第12話 新たなバフとナーフ

「ふふ。貴方と関わっていると、退屈が自殺しそうだわ」


 ずっと、頭の中で同じ声が反響している。


「私に視線を送ろうとしない精神・性格はもちろん好ましいけれど――貴方の周辺も中々ね。本人にも身の覚えのないナーフ措置の正体はなにか? そもそもなぜ当人が知らないのか? 未知に溢れていて、これらを明かすことはきっと、貴方ともだちのためにもなる――これをきっと最高と呼ぶのでしょう」


 昨夜耳にした斗乃片の――同類の発言が、繰り返し脳内で増殖している。

 晩御飯を食べる時も、ベッドで眠る時も、夢から帰還した時も、今こうして通学する時も絶えず、だ。気になって仕方ない。

 クラス全体から無視されるようになって唯一の利点――誰よりも遅く登校できるという長所が、ここに来て悪い方に作用していた。


 一歩一歩道路を踏みしめるたび、無駄に思考の空転は進む。

 どうして俺がナーフされたのか? それはいつ? どのように? 何が原因で? 何故心当たりがないのか? 期間は? 環境は?

 静かな通学路を過ぎて、人気のない校門を踏み越えて、足音だけが響き渡る廊下に至ってもそうだ。並ぶ各教室は完全に窓のないドアで締め切られていて、一切の情報を漏らさない。


 控えめに言って最高だったはずの無音と自由が、今や俺の脳を加熱する燃料へと変化していた。 

 そして身勝手なことに、情報がありすぎてもそれはそれで困るのだ。

 ――俺の隣を走りすぎていく幼馴染の姿なんて、朝から摂取するデータとしてはあんまりにも重い。目の当たりにして、一度足が止まる。


 無視された。いや、日常のことだが。

 変わりようのない事実と、だんだん遠くなっていく背中は俺の心へのし掛かった。慣れたと自分に散々言い聞かせたはずなのに、足取りは重い。

 そして悩みの種は、次から次へ降り注ぐ。


「うわ……」


 やっとのことで自クラスまでたどり着いて扉を開き、目に入ってきた文字列に一度瞼を閉じた。

 だが一瞬の視認で、文面は嫌というほど記憶に焼き付いている。



『莉堂学園 アップデートパッチ 30.6


 hotfix(あつあつの緊急調整です!) 


 ナーフ 

 ・斗乃片透華

  : 身体をすっぽり覆う、大きめのマントを纏うようになります(安心してください、夏場でも快適に着用可能な冷感タイプとなります!)

〈昨日我々は、強大な転校生の美貌に着目し調整を施しました。しかし斗乃片透華の 強みはそこだけでなく、均整のとれた肢体にもあるようです。スタイルの良さが人気と注目を呼び寄せるのは素晴らしいことですが、過度にならないよう抑える枷が必要でしょう。そのため我々は、ぴったりな衣装をプレゼントすることで彼女の強すぎる長所を抑えつつ、別方面の特徴を追加することにしました〉


 バフ

 ・七都名夏那

  :ピンバッチ型指向性マイク&スピーカーを付与します

〈幼馴染の会話相手には、「え、なんだって?」と聞き返すような特殊人間が度々登場します。そういった会話の逃げやズレを発生させないよう、我々は七都名夏那に最新機材を与えました。これにより彼女は、囁きを特定の一人に届けることが可能になるでしょう。もちろんデザイン面もばっちりであり、ネコ型でかわいらしく仕上がっています〉

                                        』


 やはりクソ運営だ。

 教室前方の壁に浮かぶ文面はひどく軽く、何度視線で文字を追っても飲み込む気になれない。

 今までだったら他人事としてどうにか流せた。心を諦観で無理矢理覆って、意味もなくぼーっと過ごせた。


 だが『調整』違反によるペナルティ――対象の心情を麻痺させるほどに徹底した無視――と、幼馴染の悩みを知った今は違う。苛立ちと悲しみと呆れが、喉元まで一緒くたにせり上がってくる。

 口を閉じて感情を噛み砕いて、それでも湧出した気持ちは消えない。

 二人は玩具か。

 学園運営は上位の立場に酔っているのか。

 そもそも運営陣は人の感情について考えたことが――


「ねえ、見て」


 雑音があっても変わらない。俺に向けられている声なんてどうせ存在しないから。


「貴方の目を向けて。私に視線を運んで。というかまずこちらを向いてくれる?」


 鼓膜に届く音が、意味を有した途端に解けていく。数ヵ月に渡って研鑽されたスルースキルの賜物で――


「はむ」

「っ⁉」

「あ、ごめんなさい。囁こうとして、唇が耳に触れてしまったわ」


 いやそんなことありえないだろ! 

 耳に湿った温もりを感じ、飛びのこうとして失敗した。身体を思い切りドアにぶつけて痛いはずなのに、耳たぶの感触が全てを上書きしている。 

 とりとめのない思考も湧き上がってくる情動も、まとめてぎゅっと蓋をされた。

 心臓の鼓動が騒がしすぎる。


「まったくもう、これでは学園運営とやらの言い分も否定できないわね。一度大きな病院に行って、お耳の検査をしてもらうべきじゃないかしら」


 つい先ほどまで脳内で跳ね返っていた声を、至近距離で諸に浴びる。

 斗乃片透華の肉声は甘美な毒物のようで、聞くことが有害だと理解していても耳を塞げやしない。


「なに、その瞳は。棘のある花を愛でるように、人を見るものではないわ」

「誰が薔薇だ」

「いえ、そこまでは言ってないのだけど」

「あと愛でてもない」

「それは欲しているのだけど」


 しれっと言ってのけるのは何故なのか。


「見てほしくないんじゃなかったのか?」

「私、気付いたのよ。皆からずっと眺められることは嫌だけど、個人から意図的に見られないことも意外とショックだって」

「わがままかよ」

「多少ワガママな方が可愛らしいって、どこかで見たわ」

「可愛さはもう十分だろ……」

「……そうね。その通りよ。わかってくれて嬉しいわ。その調子で、私の複雑な望みを満たしなさい」


 斗乃片は自身の魅力を追求した結果、面倒な悩みを抱えてしまっている。いやまあ、追求行為自体悪いことではないが、素直に肯定するのは難しい。

 反応に困るが、ここは斗乃片の言葉を予想して会話に備えるか。どうせ『私が可愛らしいのはもう十分知っているけれど、限界まで挑戦したくなるのが人の性よ』とかだろう。


「――そう」 


 予想と違うのがきた。とてもこまる。

 彼女の表情も声色もフラットそのもので、寒気がするほどに何も読み取れない。


 なにか、何か手掛かりはないものか。

 焦りがボクの瞳を動かすと、そわそわしている白い手を視界に捉えた。絵画の題材にでもなりそうな指先は落ち着きがなく、しかし見ていて微笑ましい。


「ようやくこちらを見てくれたわね。手にしか興味がないというのは、ほんの少し不服だけれど」


 口ぶりとは反対に、振る舞いからは不満など欠片も滲み出ない。そのまま少女はするりとボクの目の前に身体を運んだ。

 直視せざるをえないように、逃げを選び取れないように、比位陽名斗を教室の隅に追い込む形で。

 斗乃片透華は片足を軸にして優雅に回る。すぐそこで、俺はもちろん誰とも接触することなく、器用に回転してみせた。


 ――きれいだ。素直にそう口にするのは憚られるが。

 優美な動作にしたがって靡く特徴的な白髪と、肩から伸びる黒マントに目が奪われる。

 忌々しいパッチノートに記述された、例の外衣だ。そんなものに魅力を感じるなんてどうかしているが、自らの感性には逆らえなかった。


「さて、新たな私を目の当たりにしたところで、どうかしら? さあ、自由に感想を述べなさい」

「試験問題か?」

「3500字以内でお願いするわ」

「期末のレポートクラスだ……」


 重たすぎるから、コピペとやらで済ませてしまおうか。


「女性に対する褒めを借り物の言葉で済ませた場合、罪は重くなるわよ」

「具体的には?」

「釜茹でね」

「なに時代だよ……」


 戦乱期さながらの死に方をするのはごめんなので、どうにかよい言葉を探し出さねば。


「えっと……」


 そう意気込んだからといって、易々と見つかるものでもなかった。


「そんなに考え込まなくてもいいわ。素直になって。自分の心に正直に。私は貴方の同類で同種なのだから、ね?」


 同類だとか同士だとか、その手の言葉に俺はすこぶる弱かった。長らく人と接していなかったからだろうか。

 その上、穏やかな声音でそっと促されては抗えない。ゆっくりと口が開き、舌が滑り始める。


「いや、その……カッコいいんじゃないか。うん、なんかいい。創作物に出てくる軍服チックなデザインも好きだし。あと、白のブレザーや髪と漆黒の組み合わせは熱いし……」


 この感想を吐露するのが恥だと分かっている。理解してはいるが、やめられない。

 なにせ、真正面にいる転校生がキラキラと瞳を輝かせているのだ。

 心に募ったことを話しているだけで、彼女は喜んでいるのだ。

 このシチュエーションで口をつぐめるほど、俺は会話の機会に恵まれていない。

 感想を言うたび、嬉しそうにこくこくと頷く斗乃片の姿に心を絡めとられた。気恥ずかしさや理性で出来た堰が一度壊れたら、もうそれまでだ。


「ああもう、ほんとにとんでもないな……! マント付きの制服ってさ、もうロマンの塊だろ……! しかも白黒で映えて、十分な長さがあって、斗乃片にばっちり似合うしさ……! これって、これって――」

「ええ、ナーフになっていない」


 少女の全てから喜悦が消失して、代わりに冷静さがぽっかり空いた部分を満たす。

 凍えそうな吐息が、俺の耳元まで意味を運んだ。


「貴方もそう思う? 私も同感よ。こんなものは私にとり、なんの不利益にもならない。手や足が少し隠れたぐらいで、今更どうにもならない。これが単なる運営の不手際ならよいのだけど――さて、どうかしらね」

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