


「えっと…どこにしまったかしら。確か、この机の引き出しに。あったあった」


遺物が飾られている机の下の引き出しを開け、

一番上に置かれていた便箋を手に取る。


とても女性が使うようなものに見えない、

飾り気のない古い地図用のクラフト紙で折られた便箋。


「懐かしいですね。この手紙を最初に読んだ時には大泣きしましたっけ。今はなんだか、あの子に背中を押されているようで、不思議なものですね」


そう独り呟いたあと、机の引き出しを丁寧に元に戻し、

今この手紙を渡すべきもう一人の娘のもとへ向かう。


「さて。」


と、

外では、まだイーラが小さく唸っていた。


「ううぅぅううう」


ふむ。


「ううにゃううう」

「ふむ」


ヴェルは思わず口に出して相づちをしてしまう。

その悩みを聞く意思があることを暗にイーラへ伝えるために。


「…ねぇ、ヴェル。」


それに気づいたイーラも自然とヴェルへ声をかける。


「私が着いていったら、迷惑?」


それが本心。

ついていきたい。

ずっと外の世界を見たかった。


けれど、自分は半魔であり、時に意識せずとも魔素を放ち、

同行者に大きな迷惑をかけてしまう。


しかし、ヴェルはそれをいとも簡単に解決してくれた。

この人と一緒なら…ずっと心に留めてきた小さな夢を叶えてくれるかもしれない。


本で読んだ山が見たい。海が見たい。


「ふむ。難しい質問だ。迷惑ではあるが、嫌ではない。」


返ってきたのは、曖昧な返事。


「へ?…どういうこと?」

「ふむ。」


・・・。長考。


ここで何を答えるかによって、イーラの意思はきっと変わる。

それをわかって、ヴェルは少し考える。


「構わない。ということだ。」


無理強いはしない。無責任に意思を誘導するようなこともしない。

ただ、イーラの好きにしてよい、と伝える。


「…そっか。ありがとう。」


その意味を一つ考えた後、イーラはその思いを受け取る。

少し気持ちが楽になったイーラは、もう一つヴェルに尋ねてみる。


「ばあば、怒るかな…」


少女らしい質問。

エリスにも寂しい思いはさせたくないし、

ましてや、家を出たいなんて言って怒られたくもない。


「どうだろうか。わからぬ。」

「うぅうう…。」


聞かれた当人は、エリスがこれから持ってくるものが何かも知っている、が

腕を組んだまま、一方の肩を上げてとぼける。


イーラは、そうだよね、と言葉通りを受け取り、また唸り始める。


そこへ


「お待たせしましたね。ずいぶん奥にしまってまして」


手に小さな便箋を持ってエリスが戻ってくる。


「かまわぬ。」

「ありがとうございます。」


そして、持ってきた小さな便箋を


「・・・イーラや、これを。」

「へ?わたしに?」

「そうです。あなたのママからの手紙です。」


急に母からの手紙を手渡され、驚く。

どうして今?


「え…?…ママ?」

「そうです。」


今まで一度もそんな手紙を読んだことがない。

話には聞いたことがあるけれど、母はイーラのことを知らない、と思ってきた。


顔も見たことがない私のママ。


「今日のような日がくるのでしょうと思い、ずっと大切にとっておきました。あなたのママが私に書いた手紙です。」

「ばあばに?」


やっぱり。


「そうです」


ママは私のことを知らない。


「最後に一つだけお願いが書いてありました。さ、開けて読んでごらん。」


お願い?


「う…うん。」


イーラはエリスに促されて、茶色い便箋から、ごわごわした紙数枚の束を取り出す。

ママの手紙、ごっつい。まずは、そう思った。


「ふむ。」


なんとなく、イーラが思ったことを察したのか、これから読まれる手紙の中身のことを思ったのか、

整理のつかない相づちを一つ。


イーラは不思議な相づちをしたヴェルを少し見上げた後、

取り出した紙束に視線を落とし、内容を声に出して読み始めた。


「"親愛なるママへ。へい!ママ!元気にしてるー?私は超元気よー!"」


・・・え?


乱暴に書きなぐったような文字と、出だしの明るさに拍子抜けして、視線をエリスへ戻す。

それに気づいたエリスは一つ笑って、イーラに頷いて見せる。


ちょっと腑に落ちないが、イーラは先を読む。


「"ずっと帰れなくてごめんね!魔大陸に来てから私はずーっと楽しくしてました!魔王と結婚するって言った時のママの困った顔、超傑作!面白かったー!"」


めちゃくちゃだ。


「"大好きな魔王も勿論だけど、魔族のみんなもすっごい優しくてね!私は毎日あっちこっちにいっては、すんごい冒険をしています!いつかママにも聞かせてあげるから楽しみにしててね!"」


けれど、私が思ったことは間違っていなかった。

魔王は、魔族の人たちは、悪い人ばっかりじゃない。


「"こっちに来てから2人の友達に会いました!何にでも化けて大暴れするスーパーマン!掘削機に化けて私の冒険のお手伝いもしてくれるの!―土を掘るぜぇ!どりゃどりゃどりゃあ!―って超面白い!"」


ヴェルが若干困った顔をする。

きっと知っている人の話なのだろう。


「"それとね、なんでも知ってて頭のいい大人の女性!私が持ってきた遺物をなんでも鑑定してくれるウルトラ博士なの!―ロクシーさん、またこんなもの掘ってきて…。これは糞の化石です。と言いますか、あなたは魔王様の愛するお方であって、そんな気軽に外出されては、ってちょっと!話聞いてますか!?―って何回言われたことやら!私ってなんでこんなにおバカなんだろう!うーん。きっとママに似たのかな!"」


そうなんでしょうね。

と、ばあばが少し笑う。

そんなことないと思うけれど…。


「"魔王様はね、ヴォルカスっていうの!カッコよくて、優しくて、強くて、なんでも知ってて!ほんっっっとに理想の男性!私が一人冒険に出てって怪我とかすると、すぐ飛んでくる!なんだか、ずーっと見守ってくれるような気がするんだ!きっと神話の騎士様なんじゃないかなって!私は思うの。大切な本で、お家に置いてきたから絶対に1回は読んでね!"」


これは私の大好きな本の話。

ばあばはママが1番好きだった本と教えてくれた。

神話の騎士の話。


懐かしいな。

とヴェルの目はそんなことを思っているように見えた。


「"うーん。他にも書きたいことは一杯あるんだけどね!えっとね、一つだけ、ママに謝りたいことがあるの。最初に元気って書いたのは、嘘。"」


ここまでが楽しいお話。

その先に書かれていることが、母が本当に伝えたかったこと。


"本当はきっとママがこれを読む頃には私はもう死んでいるんだと思う。魔王のお嫁さんなんて、そんなすごいことしちゃったから、一生分の幸せを使い切っちゃったのかも。

でも、とっても幸せで楽しかったなぁって。ママや周りのみんなを残して先立っちゃうことが心残りだけど、私はほんっとうに楽しかったなぁって思うの!

…だから悲しまないでね。先に行っちゃってごめんなさい。ママ、産んでくれて、わがままをたっくさん聞いてくれて、いっっぱい我慢してくれて、ありがとう!ほっとうにありがとう!

しみっぽくなっちゃったね。あ!あとね!私子供が生まれました。名前はイーラって名前にしようと思うの。ヴォルカスの下の名前がディアブロ ローイ、これは魔物の王って意味なんだって!

で、私がリュウール、これが輝き。でね、そこに2つ意味を足したの。イーラ ディアブロ リュウール ドレって名前!どう?かっこいいでしょ!

イーラが時代や象徴って意味!ドレが金色って意味!私の友達に、ママのところに連れていってもらうようにお願いしたから、私と思ってしっかり面倒見てあげてよね!

私、魔王城から見る朝日が本当に綺麗で好きだったの。人と魔族、遠く離れた二つの大陸一緒に明かりが差すの!ずっと戦争で争い続けているけど、お日様は平等なのよ。

私もそんな風にありたいと思ったし、イーラにもそうなって欲しい。なんか、大層な願いかな。あははー・・・。で、その朝日が大好きだったから、この名前にしたの!

うん!一番大事な伝えたいことは書いたから、これでおしまい!我ながらまとまりないなー。本当に迷惑ばっかりだったけどさ。ママ、ありがとう、大好き!"


魔族に朝日が輝く時イーラ・ディアブロ・リュウール・ドレ


本当の母がイーラに残した、たった一つの贈り物。


「ふむ。終いか?」


この手紙を持ってきたエリスの意図を汲んでか。

知らぬふりをしてヴェルが続きを促す。


「…いいえ、続きがあります。」


途中から少し伏せていた顔をエリスはあげて、答える。


イーラが手紙の最後の1枚を開くと、

そこにはイーラへのメッセージが書かれていた。


"追伸!イーラへ!一度も会えなくてごめんね。顔が見れないのが残念だけど、きっと可愛いんでしょうね!私の子だから!

魔王様は私の旦那だから、会ったらちゃんと挨拶すること!それと、ぜったいに好きになっちゃダメよ!

というのは冗談で。自由に生きなさい。ばあばはきっと心配するけど、大丈夫だから…多分!

あなたがやりたいことたっくさんして、たっくさん笑って!

ママね、あなたと、ヴォルカスと一緒に、魔王城から朝日をみたかったなぁって今1番思うことなのよ。

あなたの行きたい場所へ向かいなさい!旅立ちに臆すことなく!ヴォルカスがあなたのことをきっと見守ってくれるわ。

いけ!若者よ!母は応援しているぞー!わっはっはー!"


――あなたの母、ロクシーより。



「立派な便りである」


と、ヴェルが呟き


「娘らしくて」


微妙を浮かべたエリスが言う。

イーラは、もう一度最後の1枚を読んだあと、エリスに向き直る。

肩を震わせながら、自分の思いの丈を伝えるために。


「こめんなさい、ばあば」

「はいな」


ずっと押し隠してきた想い。


「私…」


人になれないイーラが半ば諦めてきたこと。


「ずっと、外に出ちゃいけないって思ってた。ずっと迷惑かけちゃいけないって。外に出たら、サイレンを鳴らして、その度にばあばが助けてくれて」


彼女は半魔であり、魔王の娘。

その中に眠る力は人にとっては脅威であり、その存在自体が今の人の世にあってはならない。


「だから我儘言ったらダメって思って」

「大丈夫ですよ。」


「イーラは優しい子だから。みんな外に出ちゃだめ、なんて思っていませんよ。」


エリスもまた、イーラが抱える孤独に寄り添ってきた。

人の街で暮らすにはあまりに不都合な真実。


この娘を大切にすることが、人の世への冒涜のように感じたこともある。

それでも、不器用なりに明るく振舞おうとする孫がただ愛おしくてたまらなかった。


「頑張って、サイレンも鳴らなくして、一生懸命人に溶け込んで。それでも上手くいかないときはお家の中でずっと本を読んでましたね。」


そこまで言って、エリスはふと、ヴェルを見る。


腕を組んで、ただ黙って様子を見守っている。

見た目こそ人ではあるが、その瞳は赤に輝き、イーラの左目と同じ色をしている。


この二日間、よもや「私が父だ」なんて言おうものなら、きっと反対をしたのだろう。

けれどヴェルはエリスの気持ちを理解し、そして聞き出すこともなく、二人の話を傾聴していた。


エリスは、


貴方という人は…二度も私の娘を…

と、一人心の中でつぶやいて、送り出す決心を固める。


「イーラや、あなたが長く頑張り続けたこと、私は知っています。」

「へ?そんなことない…!ばあばの方が…!」

「寂しい思いを、させましたね。」


イーラはその想いを、感謝を大好きなばあばに向かって。


「ばあば、私、ヴェルと旅がしたい」

「そうですか」


「私、いろんなもの、見てみたいの!」

「そんな日が来ると思っていたさね」


ふいに、ふわっとした、ずっと一緒に過ごしてきた大好きな香りに包まれ、

イーラの感情は堰を切ったように漏れ出す。


「ばあば、大好き、ばあば」


と何度も何度も。


「あらあら、私も、大好きよ、イーラ。」


何度も、何度も。

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