5:熱砂病 2

「こっちです!」

 そう叫ぶアイラの先導に従ったのは四人だった。隊商全体が移動するのは時間がかかるためだ。真っ先にワルダートがラクダにまたがった。

「護衛団からは一人でいいわ。あとは私の従者を連れて行くから。ああマルヤムは残りなさい。ザナバク!」

「はい!」

 ワルダートの指名に応じたのは、二人いる従者のうち男の方だ。目のふちに濃く色墨を塗り、頬には赤い顔料で花の描写を施している。

 派手な風貌が嫌味でないのは、元が上品な顔立ちだからだろう。しかし今は、その上品さを台無しにする怖い顔でアイラをにらんでいる。

 アイラが盗賊か何かだと、まだ疑っているらしい。妙な動きを見せたら叩き切るぞ――走るラクダの上でなければ、そう怒鳴りつけられていただろう。

「ザナバク君。そうピリピリしちゃラクダが怯えるんじゃないかな」

 眉を下げて苦笑するのは、指示を待たずについてきたハジャルだ。副隊商長まで留守にするのでは困るわ、とワルダートが小言を言う。

 乗るためのラクダを連れていなかった三人は、護衛団のラクダを借りてきていた。そろいの鞍にもついてきた一人の団服にも、ワシの紋章があしらわれている。四人とも砂漠旅には慣れているらしく、ギュンツの待つ地点まで駆け戻るのに長い時間かからなかった。

「ギュンツ!」

 穴にかぶせた幕の横にギュンツのラクダが待っている。砂を蹴って駆け寄ったアイラが幕をめくると、ギュンツはローブにくるまって横になっていた。

「……戻ったかよ」

 かすれた声で言い、目を閉じる。再び気を失ったらしい。続いて穴をのぞき込んだワルダートが、症状を確認して眉根を寄せた。

「顔色が悪い。詰まったような呼吸……典型的な熱砂病ね。この子、あなたの弟さん?」

「いえ、私は雇われた案内人で……」

「案内人ですって?」

 ワルダートの黒い目がギラっと光り、アイラをにらんだ。

「じゃああなた、砂漠旅には詳しいのね? 砂漠の危険もよく知っていて、警告するのもあなたの仕事だってことね?」

「は、はい」

「はいじゃないわよ!」

 砂漠に雷が落ちたようだった。盗賊の集団を前にしてもひるまないアイラだが、ワルダートの怒気をまともに食らって思わず後ずさる。

「まあ姉弟ではないとは思ったわ。でも何か事情があっての二人旅なら、こうなることもあるかもしれないわよね。それが……雇われた案内人?」

「な、何か?」

「この子、セレナの人でしょう?」

 アイラは戸惑いながらもうなずく。

「それを分かっていながらこのありさまなの? セレナには砂漠がほとんどない、砂漠の旅に慣れてないの。だから彼、あなたを雇ったんでしょう! それを熱砂病で倒れさせるなんて、自覚が足りてないんじゃない?」

「で、でも熱砂病なんて、子供がかかるものですよね」

 アイラも砂漠で倒れたことがある。でもそれだって、七歳のときが最後だ。それくらいの子供が相手なら、きちんと警告したはずだ。

 言葉を返すアイラの態度を子供っぽく感じたのか、ワルダートはさとすような口調になった。

「どうして大人は熱砂病にならないと思う?」

「それは……大人になると、砂を吸い込まないからなんじゃ」

 熱砂病は、砂の吸いすぎで起こるもの。それは砂漠の民にとって常識だ。

「それがどうしてかって言ってるの、らちが明かないわね。いい? 砂漠で生活する人は、砂を吸わない呼吸法を自然と身につけていくものなの。口の開け方ひとつにまで砂漠の人特有の癖がある。セレナの人がその呼吸法を知っているわけがないでしょう。あなたが教えるべきだったのよ」

 指摘されて思い返せば、アイラが考えるまでもなく気をつけていることに、ギュンツが頓着していないことは何度かあった。

 ハッとするアイラに、ワルダートが厳しく言う。

「あなたそんな甘ったれた仕事ぶりでお金をもらっているっていうの? 全額返金すべきだわ!」

「……っ!」

 甘ったれた……甘ったれた仕事ぶり。

 アイラは言い返そうとして、何も言葉が出てこなかった。

 理不尽な罵詈雑言ならいくらでも跳ねのけられるが、ワルダートの言葉は身動きも許さないほど深く胸に突き刺さって抜けない。当然だ。何ひとつ間違ったことは言っていないのだから。

(私は砂漠の子だから、砂漠に詳しいから雇われて――)

 砂漠に慣れていることは、自分の強みだと思っていた。

 だけどギュンツが倒れたのは、アイラが砂漠に慣れすぎていたから?

「ザナバク、残りの者たちを呼んで来てちょうだい。予定外だけど、ここで休憩とするわ」

 ザナバクが声高く返事をしてラクダに飛び乗る。アイラはそれを肩を落として見送る。

 ハジャルに励まされ、天幕の柱を立てながらも、暗い気持ちは消えなかった。


          ***


 やがて集まってきた人々は天幕を建て、ラクダの荷を下ろして休ませた。

 何十人もがめいめいの天幕を建てる作業は、幕越しに聞いていても大騒ぎだったが、済んでしまえば静かなものだ。人々の息づく気配や衣擦れの音は聞こえてくるが、起きて動いている人はほとんどいない。暑い昼の最中だからと、ワルダートとハジャルの指示で休んでいるらしい。

 指示を出した二人は今、天幕の群れの中央に建てられた豪奢な一張りにいる。

 そうアイラに教えたのは、ワルダートの女従者、マルヤムだ。

「お休みになる天幕とは別に、お食事のための天幕があるのです。先ほどザナバクが茶器を届けに行ったのですが……やれ、あいつめ、いつまで経っても戻ってこないな」

 果物を小さなナイフで器用にむきながら、マルヤムが吊り眉をさらに吊り上げた。

 ワルダートがアイラを客人として扱うよう言ったのだろう。マルヤムは「先ほどは失礼な態度を」と短く詫び、口調も丁寧なものにしていた。簡素な物言いは相変わらずだが、悪意は感じない。次々果物を裸にしていくテキパキした所作と同じ種類の小気味よさがある。

 大量の荷物が隅の方に積まれた従者用の天幕は、従者用といってもアイラたちの天幕より数段立派だ。幕と砂地の接点にはずっしりしたクッションが敷き詰められ、砂の侵入を防いでいる。あぐらを組んだ膝の下には分厚い絨毯。病人を寝かせるにはこちらの方がよいだろうと招かれたのだが、こんな豪華な天幕に入ったことのないアイラは、少なくとも一分に一度せわしなく見回すありさまだった。

 手持無沙汰をごまかそうと果物をむくのを手伝っているが、そわそわするあまりナイフの扱いも危なっかしい。

「アイラさん。手伝いはもういいので休んでいてください」

 そううながされてしまうのも無理のないことだ。アイラは自分の手元を複雑な表情で眺めた。

 棘のある分厚い皮をむこうとすると、柔らかな実までえぐってしまい、すでにいくつも表面がガタガタの残骸を生み出している。これ以上仕事の邪魔をする前に、大人しくナイフを返すべきだろう。

(手元で細かい作業をするのは、剣で敵を斬るのとはわけが違うんだ)

 心の中でぼやいたところで、マルヤムも剣を持っていたなと思い出す。それじゃあ言い訳にもならない。

 マルヤムはアイラより五、六歳年上だろうか。砂漠では鯉口を切ってアイラに迫り、天幕では見事な手際で果物をむく。多忙だろうに疲れも感じさせないこざっぱりとした姿で、身だしなみにも気を遣っていると分かる。ひきかえ、自分は……。

 ひっそりとはい上がってくる劣等感に、アイラはため息を押さえておさげに指を絡め、

「申し上げますが、顔に手を近づけるときはナイフを置いた方が賢明です」

「そ、そうですね!」

 子供みたいなことを注意されてしまった。顔を赤くしてナイフを置くと、金属の盆に刃がぶつかってガチャンとやかましい音を立てた。

 やっちゃった、と思ったところで、ざくざくと砂を踏む大股の足音が引き続き静寂をかき乱した。なんとなく救われた気分になりながら、誰だろう、と顔を上げる。

「マルヤム、水タバコはここにあるか。ワルダート様たちがご所望だ」

 天幕の入り口をまくり上げ、背の高い人影が顔をのぞかせた――かと思うと、ザナバクは、アイラと目が合ってギョッと顔をひきつらせた。

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