★☆★☆★


「…ねえ、あれで良かったの? 朱音」

「何がよ? 緋桜」


先程の一件から、隣家に移動する為にか、てくてくとした足取りで道路を歩いていた緋桜が、左隣から朱音に訊ねた。

すると朱音は、明らかに質問の意味が分からない、といった顔をして、訝しげに緋桜を見上げる。


緋桜は再び口を開いた。


「あれだけの量の洗濯物、全部、柩さんに押し付けたりしてさ。

あれを洗うだけでもひと手間だよ。

柩さんの方にだって、何か都合があるかも知れないじゃない」

「ああ、そのこと? 多分大丈夫よ。

…あの懐音と絡む暇があるんだから」

「……」


緋桜は今度は口を開かなかった。


まあ、朱音の性格上、予測がつかないこともなかったが、あろうことか即答した挙げ句にこの言い種とは。

大概、懐音も口が悪いが、よくよく考えてみれば、もしかなくとも、“性格上はどっちもどっちなのではないか”、と思い立った緋桜が嘆息する。

それに朱音は、更に目を細めた。


「…嫌な溜め息ね」

「つきたくもなるだろ…」


緋桜はとうに否定する気も失せて、深く肩を落とし…

再度、呆れ混じりの溜め息をつく。


…そうこうしている間に隣家に着いた。


隣家の前に足を止めた二人は、思わずごくりと息を呑み、その家の上から下までを、まさしく視線を落とすような形で、満遍なく見つめた。



──それは家というよりは館に近く、入り口には無数のつたが、壁を覆うようにして蔓延はびこっていた。



館全体のイメージとしては、洋館に近く、確かに相応に立派ではある…が、その蔦と、どこか特有の重苦しさを感じさせる負の雰囲気が、介入しようとする者を、心理的に拒み、足止め同様に足を固まらせ、竦ませている。



…それでも辛うじて周囲に植えられた広葉樹が、その雰囲気を幾分か和らげている。

その館の様子を把握した朱音の頬には、僅かに冷や汗が伝ったが…

それでも次には我に返った朱音は、ふと思い立ったように、緋桜の服の片袖を、くいくいと引っ張った。

それに気付いた緋桜は、瞬時に顔を強張らせる。


「…まさか、朱音…

俺に先に行けって言うの?」


朱音の意図を察し、さすがに緋桜の口元が引きつる。

それに朱音は、首の関節が壊れた人形のように、激しく首を縦に振った。


「勿論! 緋桜、男の子でしょ!?」

「…全く…昔からそうだけど、朱音は、こんな時ばっかり俺を推すんだね…」


もはや朱音の性格を嫌というほど理解している緋桜は、弁解も反論もせず、ただひたすらに溜め息をつくことしか出来ない。

その背中を朱音が文字通り後押しした。


「いいから、ほら、ご挨拶!

人当たりがいいのは懐音のお墨付きだから大丈夫よ!」

「…懐音さんに言われてもね…」


緋桜の表情は更に引きつる。

しかしこの朱音の性格上、早く事を起こさなければどうなるかは知れているので、仕方なく緋桜は先に立って玄関前まで歩を進める。


生い茂った蔦のため、手探りにも近い形で呼び鈴を捜し当てると、やや躊躇いがちにそれを押す。

軽やかなチャイムにも近い音が、その館の内部に響き渡った。


…しかし返事も、然したる反応もない。


「…? 留守かな」


背後で、まさしくその背に隠れるような形で様子を窺う朱音に、緋桜は声をかける。

すると朱音は、その館の雰囲気に呑まれたのか、やや青ざめた顔を近付ける形で、緋桜に物申した。


「!る、留守ならまた日を改めてお詫びに伺いましょ!?

今度は誰が何と言おうと、絶対にあの俺様ヘビースモーカーを連れて来るから!

今日は出直しってことで──」

「朱音…それ聞いたら、懐音さん…

怒って、絶対に来ないよ」

「…そうかな」

「懐音さんの性格、まさか忘れた訳じゃないだろ。絶対にそうだよ」


緋桜は、はっきりと答えることでこの会話を完結させると、じっと扉を見つめ、次には何かを振り切るように、ノブへと手をかけた。


しかし、その手が、ある種の違和感に強張る。


「どうしたの? 緋桜」

「…開いてる…」


朱音の方に視線を移さぬままに、緋桜はゆっくりとドアを押してみせる。

それに朱音は唖然となった。


「…応答がないのに開いてるの?

言っちゃ何だけど、このご時世に、不用心極まりないわね…」

「でも、現にこうして開いてるってことは、誰かが奥に居るのかも知れないよ。

さっきのだって、もしかしたら聞き逃した可能性も──」


朱音と緋桜が、そう声を潜めつつも中の様子を窺っていると、全く唐突に、その前方から、やんわりとした抑揚の青年の声が響いた。



『…その通りだよ、お客人』



「えっ…!?」


誰もいないと思われていた内部から…

それも、すぐ近くから親しげに放たれた声に、朱音の体はぎくりと固まった。

一方、それを気にかけながらも、緋桜はそれのみで射抜けるかの如く目を鋭く細めると、声のした方を沈黙と共に見据える。


そこには透き通るまでの美しい肌を持つ、外国人風の青年が、暖かい笑みを湛えてこちらを見つめていた。


『どなたが訪ねて来たのかと思えば…

ひとりは先程のお嬢さんか』


「!あのっ…」


何をさて置いても、まずは謝らなければ、という考えが根底にある朱音は、緋桜の陰から前に出る形で、躊躇いがちに青年に話しかける。

するとその青年は、いかにも不思議そうにその瞳をぱちくりさせた。


『何…?』

「あ、あの、あた… いや、私… 燐藤朱音って言います!

さっき… いえ先程は、初対面なのにも関わらず、ろくにご挨拶もせずにすいませ…

!違った、申し訳ありませんでした!」


普段があの状態のため、敬語を使うことに慣れていない朱音は、それだけで既にしどろもどろだ。

するとその青年は、ぱちくりさせた目を今度は点にすると、やがて屈託なく笑った。


『…何だ、そんなことでわざわざ家まで来てくれたの?

随分丁寧…というか几帳面な人だね。こっちは別に気にしてないんだから、そんなに畏まらなくていいのに』

「!い、いえいえそんな滅相もない!

やっぱり隣近所への挨拶って大事ですし、そういう訳には…」


朱音は勢い良く手を振った。

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