第4話 ベイビーベイビー

 ミニテーブルがかたされた居間には、新しい布団がぎゅうぎゅう詰めになって二組並べて敷かれていた。

 ダブルガーゼの長袖パジャマに着替えてから自分の敷き布団の上にすわったあたしは、ドライヤーのスイッチを入れて鼻歌交じりに髪を乾かす。温風ごしにトイレの流す音がかすかにきこえると、彼女の気配を間近に感じた。

 視線を真下から隣に向ける。まとめられていた長い銀髪は解かれ、惣闇色のベビードールに潤いを含んだ美しい文様としてかがやきを放つ。そんな魔性の魅力を完璧なまでに高めた彼女が、横ずわりの姿勢でかたわらに置かれていたフェイスタオルを使って濡れ髪をやさしく挟み込み、根本から毛先へと撫で下ろしはじめるところだった。


 彼女は当初、産まれたままの一糸まとわぬ姿で眠っていた。

 寝巻を着る習慣が自分の部族には無いといわれて何度も断られたけど、あたしの身内にも友だちにも裸で眠る習慣の人はいないし、官能的な彼女の美ボディは同性のあたしが見ても目に毒なので、なんとか〝主人命令〟で寝巻を着せることには成功した。

 ただし、妥協案として普通のパジャマではなく、露出多目の透け透けなベビードールが選ばれ、さらにその下には、なにもつけてはいない。

 そう、つまり──ベビードールを脱げば彼女はノーパンティー。結果的に、全裸とさほど変わらないエロい格好になった。


「あの……またタオルドライだけしかしないつもりなんでしょ? 遠慮しないでドライヤー使っていいんだよ? 電気代だって微々たるものなんだし」

「いえ、結構です。私奴わたくしめはバスタオルと自然乾燥だけで十分。御主人サマの寛大なお気遣いに感謝します」

「寛大って、そんなオーバーな……」


 自分だけドライヤーすることを申し訳なく感じたあたしは、まだ生乾きの状態だけど、スイッチを切って本体の余熱が冷めるまえに空箱のなかへしまった。



     *



 電気が消された部屋の天井を、かれこれ三十分くらいは見つめている。今夜はなんだか、すぐに眠れなかった。


 職場や身のまわりの新しい環境には、ほんの少しずつだけど慣れてきてはいた。それでも、毎日不安で仕方がない。とくに夜になると、眠るまえになると、段々と〝なにか〟が怖くなってきて──なにに対しての不安なのか、正直自分でもよくわからないけど、たしかに恐怖心といえる〝なにか〟が──あたしの胸を強く圧迫する。

 もしも、完全なひとり暮しをしていたら、あたしの心はどうにかなっていたかもしれない。そう思うと、彼女がいてくれて本当によかった。


 ……ん?


 いまなにか、小さな音がきこえたような?


「……うっ……ううっ……」


 音の出処は、隣で眠っているはずの彼女だった。あたしに向けられた肩や背中が、掛布団にくるまれて小刻みに震えている。


(えっ……もしかして、泣いてるの?)


 気丈で傲慢な、誇り高きダークエルフの使用人。そんな彼女でも、泣くことなんてあるんだ……。


「あっ」


 泣いている理由に気づいて、つい思わず声を漏らしてしまった。

 彼女だって、きっと寂しいはずだ。

 たったひとり、異世界の見知らぬ国に出稼ぎをして──しかも、あんな恥ずかしいメイド服まで着せられて、人間に仕えて働いている。あたしだったら初日に弱音を吐き、おまけに裸足はだしで逃げ出しているに違いない。

 そう考えると、彼女とあたしの境遇って、ちょっとだけ似ているのかもしれない。このときはじめて、彼女に親近感がわいて愛おしく思えた。


「ねえ、大丈夫?」


 思いきって声をかけた直後、すすり泣きと身体の震えがピタリと止まる。


「泣いてるんだよね? いろいろと辛いんでしょ? わかるよ。あたしでよければ、愚痴くらいきいてあげ──」

「うるさい、黙れ! 人間のおまえに、わたしのなにがわかる!?」


 背中を向けたまま怒鳴り声をあげると、彼女は掛布団を頭まですっぽりと被って隠れてしまった。


「ごめん……なさい。でもね、あたしも……寂しいんだ。ひとりぼっちで実家を離れて、友達も知り合いも誰もいないこの街で、あたしも……寂しくて……押し潰されそうなんだよ……」


 今度は、あたしの涙がこぼれていた。

 今度は、あたしの身体や声が震える番だ。


「うっ、ううっ……ひっく……怖い……怖いよぉ…………もう嫌……どうしてこんなに怖いのか……全然わからないから、よけいに怖いよぉぉぉ……」


 涙が止まらない。

 震えが止まらない。

 どうしようもない不安な気持ちが、一気に天井の闇から降りそそいで落っこちてくる。

 気がつけばあたしは、大声をあげて狂ったように泣きじゃくっていた。


「お、おい! しっかりしろ! 大丈夫か、おまえ!?」


 彼女の心配そうな声が近くで聞こえる。

 それでもお構いなしにあたしが泣きじゃくるものだから、彼女は困り果てた様子で髪を掻きあげていた。


「先に泣いていたのは、このわたしだぞ……まったく、どこの世界でも人間は身勝手極まりない愚かなサルだな」


 鼻を小さくすすった彼女が、掛布団を払いのけてあたしの身体を抱き起こす。そして、優しく頭を撫でてくれながら全身をゆっくりと前後に揺らし、なにかのメロディを口遊くちずさんでくれた。

 とても穏やかで心地よい調子テンポ。なんだか不思議と、遠い昔にきいたおばあちゃんの子守唄を思い出す。


「クスン……ううっ……」

「やっと泣き止んでくれたか。幼い頃わたしが泣いているとき、こうして母上がよく歌って慰めてくれていたものだ。フッ……まさか、我が子よりも先に人間相手に歌うとはな」

「クスン、ごめんなさい」

「なにを謝る? 泣きたければ、もっと泣けばいい。わたしならここにいる。泣き止むまでそばにいてやるから安心しろ」

「うん……ありがとう……」


 彼女のぬくもりが、頭や耳もと、背中から、めいっぱいに広がって伝わってくる。


 こうしてあたしはこの夜、久しぶりに深い眠りにつけた。


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