第7話 エンディング

 2020年6月15日

 俺と綾ちゃんは朝から仕事をしていた。この家で作業するのは久しぶりで懐かしい。綾ちゃんは彩が使っていた机で仕事をしていた。いつか、こんなふうに生活をしてみたいと憧れていたことがある。彩と家で一緒に仕事をして、ずっと一緒に生活していたいと。そんなことを思ったこともある。結局、就活が始まると、くだらない憧れで、東京の有名企業で務めるということに目標を定めてしまっていたが、ここにいたら少しは変わったのかもしれない。どうせ、東京に行ったって理想の生活を送ることは出来ないのだから。ここでしか得ることができないものを、得ることができずにここを出てしまった。

 でも、彩の使っていた椅子をクルクル回しながら頭を抱えて、昨日買ったカップのアイスを少しずつ食べている綾ちゃんを見ると、これでよかったのかもしれないと思えた。俺はあまりにも良い環境で育ち過ぎていたのだ。今になってそのことに気がつけた。兄弟もおらず、両親の愛を独り占めすることができたのにもかかわらず、両親から逃げて自分の好きなようにしてしまった。それから、自分を認めてくれない大人全てが嫌いになった。そんな俺を、同期のいない職場で大人の偉大さを教えてくれる先輩もいる。その先輩はしっかりと俺のこれまでの人生を否定してくれた。初めて自分の人生を振り返ることができた。

 ただ魅力的な1人の子と幸せに暮らせたらそれで良いと思っていた俺に、同じくらい魅力的な子が、俺が欠けていることを教えてくれた。自分の嫌いな部分を認めてくれた。

 思っていた方向とは違ったが、沖縄を出て、東京に行って、本当に自分を変えることがえきた。計画していた理想の人生は歩めていないが、これで良かった。

 そんな俺をずっと支えてくれていた彩に今日会いに行く。ちゃんと話そう。ちゃんと「ありがとう」と「ごめん」を言おう。

「みつき君、みのりさんの車来たみたい」

「うん、行こっか」

「あのさ、本当に私も言っていいのか?2人で話したいんじゃない?」

「ううん、来てほしい。綾ちゃんがいてくれると心が安定するんだ彩も会いたいと思うよ。それに、ルールだし、新しい相手を紹介するって」

「私でいいの?」

「当たり前じゃん。綾ちゃんしかいないし、彩も綾ちゃんじゃきゃ認めてくれないと思う」

「なんかさ、本当は馬鹿みたいだと思っているんだよ?今から会う人はさ、好きな人の好きな人なんだから。普通なら、そんな人に会いたくないよ。でもさ、ゲームだから仕方ないよねって割り切っちゃえばさ、なにも抵抗なく、私も彩さんに会いたいんだよね。だから、みつき君はどう思っているかわからないけど、私は2人がこのゲームを始めてくれて嬉しいよ」

「そう言ってくれる綾ちゃんが大好きだよ。俺も綾ちゃんとだから続けることができた綾ちゃんでよかったよ、本当に。俺たちが勝手に始めたことに巻き込んじゃって申し訳ないんだけど、もう少しだけ付き合ってほしい」

「ひどい、もう少しって、終わったらいらないってこと?」

「そんなこと言ってないじゃん。一生幸せにするつもりだよ」

「え、それって、どう言う意味?」

「おはよう、みつき君、綾ちゃん、そろそろ行こうか」

 良いタイミングで入ってきてくれたみのりさんの運転で、俺たちは病院に向かった。途中綺麗な海が見えるスポットがあるので、そこで少しだけ寄り道しようとみのりさんが提案してくれた。俺たちの緊張が伝わっているのだろう。一切会話の続かない空気であった。

「なにこの海!本当綺麗!」

 わかりやすく、綾ちゃんはテンションが高かったが、俺もあまりの美しさに見惚れていた。

「本当に綺麗だね。沖縄の海なんてちゃんとみたことなかったかも」

「最近は、外に遊びに行くこともできないから、よくドライブをしているんだけどね、やっぱりいつ見たって海は綺麗だよね」

 サングラスの似合いすぎるみのりさんが、車に寄りかかりながら言った。

「みつき君は、沖縄出身で、海が大好きだから、青色が好きなのかと思っていたよ私」

「え、青色が好きなんて話したことあるっけ?」

「どっかの誰かと違って、そう言うことに気づけるから私」

「へいへいすみません。うーん、なんとなく青色が好きなんだけどさ、沖縄に帰ってきて、気づいたよ。海も空も、人が手のつけられない自然でさ、1番自然的な色なんだと思う。でも、絵の具とか、青色単体で見ると、すごく毒々しく感じるんだよね。でも、それを絵にした時、空や海を描いた時、やっぱり青は輝くんだよ」

「すごい、みつき君、彩ちゃんも似たようなこと言っていたよ。青色は絵を綺麗に見せることも、恐ろしく見せることもできる、使い方が大事なんだって」

「あ、バレちゃいました?前に彩からその話を聞いて、好きな色を青色にしようと思ったんです。でも、やっと意味がわかりました。美しいですね青って」

「やっぱりみつき君は変だよ。好きでも何でもないじゃん」

「いいんじゃない?これからは、はっきりと青が好きって言えるんじゃないかな?僕は白が好きなんだけどね」

「なんで白ですか?前に、彩ちゃんに言われたんだよ。白が似合う人は誠実な証拠だって。先生は白衣が似合うよって。だから好きな色を白にしようって決めたんだよね」

「俺と一緒じゃないですか」

「だめだ、男は変だ。理解できない。可愛い子から言われた色が好きになるなんて、単純すぎて理解できない、2人ともガキだね」

「綾ちゃんはなんで、ピンクが好きなの?」

「え、ピンクが好きだって話したっけ?」

「もう、どっかの誰かは卒業したので」

「うーん、なんか可愛くない?ピンクって可愛いじゃん」

「なにそれ、綾ちゃんが1番ガキじゃん」

 海でする会話ではないかもしれないが、心が軽くなった。車はそのまま病院に向かった。会ってなにを話せば良いか考えてみたが、そんなの意味がない。どうせ彩のペースになるだろう。もう、そこに彩がいると言うことだけで満足だ。

「ついたよ。裏から行くからちょっと待ってて」

「わかりました。ありがとうございます」

「いよいよだね、みつき君」

 右隣に座っていた綾ちゃんが手を握ってくれた。しっかりと2人分の体温を感じることができた。

「会えるね、やっと。なんて文句言ってやろうかな」

「みつき君、そんなこと言えないくせに」

「かもね、でも、楽しみだね」

「うん、楽しみ」

「ようやく3人で話せる」

 フロントガラスの奥で、頭の上に手をあげて、大きな円を作るみのりさんが見えたので、綾ちゃんと一緒に車を出た。手を繋いだまま、左側のドアから一緒に降りた。

 みのりさんの案内で病院に入った。想像より大きな病院だった。この病院の大きさが、彩の病気の大きさを表しているようだった。エレベーターに乗ってからは、一気に緊張感が高まった。そんな俺の手を綾ちゃんは黙って握ってくれていた。

 エレベーターが止まり、廊下を渡った。みのりさんの足が止まった、ここのようだ。その部屋のドアにははっきりと、湧川彩わくがわさやと記されていた。みのりさんが目で合図をした。俺と綾ちゃんは同時に頭を下げた。

「彩ちゃん、入るね」

 みのりさんから中に入った。綾ちゃんは俺の手を離そうとしたが、俺は繋ぎ直した。ちゃんと2人で入りたかった。

「本当に来ちゃったじゃん」

 彩の声だった。小さな声だったが、はっきりと聞こえた。空気のように軽く美しい声が俺の耳にしっかりと届いた。彩ちゃんはベットの上に座りゲームをしていた。ベッドの近くにあるたくさんの機械や、それと彩の体を繋ぐ複数の線を除けば、病気なんて信じられないほどそのままの姿だった。少し茶色がかった髪は肩までまっすぐ伸びて、くっきりとした目は力を失っていなかった。

「もう、彩ちゃん、ゲームのやりすぎはだめだってば」

「え?先生は私との約束破ったのに?そんこと言うの?言っちゃうの?可愛い女の子が、楽しんでゲームしているのを邪魔しちゃうの?」

「ちゃんと謝ったじゃないか。もう、続けていいよ。みつき君と綾ちゃん来てくれてるから」

 彩は一度こちらをみて笑ってから、視線を画面に戻した。

「じゃあ、僕は仕事に戻るね。時間が来たら戻ってくるから、それまでは大丈夫だよ。何かあったらすぐに呼んでね」

 みのりさんは俺たちにそう告げて、頭を下げてから扉を閉めた。

 沈黙が続いた。どちらも話し出せずにいた。ただ、小さなボリュームのゲームのBGMがなっていた。換気のために開かれた窓からは、鳥の囀りと、早く出てきすぎた蝉の鳴き声が小さく響いていた。手を消毒するために出したアルコールの匂いが、風に乗って鼻に届いた。

 最初に声を出したのは、やはり綾ちゃんだった。

「初めまして彩さん、大上綾です」

 彩はゲームを止めて、ゆっくりこっちを見た。そして、見覚えのあるぬいぐるみの下から、2枚のカードを取り出したて言った。

「綾さん、初めまして。久しぶり、ミツキ。2人とも、一回だけマスク下ろしてくれない?ちゃんと顔を見たいの」

 俺と綾ちゃんは、マスクを下にずらした。

「すごい、私ってやっぱり天才!ミツキら電話で聞いてイメージした通り、綾ちゃんはこんな感じの可愛い人だろうなって思ったの。あ、写真を見たとかずるい事はしていないからね」

 彩は、取り出したカードの一枚を綾ちゃんに渡した。

「すごい、これ私だよ!」

 綾ちゃんが見せてくれたカードには、確かに綾ちゃんが描かれていた。ピンク色の服を着た可愛い姿で。

「私、彩さんの描く絵が大好きで、ずつとフォーローしていたんですよ!」

「さすが綾ちゃん、私が認めた女だ!見る目があるね!どっかの誰かは一生見つけられなかったはずなのに!」

「ううん、みつき君はもう、どっかの誰かを卒業したよ」

「そうみたいだね、ありがとうね綾ちゃん。そして、ミツキにはこれ」

 もう一枚のカードを俺にくれた。

「ここに入ってきた時のミツキの体勢なんて簡単に予想できちゃうんだよなー。もうすぐ誕生日でしょ?いつもの!」

 そこには、今ちょうど俺が背中を預けているドアと、俺が、いつもの体勢で描かれていた。

「綾ちゃん、ただいま」

「おかえり、ミツキ。心配かけてごめんね」

「心配すらできなかったよ、何も知らなかったんだから。確かにそんな状況だって知らない俺がクズなんだけどさ、言って欲しかったよ、全部」

「ああ、もう、ごめんってば。喧嘩したくないの、せっかく2人が来てくれたんだから。そうだ、ゲームしようよ、綾ちゃん得意?これ、私とミツキがどれだけやっても永遠にクリアできなくてさ」

 彩は綾ちゃんにコントローラーを渡して、再び画面に視線を戻した。しばらくして話し出した。

「みのり先生から全部聞いたんだよね?」

「うん、昨日話してくれた」

「そっか。東京はどう?仕事はどうなった?」

「綾ちゃんと楽しく暮らせているよ。仕事は変わらずに頑張ることにしたよ」

「そっか、よかった。されで、怒ってる?」

「怒ってた。急に連絡できなくなったのも。病気のこと黙ってたのも。プロポーズを断って変なゲームを始めたことも。全部」

「うん、ごめんね。でも、2人はそれでも来てくれた。本当は二度と会ってもらえないと思ってた。2人には本当に悪いことしちゃったから。でも、ありがとうね」

 彩の声を聞くと、怒りの感情など出るはずもなかった。ゲームの音が気にならなくなるくらい、彩の声に集中していた。本当に綺麗な声だ、周りのもの全てを包み込んでくれる、そんな美しい声に久々に触れて、この時間が一生続いてほしいと思えた。





 2020年3月10日 湧川 彩

 初めてされたプロポーズを断った。

 多分、人生最後、今後二度とないプロポーズだろう。そんなプロポーズを大好きなミツキにしてもらえて本当に嬉しかった。でも、断ることは決めていた。これ以上ミツキに依存するわけにはいかなかった。

 最初は迷った。本当は最後までミツキといたかった。だから結婚の話を匂わせてくるミツキには、毎回喜んで返事をしてしまっていた。ミツキがそろそろプロポーズをしてくれることはなんとなくわかっていた。

 断ったらミツキを傷つけてしまう。だから、彼がおしゃれなレストランで話を切り出そうとするのを何度も阻止した。普通の男なら、これくらいやれば今日はやめてほしいと言うことが伝わるだろう。そうはいかないのがミツキだ。家に帰ってすぐにプロポーズをしてくれた。あまりにも理想的ではないシチュエーションだが、とても嬉しかった。

「ごめん」

 それでも断った。心が苦しかった。指輪を受け取って、部屋に戻り、お気に入りのぬいぐるみに顔を埋めて声を殺して泣いた。嬉しさと、悔しさと、申し訳なさ、全てが詰まっている。それはもう、一晩中泣いた。

 そこから一週間くらいは、1人になるとずっと泣いてしまった。ミツキとの思い出を思い返しながらひたすら泣いた。私がここまで生きることができたのは、ミツキのおかげだ。彼に出会ってからは、彼がくれた人生になった。

 私の人生は、高校生になって生まれた。地獄のような中学までを、一気に塗り替えてくれた。私は、親とみのり先生意外とほとんど話したことがなかった。人と話すことを恐れていた。でも学校生活とは嫌でも話さなきゃならなことが多い。そんな中、彼と初めて話した時、最初に彼が声を褒めてくれたのだ。「綺麗な声だね」と言ってくれた。

 それだけじゃない、大っ嫌いな絵も褒めてくれた。スケッチブックと色鉛筆が、父が最後に残したものだった。ベッドから動くことのできない私は、まともに体勢移動ができず、うまく絵を描くことができなかった。母は無理しなくていいよと言ってくれたが、私は父と繋がれる唯一の方法だと思っていたから必死に絵を描いた。でも、病院内のイベントで1番になっても、中学のコンテストで優秀賞をとっても、父は戻ってこなかった。それから絵を描くことが大嫌いになった。

 ある日、美術の課題を提出しなかった私と、下手すぎて評価をもらえなかったミツキが放課後に、ちゃんと絵を描くまで帰さないと、美術室に残されたことがあった。テーマは好きなものだった。私は、毎回母が一輪だけ持ってきて病室の瓶に入れてくれていた薔薇の花を描いた。あれ以来、凝った絵を描くことができなくなっていた私は、鉛筆を動かすだけで拒否反応が出て、一輪の花を描くだけに下書きだけでもかなりの時間がかかった。そんな私の絵を彼は大袈裟に褒めてくれた。

「すごい、本物みたいだよ!見える、美しい黄色の薔薇が、風に揺れているのが見えるよ。これ、プロになれるよ」

 私の描こうとした薔薇は赤だったが、嬉しさのあまり、黄色で色をつけた。その後、知らない映画に出てくる知らない車を彼の言う通りに、彼の代わりに描いてあげた。多分、本物とは全く違う絵になってしまったが、彼は本物を超えたと言ってくれた。自分の絵を描かせるためにそんなことを言ったのか、せっかく綺麗に描いた車が、下手な色塗りで汚れていくのを見ながら、この人は本当に褒めてくれたのだと気づいた。背景も全て、青色で塗ってしまった彼に、まっすぐな人だと言う印象を持った。自分だけが持っているこだわりがあるんだろうなと。そんな不思議な雰囲気を持った彼に、絵を認められたのが嬉しかった。父のために絵を描いていた日を呪っていた私は、初めて描くことを楽しめた。あの日の自分ごと認めてもらえたようで嬉しかった。

 それからは、彼に会うために学校に通った。楽しそうに学校に通う私に、母もみのり先生も喜んでくれた。彼の褒めてくれた「声」と「絵」を大事にしようと思った。彼だけが褒めてくれた声は彼のために使う。彼が認めてくれた絵は、私の生きる道にしようと決めた。それから美術部に入り、毎日彼のバスケが終わるのを絵を描きながら待って、帰る時間が偶然一緒になったふりをして、公園に寄って2人で話すというルーティンができた。

 それを受け入れるうちに、彼がしれっと告白してくれた。

「これからもさ、一緒にいた方が良いと思うんだよね俺たち」

「そうだね」

 といった流れだった。正直、告白なのかすらわからなかったが、多分彼なりの告白なのだろう。嬉しかった。

 彼の家は厳しくて、門限が早く、バイトもできないと言って。毎回公園で時間が来るまでいろんな話をした。彼は、「本当はいろんなところに行って遊びたいけど、俺のせいで、公園デートしかできなくてごめん」と言っていた。病気のせいであまり動くことのできない私にとってはぴったりのデートだった。だから、彼は私が病気であることを知っているのではないかと思ったことがある。そこで、「もし私が今突然死んだらどうする?」って聞いてみた。そしたら彼は、突然涙を流し出した。「俺がいる時は死ぬわけないじゃん。死なせないよ。死んだら許さない、こんなに元気なさやちゃんが急に死ぬなんてことがあったら、俺は神様を絶対に許さない」と言ってくれた。ああ、たぶん彼はなにも知らないけど、それでも私を幸せにしてくれるだろうなと思った。だから、病気のことは言わないことにした。隠したまま一生そばにいようと決めた。冬の公園は寒かったが、彼といると気にならなかった。彼といる空間全てが幸せだった。

 彼に大きな迷惑をかけたことが二度あった。どちらも母の病気のことでだ。一度目は、高校2年生になってすぐだった。彼といつものように公園にいた時母が突然倒れたと連絡があった。頭が真っ白になってなにもできなかった私を、彼が自転車に乗せて病院に連れて行ってくれた。それから毎日一緒に、夜まで病院にいてくれた。そんな日が長く続いたため、彼は何度も門限を破っていた。そのせいで、彼は休日に学校と部活以外の用事で外に出ることを禁止されてしまった。友達と遊べなくなった彼は、誘いを断っているうちに、どんどん孤立して言った。私がミツキ君の両親に説明すると言ったが彼は、東京の大学に行けば自立できる。それまでの我慢だから大丈夫と言った。だから私は、彼の友達とできる限り付き合いを深めた。おかげでだいぶコミュニケーションを取れるようになった。

 二度目は、その大学受験でのことだ。彼は、両親に県大受験しか認めないと言われて、進路を県内の国立大学にした。私はすでに専門学校に受かっていたので、彼の邪魔にならないように陰ながら応援していた。母が再び倒れたのが、センター試験当日の朝だった。「頑張ってくるよ」と電話をくれた彼に、「頑張って」と言った声が震えていたらしい。彼は受験会場ではなく私の家に来た。彼の人生を私が壊してしまった。この時に、私は一生彼を離さないと決めた。なにがあっても私から突き放さないと決めた。

 このことを話す時、彼は「どうせ受からなかったから、逃げてきたんだよ」と言ってくれた。でもわかる、彼は私と違って逃げ出さない性格だ。何にだって立ち向かう、負けず嫌いな奴なのだから。だから、私たちが2人でやってもクリアできなかったゲームを、彼が私に隠れてクリアしていたことも知っている。わたしに気を遣って、クリアした後にデータを全て消すもんだから、どのゲームもセーブデータが残っていなかった。彼は私のことを人に話すときも、私が迷惑をかけてしまった話を隠してくれていた。だから、彼が話す私は完璧な女だった。彼の方ができた人間なのにだ。

 母が亡くなる瞬間まで、彼は一緒にいてくれた。母を失えば他になにも残らない私に、彼は大学を休んで一緒に見守ってくれた。母が長くないことは彼もわかっていた。一緒に住もうと言ってくれた。一度、母が死ぬ前に、父が会いに来たことがあった。私は父と顔を合わすことができなかった。そしたら彼が、私と父の間に入って「彩ちゃんは僕が守ります、大丈夫です、ご安心ください。幸せにしますので」と言ってくれた。彼と暮らすことを決めた。

 一緒に暮らすと、彼は2人分の生活費を稼ぐためにたくさんバイトしていた。バスケのサークルもいつの間にか辞めていた。辞めなくてもいいのにというと、「俺は就活に命をかける側の大学生だから、もともと入っていないと」デタラメな嘘をついた。だから、私も勉強を頑張った。卒業したら、今度は自分がミツキの就活を支えるんだと。

 コミュニケーションスキルがついていたおかげで、自分で仕事を見つけることができた。イラストやデザインも評価してもらえるようになった。でも、最初に評価してくれたのはミツキだ。彼は本当に見る目があったのかもしれない。でも、私の仕事には別に興味がないようだった。それで構わない、彼が自分のことでいっぱいになっている姿は、逆に安心するのだ。また、私のせいで迷惑をかけたくなかったから。

 2人の生活は幸せだった。このために地獄の過去があったのだと受け入れることさえできた。それくらい彼との当たり前な生活が好きだった。彼が家にいる間は、邪魔にならないように自分の部屋で過ごした。必要な時は彼から求めてくる。でも、その時は大体私も求めている。2人だけの空間がそこにはあった。彼がいない時は、彼に隠れてやることがあった。

 まずは彼のお母さんに会うことだった。両親ともミツキのことを本当に気にかけているようだった。この家族の仲を壊してしまった原因は私にもある。彼は頑固な面もあるから絶対に自分から謝ることはないだろうなと思った。彼は親のことを話すのを嫌がったが、彼のお母さんは、ミツキのことをたくさん話してくれた。自分の知らないミツキを知ることができるのは面白かった。でも、裏でこんなことをしていると知っても彼は嬉しくないだろうから、このことは内緒にしていた。大丈夫、この人たちはいつか理解し合える、それまで私が繋ぎ止めようと思った。だから彼の母から教えてもらった料理をミツキに褒められると二倍嬉しかった。その度に彼のお母さんに報告した。とても喜んでいた。「彩ちゃんがお嫁さんに来てくれるなら、私たちは大歓迎だからね」と言ってくれた。そんなことができたら、きっともっと幸せだろうなと思った。

 そして、病院に行くのも、彼がいない時の日課になっていた。病気が良くなる様子は一向になかった。みのり先生には、入院を勧められたこともあった。でも、彼との生活を捨てることはできなかった。入院すると言ったら、毎日でも来てくれていただろうが、彼を邪魔したくない。彼がいない時にだけ病院に通った。みのり先生は何度もそろそろ彼に病気のことを伝えようと提案してきた。先生の気持ちもわかる。それが医者の仕事だ。でも、絶対に言わないで十何度も伝えた。後で知ったら、きっとショックを受けるよと言われた。それでも良い、とにかく私がいる間は彼の幸せを近くで見ていたい。ずっと隠したまま彼と一緒にいたい、死ぬまでそうしたい。そして、死んだ後に泣いてほしい。どれほどのショックを受けるかわからないが、彼はうまくやっていけるだろう。だから私が生きている間は、彼には笑って幸せで暮らしていてほしい。そう思った。

 


 病気が悪化したときは、辛かった。死を近くに感じた。途端にミツキが離れていく感覚がした。そうか、もう会えないのかと思うと、生きたいと思った。それでも、手術をしても、よくなることはなかった。就活を頑張っているミツキを近くで応援したいのに、悔しかった。

 ミツキの就職が決まり、東京で暮らすことが決まった。ついに夢を叶えたミツキが誇らしかった。本当に嬉しかった。それと同じタイミングで、私の命が短いと言うことが伝えられた。悔しかった。ミツキのこれからを見れないことが、本当に辛かった。夢を叶えたミツキのそばにいたかった。まだまだ、ミツキとやりたいこと、してあげたいことが沢山あった。ミツキの人生はこれからだと言うのに、私はここまでだと言うことがわかった。

 そのあたりからだ、ミツキとの会話に結婚という言葉が出てきたのは。結婚を考えてくれているというだけで嬉しかった。彼の語る理想の結婚生活は、私の理想そのものになった。東京という場所にこだわる彼が可愛かった。

「子供は3人くらいほしいよね。俺たち一人っ子だからね」

「そうだね、男の子が良い?」

「そうだなー、どっちも欲しいな。でも1番上は女の子がいいな。彩ちゃんと同じ血が流れる女の子は、この家を支えてくれると思うんだ」

 本当に話しているだけで満足だった。だから、彼の気持ちを盛り上げてしまったかもしれない。悩んだ。もし彼にプロポーズされたらどうすれば良いか。

 受け入れて病気のことを素直に話す。これが理想だった。そうすれば、最後の最後まで彼と一緒にいることができた。彼は私がいつ亡くなるかわからない状況でも受け入れてくれるだろう。2人で、命が尽きるまで幸せな結婚生活を過ごす。もしかしたら、もっと長く生きられるかもしれない。完治するかもしれないそしたら、もっと長い時間彼と一緒にいることができる。そこには、彼と話したような理想の結婚生活が待っている。

 でも、そんなことできない。あまりにも身勝手だ。今まで病気のことを黙った上で付き合って、結婚をするとなったときに急に伝える。彼は受け入れて、私が死ぬまで一緒にいてくれるだろうがそのあとはどうなる?彼は絶対に、後悔するだろう。なんでもっと早くに気づかなかったのか、俺と一緒にいた時間入院していたら、俺にもっとお金があれば、俺となんか付き合っていなければ。そんなことを思ってくれるはずだ。その後の彼が、私を忘れて幸せな生活を送れるとは考えられない。そんなのは自分勝手すぎる。私の一瞬の幸せのために、彼の残りの人生を滅茶苦茶にするわけには行けない


 断ろう。


 もう、十分すぎるほどに、彼には幸せにしてもらえた。すでに悔いなく死ぬことだってできるはずだ。このまま黙って別れよう。最初はショックを受けるかもしれないけど、ちゃんと新しい相手ができるはずだ。私なんかより、可愛くて、優しくて、面白くて、そして、死ぬまで一緒にいてくれる相手が見つかるはずだ。黙って身を引こう。そう決めた。

 だから、プロポーズを断った。本当に悔しかったが、彼のためだと思い、我慢した。彼と気まずい時間が続いたがそれでも我慢した。私のことは忘れて、素敵な相手と幸せになってほしかった。

 


 そして、泣きつかれてから思った。それこそ、自分勝手じゃないか。ミツキは東京に行って他の誰かと付き合うだろう。そして、沖縄に帰ってきたときに、私が死んだことを知ったらどう思うだろうか。こんなに長い時間一緒にいた相手が、自分の知らない間病気と戦っていてそれを隠すためにプロポーズを断って死んだと知ったら。ミツキがそんな自分を許せるはずがない。このまま彼が東京に行ってしまったら、私は素敵な女性になるかもしれない。彼のことを思い自分の病気を隠して、彼の幸せを願った素敵な女性だ。

 でも、彼は違う。病気の女を沖縄に残して、自分の幸せのために東京に行った男になってしまう。たとえ、病気のことは知らなかったとしても、それにすら気づけなかった男と思われるだろう。私だけ綺麗に姿を消すことが正しいとは思えない。

 それに、彼は本当に素敵な女性に出会うことができるだろうか。私を病気で失ったとなれば、悲しむだろう。その悲しむを癒すために変な女に捕まるかもしれない。東京の女なんて信用できない。

 急に、自分がやろうとしていたことが、自分を美しく見せるために汚れるのを嫌っているように思えてきた。そんな最低なことはできない。どうせ姿を消すなら嫌われなきゃならない。ミツキからも、誰が聞いても嫌われるべき女にならなくては。そう思ってあのゲームを考えた。めちゃくちゃなゲームを作るのは得意だ。

 私の命がいつまで続くかわからなかった。だから早く相手を探してもらうために、どちらか先に作った方が勝ちというルールにした。ミツキには東京で結婚生活を送るという確かな夢があった。だが、私の周りには地元意識が強い子ばかりだった。それに、私の知り合いと付き合うとなると、私のことが気がかりになるだろう。そんなふうに思ってそんなふうに思ってほしくない。だからミツキには東京で新しい人を見つけてほしかった。だから、①新しい相手はお互いの知らない人で、このゲームのことは秘密にすること。というルールを作った。新しい相手には申し訳ないが、私が最低な女になればミツキのことを理解してくれるだろう。

 それでもどんな相手と付き合うか心配だった。それにこのゲームをやめようと言われるのも怖かった。そして、私にも相手ができそうということを伝えることで焦ってくれるだろう。②お互い状況を報告しあい、嘘はつかないこと。というルールはそのためだ。そしてここを途中でやめることでゲーム終了を伝えることができると思った。

 本当は、これだけのつもりだった。でも、ルールを伝えたときに、最後のルールーを付け足してしまった。これは、ゲームがなくなっことが前提の話だった。もし、こんなゲームをして、どっちも傷つけて、自分は破棄して逃げる。そんなことをしたら二度と帰ってこないと思った。もしかしたら、私が死んだことも届かないかもしれないとも。知ったって、どうだって良いと思うくらい、嫌われようと思っていたから。③付き合うことができたら、相手と直接会いに来ること。と付け足してしまった。もし、2人が私の死を知って、許してくれるなら、2人でお墓に来てほしい。幸せであることを伝えにきてほしい、そういう願いがあった。

 わかっていた。ミツキなら、どんなめちゃくちゃなゲームでもやってくれると。たとえ、どれだけ私が嫌いになったって構わない。ミツキが幸せならそれで良い。そして、ミツキなら、私が逃げたって、最後までやってくれるだろう。そういう気持ちで、彼を東京に送り出した。

 ミツキのいなくなった部屋は寂しかった。彼の荷物と、彼がいなくなっただけなのに、一瞬にして全てを奪われたような気がした。ミツキの匂いが残っている間は、一日中家にいた。匂いがなくなってからは、ミツキの匂いが閉じ込められた車に乗って一日中ミツキの匂いとドライブした我ながら少し気持ち悪かったが、少しでもミツキを感じたかった。唯一ぬいぐるみには、ずっとミツキの匂いがついている気がした。だから、毎日一緒に寝たし、病院にも一緒に来てもらった。ぬいぐるみに「ミツキおはよう」と話しかけていた時は、流石にみのりさんも引いていたようだ。

 ミツキは、毎回電話をとってくれた。ミツキの仕事が思っていたものと違ったことも、先輩がいじめてくることも、駅が覚えられず、タクシー移動が多いことも、東京は人が多すぎて、コロナが心配で観光ができないことも、見たかった映画が全部公開延期になってしまったことも、彼は嫌そうにいうが、どこか充実している感じが嬉しかった。病院では夜、電話をする時間が限られているため、ミツキが忙しい日は少ししか話せず寂しかった。カメラをつけたら病院にいることがバレてしまうため音声だけになった、それでも、確かにみつきを感じることができた。

 しかし、これはあくまでゲームのための連絡だ。嘘をついて、順調なふりをするのも、それを聞いて落ち込むミツキを想像することも辛かった。そして、順調そうなミツキの話を聞くことは、嬉しい反面、寂しかった。ミツキが完全に相手を見つけたら連絡を取るのをやめようと決めていた。私は5月に命が尽きるはずだった。だからそれまでに順調そうにゲームを進めるミツキの話を聞いて安心した。

 相手の子の名前が「アヤ」であることを知った時は笑ってしまった。流石に私に名前が近すぎる。私は、初対面の人によく「アヤ」と間違えられることがあったから、そんなに引きずっちゃってーと、嬉しかった。でも、話を聞くと私よりも全然しっかりとした良い子だとわかった。この子なら問題ないとわかった。綾ちゃんの話をするとき、ミツキはいつも笑っていたからだ。ミツキの楽しんでいる様子が想像できた。この子ならミツキを幸せにしてくれるだろうと期待できた。どんな子か見てみたかったけど、きっと可愛い子だ。私を選んだミツキなんだから間違いない。

 5月になっていつ心臓が止まってもおかしくないという状況が続いた。もう声を出すのもやっとという日、連絡を取るのを最後にしようと決めた。その日いつものように、今日食べたご飯の話、コーヒーを飲んだ回数、昨日見た映画の話、今日の綾ちゃんの面白い行動などを話してくれた。順調そうなミツキに負けないような、これからミツキとしたかったことをしながら、架空の惚気話をした。今日でミツキの声が聞けるのは最後だ。私の声を届けられるのも、これで最後だ。最後にミツキに聞きたいことがあった。

「じゃあ、そろそろ時間じゃない?おやすみ彩ちゃん、また明日ね」

「ね、ミツキ」

「ん?」

「聞きたいことがあって」

「何?」

「今は、ミツキって名前のことどう思っているの?」

「うーん、どうって、そうだなー。最近もちょくちょく言われるよ、女の子みたいだとか、漢字がないと親が付けてくれた意味がわからなくない?とか、もうなれているし、嫌じゃない。前はものすごく嫌だった。名前ってさ、親がつけるもんだから、自分じゃ変えられないだろ?どんな意味を持ってつけたかなんて、知らないし、多分あいつらのことだから、あまり考えずにつけたと思うんだよ。映画の中から取ったとかだったら許せないよな本当。でも、この名前で苦労したけど、彩ちゃんが、この名前に意味を作ってくれたから今は大切な俺の一部だよ。その時のこと覚えてる?」

「ミツキって名前は、ミツキにぴったりだよ。男でも女でもどっちもいけちゃう感じもそうだし、三日月みたいなの、ミツキって。見えている部分がさ小さい分、あまり理解してもらえないけど、隠れているだけなんだよね、ミツキの魅力は。それを表に出しすぎずに、不安定な形がミツキなんだって、そう言った」

「そうそう。俺はさ、本当は満月とかの方が好きだけど、そんな名前つけられたらもっと大変だよ。そいれよりはこっちがいいよね。そんなふうに意味をくれたから、今は好きだよこの名前」

「そっか、よかった」

「そういえば、綾ちゃんも名前で苦労することがあるんだって、大上って姓がさ」

 そこで、みのりさんに「さやちゃん、そろそろ時間だよ」と呼ばれてしまった。もっと聞いていたかったけど、これが聞けて満足だった。私がミツキの一部として残っていることが嬉しかった。

「じゃあね、ミツキ、また明日ね」

「うん、じゃあ!無理しないでね」

 ミツキの何気ない最後の一言で、我慢できずに、涙が溢れた。相当きついよ。病気で体もボロボロだし、こんなゲームを始めちゃったせいで、電話をする度に胸が痛いよ。無理しないでねなんて、まただ、また何も知らないくせに、私を気遣ってくれている。

 思えばその言葉のおかげで、今になっても生きていられるのかもしれない。私は、ゲームから逃げたくせに、こうやって2人を待っていたのだ。たぶん、会えるまで死ねないと思ってしまっていた。

 


 そして今日、2人が本当に来た。予想通りにお似合いな2人に思わず笑ってしまった。ミツキが成長したことも一度見ればわかった。それが綾ちゃんのおかげだということも。お互いがお互いの一部になっている、あの頃の私たちを見ているようだった。

 いつもそうだ。私の考えためちゃくちゃなゲームについてきてくれて、私が投げ出したら、最後まで諦めずにクリアしてくれる。そうだ、それが私の好きなミツキだ。どこかこんな終わりを望んでいたのかもしれない。これで良い、ミツキとちゃんとお別れするんだ。もう逃げない。これで、ミツキの勝ちだ。勝利を祝おう。そして、それが終わったら、次に向かうんだ。

 終えたら、いつものようにリセットしてくれるはずだ。そして、私の知らないゲームをクリアしてくれるだろう。


 



 俺は、2人がゲームをしている姿から目が離せなかった。一瞬でお互いを受け入れてくれたようで嬉しかった。ほとんど綾の力で、ゲームはあっという間にクリアした。

「すごいよ綾ちゃん、天才だね」

「えへへ、彩さんに褒められるの嬉しい」

「彩ちゃんでいいよ」

「ううん、彩さんって感じがする」

「じゃあ、彩さんでいいよ。ミツキ、少し話せる?」

「うん」

「じゃあ、私はお手洗い行ってきまーす」

 綾ちゃんを見ると、涙でマスクが濡れているのがわかった。雰囲気を崩さないように、声を出さずに我慢しながら泣いていたのだろう。

「いい子だね綾ちゃん」

「だろ?彩と違って嘘もつかないしね」

「ねえ、意地悪じゃない?」

「ごめん、ごめん」

「でも、本当にごめんね。今まで大事なことなのに全部隠してきた。本当はバレずに逃げられるところだったのに」

「神様は逃してくれなかったね。逃げられなくてよかったよ。でも彩ちゃん、逃げる気なかったんでしょ?」

「え?」

「ルール③最後は、会いにくることって。言ったでしょ?会いに行くでも、会うこと。でもなくて、会いにくることって。待ってくれていたんでしょ?」

「ふーん、そんなふうに解釈してくれるんだね。ミツキだねやっぱり

「俺さ、本当はこんなクソゲー許せないよ」

「クソゲーってひどいな」

「でも、このゲームのおかげで、いろんなことに気づけた。いろんな人に支えてもらっていたことも、世の中にはいろんな人がいるっていうことも、俺が思っているほど沖縄も悪くないってことも」

「そっかそっか」

「それとさ」

「待って、先に泣き出したら負けゲームしようよ!負けた方が綾ちゃんが笑うまで変顔ね

「でたよ、また変なゲーム作っちゃうんだ」

「それと?」

「ああ、もう忘れちゃったじゃん。とにかく、彩ちゃんがやってたことは許せないけど、それ以上に感謝しているんだ」

「私だってミツキに感謝しているよ」

「ううん、俺の方が感謝してる、感謝ゲームだったら俺の勝ちだ。親のこともさ、ありがとうね。彩が俺たちの関係を繋いでくれてなきゃ、二度と分かり合えなくなっていたと思う」

「それなら私も、ミツキのこと私のお母さん本当に感謝していたんだから。お母さんがね、死ぬ直前に、言ってくれたの。ミツキが、これから彩のことを一生守ってくれると確信できたから、心配せずに死ねるって。この世に悔いがあるとすれば、2人の孫を見ることができないことくらいだって」

 耐えられなかった。

「だからこんなゲーム思いついちゃったのかもね。私もね、綾ちゃんがミツキを守ってくれることも、ミツキが綾ちゃんを守ってくれることも確信した。だから心配せずにお別れできるよ。悔いがあるとすれば、2人の子供が見れないことかな、それとミツキの匂いが嗅げなくなることも、綾ちゃんとゲームができなくなることも、ミツキのお母さんとおしゃべりできないことも、2人の結婚生活の惚気話が聞けないことくらいかな」

「多すぎだよ、、、ありがとう彩ちゃん。俺絶対に幸せになるよ、綾ちゃんのことも絶対に幸せにするよ、2人で絶対に幸せになるから」

「大丈夫だよ。私、神様と仲良くなっとくから。ミツキと綾ちゃん2人を幸せにしようゲーム提案しとく」

「クソゲーだよそれ」

「ミツキ号泣じゃん、弱すぎだよ」

 笑っている彩もシーツを濡らしていた。ドアの裏で全部聞いていた綾ちゃんが顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いているもんだから、3人で泣きながらたくさん笑った。本当に幸せな空間だった。

「そういえば、ミツキ、先に誕生日プレゼント渡しておくね」

 彩は、再びぬいぐるみの下から、何かを取り出した。照明が反射してキラキラと輝くそれは、俺があげた指輪だった。

「ごめんね、指輪だけ貰っちゃってた

「そうだよ、プロポーズが振られるシーンも見たことないけど指輪だけ取られるシーンなんてもっと見たことがないよ」

「ごめんね、あまりにも嬉しくて。もうこれがなくても大丈夫だから、ちゃんとしまっておいてよね」

「わかった、ありがとう彩ちゃん」

「ううん、私こそありがとう。誕生日おめでとう、ミツキ」



 2020年6月17日

 2日後、彩ちゃんは息を引き取った。最後はぬいぐるみを抱きしめながらだったらしい。彩ちゃんらしい。三日後の俺の誕生日を迎えることはできなかったが、最後に言ってくれた、「ありがとう」と「おめでとう」はちゃんと俺の心の中に残っている。だから大丈夫だ、これでずっと、この指輪を見ることで、頭の中で鮮明に再生することができる。最高の誕生日プレゼントだ。

 「絵」と「指輪」と「声」一生とっておけるものを、最後に残してくれた。

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