第2話 会いに来た理由



 リビングのソファに座った琴海が俺を見る。

 彼女は現役人気アイドルだ。散らかった男の部屋でも、彼女がいるだけで自然と絵になった。


「寝癖付いてるよ?」

「あ、うん。まだ直してない」

「私が直して上げる」

「いや、いいよ。自分でやれるから」

「私がやりたいの。やらせて?」

「……そんなにやりたいなら別にいいけど」


 琴海は立ち上がり、座っている俺の後ろ側に回る。

 寝癖直しウォーターを俺の頭に吹き掛け、櫛で髪を梳かす。


「人の目には本当に気を付けろよ。週刊誌とか面倒だし。ちゃんとマスクしてた?」

「してたよ! 玄関で取っただけ」

「今日は何で来た?」

「タクシー」

「運転手にばれない?」

「大丈夫大丈夫。近くの駅で降りてるし」

「何回も言ってるけど、友達にも秘密だよ」

「分かってるよー」


 琴海は何回も俺の頭を撫でながら、櫛を入れる。

 

「ここに来る頻度も、もう少し減らさないと」

「いやー」

「最近毎週のように来てるじゃん」

「圭くんは私に会いたくないの?」

「……会いたいけどさ」

「私はもっと会いたいんだけどなあ。圭くんは違うんだ?」

「俺だって会いたいよ」

「言うならもっと感情込めて!」






 髪の毛が平らになったのを確認して、俺は立ち上がった。

 琴海のためにお湯を沸かして紅茶を入れてあげる。


「はい」

「ありがとう」


 紅茶の入ったマグカップを琴海の前にある小さな机に置く。

 琴美はふーふーと息を吹きかけてから、マグカップを斜めに傾けた。


「美味しい」


 琴美はにっこりと笑う。


「そういえば、昨日琴美がまとめられた動画を見たよ」

「え、どんなやつ?」

「バラエティ番組の切り抜き動画」

「どうだった?」

「まあ、良かったよ」

「えー、良かったって何が良かったの?」

「んーと、かわいかったし、結構頑張ってるんだなって」

「……ありがと」

「照れてる?」

「照れてない」

「本当は?」


 琴海の頬をつんつんしてみる。

 粉雪のように白く、きめ細かい肌はさすがに人気アイドルなだけある。


「圭くん、頬っぺたを触るの好きだよね」

「焼肉でも牛の頬肉が好きなんだ」

「私のほっぺも食べたい?」

「食べたい」

「きゃー」

「ちょっと、いきなり抱きついてくるな」

「好きー」

「……まったく」


 ぎゅっと抱きしめてくる琴海の身体はとても温かく柔らかい。


「そういえば、テレビでも琴海の抱きつき癖のこと弄られてたじゃん」

「そう! あれのせいで最近コアラって呼ばれるんだよー」

「かわいいじゃん」

「何回も呼ばれたら嫌になってくるの!」

「……コアラ」

「もう!」


 琴海は頬を膨らませて、プンスカと怒っている。

 しかし、可愛すぎて怒っているようには見えない。


「よしよし」

「圭くん、私のこと頭を撫でたら何でも解決するって思ってるでしょ」

「思ってないよ」

「嘘だー」

「本当だよ」

「ほんと?」

「嘘」

「やっぱり思ってるじゃん!」


 二人で一緒に笑う。

 こんなくだらないやり取りも楽しかった。


「あ、そうそう。圭くんに相談したかったことがあるんだけど」

「なに?」

「今度バラエティの企画でね、またコスプレ大会するんだって」

「へー」

「前回はひよこのコスプレだったから、次は何にしようかなって」

「なるほどね。おっけー、俺に任せろ。この琴海博士が琴海をプロデュースしてあげよう」

「やったー! お願いします!」






 前回の「第一回SIRIUSコスプレ大会」は、琴海が所属するアイドルグループSIRIUS40の冠バラエティ番組で、初めて行われたコスプレ大会だ。

 ルールは単純で、メンバー本人が考えてコスプレし、MCの芸人が採点するというものである。


 琴海は黄色いひよこのコスプレ?で、小柄な体格と可愛らしい顔立ちがベストマッチし、なんと最高点で優勝した。

 あざといポーズを取りながらも恥ずかしがる姿が大好評だった。


 そして、前回のコスプレをプロデュースしたのは俺である。

 コスプレ企画があるということを琴海から聞いて、何とか爪痕を残そうと鋭意工夫を凝らし、二人で何回もポーズや決め台詞の練習をした。

 もちろん、琴海の容姿が図を抜いて整っているということがあっての優勝ではあるが、琴海を可愛くすることにおいては誰にも負けない自負がある。



「今回は何かテーマはない?」

「えっとね……」

 

 二人で話しながら、来てみたい服や似合うと思う衣装とかをパソコンで調べた。

 大体の方針が決まった頃には長い時間が過ぎていた。











「あっという間に時間が過ぎちゃったね」

「もうそろそろ夕食かな」

「圭くん、今日は一緒に考えてくれてありがとね」

「どういたしまして」


 琴海は机の上のものを片付け始め、帰る用意をし始めた。


「今日はここで食べないのか」

「うん、来週からツアーがあるから」

「そうなんだ」

「だから、しばらくは会えないと思う」

「分かった」


 玄関に向かい、琴海は靴を履く。

 本当は俺が送って行きたいが、二人で歩くのはリスクが高い。車も持っていないので見送りは玄関までになる。


「しばらく会えなくなると思って、圭くんの家に来たんだ。急でごめんね」

「いや、今日は暇だったし」

「あと、圭くんパワーを充電したかったの」

「なにそれ」

「ほら、こうやって……」


 琴海に手を引かれて抱き締められる。

 俺も背中に手を回して抱き締め返した。


 お別れのハグ。

 甘い香りに包まれる。


「ライブ頑張って」

「うん。頑張る」

「琴海はダンスが唯一の不安要素だからな。ちょっと心配だけど」

「もー! 最近は失敗しなくなってきたもん!」

「この前のライブでこけそうになってなかった?」

「あれはノーカン。ダンスの時じゃないし」

「まあ、応援してる」

「うん」

「練習頑張ってるもんな。楽しんできて」

「うん! ありがと」

「それじゃあな」

「また連絡するね」


 琴海はドアから出て行った。

 俺は施錠し、踵を返した。



 楽しい時間であればあるほど、別れが寂しくなるのはいつだって同じだ。








「……明日の準備でもするか」




 彼女は人気アイドルで、一歩外に出たら遠い存在。

 逢瀬が終わると、俺は平凡な大学生活に戻るのだった。

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