7:見えざる敵 1

 目の前の敵影をにらむアイラの耳に、砂嵐の風のうなりに交じって、金属音と怒号とが届いた。

 戦っているのは恐らく、マルヤムとザナバク。ワルダート班では、剣を持っているのはあの二人だけだったはずだ。どうやら同時に多方向から襲撃されたのだと思いながら、アイラは、剣戟の音が思いのほか遠いことに気がついた。

 しまった、最初の攻撃を避けた拍子に班から外れてしまったらしい。

 いや、違う。わざと分断させたのだろう。

 ラクダに乗った敵影は、班に戻らせまいとするように、アイラたちの前に立ちはだかる。そしてユラリと槍をかかげ直した。

 砂の渦を貫いた日光が槍先に反射した――かと思うと、その光は稲妻のように突き出された。

「ぐっ――!」

 なんとか剣で跳ね返すも、アイラの唇を割って苦悶の声が漏れた。踏みしめにくい砂の上では体勢がすぐに崩れるし、ラクダの下からという位置関係の不利もある。無理な姿勢で槍を弾いて、掌から肩までビリビリとしびれる。

 本物の電撃を食らったみたい。

 しかし、条件を嘆いてばかりいられない。舌打ちのひとつもする暇があったら、反撃の機会をつかまなければ。後ろにかばったギュンツに槍を届かせるわけには行かないのだ。

 ギュンツは自分も短剣を抜き、しかし手を出せずにいるらしい。お荷物扱いするわけじゃないが、そのまま動かずにいてほしい。手綱を放してラクダに逃げられても困る。

 そうだ、ラクダ。アイラの頭にひらめきが走った。反撃のチャンスを作れるかもしれない! 思いつくが早いかアイラはマントを口に押し当て、すうっと深く息を吸った。

座れ、座れイー イー!」

 とがらせた声のその命令を、砂中の影は自分の乗るラクダ、アイラにとっての敵ラクダに命じたものと思ったようだ。

 もっとも戦闘用のラクダなら、敵の号令で座るような間抜けはしはない。続く光景は一瞬前と同じ。アイラの前には立ち姿のラクダ、その上で槍を持つ人影――にやりと、顔は見えないが、笑ったような気配を見せる砂中の影。

 追いつめられた子供のとっさの奇策が失敗したと見て、あからさまに手つきが勢いづく。

 猫を嚙みそこねた窮鼠を叩くほど面白い遊びはない。

 ——しかし残念。愉悦だろうが怒りだろうが、感情を前面に出しながら、冷静な相手を倒せはしない。

 徐々に後ろに下がっていたアイラのマントが、風にふくらんで何かにぶつかった。うずくまったラクダだ。座れという命令が無事届いたか、それともギュンツが気づいて手綱を引いてくれたのか。アイラは後ろに突き出した左手で鞍の取っ手をつかみ、勢いをつけて飛びまたがった。

 突然の乗客に驚いたラクダの鳴き声は、

「ヤアッ!」

 アイラの気合いを込めた声にかき消された。

 跳ね上げた剣が槍の柄を斬り飛ばす。敵影はいら立ったように棒切れと化した槍を砂塵に投げ捨て、しかし、剣を抜き放つ動きは途中で止まった。足元にいたはずの影が突然伸び上がり、自分と視線をそろえたことに驚いて。

 ラクダを立ち上がらせただけだが、ギュンツは砂色のラクダに砂色の覆い布を掛けている。砂に擬態したようなラクダの存在に気づくのにかかる一拍で。


 ドスッ


 アイラの剣がその胴を貫いた。

 砂袋を落とすような重い音は、耳でというより震動で感じられた。

「片づいたか?」

 マントを口に押し当て、荒れた息を整えるアイラに、ギュンツが下から問いかけてきた。アイラは剣を鞘に戻すと、ラクダの背から滑り降りた。

「そいつはね。あっちではまだ交戦中」

「あっち……ああ、ワルダートんとこの二人か」

「ワルダートさんを守りながら戦ってるはずだ。急いで助けに行きたいとこだけど……」

 言いながら、顔をしかめる。マルヤムとザナバクがいる方角は刃の光や鋭い金属音で、風音激しい砂嵐の中でもよく分かる。問題はそれが、やけに離れたところから聞こえることだ。

「まずいな。一人を相手取ってるうちに、列からどんどん離れちゃったみたいだ」

 アイラたちの後ろを歩いていた荷ラクダ連れの一団も姿がない。もっともこれはアイラたちの方が迷子なのであって、ラクダ使いたちは固まって避難しているのだろう。ルムスのようにパニックになっていなければ、の話だが。

「そうだ、ルムスさんは……」

 見回すが、どちらへ行ったかももう分からない。アイラは砂塵をにらんで唇を噛んだ。

 一方ギュンツはルムスの行方などハナから気にしていない。「ところでよ」といつもの調子で話を変えた。

「オレの数え間違いでなきゃ、ラクダが一匹足りなくねえか」

「ズームルッドのこと? ハジャルさんに貸しちゃったの」

 これも油断だったな、と今では思う。まさか砂嵐の中で敵襲があるなんて。

「じゃ、そこのラクダをいただくか? ちょうど乗り手がいなくなったとこだ」

「殺した相手のものを奪うのって君の中じゃマナーか何かなの?」

 説教したいところだが、今はそんな場合じゃない。

「略奪じゃなくても、知らない子をぶっつけで使うのは不安だな。それより……」

 言いながら、ギュンツが持つ手綱に目を向ける。そのつながる先に立つ、大きな影に。

「ギュンツ、ラクダに二人乗りできる?」


          ***


 砂嵐に巻かれた光景の向こうで、一組の男女が剣を振るっている。

 マルヤムとザナバクだ。背中合わせになった二人の間には、もう一人、ワルダートが守られて立っていた。

 低くうめいたのは、マルヤムの方か。アイラが一人を受け持ったことで数の不利はないものの、両側からの敵はどちらもラクダに乗っている。位置的な不利をくつがえせないまま、戦闘が長引いているようだった。

 よし、まずはマルヤムだ。

 アイラは女従者が相手取っている方のラクダに、

「――でええいっ!」

 自分の乗るラクダを、思い切り体当たりさせた。

「アイラさん!?」

「なっ、ラクダ!? 一体どこから……!」

 正確に言うなら、手綱を持つのは前に座ったギュンツだ。ギュンツは豪快なやり方が気に入ったらしく、乾いた激突音に特有のかすれた笑い声が交ざった。

 楽しそうで何よりだけど、もうちょっと肩を丸めてくれないか。

 前に座る背中を少し邪魔に思いながらも、アイラは右下からの袈裟斬りで、驚いている敵影にとどめを刺した。さて次は――。

「アイラさんか!」

 叫んだ声はザナバクだ。振り返れば大きな影と、それに立ち向かう一回り小さな影がある。

「どうするよ、デカブツにぶつけるか?」

「それじゃザナバクさん轢いちゃうよ。真横を駆け抜けて」

 つまんねえな、と笑いながらギュンツが手綱を操る。合図に応じてラクダが砂を蹴り、アイラは敵が真横に来たタイミングで剣を一閃した。砂を貫く断末魔が上がる。

「お見事」

 賞賛に応える代わりに、アイラは剣を空中で一振りした。しかし砂嵐の中では刃に砂がまとわりつくばかりで、血振るいにならなかった。

 砂嵐の未だ晴れない中、ラクダの首を回して一旦通り過ぎた場所へ戻った二人は、ザナバクの声に迎えられた。

「アイラさん、よくご無事で!」

 砂塵に隠れていなければ、目をまんまるにした顔が拝めただろう。声にひっくり返りそうな驚きがこもっている。

「後方の争いが決着したのは音で分かりましたが、てっきりあなたが死んだものと」

「ザナバク!」

 マルヤムの声が焦ったように叫ぶ。もうひとつの人影、ワルダートもコホンと咳払いした。

 その三人の他、さらに四人ほどの気配が近くにある。戦いを遠巻きにしていたラクダ使いたちが、ひと段落ついた気配を察知して合流したらしい。はぐれたわけじゃなくてよかった、と胸をなで下ろすアイラに、ラクダから下りるよう手を差し出しながら、マルヤムが言った。

「お見事です、アイラさん。それにしても、ろくに見えぬ中よくこのように素早く……」

 ザナバクをたしなめはしたものの、マルヤムも驚いているらしい。

「死体を確認しましたが、傷は正確に急所をえぐっていました。敵の姿が見えていなければこうは行かないでしょう」

 それも、あなたのような子供が——。

 と、続くかと思いきや、マルヤムの言葉はそれで全部だった。言外に含めたようなトーンでもない。他意はなく、ただ視界の不備を乗り切ったことに驚いているものらしい。

 見た目であなどり、実力を怪しんでいるのか、なんていうのはアイラの邪推だったようだ。

 少し性格が悪くなっていた。あの護衛団長のせいだと思う。

「人影が全然見えないわけではないですから。槍が光るのも目印になるし、風下に回れればもっといい。ぶつかってくる砂が弱まるのは、そこに障害物があるからです」

 邪推のお詫びに、なんてこっそり考えながら説明する。それを聞いてマルヤムは考え深げに黙り込み、ザナバクは感心したようにうなずいた。

「風がヒントになるのか。では分かりますか? 敵がまだ潜んでいるかどうか」

「いいえ……この風の中じゃ、遠くの気配まではとても」

 アイラは予想外の期待に首をすくめた。砂嵐の中じゃ、人が立てる息遣いも衣連れの音も風の一部になっている。隠れていても気づけない。

 それでも何かの兆候がないかと見回してみる。何も見えない――と、思った束の間。

 針先ほどの小さな光が闇の向こうに浮かんだ。


「全員伏せて!」


 アイラが叫ぶが早いか、一本の矢が風の勢いに乗って飛んで来た。砂を揺るがす絶叫がそれに続いた。

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