三、命名

 探している人物の身長と在籍している学校は分かった。しかし、その先は数日経っても分からないままだった。なぜなら、約六百三十人の生徒が在籍する我が羽生中学校で、たった一人の男子を探すのは至難の業だった。そもそも「走っている人物の肩の高さ」で身長百五十センチ前後と身長を推測した以上、彼の身長をおおよそ百四十五センチから百五十五センチを見積もると候補となる人物はかなりの数になってしまう。他の情報がない以上絞り込みようがなかった。

「だめだ。わかんない」

奈緒が机に臥せりながら呟く。昼休みに奈緒の机のそばに来ていた私は、立ったまま奈緒の降参宣言を聞いた。ここ数日それらしい男子生徒がいないか目を光らせていた奈緒は限界を感じたらしい。

「ごめん、わたしもわかんないや」

私もお手上げだった。数が多すぎて話にならない。

「諦める?」

「それは嫌かな」

諦めはしたくない、でも手掛かりがなさすぎる。

ふと思いついたように、奈緒が顔をあげ、こちらに視点を合わせ、「そういえば、探している人って麻結を助けた時黒スーツにサングラスだったんだよね」と言った。

「そうだよ」

「なら、それらしい人が噂になっていないか聞くとかはどう?」

「目撃者を捜すってこと?」

それは難しいのではないかと考えていた私に、奈緒は別の案を挙げた。

「いや、そうじゃなくて、人助けをしている時だけに着る衣装なら、同じように誰かを助けているかもしれないってこと」

「ああ、なるほど」

確かに一理あるかもしれない。都市伝説のような噂でもいい。今回の件以外の「現場」があるなら、別の特徴が見つかるかもしれない。

「じゃ、黒スーツにサングラスの人が人助けをしている話がないか、聞けばいいのね」

「うん。あ、いや、ちょっと待って」

「どうしたの」

私の問いに少し間をおいて、奈緒は答えた。

「どうせなら、噂として広がりやすい方がより多くの情報が集まると思わない」

「まあ、確かにね」それも一理ある。

「なら『黒スーツにサングラスの人』じゃなくて、名前付けた方がいいんじゃない」

「名前。口裂け女とかトイレの花子さんとか」

「何で両方女性の怪異なのさ」

たまたま思いついたのがその二つだっただけなのだが。というか、奈緒が少々楽しそうなのは気のせいではないと思う。口元が少々緩んでいる。本人も抑えているつもりだろうが、少々にやけた顔をしていた。

「それじゃ何かいい案あるの」

奈緒が楽しそうなことに少々苛立ちながらそう返す。まあ、探し始めた時から「恋話コイバナ」だと思っていたことだし、面白半分なところは多分にしてあるだろう。一緒に探してくれるのはありがたいが、道楽にされては困る。私は真剣にその人と会いたいのだ。会って、お礼を言って、少しばかり話をしたいのだ。

奈緒は私の不快感を感じ取ったのか、顔の緩みを解消させつつ、目線をそらし、「そうだねえ」と言った後、向き直って「クロ」と言った。

「まんますぎるよ、犬っぽいし」

確かに全身真っ黒だけれども。

「じゃ、グラサン」

「またしても、そのまんまだね」

「噂とか、都市伝説になるのってそういう感じじゃん」

「確かにそうだけど」

なんか違う。恩人に付けるあだ名としては、あまりにも雑だ。

「なら、麻結は何かいい案あるの」

「えっと」

言葉に詰まり、そのまま思考する。黒スーツにサングラス。全身が真っ黒。顔が見えない。目がこちらから認識できない。

 一つ、思いついた。単なる単語ではあるが。

「クロウ」

「くろう」

奈緒が鸚鵡返しに呟く。

「なにゆえ」

「クロウはカラスのこと。カラスは漢字で二種類の表記の仕方があるけど」

と言いながら、メモ帳を取り出し、「烏」と「鴉」の字を横並びで書いて奈緒に見せた。

「こっちの、鳥に一本横棒がない方の「烏」はカラスの目が体が黒いせいでどこにあるか分からないから、象形文字の鳥の目にあたる横棒を取った字が使われるようになったらしいの」

と「烏」の方を指さしながら話す。

「英語でもカラスは二つの言い方があって」

今度はメモ帳に「crow」と「raven」の英単語を、「烏」と「鴉」の字を書いたメモ帳に、「crow」は「烏」の下、「raven」は「鴉」の下に書いて奈緒に見せた。

「『crow』は小型種、『raven』は大型種を指すらしいの。で、『raven』は日本語に訳すとき『大鴉』って書くことが多いのね」

と言いながら、私は「raven」の上に書いてある「鴉」の左横に「大」を書き足し、「大鴉」にして、また奈緒に見せる。

「となると、『crow』に対応する漢字は」

「鳥に一本横棒がない方の『烏』ってことね。でもそれがどう関係があるの」

長話に少し飽きてきた様子を見せる奈緒に、「ここからが本番」と声をかけて話を続ける。

「『黒スーツにサングラスの人』なら、全身真っ黒で、目がこちらから認識できない。前者はカラスの特徴に符合するし、後者はさっき話した通り、鳥に一本横棒がない方の『烏』の特徴と合致する」

「なるほどね。ちょっとひねってあるけど実態はそのまんまってことか」

「ひねらないと面白くないし」

「まあねえ」

少し気のない返事をした後、奈緒は噛みしめるように「クロウ、クロウか」と呟き、

「いいんじゃない。『クロウ』に決定」

と元気よく言った。それに応じるように、昼休みが終わる五分前と告げるチャイムが鳴り響き、クラスメイトが移動教室の支度を始めた。五時間目は理科室で実験だ。


 ◇


 放課後、早速聞き込みを始めたが成果は上がらなかった。クラスメイトはもちろん、奈緒は自身の所属する女子テニス部の面々にも声をかけたらしいが、数日経ってもそれらしい話は全く手に入らなかった。


 *


 クラスメイトの女子が二人、「クロウ」という人物を探しているらしく、他のクラスメイトに声をかけていた。その「クロウ」というのは間違いなく自分のことだろう。もし話しかけられたら顔に出てしまう。びくびくしながらひたすら教室の空気と一体になるよう努めていたおかげか、声をかけられることはなかった。

 一方で、話しかけて欲しかったような気がする。彼女らには、欲しい情報を持っていないと判断されていたということは、やはり少し寂しい。まあ、友達がいない、いかにもなぼっちには、噂は耳に入らない。そう考えたのなら、彼女たちの判断はもっともであるが。

 しかし、知られてはいけない。大っぴらにできない以上、また彼女を幻滅させないためにも、隠し通さなければならない。内心で彼女たちに謝りながら、家路を急いだ。

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