2. 灰谷入子

『墓場』に着くとかずらは一息ついた。今日は昨日より暑く、梅雨の 予感を感じさせる湿気の多い日だった。空は相変わらず青い顔をしてい たが、太陽はもう相手にしていない様子だ。


 いつものように『墓場』を一周し、新しい物が無いか物色する。いつ も思う事だが、ここに捨てられている物はまだ使える品も少なくない。 事実かずらが拾った電子レンジの幾つかは、電源を入れれば正常に稼働 した。だからといって、かずらはそれを再利用したりはしない。彼らは 持ち主に捨てられたのであって、自分には彼らを再生する権利など無い と思ったからだ。


 その時、ごとんと音がした。

 それはどこか間接的な音で、また金属音でも無かった。家具の山が崩 れたのかと思ったかずらはそちらに歩いていったが、ソファやベッドマ ットはいつも通りそこにある。

 がたん。また音がした。

 今度は墓場の入り口付近からの音だと把握出来た。しかし入り口には オーブンや洗濯機、大型の冷蔵庫くらいしかない。

 眉を少し寄せて、かずらはそれらを観察する。別段変わった所は無い。 と思った瞬間、手前の横倒しになった冷蔵庫が、がこんという音ともに揺れた。


 中に何か居る。


 以前も洗濯機に入った野良犬が出られなくなって救出した事がある。

 その類だろうと思ったかずらは冷蔵庫に歩み寄り、一番大きな扉を開い た。

 中に居たのは制服を着た小さな少女だった。

 その制服は柚ヶ丘中学校の物だった。近隣でよく見かけるのでかずら も知っていた。

 それを纏う少女は小さな身体を更に小さく丸めて、冷蔵庫の中で縮こ まっていた。

「大丈夫か?」

 そう声をかけ、真横になっている少女に手を差し伸べる。

 質の悪いいじめかだろうか、それとも何かの罰ゲームだろうか。その 割には『墓場』にもその周囲にも人気は無かった。

「ありがと」

 幼い顔立ちとは裏腹に、少女は低い声で言った。しかしかずらの手を 取る気配は無い。

「誰かに閉じこめられたのか?」

 かずらが尋ねると、少女は表情を全く変えずに、低い声で呟いた。

「別に、そんなんじゃないよ」

「じゃあ自分で入ったのか」

「そう」

「何でまた」

「理由なんて必要無いでしょ」

「出ないのか?」

「ん、もうちょっとこうしてる」

 最近の若い子は何を考えているか分からない、とかずらは思った。 少女は横になったまま目を閉じた。 かずらがそのまま物色に戻ろうと冷蔵庫から歩き出すと、少女が声をかけてきた。

「お兄さん、よくここに来るでしょ」

 かずらは振り向いたが、冷蔵庫の中の少女の顔は見えなかった。

「私もよくここで一人かくれんぼするから、何回か見た事ある」

「『一人かくれんぼ』って、何だ」

「そのままの意味だよ。一人で隠れるの」

「鬼が居ないじゃないか」

「うん。だから自分で探すの」

  訳の分からない事を言う子だ。

「電子レンジ、今日は無いよ」

 少女が事も無げに言った。かずらは軽く頭を掻く。

「知ってるのか、俺が集めてるの」

「知ってるよぉ」

 少女は起き上がり、冷蔵庫から出てきた。身長は低いがすらりとして いて、長い黒髪がさらさらと風に揺れていた。整った顔立ちをしている が、その眼には暗い影が落ちていた。

「いつも疑問だったんだよね、何で電子レンジなのか。持って帰ってる の? 今『集めてる』って言ったけど、お兄さん電子レンジフェチな の?」

「おまえには関係無いだろう」

「関係無いから聞いてんじゃん」

これまた、理解不能な理論だ。しかしかずらは少女から目を逸らせな かった。その切れ長の眼に、言い難い何かを感じたからだ。

「集めてはいるが意味は無い。部屋に置いてるだけだ」

「何個くらい集めた?」

「十八個」

「すっご。部屋狭くなるでしょ」

「ああ。でも良いんだ。それより」

 少女と話しながら、他人と会話するのは随分久しぶりの事だとかずら は思った。

「それより何であんな所に入ってたんだ? それもかくれんぼか?」

「ううん」

「じゃあ何だ、その中で窒息でもする気だったのか」

「そんなつもりは無いよ。ただ、私も不要品だから、仲間と寄り添って ただけ」

「不要品?」

 思わずかずらが問うと、少女はやはり表情を変えずに頷いた。それは 別に自己憐憫に浸っているようにも、逆に自分を特別視しているように も見えなかった。単純な事実を述べただけ、といった具合だ。

「誰かにそう言われたのか」

「違うよ。自分で気付いただけ」

「世の中に必要とされてないと、自分で思ってるのか」

 かずらが言うと、少女は初めて少し笑った。

「そんな大袈裟な事じゃないよ。ただ、要らないってだけ」

 彼女はそう言うと、思いついたように声を上げた。

「ねえ、お兄さんの電子レンジコレクション見せてよ」

「知らない人に着いていくなと親に言われてないのか」

「知らない人じゃないよ。私は前からお兄さんの事知ってるし」  

「俺の名前も知らないだろう」

「名前なんて記号だよ」

 少女は笑みを絶やさぬまま言う。

「区別付かなくなるから仕方なく記号付けてるだけだよ。登録商標っていうやつ。因みに私は灰谷入子いりこ

 かずらは自分も名乗るべきかと一瞬考えたが、特にその必要は無いように思われた。この少女は幾ら言っても自分についてきそうだし、それ も悪くはないかと思い始めた。

 案の定、かずらが山道を下り始めると入子も後を追ってきた。

「ねえ、お兄さんの名前は?」

「記号なら必要ないだろ。俺がおまえを区別出来れば、残った方が俺な んだから」

「それもそうだね」

 今日の空は白い溜め息を吐く事すら忘れてしまったらしい。

 アパートが見えてきた所で、入子が言った。

「あのさ、お兄さんの部屋、何か飲み物とか食べ物ある?」

 かずらはしばし考えた。

「飲み物はミネラルウォーターしかないな。食べ物は、多分カップラー メンくらいなら」

「しょぼ。あっちのスーパーで何か買っていい?」

「好きにしろよ」

 結局二人は五分程歩いて近所のスーパーマーケットに行った。太陽は 物凄い勢いで発汗を促す。背中が焼けるようだった。

「じゃあ私適当に買ってくるから、ちょっと待ってて」

「俺も何か食べ物を買うよ」

 かずらが冷凍食品数点と野菜、肉、ペットボトル入りのアイスコーヒ ーを買って会計を済ませると、出入り口で入子がビニール袋片手に立っ ていた。声をかける前に、かずらは入子を眺めた。彼女の視線はスーパ ーの外を向いている。つられて目を遣ると、柚ヶ丘中学の制服を着た女 学生が三人、歩いていた。かずらは入子の眼を見た。その瞳には嫌悪も 侮蔑も同情も映っていない。まるでそこにある壁を見るように、入子は 学生を見ていた。

「行くぞ」

 かずらが言うと入子は頷いて歩き始めた。

「私男の人の部屋に入るのって初めてだな」

「兄弟は居ないのか」

 「居るよ。でもお姉ちゃんと妹で、私真ん中なの。私は中学から柚ヶ丘 に引っ越してきたから、この辺に友達も居ないし」

「おまえを部屋に上げて、誘拐だ何だと騒がれるような事はないんだろうな」

 入子は笑った。

「大丈夫」

 アパートの階段を登る。かずらが鍵を取り出している間、入子は表札を眺めていた。

「さかい、の?」

「そう」

「境野さんって言うんだね。何て呼べばいいかな? さかちゃん?」

「勘弁してくれ」

 ドアを開け、先に中に入る。入子は入り口に立ったままきょろきょろしていた。

 キッチンの冷蔵庫の前にビニール袋を置き、テーブルの上を ざっと片付けると、入子が入って来て息を飲んだ。

「凄い......」

 かずらは一瞬、何が凄いのか考えた。それから入子の視線の先を見て、 積み上がった電子レンジに対する評価だと理解した。

「これ、ホントにあそこにあったやつ? どれもピカピカじゃん」

「洗ったんだよ」

「触っていい?」  

「どうぞ」

 かずらがスーパーで買った物を順番に冷蔵庫に入れていく間、入子は 電子レンジを開けたり閉めたりし、最後に窓際の一台を開けて声をあげ た。

「ねえ、携帯入ってるよ」

「ああ」

 今朝入れたのをすっかり忘れていた。

「これも拾ったの?」 

「いや、それは俺のだ。貸してくれ」

 かずらは携帯を受け取って開いた。着信もメールも無い。

「戻しといてくれ」

「え、いいの?」

「いいんだよ」

 入子は少し首を傾げたが、言われた通り十八番目に携帯を入れた。か ずらはテーブルの前に客用のクッションを投げ、入子に座るよう促した。

「案外きれいなもんなんだね。男の部屋ってもっとゴミとかあって散ら かってると思ってた」

「そういう奴も多いよ。俺は散らかってると落ち着かない方でね」

「ふうん」

 そう言いながらも、入子はまだ電子レンジ群を見ていた。

「何か冷蔵庫に入れるもんあるか?」

「あ、じゃあこのサラダ入れといて。アイスティーは今飲むし」

 ビニール袋から出来合いのサラダを取り出す。かずらは言われた通り にしたが、一つ疑問が浮かんだ。

「おまえ、いつまで居るんだ?」

「ん」

 入子はペットボトルの蓋を開け、喉を逸らしてアイスティーを飲んだ。 長い髪が流れてさらさらという音が聞こえそうだった。ぷはっと息を吐 いて口を離すと、前髪をいじりながら唸った。

「どうしようかなぁ。今更学校戻るのも嫌だし、家に帰るのはもっと嫌 だし」

「家は嫌なのか」

「んー、まあね。普通の十三才並みに反抗期だから」

 それを聞いて、かずらは少し驚く。

「十三才か。十五くらいだと思ってた」

「何ソレ、老けてるって言いたいの?」

 いたずらっ子のように笑いながら入子が言う。ビニール袋から小さな チョコレート菓子を出して食べ始める。

「じゃあ今中二か」

「いや、一年だよ。誕生日四月だから。あと関係無いんだけど」

「ん?」

「やっぱ境野さんの下の名前、知りたいなぁ」

「名前なんか記号だって言ったのはおまえだろう」

「そうだけど、苗字で呼ぶってなんか距離感あんじゃん」

 かずらは肩をすくめた。ついさっきゴミ捨て場で出会った相手に距離 感も何もあるものか。

「何を勘違いしてるか知らないが、俺は別におまえとお友達になった訳 じゃないぞ」

 すると入子は無表情のまま、ほんの少しだけ俯いた。よく見てなけれ ば分からないくらい、少しだけ。

「別に友達になってなんて言ってないよ。あそこで会った仲間みたいに 思ってただけ」

 仲間? かずらは内心問い返した。

 あの『墓場』で電子レンジを集めている自分。同じ場所で『不要物』 を自称し、『一人かくれんぼ』をしていた入子。

 大きな共通点があるとは思えなかった。ただ『墓場』に居るだけで。 だが逆に、友達や仲間になるのに大層な共通点や目的意識が必要とも思 えなかった。

「かずらだよ。平仮名で、かずら」

 入子が視線を上げる。キッチンに立つ自分を、例によって無表情のま ま見詰めてくる。

「かずら、さん。オーケー、かずらさんね」

 とりわけ喜ぶ訳でもなく、お使いを頼まれた子供が品物を確認するよ うな口調で、入子は頷いた。

 夕方六時に児童への帰宅を促す町内放送が鳴るまで、二人は並んで電 子レンジ群を眺めていた。ぽつぽつと会話はしたが、実のあるものでは なかった。

「よい子は帰る時間だって言ってるぞ」

 かずらが横目で入子を見ながら言ったが、彼女は首を振った。

「私がよい子に見える?」

「でもいつまで居る気だよ。親御さんも心配するだろ」

 そういえば『墓場』で会ったのも本来授業をしているはずの時間だっ た。彼女は学校に行ってないのだろうか。

「親はね、私が居なくても気付かないの。お姉ちゃんとかリリ子の事は 過保護に面倒見るんだけど、私はスルーされてる。あ、リリ子って妹ね」

「スルーって何だよ。三人とも自分達の子供だろ」

「そうなんだけどね、なんか小さい頃から私だけ、親には見えてないみ たい。目に映っても、頭が私っていう存在を認識出来ないっていうか」

 またも事実を述べる口調で、入子は言う。

「だから『不要品』だなんて言うのか」

「違うよ」

 入子がからからと笑った。赤ん坊用のガラガラを控えめに振ったよう な笑い声だった。

「他人に必要とされてないから不要だなんて、私はそんな甘い事は考え てないよ。自分の価値を他人の評価で決めるのは子供がする事でしょ」

「俺から見ればおまえも子供だけどな」

「かずらさんだって、まだ二十歳でしょ? 子供だよ」

「話が逸れたけど、本当に帰らなくて平気なのか?」

「何か用事あるの? 私邪魔?」

 あくびを噛み殺しながら言う入子は恐らく、その辺に居る十三才とは 違う。かずらは直感的に思っていた。

「別に、する事も無いし、邪魔でもない」

「じゃあもうちょっと居るよ」

 そう言って入子は鞄から携帯電話を取り出した。

「親に連絡するのか?」

「違うって。忘れない内にかずらさんのメアドと番号聞いとこうと思っ て」

 入子は立ち上がると、十八番目からかずらの携帯を取り出した。  「勝手に何やってんだよ」

 かずらは携帯を取り戻そうとしたが、入子は既に赤外線通信で情報の交換を終えていた。そしてまた、十八番目に戻す。

「こんな所に放置してる人とはあんまり交信出来ないっぽけど、念のた め。まあどうせあそこに行けば会えるだろうけどね」

 何故か反抗する気も起きなかった。彼女が何故年齢不相応に落ち着い ているのか、あの眼に落ちる影は何なのか、彼女の自由にさせれば分か る気がしたからだ。 「かずらさん、大学行ってないって言ってたけど、何かあったの?」

 入子がかずらの隣に腰を下ろして尋ねてきた。

「何も無い。何も無いから行かないんだ」

「私と似たようなもんだね」

 かずらはちらりと入子の横顔を見る。

「私は不登校じゃなくてたまにサボる程度だけど、学校ってホント、マ ジで何も無いよね。他の人は違うみたいだけど」

「学校の連中も、おまえの存在を認識しないのか?」

「あー」

 入子は眉間に皺を寄せて唸る。

「大多数は、そうだね。でもちゃんと認識出来る人も居るよ。オトモダ チ気取りのがね。私そういうの大嫌い。あんなの友情じゃなくて馴れ合 いだよ。キモい」

「辛辣だな。じゃあおまえには友達は居ないのか」

「出来たらいいなって思ってはいるよ。私はそこまでの厭世家じゃない の。こう見えてもね」

「難しい言葉を知ってるんだな、厭世家、だなんて」

 皮肉ではなく、素直にそう言った。

「私、小さい頃から読書好きなんだ。小説だけじゃなくて詩集とか歴史 書とか何かの実用書とか雑誌とか、活字なら何でも。でもファッション 雑誌は嫌い。あんな画一化された人形達見ても何も面白くない。でも、 活字の海に埋まってる時は、必要不必要の二元論から逃げられる気がす る。とか言うと凄くロマンチストみたいだけど」

「いいと思うよ」

 かずらは言った。

「俺には何も無いからね」

「これがあるじゃん」

 入子は力強く言って電子レンジ群を指さした。

「こいつらとは同類なだけだからな」

 何となく、かずらは口にした。

「同類?」

「空っぽってこと」

 その後入子はそれがどういう事なのかしつこく追求してきたが、かず らは答えなかった。

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