第5話

 療養期間を終えて、サラが王宮に連れられた日から約束の一ヶ月後。王の怪我はどうにか癒えて、婚礼は予定通りに行われました。

 白い上等な絹に、金の糸で見事な刺繍が施された婚礼衣装を纏った王の姿は、近寄ることさえ憚られるほどに、美しいものでした。まるで、地上に降り立った月のようです。一方、サラは体や顔を幾重ものヴェールで覆い、ほとんど顔が見えませんでした。もともと砂の国の女性の婚礼服は、肌がほとんど見えないようになってはいるのですが、それにしても衣装係の念の入れようは凄まじいものでした。万が一にも衣がずれて肌が見えることがないよう、ものすごい量のピンが留められ、生地も透けない素材のものを使われて。ここまで来るとサラもなんだか可笑しくなってしまって、思わず衣装の下で笑ってしまいました。

 大贅の招待客が王に挨拶しましたが、サラはただ黙って、じっと座っておりました。砂と黄金の国の結婚式では、女性はそうしているのが普通でしたから、サラがうんともすんとも言わなくても、誰も気にしませんでした。

 サラは長い時間ずっと微動だにせず座りっぱなしでしたので、すっかり身体が凝り固まって、くたびれてしまいました。

 婚礼が終わったその夜。同じ寝所で、王はサラに触れませんでした。お前は休んでいろ、と言ってそのまま自分は水煙草をふかす準備を始めました。

 寵愛は期待するなと言われていましたから、こうなることはサラには予想できていました。それに、とても疲れてしまいましたから、このまま眠ってしまえるなら、むしろありがたいことでした。しかし、サラはどうしても一つ王に訊ねたいことがあって、形式上、自分の夫となった麗しき王に思い切って訊ねました。

「陛下。ひとつ聞いてもいいですか。どうして、前のお妃様を殺してしまったんですか」

「……随分と率直に尋ねるのだな」

「あた……わたくしはずっと、王様は冷酷だから、お妃様を殺してしまったんだと思っていました。でも、クミンを助けて撫でてくれた陛下が、そんな人だとは思えなくなってしまって」

 このひと月の間、サラは手負いの王と共に過ごしました。彼の人となりを隣で見てきました。王は、感情の起伏が控え目な人ではありますが、決して冷徹な人間ではない、とサラは思っていました。国中に広がる噂話よりも、自分の目で見た王の姿を、サラは信じたいと思ったのです。

 サラの問いに、王はどう答えたものかと思案しているようでした。しかし、単刀直入なサラに対して、余計な小細工は不要だと思ったのでしょう。王は、ありのままを話そう、といって語り出しました。


 前妃、アイーシャは、王の幼馴染みでした。可憐で賢く、慎ましい彼女を王も幼い頃から愛しており、アイーシャもまた、王を慕っておりました。幼いながらも、この二人が王と王妃として国を治めるならば行末は安泰だろう、と家臣たちも皆思っておりました。二人の婚約は互いが生まれたときから定められており、五歳の時に結婚式を行ないました。アイーシャが十六歳の誕生日を迎えたら、正式に夫婦の契りを交わす約束になっていました。

 しかし、アイーシャは、あまりにも神に愛されすぎたのでしょうか。彼女の十六歳の誕生日を目前にして、突如、アイーシャを神嫁に差し出せと神託がくだったのです。

 神嫁に選ばれた娘は、山の奥にそびえ立つ、聖火の灯る塔に連れて行かれて、そこで一生を神に捧げて暮らします。そうなったら最後、世話役の女官を除く一切の人間と会うことは、死ぬまで許されません。神嫁に選ばれた恋人を連れ戻そうとした青年が、彼女と共に神の怒りにふれて焼死したという言い伝えもあります。しかし、神嫁に選ばれるのは非常に名誉なことですから、辞退するなどあり得ません。神嫁が更なる寵愛を受け、神の子を孕めば、男なら英雄、女なら強い力を持った巫女が産まれると言われています。

 神託に従ってアイーシャが塔に連れて行かれる前夜。二人は、誰にも知られぬように、神殿を抜け出しました。手を取り合って、国境を越えて逃げようと走りました。神託に逆らえば、どれほど恐ろしい罰がくだるかわかりません。それでも、二人は離れ離れになりたくない一心で、命をかけて逃げ出したのです。

 しかし、追手は程なくしてやってきました。このまま捕まれば、結局アイーシャは神嫁に差し出されておしまいです。アイーシャは最愛の人に頼みました。私はただ一人、あなただけのものです。神にさえ、この気持ちを踏みにじられることは我慢ならない。ここで永遠に、私を貴方のものにしてください、と。つまりは、彼の手によって殺されることを望んだのでした。王子の方は驚いて首を横に振りました。そんなことはできない、何とかみんなを説得して認めてもらおう、神嫁になっても、またいつか会えるかもしれない、と根拠のないことを言いながら、アイーシャを説得しようとしました。しかし、それを聞いたアイーシャは、「私を不実な女にするおつもりですか」と言ったかと思うと、王子の帯刀していた剣をあっという間に抜き取ってしまい、躊躇無く自分の首を掻き切ったのでした。

 追手が二人に追いついたときには既に遅く、そこには茫然自失とした若い王子と、首から真紅の血を流して地に倒れて死んでいるアイーシャの姿がありました。大人たちは大慌てでした。神嫁が神託に背いて逃げ出し、しかも戒律で固く禁じられている自殺を犯したなど、世間に知られたら大変なことになります。王族と家臣、神官たちは、事実を隠蔽し、王子の不興を買ったアイーシャ妃が、斬り殺されたということにしました。

 しかし、世間の目を欺くことはできても、神の眼は誤魔化すことはできません。神はこの事件に大いに怒りました。程なくして、王子とアイーシャの両親が相次いで病死し、急きょ王子が即位しましたが、新しい王自身も生死の境を彷徨いました。困り果てた神官長が、王の命を救うために、神に処女百人を火炙りにして捧げることで、ようやく神の怒りを鎮めることができたということです。

 こうして、王子は、妃を殺し、百人の乙女を殺した冷酷な王として、人々に恐れられるようになったのでした。


 壮絶な真実に、サラは暫し言葉を失いました。

 あまりにも、目の前の王が不憫でなりませんでした。

「……ひどい話」 

「そうだな。仮にも妻の寝物語に聴かせるような話ではなかった」

「そうじゃない……本当のことを隠して、陛下を暴君に仕立て上げた大人たちも、陛下の眼の前で死んだ前妃様も、そもそもそんな事態を招いた神様も……みんなみんな、ひどい奴らだ!」

 サラは、このひと月で身につけた礼儀作法も言葉遣いもかなぐり捨てて、歯噛みしました。

「ねえ、王様。せめてみんなに本当のことを言うわけにはいかないのかい」

「そんなことをしても、国民を混乱させるだけだ。良いんだ。私一人が堪えれば、それで治まるのだから」

 王の言いたいことはサラにもわかります。自分たちの王が、神の怒りを買った男であると国民が知れば、みんな治世に不安を覚えるでしょう。暴動だって起きるかもしれません。それならば、王一人が、残虐な男として恐れられていた方が、世は静かに治まるでしょう。

 それでも、サラは、彼一人だけが辛い思いをしてきたことが、それを皆が見て見ぬふりをしてきたことが、どうにも我慢なりません。

「私の脳裏には、今もなお、アイーシャの姿が焼き付いて離れない。だから、新しい妻がどのような姿であろうと、私は愛することができぬ」

 王の微笑は寂しく、美しいものでした。しかし、サラは、彼の瞳が自分を映していながら、その実、まったくサラのことなど目に入らずにいることに、この時初めて気がついたのです。それが、ひどく腹立たしく思いました。サラは、王の白い手をグイとつかんで、自分の頬に触らせて言いました。

「……あたしの肌、爛れているでしょう。声だって汚らしいでしょう。前のお妃様とは似ても似つかないでしょう」

 サラは自分でも気づかぬうちに、王の手を痛いほどに強く握っていました。炎のように燃える瞳で、食い入るように彼の青い瞳を見つめていました。

「あたしは、前妃の代わりになんかなれない。いいえ、なってやらない。あたしを見て。触って、感じて、声を聞いて。あなたの目の前にいるのは、アイーシャ様じゃない。あたしはサラ。泥水を啜って生きてきた、全身に火傷を負った醜い女よ」

 そう言って、サラは王の顎を乱暴に掴んで、彼の唇にがぶりと噛み付いたのでした。

「痛っ……何をする!」

 王の唇に真っ赤な血が滲みます。彼の白い肌に、紅色の血は恐ろしいほどによく映えました。それを見ると、サラは、高揚感と同時に、底知れぬ罪悪感を覚えて背筋がぞくりとしました。しかし、もうどうにでもなれという気持ちで、血が滲む彼の唇を貪るように、自分のそれを重ねたのでした。

 

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