剣を握る

 福音荘に戻ると、グレイさんも帰ってきていた。どうやらタッチの差だったらしい。

「おや、お帰りなさい。いい買い物できましたか。一心君にとっては、貴重な体験もあったでしょうね」

 グレイさんはそう言って、楽しそうに笑っていた。僕たちが仲良くしているのが、嬉しいらしい。

「そろそろ、昼ご飯にしましょうか。ギレン君とオータル君は外で食べてくるらしいので、フロワさんを呼んできてください」

 そう言い残して、キッチンに去っていった。呼ぶのはリリィがやってくれるらしく、1人で2階に上がっていった。

 僕は1人手持ち無沙汰になって、所在なさげに広間をうろついた。買ってきたものを自分の部屋へ持っていけばよかったと気づいたのは、女性2人が降りてきてからだった。

「あら、おかえり」

 フロワさんは、降りてくるなりそう言った。グレイさんもフロワさんもおかえりと言ってくれるのが、なんだか嬉しい。


「では、召し上がれ」

 いつもと同じ準備をしてからグレイさんの挨拶とともに、僕たちは食べ始めた。朝夕と同じように簡素なレシピだが、グレイさんが丁寧に作ってくれただけあって優しい味がする。すぐに食べ終わった。

「では、少し休んだら一心君の剣の稽古でもしましょうか」

 食後、しばらくの団欒を楽しんでいた間にグレイさんはそう僕に伝えた。僕は黙ってうなずく。初めて剣を振るう。それが僕にとって、どんなことを意味するのかまだ僕にはわからない。でもリリィと共に生活するために、例の神に近づくために、必要なことなんだからやるしかない。

 決意する僕を見守り、リリィは満足そうにフロワさんは不安そうにしていた。



「準備はいいですか?」

 10分後、グレイさんから貰った剣を構える僕と、部屋の隅っこから取り出してきたかなり年代物の剣を持ったグレイさんが、福音荘の庭先で向き合っていた。

 双方、端から見れば剣をまともに握っていることすらできていないように思えただろう。だが、一方と他方でその事情が全く違う。一方の若者は初体験の緊張から、他方の老人は優しく導くための余裕から、まともに剣を握らない。僕は、普段使っていた筆記用具と比べたらずいぶん重い剣を持て余しつつ、目の前の紳士に注意を配った。ただの練習だから怪我をするような事はしないだろうが、それでも怖い。

「どうぞ」

 緊張で縮こまっている僕に、優しく呼びかける。どうぞ、と言われてもどうやって仕掛けたらいいかわからない。

「来ないならこちらからいきますよ」

 痺れを切らしたグレイさんが駆ける。老体だから速さはそんなにないと高を括っていたが、そんなことはなかった。これも『ステータス』が関係しているのだろうか。恐怖のせいで視野が狭くなっているのもあるが、目で追うことすら難しい。何かが鈍く光ったと思ったら、頬に鋭い痛みを感じた。



「これは厳しいですねえ」

 地面に座り込んでフロワさんに手当てをされている僕を見下ろしながら、グレイさんはそう言った。

「初めてなのに、それはちょっと……。いきなり真剣だと、こうなっても仕方ないですよ」

 リリィの抗議の声を聞きながら、一瞬で終わってしまった訓練を思い出す。自分から動けなかった僕に向かって走ってきたグレイさんは、剣が当たる距離の直前で斜めに方向を変え、僕の視界から消えた。僕の目が追い付く前に、持っていた剣を一閃。ものすごく手加減された斬撃というのも烏滸がましいような斬撃が、僕の頬を撫でた。

 思い返すほどに、情けない。リリィの言うように、初めてだから、という言い訳も立つのだが、覚悟を決めていたはずなのに……、とは思ってしまう。

 フロワさんは、何も言わずに手当てをしてくれた。正直、血が垂れた程度だから手当てなんていらないと思ったのだが、傷が悪化して破傷風になったりしたらいけないから、とリリィに教えてもらった。あと、マナが侵入して魔力に変調が~、とかもあり得るらしい。魔法とか魔力とか、元の世界にはなかったものには、僕の知らない危険があるようだ。それでも出ている血の量から思うよりも痛みを感じないのは、グレイさんの腕が良いからだろうか。切り傷は血が出易いってだけかも。


「一心君、もう一度剣を持てますか?」

 フロワさんに丁寧に消毒をしてもらって、絆創膏のようなものを貼ってもらってから、グレイさんはそう問いかけてきた。

 勿論、と答えたかったが、手が地面に置いている剣に伸びなかった。さっきまでは簡単だった柄を握ることさえも、今ではとても難しく思う。怖い、と思ってしまったからだろうか。

 僕の苦悩を見てグレイさんは、むしろ嬉しそうで、若干リズミカルに持っていた剣を鞘に納めた。

「では、お茶でも飲みましょうか」



「どうぞ」

 訓練の時と同じ言葉とともに、紅茶が出された。身構えてしまったが、何事もなく置かれた紅茶に安心する。

 一緒に置かれたクッキーと、美味しく頂く。なんだかんだ昼食から一時間も経っていないから、お腹いっぱいという思いが強かったが。女性陣は、何事もなく嬉しそうに飲食していた。別腹ってのはどの世界でも変わらないのかな。

 ゆっくりと淹れ立ての紅茶を啜り、サクサクのクッキーを齧る。そうやって皆と話しながら座っていると、世界の色が少しずつ鮮やかになっていくように感じた。さっきまでの狭窄状態から、幾分マシになったということだろうか。固くなっていた体の端々が、ほどけていく。

「落ち着きましたか?」

 それまで会話にも参加せず、一人紅茶を飲んでいたグレイさんに、そう聞かれた。

 今度は迷いなく、「はい」と答えることができた。

「それは良かった」

 グレイさんはいつものように優しく笑ったが、その後急に真剣な顔になった。

「一心君、剣は怖かったでしょう?傷つけられるのは怖かったでしょう?人を傷つけることのできる道具を持つのは、怖くなりましたか?」

 僕の微妙な表情の変化すら見逃さないように、と覗き込むグレイさんの目は、奥の方に深い悲しみを感じた。

「はい」ともう一度答えたが、前の返事よりも声が震えた。

「それでいいのです。前にも似たようなことを言いましたが、戦うことは本来、とても怖いことです。その恐怖を忘れてしまったばかりに、夢の半ばで閉じられた瞳を何度も見ました。君には、そうなってほしくない。だから、無理とわかって君から剣を振らせようとしたり、軽くですが傷をつけたりしました。荒いやり方になってしまったことは謝ります。それでも、君には恐怖を知ってほしかった」

「はい」三度目の返事は、強い決意を込めて言った。

 グレイさんは、自分の想いが伝わったのを感じたのか、目元を綻ばせた。

「勘違いしてほしくないのですが、私は君たちの夢を否定しません。戦闘職というのはこの社会に絶対に必要な職ですし、君にも何か事情があるのはわかっているつもりですから。ここからは、君が強くなり夢をかなえることを全力でサポートしますよ」

 言い切ったグレイさんは、僕の目を見て満足そうに頷き、席を立った。

「では、軽く剣の構え方でも教えましょうか。さっきは言いませんでしたが、ひどいものでしたね」

 そう笑いながら庭にまで出ていくグレイさんを見送り、僕も急いで残りの紅茶を飲み干して外に出た。


 そこからグレイさんの言葉通り、剣の構え方を教えてもらったり、より力の入る振り方を学んだりした。打ち合いとかはしなかったが、剣を握ること自体が怖かった。それでもグレイさんの支えもあって1時間ほどでそれっぽく構えることができるようになった。

「本業の人には全くかなわないでしょうが、何とか見れる程度になりましたね。ちょっと休憩しましょう。その後、サウスカ森林に出てくるモンスターの対処法をお教えしますよ」

 グレイさんの言葉を聞き、僕は自室に駆け戻った

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