2幕 郊外の一軒家

祭りの喧騒けんそうを横目に歩くヴェルは空を仰ぐ。

観劇前とは違い、空の青が少しばかりオレンジを含んできている。

長身の彼の影が先程よりも長い。日が傾いてきたようだ。

それでも街はまだ賑わいを忘れていない。


その賑わいの一角のお話。


薔薇ばら色の頬を膨らませた少女が、老婆ろうばというにはまだ背筋が伸びている婦人を困らせていた。


「イーラや、せっかくのお祭りなんだから、もう少しみんなと遊んできたらどうさね」

「いや!みんな私と一緒にいたって、つまんないもん!」

「あらあら。そう怒らんと。みんなだって悪気があったわけじゃないんだから」


歩く二人の影。

雑踏の中で、小さな影の方がくるりと回ってみせる。


「じゃあばあばはどう思うの!?私のこの服!」


黒いワンピースに金の髪がふわりと舞い降りる。

黒曜こくように金細工が施されているかのように。

どのような職人でも作り出せない色模様。


「ばあばは可愛いと思う。けどもね」

「じゃあいいの!ばあばが可愛いって言ってくれるなら!」


イーラはこのワンピースがお気に入りなのだ。

それをばあばはわかってくれているのだ。

一番ほしい賞賛しょうさんをもらっても。

やっぱり不満。


「真っ黒でなんかしみっぽーい、なんて!」


友達の言葉をなぞる。

思い出されて、さらにつのる不満。


「みんなのほうがずっと可愛くないもん!」


小鹿のような足で地団駄じだんだを踏んで。

先程来た方角へと振り返ると、べー、と舌を出す。

友達のいた方角。

進む方角へ向き直るより早いか、わからずやの友達から離れるように駆け出す。


「あ、これ」


止めるエリスの声も今のイーラには、わからずやに聞こえる。


「いいんだもん!みんなとは遊ばなー」


い。


続く予定だった言葉は


「わ!?」


に置き換えられた。

イーラの目の前は真っ暗になって、弾かれ、ポテンと座り込む。


「ん?」


ぶつかられても微動びどうだにしない真っ暗な大男。

尻餅しりもちをつくイーラと男に向かって、エリスは駆け寄る。


「おお、すみません。前も見ずに」

「いたた…」


おっきい。

首をフルフルと振って、影の主を見たイーラは率直にそう思った。


「気にするな。子供は元気な方がよい」


すっと降りてくる影。

イーラへと手を差し伸べる。


「すまぬ、避けることができなかった」


その大きな手を取りながら、イーラはこの人が避けるものなの?とちょっと不思議に思った。

ぶつかったのは私なんだけど。


「こ、こちらこそごめんなさい」


引き上げられた大きな手から、その持ち主へと視線を動かすと。

優しい、でもただ優しいだけじゃない赤の双眸そうぼうがそこにあった。

まだ見つめていたい、そんな気がするイーラの視線から赤いそれが外れる。


「素直で良い子だ。怪我がなさそうでよかった。では、これで」


エリスはほっとしたように、大きな影の主に一礼する。

長身の男は何かを考えているような様子でエリスとイーラから去っていった。


「…変なおじさん」


イーラの感想に、エリスは落ち着いた口調で咎める。


「これ、イーラが前を見ないで飛び出したからでしょう」

「てへへ。優しい人でよかったね」


先程とは違う意味を持つ舌をちらりと出した。

それを見て、エリスは微笑みイーラの頭をポンポンと撫でた。



さらに日は傾くが街は騒ぐことを忘れない。

すっかり夕暮れになってきたころだ。

街中どこへ行っても呑み騒ぐ輩がいる。

街はずれまで彷徨ってきていたところへ。


つん。


鼻につく、微かな臭い。

普段街中では、ほとんど嗅ぐことなど叶わぬありえぬそれ。

今日の祭りの日にはそぐわないそれ。

この臭いをヴェルは嗅いだことがある。


魔族の血の臭い。


それに。

人間の気配か。

少し先の街路、祭りの陰で何かが起こっているのか。


すっとヴェルは進行方を変えた。

その足取りは、彷徨さまよっていたそれからわずかに変わっていた。


建物の影に隠れ、気取られぬよう様子をうかがう。

と。

立派な身なりをした兵隊…貴族兵三人と、足元に丸くなり何者かが倒れている。

倒れた者から先程の微かな臭いが明確に感じ取れた。

冷静に息を殺し、ヴェルは時を待つ。

騒ぎを起こすわけにはいかない。


「死んだか?まぁいい。主人より生き死には問わぬと言われておる。そのうち野垂れ死ぬだろう」


死を宣告されたそれは、微動びどうだにしない。


「人目のつかない路地にでも放っておけ!主人には死んだと報告しておく!」


連れ立った二人は、一番偉いのであろう立派な身なりをした兵隊のうちの一人に敬礼をし、ぼろきれのようになったそれの手足をつかんで勢いをつけると。

まるでゴミを捨てるかのように路地裏へと投げ込む。


今出てはいけない。

逸る気持ちを抑え、気配も抑えて、しかし自身の手をきつく握り締めてヴェルは待った。

そしてその時は来た。


「さて、帰るぞ!見回りの続きだ!」


貴族兵たちは、打ち捨てられた魔の者を忌々いまいましげに睨みつけてから去っていく。

気配が遠退く。

魔の生命の鼓動こどうは弱く小さくなっていく。


息は…。


ヴェルは足早に路地へ近づき、かがみこんで命を確認した。


「大丈夫か」


返事はない。

息はある。だが、治療なしでは死ぬな。

そう判断した。

魔法を使えば簡単だった。

それでは魔族だと気付かれてしまう。

逡巡して得られた答え。


回復の魔法陣。

地に眠る魔素ー自然界にただよう魔法のみなもとーを直接与える。


そのためには、暖かく、風のない場所が必要だった。


「…すぐに良くする。死ぬな」


やることと願い。

一致してくれればこの命は救われる。

ヴェルは血に濡れた魔の者を抱え、あたりを見回した。

建物はある。

だがこの祭りの時に、明かりが灯っていない。

人気もない。

幸か不幸か、今の状況を見ているものはない。

好都合ではあるが。


救わなければ、この命を。


巡らせた視線の遠くに。

一軒だけ、明かりが灯っているではないか。

一縷いちるの望みがつながった。


程なく歩くと明かりが近くなってくる。

明かりのある家にたどり着き、断りを入れてから魔族を大地へそっと降ろす。


受け入れてくれるだろうか。


運を天に任せ、ヴェルはドアを叩く。

返事はない。

明かりはあるのだ。


もう一度、祈る気持ちでノックする。


「はいはい、こんな時間にどちら様ですかねえ?」


ドアが用心深く開かれ、暗くなり始めた外に一条ひとすじの光をもたらす。


夕刻ゆうこくに突然すま、ぬ…これは昼間のご婦人」

「あら、あなたは…」


エリスは突然の来客が昼に出会った、イーラがぶつかってしまった男であったことに驚いた。


「あの時は、すみませんでした…どうかなさいましたか」


不穏な空気をエリスは感じ取って、ヴェルに問う。


「いや、不躾ぶしつけなお願いだが、一晩だけ泊めてはもらえぬか」


答えたヴェルの視線がつい、と大地に降り注ぐ。

エリスも追うように視線を巡らせる。

見たものは。


「そこで傷ついた魔族を見つけた。治療をしたいので暖かい部屋を探しておった」


ぼろきれのようになっている、血まみれの魔。

生きているのかわからないほどの。


「おやまあ、これは大変。」


凄惨せいさんな様子にあっけに取られた様に見えたが、すぐさま。


「どうぞどうぞ。古い家ですが、使ってくださいな」


扉を大きく開き、エリスは招き入れる。

遺恨いこんなどない言葉の響きにヴェルは、驚きをその瞳に泳がせた。


「断らぬのか、魔族というのに」


その言葉にエリスこそ驚いてみせた。

束の間のこと。


「…人も魔族も、命ある仲間だと、私は思っています。ある人から引き継いだ心だけれどね」


さあ、お急ぎなさいな。


「そうか。いつくしみある婦人よ。そなたと、その人に感謝する」


促されてヴェルは大地から魔の者をすくい上げると、家の中に入る。

一つ奥の間に通されても、この家の住む者と同じ柔らかな光があった。

つつましくも温かな家庭があった。


施錠をした後、

心配そうにエリスはヴェルと抱かれた者を見つめる。


「婦人よ、汚してよい人が寝れるほどの布はあるか」

「ええ、こちらに。こんな古いシーツでよければ。他に何かいるものはありますかね」


ひと時奥にこもり、戻ってきたエリスの手には一枚の布。

感謝を述べて、受け取ったヴェルは端的に答えた。


「ない。私の血で十分だ」


床に降ろされた魔の者は。

息をしていなかった。


回復の魔法陣ではいけない。

蘇生の魔法陣を使わねばならない。


シーツを広げ、対象を置き、ヴェルは己の指の皮を食いちぎる。


久しぶりに書く、蘇生の魔法陣。


古い記憶を呼び戻し、シーツに己の血を吸わせていく。

さらさらと書き上げていく様をエリスはじっと見つめていた。


「何をじっと見ておる。やはり珍しいか」


指を動かすヴェルの視線伴ともなわぬ問いに、エリスが懐かしむように答える。


「いえね。昔同じようなことをよくやっている者が近くにおったもので」

「ふむ。珍しいな。魔法陣はいにしえの時代のものだが。博識はくしきなものと親密だったのだな。いや。物好きというべきか」


自分のことを物好きとも言っているともとれる。

どうなのかはわからない。

なぜなら、蘇生の魔法陣が完成したからだ。


完成した魔法陣の上へ、魔族を移し、


「万物を愛す神よ。我が名は ヴォルカス ディアブロ ローイ 今ここで貴方との契りに反き、母なる大地に眠る命の芽をかの者に与えることをお許しください」


ゆっくりとした、芽吹きと禁忌を感じる音の並びに。

血の魔法陣が仄かに光を帯びてくる。


「しからば、私は貴方様のことを永遠に尊ぶでしょう。

 慈しみ深き友なる神よWhat a friend we have in Jesus.。」


慈悲。

背信。

賛美。

根源。


神に声は届いたのか、魔法陣は今や輝きをもって応えている。

それもやがてのこと。

光は徐々にその力を失せ、一つのきらめきを最後にかき消えた。


魔の者に光が移ったかのように。

命のきらめきは救われたものに宿っていた。


「…ふむ。久々だったが、成功したようだ」


正常な反応を見て、ヴェルは一つ息をついた。


「それはそれは。一安心なのね」

「そうだ。明日には、痛みは残るが一人で歩けるだろう」


事の次第を見つめていたエリスもほっと息をつく。

肩が上下に動き、命を救われた魔族にそっと柔らかな掛物をかけて


「では、貴方様も一息ついてはいかがですか。コーヒーでも淹れましょうか」


備え付けられた椅子をすすめながら、エリスはにこりと微笑む。


「ふむ。…いただこう」


椅子に腰を下ろし、ヴェルは傷つけた指を眺める。

まだ血が流れている、生きる証。

枯れ果てた涙のように、血も枯れ果てればと思っていた。


とそこへ。


とたとたとたとた。


軽快な足音がしたか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る