第19話 良運営と逃げ場

 対面の人間が呆気にとられていることは気にもせず、『学園生活調整運営会』はさらっと口を滑らせる。


「対象の状況によってすぐ修正が出るパッチノートと違って、あたしの先輩評はちょっとやそっとでは変わんないっすよ!」


 無駄に元気な宣言を受け止めるには、わずかに時間が必要だった。想定とは異なる話題に心情的には後退し、後に反動がやってくる。


「本当か、それは⁉」


 後輩の両肩を掴み、揺らして揺らして揺らす。知ってることを全部吐き出してもらえるよう、揺さぶりをかける。


「わっぷ! いきなりなんすか、なんなんすか⁉」

「何じゃなくて、さっきの話だ!」

「横暴な手段を使われても、あたしの考えは変わらないっすよ! 先輩はちょろ! くそちょろ! ちょろであほで愚か者なのは絶対っす!」

「その件に関しても後でじっくり話し合いたいが、今はその次だ! 『調整』が変更されるって件、本当なのか⁉」


 にわかには信じがたい。


「本当なのですよ! というか今日にもhotfix――緊急パッチが出たばっかじゃないっすか。どうしてそんな驚いてるんすか?」

「いや、俺の近況からして、『調整』は長い間変わらないものだとばかり思っていて――」


 大半から空気同然とされるあの数ヵ月は、永劫にも等しかったから、思考が固定されているのだろうか。冷静に考えれば確かに、これから『調整』がキャンセルされる可能性も否定できない。


「そんなことないっすよ。先輩は学園生活エアプっす」


 これだから素人は、と顔の演技だけで伝えながら後輩は誇らしそうに語る。


「そもそもここの『運営』は対応が柔軟な『良運営』として有名っす。バフもナーフも、必要ないとされれば巻き戻しがあり得るっすよ。なので、そう悲観することはないのですよ」

「じゃあ、斗乃片と夏那に関してはそれほど案じる必要はないってことか?」

「んもー、そうなるって言ってるじゃないっすか。まったくもう、だるくてやさしー心配性さんっすね、先輩は」


 ということは、彼女らの学生生活を『運営』が壊して『運営』が直す、最悪のマッチポンプだ。


「ってあれどうしたんすか? なんか、びみょに暗い顔ですけど。あたし、先輩にとって悪いこと言ってないですよね? そうっすよね⁉」


 前触れなく不安を噴出させ、それを推進力に後輩が距離を詰めにくる。その姿は、飼い主の機嫌と顔つきを確かめにくる犬みたいだった。

 最早歩み寄りなどと形容可能な勢いではなく、突撃の速度に近い。相手を近くで見ようと背伸びして顔を近づける行為が、勢い余って鳩尾へのヘッドバッドと化した。

 小さな頭部が急所を掠める寸前で、後輩の鎖骨と肩回りをどうにかして抑え込むことに成功。


「どうどう。焦るな急に慌てるな。俺が勝手にもやもやしてるだけだから」

「もやもやってなんすか? あたしに対してっすか?」

「ちが……わないか。後輩だって――」

「やっぱそうなのですか。あたしが変なこと口走っちゃったのですか」

「えっと、そうじゃなくて、俺が今微妙な心境になってるのは『運営』に対してで、そうなると、『運営』の一人である個々奈心を外すわけにもいかないかなと思って……」


 伝えたいことを練るための頭は回転せず、伝えるための舌も同様に回らない。ポンコツさで空いた穴を三点リーダーで埋めていると、


「せんぱい、まじめ……ですね」


 しみじみと感心するような呟きがあった。

 後輩の瞳はとても直視できそうにない。

 羞恥がこみ上げてくると不思議なことに、口が回り出した。


「このやるせなさを後輩一人に対してぶつけるのは、何か違うなって思っただけだ。単独で決めてることじゃあないだろうしな」

「えへ、なんか言い訳っぽいっすね」

「うるさい。そこまで言うならマジで怒った方がいいか?」

「そんなこと言って、結局怒れないくせにっす」

「……実際、後輩の言う通りで困るんだよな。さすが、ここ最近で俺と一番付き合いのある人間だけある」


 図星だ。降参。内心の俺は両手をあげている。


「はー、まじですか。そういうとこなのですよ……」

「開き直るしかないところで、足掻いたって仕方ないだろ」

「そこじゃなくてっすね……でかそれなら、何故ちょろいのところで無駄な抵抗を――」

「無駄じゃない。俺はちょろくない」


 それだけは譲れないところだ。俺は固い意志をもって、余計なことを言わないよう口を一文字に結ぶ。

 そんな高潔な決意を、揺るがそうとする小悪魔もまた一人。 


「意味もなくむくれちゃってもう、面白いっすね。もっと力んじゃいましょ、ほらほら」


 正面にして至近から、心底楽しそうな煽りが飛んできた。この距離での挑発は回避不可であり、効果覿面だ。胸元をくすぐる囁きは当然ながら強力だし、肌身で感じる高めの体温はチートの域である。


「いきなり黙りこくちゃって、もうもうまったくもう、分かりやすすぎっすよー? 先輩のお顔、ほんのり赤ですし。てかてか、近くなってからあからさまに……」


 加えて、自身の強みを認識している点は凶報だ。

 俺はこっそり後ろに下がろうと、一歩二歩三歩と足を運ぶ。


「んふ、どしたんすか、先輩?」


 こっちが足跡を刻む度、ワンテンポずらして一、二、三と後輩が足音を鳴らす。

 負けじと更なる後退を選ぶも、


「遠くにいっちゃ、ヤですよ」


 間を開けずにちんまりした足が前に出る。

 小さな撤退とささやかな攻勢の繰り返し。しばらくの間、気まずさと微笑ましさの合いの子みたいな表情を互いに浮かべては、退いて進んでと重ね続けた。

 ずっとループできたら良かったが、残念ながら校舎裏は狭かった。逃げ続けた人間を待ち受けるのは無機質な外壁だ。


 背に感じる固い感触が、もうおしまいだと告げる。この先は校舎に塞がれていて、逃げ場は一ミリだって存在しない。色々と間違えた。

 後輩が勝ち誇りを極めた顔をする。これ以上ないドヤ顔だ。きっと俺の顔には心境が思い切りに表れているに違いない。


「対人力とか距離感とか、先輩ないっすからね~。数歩踏み出すだけで勝ちです勝ち。じゃんけんより簡単に勝てるっすよ」

「じゃんけん舐めるなよ。十回に一回ぐらいしか勝てない鬼畜ゲーだぞ」

「え、先輩それじゃんけんじゃないです。おそらくパチモンの別ゲーっす。もしくは運悪すぎっす。あの、えっと、がんばってくださいね、人生。なんか言ってくれたら力になるんで、ほんとに。これマジなんで」


 やめろ。純度一〇〇パーセントの憐れみを差し向けてくれるな。手を差し伸べるな。あと頭撫でようとするな。見た目童女のような体格では不可能だし、無理した結果ますます距離感消失バグが生じているしで滅茶苦茶だ。


 口に出したいことが沸騰する水泡の如く浮かぶが、その全てを黙って飲み込まざるをえない。とてもじゃないが、適当なことは喋れない。

 彼女のまるっこい瞳は慈悲に溢れていて、例え冗談や照れ隠しの一種であっても、強い口調で文句を届けることは躊躇われた。

 だからといって、代わりの台詞がそう簡単に見つかることもなく。


「さ、さんきゅーな」


 結局のところありきたりなことを、少しどもりながら吐くことになった。

 心後輩はくすりと笑んで、


「どーいたしましてっす。いつも素直になれるといいですのにね」


 なんて風に、茶化しながら応じた。優位を確信した後輩は一言二言では終わらず、更なるたたみかけを狙う。


「あたしとはたくさん話してるっすのに、ちょーっと近寄っただけでこれとは先輩も困りものっすね。将来が思いやられるっすよ」


 これはもう、どちらが先達なのやら。

 俺ら先輩後輩の関係は完全に逆転しているような気がする。学年が一つ下の方が比較的余裕たっぷりで、上の方は精神的にも立ち位置的にもゆとりがない。

 自分がダメダメすぎる上、特殊なシチュエーションに頭がおかしくなりそうだ。

 ここで吉報があるとすれば、


「後輩だって頬がうっすら赤いけどな」

「はぁっ⁉ いや、いやいやいやいや、んなことないですよ!」


 心後輩はあくまで俺に比べれば冷静であるということだった。一般の人間と比較してしまえばかなり緊張している部類に入るだろう。

 鼓動がおかしくなってどうにかなりそうなやつを相手にしていたからマウントがとれていたに過ぎない。

 その証拠に、


「あたしを舐めたらダメなのですよ! 先輩と近いからってドキドキなんてしてませんしもっともっといけますし!」


 指摘を受けて更に焦ってぶっ壊れ始める一人の女子生徒がいた。

 既に詰められる距離の余地なんて存在しないからここまでいくと当然衝突や密着の領域に突入する。そして俺も壊れているから理性や倫理や常識といったセーフティは機能しておらず、


「先輩に逃げ場がないこと、忘れたんすか⁉ 一生ここに閉じ込めることも――」

「あのな後輩。俺に退路はないけど、そっちにもないぞ。俺の方だって、お前が嫌がるまで拘束できる」

「へ? あわ、わわわわわ……っ⁉」


 個々奈心の突撃を受け止めるために用意した両腕をそのまま彼女の小さな背まで回してしまっても問題は――


「さて、これで完全に逃げられる心配がなくなったわね。さて、昨日のリベンジといきましょうか。今日こそ私と会話してもらうわ、個々奈さん」

「そうじゃないでしょ! わたしたちの『調整』について詳しく――じゃなくて、ヒナト! さすがにそれは見過ごせないよ!」

 

 問題は、あった。

 視線を下方から水平に持ち上げてその先を見る。

 俺らに蓋をするように、斗乃片透華と七都名夏那が立ちはだかっていた。

 幼馴染は、エプロン姿だった。


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