「ええと…“朱音”」


柩に名前を呼び捨てにされた朱音は、はっと気付いたように柩の方へとその瞳を移す。


「何? 柩」

「あのな、突然言われても信じられないかも知れないが…

俺は、お前たちでいう死神と呼ばれる者のうちのひとりなんだ」

「…は?」


あまりにも突飛なことを聞いて、朱音の思考は当然のように瞬間停止する。


「死神? 何の映画の話?」

「…まあ人間に話せば、そんな反応で当然だろうが、生憎とこれは冗談でも空想でもない。

今すぐ理解しなくても構わないが、俺の言っていることだけは信じて貰いたい。いいか?」

「!…う、うん…」


何処となく有無を言わさない柩の物言いに、いつの間にか朱音は頷いていた。

それを確認すると、柩は再び口を開く。


「…で、懐音の父親は俺の…そうだな、いわゆる上司というやつに当たるんだが…

その上司から下された複数の命令のうちのひとつに、上条氷皇を探れ、という内容のものがあったんだ」

「! 氷皇を…?」


朱音が、意味も、その意義すらもまだ見えないことから、素直に驚きを浮かべると、その傍らでは、懐音が忌々しげに目を伏せた。


「あのガキに関しての情報は、俺も世間で噂されている程度しか知らない。

その辺りはどうなんだ、柩」

「…、お前が知らないのも無理はないが、上条氷皇が学会に発表した幾つかの論文には、凡そ人間には思いつかないような論理が、数種組み込まれていてな。

それ以外の箇所も、人間の知能レベルでは、到底あと数百年は到達しないような数式などが、そこそこ含まれている。

もっとも…懐音、お前はそんな論理など、三歳の時にとうに理解していただろうがな」

「…余計なことは言うな」


懐音が朱音を気にしてか、柩に多少のリミットを掛ける。

柩は苦笑すると、ふと真顔になって先を続けた。


「だが、その論文で質が悪いのは、それらが巧妙に“魔と機械の融合”で構成されていることだ。

人間にある知識は、機械に関するものだけでいい。そしてその魔の知識は、同じく魔に属する者しか知り得ない。つまり…」

「上条氷皇の背後…あるいはすぐ近くに、魔に属する者がいるということか」

「ご明察だ」


柩が答えると、懐音はつと、煙草に手を伸ばした。

が、朱音の表情が白くなり、今にも倒れそうになっているのを見て、仕方がないといった様子で声をかける。


「…、何だ、この程度でショックを受けたのか?」


懐音が今度こそ煙草に手を伸ばす。

それを口にくわえ、火をつけ、一頻り煙を吸い込むと、懐音は煙草を口から離した。

しなやかな指の間でくゆる煙草の煙に目を奪われながら、朱音は呆然と口を開いた。


「…なんで? どうして氷皇が…」

「お前たち人間が、あまりにも無知なだけだ」


懐音は平然とそう答える。


「人間で“純粋”に該当するのは、まだ無垢な赤子ぐらいだ。

成長すれば皆、感情が闇に蝕まれる。

嫉妬、貪欲、軽蔑、憎悪…そんな風にな」

「!…」

「お前の幼馴染みにも、少なからずそういった一面があって、それが他者よりも著しかったが為に、魔につけ込まれ、魅入られた…

それだけのことだ」

「!おい、懐音っ…」


確かにそれは真実であるのだが、相手の気持ちも考えずに、遠慮もなくずばずばと言う懐音に、さすがに柩が制止に入る。

しかし懐音は、片手を上げることでそれを遮った。


「下らない同情はするな、柩。

事実を隠蔽した所で気休めにしかならないのは、人間に関わる役割を担うお前が、一番良く知っているだろう?」

「!」


正論をぶつけられて、柩はそれ以上、懐音を遮ることも出来ずに言葉を失う。


…すると。


「…ど…うすれば、…るの?」

「…?」


懐音は怪訝そうに眉をひそめる。


「何だ?」

「どう…すれば、氷皇を…助けられるの…?」


か細い、今にもかき消えてしまいそうな声で、朱音が尋ねる。

それに懐音は無言のまま、肺に煙草の煙を取り込んだ。


一時、目を閉じ、開くと、煙草を灰皿に強く押しつける。


「何だお前、魔に冒された人間を助けようというのか?」

「…うん…、だって氷皇は、幼馴染みだし…」

「…生憎だが、そいつを助ける術はない」

「!」


朱音は激しいショックを受けた。

その意思とは無関係に、体ががくがくと震え、怯える様を、辛そうに見た柩が、さすがに懐音を咎める。


「懐音、いくら何でも…」

「…“助ける”ではなく、“救う”術ならあるがな」

「…!」


懐音の呟きに、朱音は期待で顔を輝かせる。

しかし、当の懐音の口から発せられた言葉は、朱音の想像を遥かに上回って残酷なものだった。



「魔に囚われた者を救う術…

それは、そいつを殺めてやることだ」



「…え?」


朱音は一瞬、何を言われているか理解出来ずに放心した。


茫然自失、という言葉が一番表現としては近い。

例え瞬間的にだろうが、朱音の見せた表情は、間違いなく感情の失せた人間のそれだった。


その稀有な反応を見越していたらしい懐音が、落ちかけた煙草の灰を気にすることもなく、朱音の様相そのものを珍しく肯定するかのように呟く。


「“魂の解放”という言葉を聞いたことはないか?

知らぬ者が聞けば、傲慢な戯言や、宗教的な虚言に聞こえないこともないが、あれはあながち間違ってはいない。

人間の一部は、確かに死によって救われる…」

「…、そうだな。病気の苦痛や精神の破綻から逃れ、永遠の安寧を求めるなら──

確かに死は、最も身近にあり、最も効率の良い手段であると言えるだろう」


柩は死神の名称に相応しく、事務的かつ冷静なまでの分析を下す。

すると、懐音は不意に、そんな柩を軽く一瞥して立ち上がった。


「…まあ、他の人間共同様、緩やかだろうが早かろうが、それを逃避手段として縋る所は滑稽極まりないがな」

「!…っ、そんなことは今、どうでもいい!」


心底からの申し出を、否定的な説明で、にべもなく切り返された朱音が叫ぶ。


氷皇のことを気にかけ、気に病むあまり、徐々に色を失い、見境を無くし始めている目の前の少女…

朱音に、懐音は煩げに首を振った。



…単にその、元々難のある言動のみが問題なのではない。

この少女がこうして自分に、遠慮も惑いもなく“問いかけ続けること”…

それ自体が、何故、自分にとって、こうまで煩わしいのか分からない。



だが、朱音の氷皇に見せる感情は、確かに自分の癇という名の琴線に触れる。



その感情が何であるか分からないままに、懐音はそのまま、再度、柩を半眼で一瞥する。

この、いつになく妙な懐音の行動に、さすがに柩は嫌な予感がするのを隠せない。

一片の氷を落とされたかのような悪寒を背中に抱えながらも、柩は口元をひきつらせながらも、それでも律儀に口を開いた。


「…何だ? 懐音」

「いや、こんなエセ死神の存在をあっさりと受け入れた割には、たいして利口でもないようだと思ってな」


ここで懐音は一息入れ、手にしていた煙草を無造作に灰皿に押し付けると、何故かその語感に苛立ちを含ませた。


「そんなにあいつ──上条氷皇を助けたいというのなら、現在の奴に会ってみろ。

二度とそんな口は利けなくなるはずだ」


「…!?」


懐音の言葉の意味を測りかねた朱音は、眉根を寄せたまま、愕然と懐音を見つめた。

その側では柩が、相変わらずの懐音の口の悪さに、もはや何も言うまいと判断したのか、頭を抱え込んだまま閉口し、これ以上ない程に深く項垂うなだれている。


その空気を冷徹な灰の視線によって切り裂いた懐音が、きつい口調で先を続けた。


「その様子では、恐らくお前は…しばらく奴には会っていないんだろう?

魔に属する者が奴の近くに居て、その言動全てに介入しているのだとすれば、今の奴は…」



…事実を告げるのは酷であり、また、はばかられる。

だが、隠蔽した所で、それが他ならぬ“真実”。

それが興味本位でも、真摯なものでも──

相手の理性が追求を指し示すのであれば、教えてやるべきだろう。



「な、何!? 何だと言うの…!?」


何故か既に苛立っている懐音の口調は厳しく、容赦がない。

それに言いようのない恐れと不安、そしてそれを上回って焦りを覚えた朱音は、必死に懐音に詰め寄り、食い下がる。

それに懐音は、恐ろしい程に感情の籠らない目を向けて答えた。




「…上条氷皇は、もはや仮初にも…人間という存在ではあり得ないだろうな」

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