ノートとシャーペン

 翌朝目覚めたとき、腕の疲れは完全になくなっていた。その代わりに、その他の部位の動きが精彩を欠く。昨日は腕がひどかったから気付かなかったが、疲労は腕だけじゃなくて全身にたまっていたのだろう。

 当然のようにノートを手に取る。開いて読んで閉じて。異常なし。

 簡単に身なりを整えてから、一階に降りた。日本のより少し硬いパンを食べて満腹に。30分後に外で、とグレイさんに言われた。

 それまでの間暇だから、自室に籠って昨日の復讐する。剣の構え方とか、魔物の対処法とか。

 改めて剣を構えてみると、なんだかしっくりこない。昨日はいい感じにできていると思ったんだが、冷静になるとどこかちぐはぐな印象を受ける。僕の熟練度のせいでもあるだろうけど、この構え方自体がグレイさんの我流のものだってのも大きいかもしれない。我流は得てして、その人以外には合わないものだ。僕には教科書スタイルが一番だろう。

 ベテラン門番さんとかに習えたらいいけど……。忙しいだろうから、無理かな。グレイさんの教え方も分かりやすいんだし、習ってる身で贅沢なことだけど、妥協したくはないというもやもやした気持ちになる。

 魔物との戦い方も思い出す。植物系は、危ないところを切り落としてから燃やしたり引き抜いたり。スライム系は大きいのは核を突き、小さいのは幾つかに切り分ける。獣系は逃げる、人に任せる。

 まあ、情けないことだ。素人が戦いに参加するんだから、足を引っ張らずに少しでも役割を持てたら僥倖だろうけど、そもそもそんな人間が森に行く方がおかしいか。

 でもせめて昨日教えてもらった方法を忘れないようにしよう。お荷物が嫌で、体が追い付かないなら、せめて頭は標準に達していないと。あっちの学校でも、体育はそうやって乗り切ったんだから。


 で、ここであることを思いついた。

 というか、反射的にやってしまった。

 ノートとシャーペン、手元にあるならやることは一つ。


––––植物系の魔物は、危ないところを切り落とす。そのあと、燃やすか引き抜くかする。––––


 書いちゃった。

 そのとき、何かがスッと、落ちたような感じがした。今までも何度か感じたことがある。勉強中に。腑に落ちた感じ、とでもいうのか。

 今まで言葉でだけ捉えていたものが、急に実態や感覚を持って、‟理解”できたような、そんな感じ。多分、今なら森に行っても多少は活躍できる。そんな自信が漲った。

 ノートに書いただけ、それもあんなに漠然としたものを、それでなぜここまで急に?

 ノートに書いた結果、理解できたってのはよくわかる。元々がそういう道具なんだし、あの神に渡された道具なんだから、トンデモ効果があと一つや二つ隠されていても不思議はない。ただ、こんなに抽象的な文でも効果があるのはなんだか怖い。落とし穴がありそうだ。


 軽く魔物と相対したことを想定して、体を動かしてみる。うん、さっきまでより格段に良い動き。気のせいとかじゃなくて、本当に体の中に落とし込まれたんだな。


 新たなノートの可能性に気付いたら、同じページに他の文も書き込んだ。剣の構え方、スライム・獣系の魔物の対処法。我流が云々とか関係なく、うまく構えることができるようなり、グレイさんに教えてもらった方法で魔物と戦うイメトレが、スムーズにできるようになった。

 これは便利だ。



 気付けば約束の時間ギリギリだったから、慌てて外へ駆け出した。

 昨日特訓した場所には、グレイさんとリリィがいた。

 軽い準備体操のあと、その日の特訓は始まった。二人とも、急に上達した僕に驚いていた。でも、その顔はすぐに失意に変わった。

「今日はここらで切り上げましょうか」

「体力ないわね~」

 僕の動きが鈍りだしたから。昨日の疲労が、色濃く出だした。

「ハァ、ハァ、すみません」

 剣をダラリと下げたまま謝る。もう腕が上がらない。

「いえ、明日に疲れを残してしまってはいけませんから、もともとここらで切り上げるつもりでしたよ」

 グレイさんはフォローを入れてくれたが、不安そうな顔はそのままだ。明日が本番だってのに、この醜態じゃあね。

「そんなんで、大丈夫?」

 リリィは、誤魔化さずに直球でそう言った。僕も同感だけど、人から言われるのは辛い。

「まあ、はじめてですから。一緒に行ってくれる人たちも、そのことには理解を示してくれるでしょうけど……」

「それに甘えて、本当に使い物にならないやつを連れて行くのはダメですよ」

 うう……、リリィの言葉が耳に痛い。戦いに関しては、最悪の場合シャーペンや消しゴムに頼れば良いと楽観視していた分、単純にここまで動けないとなると反省が促される。

「魔法とか、強いスキルとか、役立つ技能とか、なにか一つでもそういうのがあればいいけど、何もないんだし」

 リリィはさらに、責めるような言葉を並べた。

「ストップ、もういいです。それ以上言うと、一心君が辛いだけです。今回の依頼はそんなに難しいものでもないんだから、経験を積めばいいですよ。役に立たないといっても、荷物持ちの一人ぐらいは欲しいでしょう?」

「まあ、そうですね」

 そこでひとまずこの話は終わったが、リリィは未だに厳しい表情だった。昨日はまだ余裕がある様子だったが、いよいよ明日のこととなると、ピリピリしているのかもしれない。

「私はもう少し動いておきます」

 そう言い残して、黙って短杖を振り出した。魔法のための道具と聞いていたが、いざというときは打撃にも使うらしい。


 一旦建物の中に入ってから、グレイさんと明日のことの相談をする。

「と言っても、君が今できることは昨日教えたとおりですし、特に話すべきこともないですけどね」

 いつものように紅茶を出しながら、グレイさんはそう言った。

「そうですか……」

 なんとかしてもっと情報を聞き出そうとしたけど、それも無理らしい。ノートとシャーペンの合わせ技による例の効果を知った今、戦い方の情報は知れば知るほど有利なんだけど。

「……気にしなくていいですよ。大丈夫です」

 僕の落ち込みを感じ取ったのか、そう言って励ましてくれる。具体的な言葉がない分、逆に安心できない。

 そのとき、玄関からリリィがひょっこり顔を出した。

「グレイさん、一心、お客さんが来たわよ」

 そう言い残して、すぐに戻っていった。

 リリィが開け放ったままのドアから、見知った顔がのぞいた。

「おう、元気にしてるか?」

 ベテラン門番さんだ。

「久し振り……?ですね」

「ああ、ええと、何日ぶりだっけ。まあいいや。その顔は、元気ではあるようだな」

「丁度いい、一心君、この人に色々聞けばいいですよ」

 グレイさんがほっとしたように顔を綻ばせながら、そう言った。そしてもう一杯の紅茶を淹れるために、すぐに奥に入る。

「どうしたんだ、あの爺。何かあったのか?」

 ベテラン門番さんは不思議そうにして僕に聞いてくる。僕が今置かれている状況を、簡単に説明した。



「なるほどなぁ、うん、イイじゃねえか。モンスターどもを退治するのはこの世界にとって絶対に必要な仕事だし、坊主は今まで色々あっただろうから神様に近付こうとするのも分かるしな」

 ここまでが、僕が戦いの中に身を置くことを決めたことを説明した後の感想。

「ああ、確かに急に森に入るのは不安だなぁ。守衛隊でも、年単位での訓練をやってから実務に尽くしな」

 これが、明日が初依頼であることを伝えた後の感想。

「そこで、あなたにちょっと手伝ってもらいたいんですよ」

 早々と席に戻っていたグレイさんが口を開いた。

「手伝うって、なにを?」

 少し戸惑うような感じで、ベテラン門番さんが聞く。

「一心君はね、どうも話を聞いて理解するのはうまいんですよ。昨日教えたことを、教えられたばかりとは思えないほどしっかりできてる」

 グレイさんが褒めてくれた。狡い裏技を使っただけとはいえ、嬉しい。

「それ以外はてんでダメですが……」

 ハハハ……。事実とはいえ、そうやって言われてしまうと悲しい。

「ん、大体わかった。俺の経験談でも教えてやれば、坊主が活かせるかもしれないって事だな」

 ベテラン門番さんが納得したように頷いた。

「よくわかりますね、その通りです」

「ま、そういう頼みは、新人どもによく言われるからな」

 考えることは、どういう人でも似ているらしい。




「つってもなぁ、坊主に門番の心得を教えても仕方ねえし。なにか役立つような話はあったかなぁ」

「ああ、そうだ。そういえば若いころはちょっと森に行って腕試しとかしてたな」

「そういう話が聞きたいんだよな?」

「だったらちょうどいい」


「ある日、ダチと一緒に森の中に入ったら前足が異様に発達した狼の魔物がいてよ……」


「今度は俺一人で森に行くとな、家丸々一個みたいな大きさのスライムがデーンと道を塞いでいて……」


「植物系の魔物っていやあ、一番覚えてるのはアイツだな。ちょっと奥まったところにある池の畔に生えてた、大樹。よくよく幹を見ると、人面みたいな形になってんのよ。その顔が急に笑い出して……」




 話してる間、ベテラン門番さんは終始楽しそうだった。

「この親父、若いころの武勇伝を話せて、悦に入ってる」

 グレイさんが珍しく砕けた口調で、そう小さく呟いた。口角が上がってる。

「……こんくらいでいいか?」

 話のネタがなくなったのか、ベテラン門番さんが冷えた紅茶をようやく口にした。

「ええ、多分もう十分でしょう」

 色々話を聞き過ぎて混乱している僕を尻目に、グレイさんはそう言った。

「そうか。じゃ、俺もそろそろ帰るな、ちょっと行きたいところがあるからよ。坊主、何かあったらいつでも来ていいからな。アイツらにも元気だったって伝えとくよ」

「はい、ありがとうございます」

 ベテラン門番さんは、すぐに紅茶を飲み干して、慌ただしく去っていった。もう少し世間話とかもしたかったけど、ベテラン門番さんが来てから経った時間を考えて諦めた。もう随分経っている。



「一心君、一旦部屋に戻ったらたどうでしょう。一人で今聞いた話を整理してみたら?」

 グレイさんの言葉に、僕は一瞬ギョッとした。確かに、今すぐにそうしようと思っていたけど、何でグレイさんにそれがわかるのだろう。もしかして僕の秘密を、全部とは言わないまでも、知っているのだろうか。思い返せば、怪しい動きは何度かしてしまったし、部屋に置いてるあの文房具も、既に知られているかも。グレイさんって結構、底知れない感じあるし。

「どうかしましたか?」

 いつも通りの優しい声と微笑みが、ちょっと不気味に思えた。

「そうですね、一回部屋に行きます」

 多分気のせいだろうと必死に思い込み、さっさと部屋に上がった。

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