十二月 瀧喜(TC-90)無事故飛行記録六十万時間達成

海上自衛隊徳島教育航空群の【座敷童】……【マツバ】はいわゆる前の男を引きずっている。主として計器飛行を学ぶこの片田舎の飛行場で七十余年、癒えるはずの傷を癒さずに後生大事に抱えているのだ。お陰様で【マツバ】は俺が夜間や悪天候時に航空機に憑いていくのを、本気で嫌がっている。

「僕は【白菊】とちゃうのにな」

基地の建物群の端っこにある資料館のアルミ製の戸を開ける。外の空気と入れ替わるようにして殉職者を悼む線香の匂いが出ていく。四十年以上も出入りしているのだから、この匂いにも慣れたものだ。

「【マツバ】がああなんはお前が南冥の海に消えたせいだぞ」

入ってすぐ、写真や色紙などといった資料の中でも一番奥に置かれている、唯一残った白菊のタイヤに腰かけたおかっぱ頭の【白菊】に愚痴を言う。【白菊】は何も言わずに笑っている。

「そんでもお前が積み上げてきたものの上に僕らはおるからな」

ただの残留思念だとは分かっている。それでも【白菊】に話しかけるのは僕がこの飛行場の【フナダマ】だからだ。

「無事故飛行記録六十万時間達成したわ」

もうこの世にはいない【白菊】は動かない。


手向ける菊花は雪より白く。

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