真夜中の雑談

 魔法のことについて全く知らない無地の状態だから、催眠魔法とか、魔法による謀略とか言われても、ピンとこない。

 リリィが魔法を使って、自分に恋するように仕向けた、ということだろうか。確かに、カフェでの出来事を思い返せば、リリィは不自然な挙動をしていた。急に杖を置き直したり、唐突に距離を詰めてきたり。あの時に魔法を使っていたのか。

 自分の気持ちに向き合ってみても、おかしなところはある。さっきすれ違った彼女の姿が頭を離れない。彼女が近くにいるときは、なぜかドキドキする。彼女の不幸な身の上を聞いたとき、どうしようもなく胸が締め付けられた。


 恋、それも初めての。自分がそういう状態にあるかもしれないことはなんとなく自覚している。今まで勉強しかしていなかった男子高校生が、可愛い同年代の女の子と一日デートしたらどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだろう。人の心の機微を知るような人生経験はなくても、保健体育の教科書で得た知識だけで予想はつく。

 でも、

「魔法が原因とは思えないんだけだなぁ……」

 抑えきれない違和感が、呟きとなって外に漏れた。

「そう思ってもおかしくありませんね。魔法なんてなくても、彼女は十分魅力的でしょうし」

 グレイさんも、一応否定はしなかった。

「ですが、催眠魔法、いえ、精神操作系の魔法は総じてそういうものなんですよ。その手の魔法は、被呪者に自覚を与えない。あくまで自分の意志であると信じる。あなたが魔法を受けてないと言い張ることこそ、魔法の被害に遭った何よりの証拠です」

 グレイさんが、身を乗り出してそう言ってきた。普段は優しく、静かに若人を見守るその目が、嫌に真剣みを帯びていた。

「ハア……」

 何も言えなくなって、適当な相槌だけが声帯を震わす。僕が彼女の魔法の影響を受けていないと感じる、確かな理由もあるにはあったが、それも僕の勘違いかもしれない。


「彼女の処遇は、どうなるんですか?」

 自分の心に起きている超常的な“なにか”について、これ以上グレイさんと話すことはない。不安はまだ残るが、必要なことについては聞けたから、もう十分だろう。

 それよりも、リリィのことについて気になった。

「確か、周りに迷惑をかけたら数回の警告ののち退去ですよね。もしかして……」

 リリィが追い出されることになるのだろうか。

「アー、なんで言えば良いんでしょうね……。魔法とかに関しては、ちょっと特殊なんですよ。法律とかもあんまり整備されてなくて。扱いに困るんですよね」

 グレイさんは、ティーカップの縁を撫でながら、困ったように言った。

「その人たちの関係にもよりますからね。えーと、一心くんはどう感じていますか?このことを知って、リリィさんを追い出そうと思いますか?」

「いいえ」

 グレイさんの問いに、すぐに答えた。グレイさんも、予想していたように笑った。

「でしょうね。催眠魔法の被呪者は、みんなそう言いますよ。ですが、当事者が事件として扱わない限り、部外者は何も言えませんからね」

 グレイさんは、諦めたように嘆息した。

「まあ、彼女がここを出ていくようなことはないですよ。効果はともかく、使った魔法自体はほとんど無害なものですからね。彼女が使いさえしなければ」

 苦笑いとしか言えない笑顔で、カップの底に残った紅茶を覗いていた。


「君がもう気にしないなら、この話題はやめましょう。それより、君のこれからについて話しましょうか」

 暫くの間、二人とも口を閉ざしていたが、急にグレイさんがそう言った。

「夕食のときに言っていたやつですか?」

「ええ、その件です」

 雑談のつもりなのか、グレイさんの態度に堅苦しいものは感じなかった。僕もつられて、軽く考える。

「やっぱり、戦闘か研究か、の二択ですかね?」

「そうでしょうね。正直、どちらの方が一心くんにとって良い選択か、私の一存ではなんとも言い切れませんね。ただ……」

「ああ、そうなんですか」

「……、福音荘は、助け合いが基本です。君が研究職を選ぶならオータルくん、戦闘職を選ぶならリリィさんと、ペアを組んで活動することが増えるでしょうね」

 グレイさんが、若干言いにくそうに付け加えた。このことについて言ってしまえば、僕の選択が半ば決まってしまうことが分かっていたからだろう。

「えーと、戦闘職を目指そうかな……」

「でしょうね」

 グレイさんが、なんとも言えない顔をしている。修学旅行の班決めを眺める担任のようだった。"余った一人"常連としては、そんな目が自分に向けられるのは貴重な体験だった。


「どんな理由によるものかは、この際気にしません。それであなたが後悔しないなら」

「それは、、、」

 グレイさんの淡々とした口調に、思わず言い淀む。今まで殺し合いどころか、喧嘩すら忌避していた人間に、本当に戦闘職ができるのだろうか。

「ふふふ、即答できないのなら重畳。すぐにYESと言える人より、よっぽどまともに成長できるでしょう。なに、試してみて適性があったら続ける。無理だったらやめる、でも良いんですよ」

 答えられない僕に、グレイさんはそんな言葉をかけた。

「“スプーンの次は剣”という言葉がありましてね、多分君は知らないでしょうが。意味は、スプーンを持ち始めるような小さな子供には剣を与えるべきだ。つまり、小さな時期から戦うための素養を鍛えておくことは大切である、という格言です」

 おそらく、呆気に取られてきょとんとした顔を晒しているだろう僕に、グレイさんは笑いかける。それこそ、小さな子に教え諭すようだった。

「戦闘職は、全ての職業の花形ですからね。社会にとって絶対に必要な職業で、名を上げることも財を成すこともできる。さらに、極めれば存在を高めることもできる。親も子も、一度は夢見るのです。その上、この世は才能と『神の寵愛』がすべて。もし才能があったら、少し剣に触るだけでその片鱗は現れます。だから、ちょっとお試しに志すのはよくあることなんですよ。やって損はないですからね。一心君も、そんな軽い気持ちで初めて見たら、案外勇者とかにでもなるかもしれませんよ」

 最後に冗談を交えて、グレイさんは話を締めくくった。この世界の常識を踏まえた言い回しだったから少々わかりにくかったが、国語の授業で散々鍛えた読解力のおかげで何となく言いたいことはわかった。学校の勉強も、使えることはある。

 何はともあれ、最後の言葉からして、グレイさんは僕が戦闘職を目指すのに賛成なのだろうか?目の前で微笑むだけの老紳士からは、何も読み取れない。ベテラン門番さんが「年の功」と言っていたのはこの辺りのことだろう。人がよさそうでいて、どこか食えない印象がある。


「頑張ってみます。リリィのことは置いておいても、戦闘職に魅力が多いことはわかりましたし」

 折角アドバイスしてもらったのに何も言わないのは失礼かと思い、取り敢えずの決意を口にした。戦うということについてまだ全然実感がわいてない以上、すぐに揺らいでしまうかもしれない程度の決意だけど。

「そうですか。まあ、一度やってみたらいいでしょう。何を相手取るかによって、戦闘職でも様々ですしね。ゆっくりと、自分に合った生き方を探しなさい」

 僕の言葉に、グレイさんはそう反応した。終始僕の目を見つめていたが、言い終わった後、寂しそうに奥の部屋の方に目線を送ったのが、なぜか印象に残った。初めて福音荘に来た時に見た感じだと、奥の部屋はただの物置なだけのはずなのに。


「どうです、紅茶をもう一杯?」

 僕の不思議そうな表情に気付いたのか、グレイさんは取り繕うようにそう言った。疑念はさらに湧き上がるが、不躾に質問することもなく、お言葉に甘えるだけにした。


 年のかけ離れた男二人、静かに紅茶を飲む。部屋の中にまで忍び込む夜の闇が、机の上でぽつんと灯った蝋燭に阻まれる。夜の寒さと火の温かさが渾然一体となっていた。

 それからも多少話はしたが、本当にただの雑談。この世界に来てから、人とのふれあいの楽しさを知った気がする。

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