第12話

『そうだ。お前は神の子だ、サラ』

 男とも女とも、老人とも子どもとも判別がつかない声が、サラの頭にひびきました。不思議なことに、サラは初めて聞くその声が神の声だとすんなりわかりました。

「神のお声が……!」

 同じ声は、アレクシスにも聴こえているようです。

『サラよ、我が炎の子よ。浄火をもって、悪を焼き尽くし、アレクシスと共に新たな時代を築く手助けとなりなさい』

 神の声を聞いて、アレクシスは顔を青くしました。

「そんな……我々は、神の御子を殺そうとしていたのか? 何ということを……」

「……わがままも大概になさいよ、神さま」

 サラは、神の声を払い除けるようにピシャリと言いました。言いながら、隠し扉に手をかざすと、頑丈なはずの扉が一気に燃え上がって、ぱたんと床に倒れて、そのまま灰となりました。

「あたしは、神の子なんかじゃありません。大工のハサンとその妻の子です。そして、恐れ多くも国王の妻で、神様の決めた運命になんか従ってやるものか、と陛下に戦を勧めました。悪魔の眷属だと思うなら、それでも構いやしませんよ」

『何を言う、この時のために、私はお前と国王を引き合わせ……』

 サラの耳に、もう神の言葉は届いていないようでした。いえ、本当は聞こえていたのですが、丸っきり無視を決め込んだのです。

 サラは、夫である王の元に向かって駆け寄ります。敵軍は、サラに思わず道を開けておりました。

「……サラ」

 一身に矢を受けて、血塗れの王は虫の息でした。それでも、ささやくような声を絞り出して、青い目で妻を見つめました。

 もはや力の入らない王の手を、サラは火傷だらけの手で握ります。

 王は、サラの目を最後に見ると、安心したようにそのまま目を閉じてしまいました。……王は、息を引き取りました。

「陛下……いや、嫌ですよ! 目を開けて! あたしには、あなたしかいないのに!」

 自分の涙で、サラの視界がぼうっと滲みます。王の白い顔に、ぽたぽたと雫が垂れています。サラは立ち尽くす敵軍をぐるりと睨めまわしました。火傷に覆われた醜い顔に、燃える炎のような瞳に、屈強な男たちが怯えました。

「よくも、あたしの夫を殺したな。アレクシス、蛮族ども。……それに、神様。みんなで寄ってたかって、あたしの王様を殺したんだ」

 王妃としては品の無い言葉と振る舞いでした。その分、夫の敵への恨みがひしひしと伝わってきて、男たちは震え上がりました。

 サラは、冷たくなった王に向き直ると、彼の耳に口を寄せてささやきました。

「陛下、ご安心ください。あなたの守ろうとしたものを、こいつらには指一本触れさせやしません」

 サラの手のひらに、炎がともりました。

 サラが念じただけで、一瞬で炎が王宮中に、王宮を超えて都に燃え広がりました。

 王を殺した敵、城内で砂と黄金の国の兵を民もろとも殺そうとしていた敵、城下で略奪や強姦を行なっていた敵。

 砂と黄金の国に侵入していた敵が皆、浄火に焼かれて断末魔の叫びをあげました。

 また、素晴らしい建築の王宮も、所蔵してあった数々の宝物も、前妃の霊廟も、残らず燃えていきました。

 サラには、神に殉じようとか、敵からこの国を守ろうとか、そう言った考えは一切ありませんでした。

 夫が守ろうとしたものを、誰にも穢されたくない。それだけのために、サラは浄火を奮いました。そうです、神の力を、サラはただ一人の男のためだけに使ったのです。

 神が怒っているのが、サラにはよくわかりました。サラは、その怒りを感じて、笑いました。

 ふと見ると、アレクシスが炎の中で呆然と立ち尽くしていました。サラは彼を見逃したつもりはありませんでした。本当に、アレクシスは神の加護を受けているようです。彼は自分の力では焼けないことが、サラには何故かわかってしまいました。

 ですから、サラはアレクシスに向かって叫びました。

「アレクシス! あなたが神の加護を受けているというなら、それでも良い! その力を使って自分の意のままに生きてみな! 傲慢な神様の言いなりになんか、なるんじゃないよ!」

 言いながら、サラは業火の中に飛び込みました。アレクシスが慌てて止めようとしましたが、熱風に煽られて近づくことができませんでした。

 笑いながら炎に包まれたサラの姿は、まさに悪魔のごとき凄まじさでした。アレクシスは何故だかそんなサラの姿から目が離せず、彼女の姿が見えなくなるまでその場から動くことができませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る