第6話 幼馴染とバフ

 昼休みはお昼ご飯にはあまりに長く、お喋りをするにはひどく短い。

 これは古今東西において共通のことで、俺と夏那の間でも同じだった。

 弁当はすぐに食べ終わって、自由になった口が会話を求めていたところで、


「なんかさ、わたしだけ違う制服着てるのって、どうなんだろ? バフとはいえさ。いやかわいーし、好きなんだけど、なんか……」


 と、夏那はあっさり切り出した。

 本人にとっては繊細なところかと思っていたが、そうでもないのか。


「これっていいのかなー、でもルールだしなーって思っちゃうんだよね」

「今だって違う服着てるだろ」


 少し探りを入れてみると、


「これは体育着だから、違うもん」


 よい反応が来たので、ほっと胸をなでおろす。にしてもわずかに頬を膨らませ、口をぎゅっと閉じている素振りは愛らしくもある。悔しいが。

 さらに歯がゆいことに、懐かしさと安心感までこみ上げてくる。そしてやっぱ、まんまるでぼけっとした瞳が可愛い。


 ほんと、こいつにバフは必要だったか? 運営の目は節穴なのではなかろうか。抗議文を五十通は送らなくては。


「んん? なんか難しい顔してるね」


 ジト目からまっすぐに照射される視線が地味に痛い。それにこの気持ちを気取られると、きっと良くないはずだ。根拠は不明だが、負ける気がした。

 理由のない敗北感に従って、俺はただ目を逸らす。一応、視界の端には彼女を捉えておきつつ、直視は絶対に避ける。


「んー? 急に野球場の方見ちゃって……なになに?」


 何人かが騒がせているグラウンドをチラ見。その後何秒間か小首を傾げ、夏那はパッと向き直った。

 ぐいぐい近づいてくる顔は――とくにお目目は、『えへへ、わたし、気付いちゃったんだよ~』と、しきりに主張する。わざとらしい瞬きを何度も刻んだ後、たっぷりと息を含ませて、俺の耳元で囁く。


「あ、わかった。わたしがこんな格好してるから、ヒナトはしちゃったんだよね……ドキドキ」


 急に頭がおかしくなったのか、幼馴染は色気があるかのようにちょっとしたポーズをとった。下唇の近くに人差し指の先を当てて、ヘンテコな顔まで作っている。

 ダメ押しに嘘っぽく眉を寄せ、困っちゃいましたアピールも完備。そして、


「まあ、体育着って意外とー、隙だらけだしー? 男子高校生がそう思うのもー、仕方ないっていうかー?」


 にくい喋り方も忘れない。

 この場合のにくいは純粋に少々腹立たしいの意だ。


「せくしーって思っちゃって、これは見ちゃいけないなーダメダメって肝に銘じちゃって、急に顔を背けたんだよね? ふふんどうかな、わたしの頭脳と観察眼と、名推理は! ビシバシ当ててるでしょ?」


 前言撤回。夏那にバフが必要なのは確かで、脳みそと視力に相当な補正が必要だった。

 よく見える眼鏡と、知能が上がる薬をあげてほしい。

 大体俺が凝視していたのは顔だから、大外れもいいとこだ。瞳や唇に目がいっていた以上、見えても鎖骨や首筋ぐらいだし服はあんま関係ないし。

 いや、そんなのは些細なことだ。

 問題は別にあり、隣でよく分からない自慢を続けている輩をどうにかしなければ。


「わたし、結構健康的だし。美人で有名、ナーフまでされたあの転校生にも、部位によっては負けてないし」

「部位って……肉じゃないんだから……」

「に、肉⁉ そんな直接的な!」

「いや、食肉とか精肉のつもりで言ったんだが……いったい何を連想したんだか……」

「な、なにも? 別に変なことなんて、これっぽっちも考えてないよ? ほらわたし、清楚で有名だし。清純そうと噂される、あの転校生よりも清らかだし?」


 斗乃片は清らかではないような。

 反論がつい口をつきそうになって、ぐっと飲み込む。違和はそこでなく、また他にある。

 少し鎌をかけてみよう。


「さすがに気にしすぎじゃないか?」

「う、ううん、ぜんぜん。斗乃片さんのことなんて、まったく気になってなんかないよ」

「斗乃片? いま俺は体形のことを言ったんだが」

「む、むぐ、やられた……ていうか、体形の方はそれもそれで失礼! もしくはえっちでへんたい」


 ばれたか。皮肉に遅れて気付くぐらいには、頭も働くらしい。悩みが深刻なものになっていて、思考が鈍くなっていないようで安心だ。

 一度苦悩の底に落ちてしまうと、中々帰ってこれないものだ。クラスで空気のように扱われた始めた俺が実際そうで、これ以上思い出すと死にそうだからやめにする。


「そりゃさ、比べるのはよくないって、わたしもわかってるよ。でもさ、あんな風に『調整』がされちゃったら、意識しないのは無理だよ。頭から、離れないの」


 ネガティブな感情が呟きに溶けて、風に流されて消えていく。至近には見慣れた顔があって、見慣れない顔つきをしていた。整った眉がわずかに形を変えて淡い不満を表し、頬の膨らみや揺らぐ瞳孔が混乱を示している。

 変態で不審者っぽくなるのを承知で、心配になっておいそれと目も離せない。

 口を尖らせるでも閉じるでもなく、半端な形で夏那は続ける。


「どうしたら、斗乃片さんのこと気にしなくなるんだろ」


 ぽろっとこぼした悩みが、致命的だった。

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