3:旅の道連れ 1
「壮観だなぁ」
ラクダの上から見回して、ギュンツが言った。
青白い肌にローブのフードが黒く影を落としている。薄青の目を眩しげに細めて眺めるのは、晴れ渡る青空でも、地平線に揺らめく蜃気楼でもない。砂漠を赤く濡らす死体の海だ。
「また、
アイラはベルトに下げた布で剣をぬぐい、自分もその光景に目を落とした。敵の剣が背後のギュンツに届かないように戦った結果、血の海は、アイラを要とした綺麗な扇形を描いている。
砂漠のこの近辺には奇妙な形の岩が乱立している。その岩陰のいくつかからラクダに乗った盗賊たちがわき出してきたのは、太陽が昇り切ったいちばん暑い時間帯だった。
ただの盗賊ではない。術で操られた傀儡だ。
三日前、廃城で戦ったときと同じぎこちない動き。動く
しかし、だからこそ、アイラの気持ちは重く沈んでいる。
「いや、アイラをなめてるわけじゃないと思うぜ?」
「まだ何も言ってないんだけど!?」
不機嫌の理由を言い当てられて、八つ当たりだとは思いながらもつい口調がきつくなる。そんな自分にも嫌気がさして、アイラは肩に垂らしたおさげに指を絡めた。
「なぐさめてくれなくっていいよ。私、こんな見た目だから、なめられるのには慣れてるんだ。敵が私を見くびって、刺客を減らしてくれるなら、そんなラッキーなこともないでしょ」
「なーんで、オレがおまえをなぐさめなきゃならない。そんな親切心、あいにく持ち合わせてねえよ」
ラクダのズームルッドに命じ、死体を避けて進み始めるアイラを、肩をすくめてギュンツが追う。砂上の足跡は二頭分では終わらず、乗り手を失ったラクダたちの何頭かも二頭につられてついてきた。鳴き交わす群れを横目に見ながらギュンツは話を続けた。
「傀儡を差し向けた奴だって、何も考えてないわけじゃない。例えば戦場に選んだ場所だ」
「砂漠の真ん中だってこと?」
「城の狭い階段と違って、利用できるもののない開けた場所なら、人数差を存分に活かせるだろ」
「確かにこの辺りの岩は崩れやすくて、防壁としては役立たずだったけど」
目の前の背の高い岩を見て、アイラは言った。
立ち止まったのは、岩の後ろからしきりに鳴き声が聞こえるのが気になったからだ。のぞき込むとそこには、五、六頭のラクダが並んで座っていた。
これは、盗賊たちの隠れていた岩のひとつだったはず。戦闘には使わない荷運び用のラクダを、日陰で待たせておいたらしい。
アイラはズームルッドをしゃがませて、足をしばられて立ち上がれずにいるラクダたちのそばに下り立った。
「――その人数だって、前より少なかったじゃない」
「厳選したんだろ。少なくなってた分、一人一人のガタイがデカかった。わざわざ体格のいい奴を選んで術を掛けたわけだ。……まあ、意味なかったけどな」
「当然だよ」
ラクダたちの足縄を切ってやりながら、吐き捨てる。
体格差なんて今さら問題にもならない。体が小さくて細い方が不利だって、みんな、思うようだけど。
「そんなふうに腹を立てずに済む方法、教えてやろうか?」
いつの間にか、ギュンツもラクダから下りていた。涼しい日陰に足を踏み入れフードを外せば、縫い目にたまっていた砂が乾いた音を立てて落ちる。
「何それ?」
「簡単だよ。依頼待ちの用心棒なんかやめて、盗賊になりゃあいいんだ」
「はあ!? 何、冗談言ってるのさ!」
大きな声に驚いてか、三々五々散っていく盗賊のラクダたち。そのひづめが立てる砂ぼこりの向こうから、ククッとかすれた笑い声が聞こえた。
「だって、なめられたくないんだろ? 相手をぶん殴って黙らせたらダメな場所にいるから、どちらが強いか、いつまで経っても、誰にも分かりゃしないんだ。盗賊は楽だぜ。誰にも認めてもらう必要がない。殺して奪えばそれが資格になる。アイラの腕なら十分に――」
「それ以上言ったら侮辱と受け取るよ」
アイラは縄を切る手を止め、ギュンツをにらみ上げた。
「私が、盗賊に? 冗談にしたって趣味が悪い」
「……ふうん? 盗賊に親でも殺された口ぶりだな」
砂ぼこりが落ち着いて、現れたギュンツの顔からは、真意を読み取ることはできなかった。なにせいつもふざけた態度で、薄く笑っているのだから。その顔が、少しは神妙になるかと思って、
「そうだよ」
アイラは言った。
握り込んだ拳を開く。ナイフの装飾が掌に食い込み、赤く痕になっていた。
「私の一族は、砂漠を旅する隊商だったんだ。だけど八年前、盗賊に襲われて、みんな死んじゃった」
思い出せば、今でも胸が苦しくなる。
あのときは、無力な少女だった。両親の悲鳴、仲間たちの混乱を聞きながら、盗賊たちに見つからないよう荷物に隠れることしかできなかった。
親しい人の声が途切れた瞬間を覚えている。
こぼれて止まらない涙に溺れそうだった。
それでも
どうなるもこうなるも、殺されるに決まっているわけで、アイラの人生がたった八年で終わらずに持ちこたえたのは、途中で声をかけて来た者たちのおかげだった。
『そこの隊商、止まれ』
岩のように固く、まじめな声だった。
『これはこれは、お役人さん――』
隊商に
『では、ないな?
『俺たちは〈砂漠の戦士団〉ってもんだ。名前くらいは知ってるだろ?』
先ほどとは別の声が言った。日の差すような、明るい声だ。
『ああ、最近小うるさいあの集団か。ヒーロー気取りのガキどもが、吾輩に何の用ですかな?』
『ヒーロー気取りじゃなくて、ヒーローなんだ』
目の前を光がよぎるような鋭い音。
そのときのアイラはまだ知らなかった。それが、剣を鞘から引き抜く音だと。
『とある盗賊の討伐依頼を受けてね。あんたを探してたのさ、黒豹団の団長さんよ?』
そこからは、あっという間だった。
荷物からはい出したアイラは、夕焼けと血に濡れた砂漠に立つ二人の戦士の背中を見た。そして安心した拍子に、声を上げて泣き出したのだった。
それが、アイラと〈戦士団〉との出会いだった。その二人が団長のヤティム、そして副団長のラキアだと知ったのは、それからすぐのことだ。
あの日見た背中を思い出せば、アイラの思いは、今ここにいる自分のことにおよぶ。
今の自分は、あの日の憧れに少しでも近づけているだろうか。弱く善良な人々を守る、誇りある戦士に。
「んだよ、人の顔をじろじろ見て」
目の前にいるのは、生意気で自分勝手な泥棒少年で、アイラが思い描いていた『弱く善良な人々』とは百八十度違うのだけど。
「……何でもないよ!」
この子に人間らしい共感を求めたことが間違いだった。話をちゃんと聞いていたかも怪しいものだ。アイラはいら立ちをおさえられないまま、最後の一頭の足縄にナイフの刃をかけた。
鞍の両側にくくられているのは水樽か、絶えずたぷんたぷんと音がする。重そうなその荷物も下ろしてやろうと、手をそえたときだった。
「おーっと、その子の鞍は外さないでもらえるかな?」
頭上から、声。
「え、だ、誰――?」
「ははっ、ゴメンゴメン! 驚かせちゃったね」
見上げると、岩のてっぺんに人が座っていた。逆光で顔が隠れていたが、二束の長い髪がたなびくのが見えた。ほっそりしたシルエットからも、女性――少女だということが分かる。
ネコ科の動物のようなしなやかさで飛び下りると、巻き上がる砂を背に負い、少女は八重歯を見せて笑った。
「あたしはジャマシュ。旅の酒売りさ」
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