第陸章 第一次嫁姑戦争・前編

 バオム王国現国王ヴルツェルはキリキリ云い出した胃を押さえていた。

 何故なら目の前で二人の女性が火花を幻視するほどに睨み合っていたからだ。

 一人は今も尚バオム王国最強の騎士である側室のレーヴェ。

 もう一人は我が息子が『水の都』から連れて帰ってきた近頃、聖女との評判を取っている若い娘だ。名をゲルダという。


「もう一度申してみよ。私の聞き違いかも知れぬからな」


「ご所望であれば何度でも云うてやるわい。お主の稽古は痛いだけで実質は幇間稽古ほうかんげいこと変わらぬと申したのだ。あれでは百ある才も五十、六十で伸び悩んで終わってしまうわ」


 伝説にある『水の都』最後の王族の名を持つ少女はレーヴェの気迫に真っ向から立ち向かっている。その気迫は現役の騎士でも震え上がるほどであり、侍女に至っては失神している者がちらほら見える。

 しかしゲルダにとってはそよ風にすらなっていないらしい。


「ほ、幇間?! 云うに事欠いて幇間稽古だと?!」


 レーヴェはその美しい顔を憤怒で歪めゲルダに迫る。

 騎士の名門であるシュヴェーレン家に生まれた。

 子宝に恵まれず、漸く授かった子が女子であった事に失望した当主は周囲の反対を押し切って、彼女を男として教育すると決めたという。

 レーヴェは厳しく教育され、すくすく・・・・というよりはめきめき・・・・と成長し、十五歳を過ぎた頃には当主の背丈はおろか剣の腕すら凌ぐようになっていた。

 当主の望み通りレーヴェは鍛え上げられた肉体と、鉄拳制裁も辞さない教育の賜物か当主の面影が強く残る男顔となり誰からも男扱いされていく。

 しかし、ヴルツェルは知っていた。彼女ほど女性らしい女性はいないと。

 ある舞踏会の事だ。レーヴェはいつもの如く女性達からダンスを誘われていた。

 男性のステップも仕込まれていたレーヴェはそつなく彼女達と踊る。

 しかし、夢見心地の貴婦人達と違ってレーヴェの顔には憂いがあった。

 勿論、相手には笑顔を見せてはいる。だが、ふとした瞬間に目を伏せるのである。

 まだ若かったヴルツェルは彼女の憂いの意味を察することが出来なかった。

 そんなレーヴェに興味を持ったヴルツェルは彼女をダンスに誘う。

 勿論、女性としてである。

 戸惑う彼女であったが、相手が王族である事もあって差し出された手を取る。

 意外と云っては失礼だが、レーヴェは女性のステップも完璧にこなせた。

 初めこそ固かった表情も、一曲、二曲と踊っていくにつれて柔らかくなっていき、三曲目には笑顔を見せるようになったそうな。

 ヴルツェルは不意に笑顔を見せたレーヴェに、彼女も本心では女性として生きたいと願っているのだと知る。

 それから数ヶ月後の事である。レーヴェは王室に召し出された。

 何か粗相でも仕出かしたのかと戦々恐々としていたレーヴェであったが、案内された部屋に用意された煌びやかなドレスに心を奪われる。

 さて、いよいよ持って召し出された理由が分からなくなったレーヴェであったが、数人の侍女が入室してきたと思えば、彼女の騎士服を手際良く脱がせていく。

 ドレスに気を取られていたレーヴェは抵抗する間も無く、ガーターやコルセットを装着され、いつの間にかドレスを着せられてる。

 このドレスは私が着る為のものかと、困惑するレーヴェはあれよあれよと化粧を施されて、気が付けば姿見の中に美しい貴婦人がいた。

 男顔の自分でもきちんと化粧をすれば化けるのか。

 今まで父に隠れて化粧をしてみたが、“お化け”になってしまうのが常であった。

 なるほど、“女は化ける”とは善く云ったものだ。

 感動しているとドアが開いてヴルツェルが現れた。

 プレゼントは気に入ってくれたかと微笑む彼にレーヴェは花が咲いたかのような笑顔で答えたものだ。

 その夜、開かれた舞踏会でヴルツェルとレーヴェの両名が主役となったのは云うまでもないだろう。

 その後、二人は逢瀬を重ねるようになり、距離を縮めていく。

 やがてレーヴェの懐妊が判明すると、ヴルツェルは喜び勇んでプロポーズをした。

 レーヴェは暫く思い悩んでいたが、父親が嫁入りの持参金を用意して、自分の好きに生きなさいと後押しをしてくれた事で意を決して側室になったそうな。

 初めこそ驚いていたレーヴェであったが、女性として生きたいという娘の本心を知った父親の涙ながらの謝罪に彼女もまた涙を流して父の手を取ったという。

 こうしてバオム王国第一王子カイムは誕生したのである。


「私はカイムが立派な騎士に、そして王になるように育ててきた! 時に“父親にされた事を子にしている”と揶揄され、時に“やはり男女に母は務まらぬ”と侮辱されてきたが、それもカイムの未来を思えばこそだ! それを幇間稽古だと?!」


「あれが幇間稽古でなければ何と云う? 血反吐を吐く我が子を打ち据える様は一見、厳しく指導しているようだが、打ち込んできた剣を受けて“もっと鋭く振れ”だの、“いいぞ、その調子だ”だの、相手の機嫌を取って稽古と呼べるのか?」


 分厚い瓶底眼鏡のせいでゲルダの表情は読めないが、レーヴェの方は分かりやすく顔を紅潮させて憤怒の相を見せている。

 そんなレーヴェにカイムも含めて周囲は怯えているが、やはりゲルダには些かの痛痒も与えてはいないようだ。


「ワシの目には“鋭く振れ”と窘めた一撃も、“その調子”と褒めた一撃も同じように見えたがな。つまりお主の指導はその気に・・・・させているだけ・・・・・・・で上達には繋がっておらんのだ。それなら千本素振りをさせていた方が余程良い稽古になるわい」


「云わせておけば! ならば貴様の剣を私に見せてみろ! カイムの師と名乗るからには私より強いという事を証明してみせよ!!」


「実戦が弱くても指導が巧い師はいくらでもいるわい。だが、そう云ったところでお主は納得するまい」


 ゲルダは袋竹刀ふくろしないを構える。


「かかって参れ。稽古・・というものが如何なるものかを教えて進ぜよう」


「望むところだ!!」


 ヴルツェルは思う。

 どうしてこうなった、と。









 夜半を過ぎてもカイムの行方が知れないバオム城は上を下への大騒ぎであった。

 既に捜索隊は派遣され、城下町は勿論、近在の村や街まで探索の手は伸び、夜が明けたら森や山にも人を遣る算段となっている。

 そんな中、当の本人がばつが悪い顔をして帰還したのだ。しかも母の病を治す事が出来るという聖女を伴ってである。

 ヴルツェルは安堵したが、その反動で怒りが込み上げ、皆に心配をかけた息子を叱ろうとした。

 しかし、ゲルダに止められてしまう。

 ただゲルダとしてはカイムを庇った訳ではない。

 皆の目がある中で叱るのは良くないと諭され、どうせなら奥方の病が癒えた後で共に叱ってやれと云われた事で、一応は矛を収めた訳である。

 ヴルツェルは不思議とゲルダに逆らう気は起きず、云われるままにレーヴェの寝所へと彼女を案内をする。

 ゲルダは病床の人を一目見るや、ご典医は籔以前の筍でござるな、と呆れた。

 レーヴェの症状は毒でも無ければ呪いでも無かった。況してや神の仕業でも無い。

 肺炎の一歩手前ではあったが、風邪を拗らせただけだという。

 レーヴェが今まで高熱を伴う風邪を引いた事が無かった事と、そのせいで本人が気弱になってしまっていた事で、普段の男勝りな彼女しか知らない医者が未知の病と思ってしまった事が真相らしい。

 ゲルダとしては、“酒でもかっくらって寝りゃ治る”と云いたい所ではあったが、折角出来た弟子をガッカリさせる事もあるまいと思い直してレーヴェに向けて手を翳す。


「おお、ゲルダ先生の手から光が」


 ゲルダの手に灯る淡い光がレーヴェを照らすと、先程まで大汗をかいて魘されていた彼女は次第に落ち着きを取り戻していった。

 ゲルダは赤ん坊の頃に『水の都』最後の姫君の血を母乳代わりに呑んでいた。

 養母、『塵塚』のセイラはどんなものでも無節操に体内に取り込む習性があり、その中には病死した人間や毒物も含まれていたという。

 それらの病原体や毒はセイラの体内で浄化されて彼女の体の一部となる。

 即ち取り込んだ病気や毒を攻撃手段に出来るようになり、また同時に病原菌やウイルスの抗体や解毒剤も精製可能となった。

 セイラはそれらもゲルダ姫の血と混ぜており、結果、ゲルダはあらゆる病気や毒を無効化する体質となっているのだ。

 その効果はゲルダの中でアンチスキルをも創造する程で、彼女は病気や毒を予防或は治療する魔法の遣い手となった。

 ゲルダにとって風邪の治癒などお手の物であり、あれだけ苦しんでいたレーヴェも数分もしない内に快癒したのである。

 ちなみにゲルダが売り歩いていた万能薬は薬草を練り込んだ丸薬に彼女の魔力を込めた物だ。しかも“良薬口に苦し”と説得力を持たせるために千振せんぶりを混ぜる徹底ぶりであった。


 さて、風邪が治り、回復魔法で体力も全快となったレーヴェは病後とは思えぬ程の健啖ぶりを見せて、ゲルダが作った卵粥を丼で三杯も食べたという。

 味噌で調えた優しい味と香りが食欲を刺激して、彼女の腹の虫を盛大に鳴らした。

 ゲルダとしては自分の朝食も兼ねて作ったのだが、病み上がりの回復を優先し、“一気に食べると胃が驚くぞ”と忠告して苦笑を浮かべたものだ。

 彼女が落ち着くと、ヴルツェル、レーヴェの夫婦はカイムの保護とレーヴェの治療への礼を丁寧に述べた。

 ゲルダは迷子を家に送り届けた程度の感覚であり、治療としても手段を持ち合わせていただけだと言葉だけを受け取って、褒賞は固辞する。

 ヴルツェルはゲルダは何者であるか気になったが、妻と子の恩人に対して不躾であるかと逡巡する。

 しかしカイムがゲルダを先生と呼び、稽古をつけて欲しいとせがむと、レーヴェの表情が険しいものとなって追求を始めてしまう。

 ゲルダは隠すつもりは無いのか、自分が『水の都』を住まいとしている事、そこで母や従者達と共に静かに暮らしている事、そしてバオム王国が守護神・雷神ヴェーク=ヴァールハイトの手により、なる気は無いが聖女として転生している事も告白した。

 数百年前に魔王の軍勢に滅ぼされた、呪われし伝説の都で暮らしている事に驚かされたが、ゲルダは何不自由無く過ごしているらしい。

 だがカイムがゲルダの母が『水の都』最後の姫君の人形が意思を得たものである事と従者とはセイラの作った人形に怨霊が宿ったものである事、そしてセイラを含めた人形達の体がガラスなどを材料にした珪素生命体に近い事を良くも分からぬままに云ってしまった事でレーヴェのゲルダを見る目が変わった。

 確かに病から救ってくれたゲルダは恩人であるが、このような怪しい者をこれ以上、我が子に近づけるのは良くないのではと考えてしまうのも無理は無い。

 しかもゲルダ本人も異世界から転生して、しかも元は男だと云うのだから、胡散臭く感じない方が可笑しいだろう。

 ただ、誤解が無いように述べるが、ゲルダも考え無しに告白したのではない。

 怪しまれる事を織り込んだ上で転生者であると明かしてしているのだ。

 これからカイムと師弟関係を続けていくに当たって、雷神の介入は避けられないであろう。ならば下手に秘密にして疑念を持たれるよりは自らの口で告白した方が誠実であると熟慮した結果である。

 これでカイムに近づくなと云われたなら潔く去るつもりでいた。

 そんなゲルダの気持ちを察したのか、カイムがゲルダの腕にすがり、心細げに見上げてくる。ゲルダは何も云わずにカイムの頭を撫でるだけだ。

 既にカイムの心はゲルダに囚われていると察したレーヴェが発した言葉は、


「私と勝負をしろ」


 というものだった。

 何でそうなるとヴルツェルは頭を抱えたくなった。

 騎士としてなら決闘こそが一番手っ取り早い解決策であるが、お前は妃だろう。

 しかも相手は王子を保護し、その上で王子に請われて妃の病を治しておきながら何の見返りも求めない正に聖女である。

 そっとゲルダの反応を窺ってみれば、聖女の口元がニィッと笑みを浮かべていた。

 側室となった今なお精強なるバオム騎士団を率いる最強の騎士を前にしてもゲルダは臆するどころか、顎をさすりながら笑うだけの胆力があるらしい。


「良かろう。たまには強そうなの・・・・・とやってみるのも面白いわさ」


「良い度胸だ! カイムを保護し、私を救ってくれた事には感謝しよう。しかし、カイムの武を磨いていくのはこの私だ! 今までも! そして、これからもだ!!」


 レーヴェはカイムに剣を構えろと命じた。

 まずは普段の稽古をゲルダに見せるつもりのようだ。

 恐らくは病床の中でなまった自身の体に活入れる為でもあるのだろう。

 その稽古は過酷という言葉が相応しい凄まじさであった。

 レーヴェはカイムが打ち込んでくる刃引を難なく捌いていく。

 一時間もする頃にはカイムの息が上がり、立てぬほどであった。

 しかしレーヴェはそれを許さず、打ち込みを続けさせる。


「もっと鋭く振るのだ!」


「は、はい!」


 ふらふらになりながらもカイムがレーヴェに向かって行く様は感動的に映るらしく、侍女達は涙を流して、王子様、頑張ってと声援を贈っている。

 だがゲルダに云わせれば無駄・・であるとしか云いようがない。

 あんな腰の入っていない打ち込みが稽古になるものかと内心呆れていた。

 しかし、レーヴェはカイムの剣を受け止めると、その調子だと褒めた。

 するとカイムは嬉しそうな顔をするではないか。

 何がその調子だ。さっきの打ち込みとどこが違うのか教えて欲しいものだ。

 まるで茶番だとゲルダはカイムの襟を掴んで止めた。


「何をする?!」


「見て分からぬか? 無意味な稽古を止めておる」


「なんだと?! カイムの顔を見よ。これが無意味な稽古を受けている者の顔か?」


「戯けた事を抜かすな。先程から拝見しておったが、お主の稽古はなっておらん。そのような幇間稽古ではカイムは強くなれぬわえ」


「何だと?!」


 そして冒頭に至るのであった。

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