幕間
第6話 異星人撃退後、新たな陰謀、弱い己を支えてくれる人がいる生活
登場人物
―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士。
―ダン・バー・カデオ…かつてサイゴンで共に戦った元南ヴェトナムの精鋭兵士、ケインの友人。
―ナイリア…ケインを導いた人ならざる女。
一九七五年、五月:ニューヨーク州、マンハッタン、セントラル・パーク
セントラル・パークはいつの間にかケインのお気に入りの場所となっていた。
ここにいると心が落ち着き、未来のヴィジョンが暗い先行きの中から顔を覗かせているかのような気がした。
楽観視する事こそなかったが、ケインは既に前向きな人生の軌道へと乗り、くよくよと取り戻せない過去を悔いるのではなく今何が可能で、どのような過去の埋め合わせが可能なのかを考えた。
あの独立記念日の朝座ったベンチに座って公園内の人々を眺め、聞こえる多様な言語を環境音楽とした。
「とんでもない都会だけど、ここはなんだか落ち着くね」
隣にはカデオがおり、彼はケインと共に少し明るい色の長袖長ズボンの運動着を纏って陽気そうに微笑んだ。
「ここでも事件が起きる事はあるが、それでもここはいい場所だよ」
だからこそ守っていかねばならない、とケインは付け加えた。近くにいる家族が柔らかい野球ボールを使って遊んでいるのが見え、子供が飛んで来たボールの高度を見誤り、無理して慌てて獲ろうとしたため広がる芝生に転倒した。
異星人の侵略事件から二週間が経ち、人々の精力的な復興活動によって瓦礫や遺体が撤去され、かつての平和だった頃のNYCが戻ってきたように思われた。
それでもまだ修復されていない箇所に残った激しい戦いの爪痕を見ると、人々は思い思いにあの日の悲劇について思案した。
実を言うとカデオはケインが思っていた以上にショックを受けたらしく、それを聞いた時ケインは彼もまた壮絶な人生を送っているのだという事を思い出し、そして心がずきりと痛んだ。
己の不幸ならば適当に笑い飛ばせばよいが、他人の不幸はそういうわけにもいかない。
彼には他人の不幸を喜ぶ趣味は無く、強いて言えば悪人の野望や計画が頓挫する事には暗い喜びを見出しているとは言えた。
それを病気だと呼ぶ人もいるであろうが、それはそれとしてケインは人々が危険に晒された時は身の危険も顧みずにヒーローとして振る舞うであろう。
カデオは南ヴェトナムの敗戦が濃厚となったここ数年も必死に戦い抜いていたが、まだ若いお前は逃げろという強い説得を同志達から受けていた。
半年に渡る説得の末にカデオも己の価値を認め、かつての南ヴェトナムを知る生き証人として国外へと脱出し、アメリカに辿り着いた日がちょうど『リターン・トゥ・センダー事件』の当日であった。
得体の知れない怪人が華々しい新天地たるニューヨークを蹂躙せしめる光景は、あえて故郷での事を胸の奥深くに収納する事で前向きに生きようと考えていた彼に深いショックを与えた。
これでは激戦に見舞われた故郷の地と変わらぬではないか。怯えて逃げ惑う人々、見た事も無い武器で殺傷されて道端に倒れる人々の苦悶と絶望、助けを求めてひたすらパニックを起こす子供。その全てが地獄めいたヴェトナム戦争の光景を思い出させた。
そして、事件からそう経たぬ間にアメリカを震撼させた一連の邪教事件が起き、最終的には先日の異星人侵略事件が引き起こされたのであった。
更にはそのすぐ後、予感していた事が起きた――サイゴン陥落。カデオはアメリカが南を見捨てた事を恨んでいないと言えば嘘であったが、一連の大事件については同情的な目で見ている部分もあった。
かつて大勢を誇った国が、己の故郷から脱出するフリークエント・ウィンド作戦の話を耳にし、苛立ちながらも一つの時代が終わるのを感じた。
帰還兵の苦悩と本国での凄惨な事件、これらによってアメリカもアメリカなりに苦しんでいるのだという事を思い、カデオはいつ戻れるかもわからない故郷の事を一端脇に置き、己がこれからどうするかを考えた。
「なあ、覚えてるか? 俺があんたの相棒になるかもって話をあの事件の時にしたよな」
「ああ。行く宛が無いならネイバーフッズのホームベースはどうだろう? まだ話してないが君の事も歓迎してくれると思うんだが」
カデオは少し恥ずかしそうにした。
「俺なんかが行っても大丈夫かな」
「大丈夫さ。君は既に勇気を示し、不屈の闘志を見せてくれた。それにヒーローという奴は人手がまだまだ足りないぐらいなんだ」
ケインはカデオが謙遜していると思ってそう言ったが、彼は己の所属するヒーローチームの存在感がいかに大きいかを見誤っていた。
まだ結成から日が浅いにも関わらずある種のスター性があり、そして何より尊敬されていた。そのようなチームに加わるのだから、やはり気が引ける事もあるであろう。
濃厚な芝生の匂いがし、新緑がこの壮麗な世界都市の中心で青々と育っていた。近くの舗装された道を自転車の大学生が通り、ピクニックでもしに来たと思わしき家族連れも見えた。
この中にもあの事件に巻き込まれた人々が多くいるであろうし、そして大切な人物を喪った人々も多かろう。
それを思えば心が痛んだし、あるいは運が悪ければそれは己かも知れなかった――己に残された数少ない大切な要素が永遠に喪失されていた可能性もあった。
だがそうはならなかったのであるから、己のすべき事はただ悲しむ事ではなく、今後も秩序を保ち続けるべく奮闘する事なのだ。そこでふとケインは、後で聞いた謎の超人兵士部隊の話を思い出した。
「そういえばカデオ、あの事件の時だが」
カデオはおいおいと肩を竦めた。
「どっちの事件だい?」
「四月末の方だ。あの時街に私のような超人的兵士達がいたという話だが、一体それはなんだったんだろう?」
するとカデオは彼らしい陽気さを一瞬で消し、戦いの際と同じ鋭い表情を見せた。
「あれから自分でも調べてみたんだ。この国じゃ俺は新参だし苦労はしたが…どうやらあれはあんたと同じように飛び跳ねるような動きが可能で、猛然と走りながらでも正確に銃撃ができる。連携だって常人のそれじゃないって話だ。そんな連中を作れる奴に心当たりは?」
ケインは鋭い目で前方を見据えた。実際にはどこも見ておらず、頭の中であの男の事を考えていた。
「一人知っている。他にもいるかも知れないが、コンセプトが私と似ているからな。私を改造した男だろう」
「そんな気がしたよ。そいつは誰で、どこにいるんだ?」
「マット・ギャリソン、ニューメキシコの田舎にある研究所に勤務している、胡散臭い男だ。奴め、私しか実験台がいないと言っていたが…そうか、そういう事か!」
ケインは一人で合点し、カデオは何の話だと説明を求めた。遠くから轟々というジャンボ・ジェット機の飛ぶ音が流れてきた。
「ギャリソンは六八年のテト攻勢でサイゴンに来ていた。あの日は北の攻撃だけじゃなくて、ソ連の超人兵士とフランス訛りの超人兵士に遭遇したが、連中の熾烈な狩りを生き延びた『存在しない部隊』のメンバーは私だけだ。そこまで恐ろしい攻撃の最中、あの戦場に似合わない老人が、例え護衛がいたとしても生き延びられるはずがない」
ケインはそこで一端話を区切り、カデオが理解する時間を与えた。一連の話を整理したカデオは、ふとある考えに至った。
「あんたの言う通り、普通の護衛じゃ確かにそこまでヤバい連中から護衛対象を守るのは無理だな」カデオはあの激戦に自分の知らない思惑が絡んでいた事に言いようのない嫌悪感を抱いた。「だが普通じゃないとしたら」
「そうだ、もしも私と平行して他の実験体でテストをしていたとしたら。逃げ延びられたのは実験体の超人兵士が護衛だったからだとしたら…」
「だけどさ、そのギャリソンって奴もこの国を守るつもりでそういう研究をしてたんじゃないか? そりゃ、どうせ非人道的云々な研究なんだろうけどさ」
ケインは『非人道的云々』でアメリカが作り上げたオレンジやブルーやホワイトのエージェント達の話を思い出し、胸が詰まりそうになった。
生き証人たる己はそれらアメリカの歴史を背負わねばならぬという自負の元に彼は立っていた。
そうした歴史的事実が存在するのと同様、家族から離れて遠い東南アジアで激戦を繰り広げた戦友達もまた事実であるから、とにかくまず重要なのは生きて――。
「ケイン? おい、どうかしたのか?」
カデオの声で思案の海から水揚げされたケインははっとして周囲に注意を配った。どこか憂いを帯びながらも人々は平和を謳歌している。
形はどうであれ、そうした平和を享受できる立場にあるのであれば、それを受け止めて守ってゆかねばならない。
「はぁ、まあそれよりさ。思ったんだけどやっぱギャリソンって野郎の計画ってそんなに危険なのか?」
「どうだろうか…奴が何をするつもりなのかわからないからな」
「何をって…そりゃ自分トコの軍事力を強くしたいんだろ? んでどっかの敵国が踏み潰される代わりに自国が益を得られるんだろうさ」
「ああ、だが奴はどうにも信用できない。ただ軍事力を伸ばすだけとは思えない」
ヴェトナム人はアメリカ人の大男が何を根拠にその科学者を疑っているのかが理解できなかった。
「証拠でもあるのかい?」
「いや、奴の目を見てそう思った。奴は自分の肉体さえ実験対象にしたらしく、目は暗視仕様に改造されていた。瞳の形が何か奇妙で、多分私の暗視手術よりもまだ技術が洗練されていなかったんだろう。いずれにしても、あの男は怪しいな」
それを聞いてカデオはおいおいと呆れた。何を根拠にここまで己の友は意地になっているのかと思いつつも、心のどこかではそれが正しいかも知れないと考えた。
空を少し陰らせていた雲の塊が退き、強い日光が降り注ぎ始めた。
一九七五年、八月深夜:ニューヨーク州、マンハッタン、イースト・ヴィレッジ
ぼたぼたと雨がそこらにぶつかる音が響き、煩くて眠れない事はないにしても酷い雨であった。今頃仕事で外に出なければならない者の事を思うと同情させられた。
ベッドから起き上がって腰掛け、寝る前にパンツだけ履いていたのを思い出して白いシャツを着た。飲みかけの余ったビールを近くの小さなテーブルから取るために立ち上がり、それを取ってベッドに再び腰掛けた際に後ろから囁くように声が掛かった。
「また飲むのか?」
暫定的にナイリアと名乗った例の神だか天使だかの女は布団を抱き寄せてそれを仮のドレスとし、それからケインの右肩に己の顎を置きながら後ろから抱擁した。
ケインは瓶を持った左手を降ろして右手で彼女の回された手に触れ、肯定するように唸った。
ケインの白い肌が闇の中でぼうっと浮かび、ナイリアの黒い肌は闇の中で鈍く輝いていた。
「雨が酷いな」
「明日も明後日もこの調子らしい。君が尊厳を取り戻すための戦いに挑むのに適した天候ではなさそうだ」
ケインは笑いながら囁いた。
「心配しなくても、ヴェトナムじゃ泥水の中を泳いで蛭と一緒に夕飯を食べたものさ」
いつの間にか彼女は彼を支える、否、彼と共に歩んでくれる存在となっていた。
その正体を深く詮索するでもなく、彼は彼女が半ばアウトサイダーである己とこうして親しくしてくれる事をとても喜んでいた。
とは言え彼女との関係は誰にも話しておらず、どこかいけいない事をしているような気がした。彼は知る由もなかったが、この時代はまだ大らかで人々の間の『有名人の日常監視』の機運はまだ希薄であった事を後々になって知る事となる。
いずれにしても今は充足感があった。言い訳しながら周りに流されて性を金で買うのではなく、互いに好意を寄せ合う相手と性愛を交わす。
ケインはふと、あれから特に進展も無いギャリソンの件を考えていた。
ギャリソンは己の計画を世間にそれとなく公表しており、まず軍の重傷者に任意で、そしてその後は志願者に投薬で改造を行なったと述べた。
無名であった彼の名は高まり、多くの批判とそれ以上の賞賛とをもってして迎えられた。
ヴェトナム戦争によって広がった厭戦ムードと戦後のいざこざがあったにも関わらず、世間は『リターン・トゥ・センダー事件』と『アタック・フロム・ジ・アンノウン・リージョン事件』――ジョージが勤める『ワンダフル・ピープル紙』の発案であった――という短い間に起きた悲劇によってより安全を求めるようになった。
そのため反戦機運と同規模かそれを超える軍事力への渇望が人々に蔓延り、今後同様の事件が起きる事を防ぐか、あるいはもし起きてしまった場合は被害最小限に解決してくれる事を国に求めていた。
公開されている情報に関して言えば進展があったものの、ギャリソンの真意とやらは未だにわかっていなかった。そして皮肉にも、世間は大事件を経験した事によって『ワークショップ計画』への期待を募らせたのであった。
「どうした?」
どこかジャマイカ的な美しい女――あるいはそのような姿をとる人ならざる実体――はケインの表情を見て尋ねた。
「『ワークショップ計画』について気になっている。ギャリソンが本当に評判通りの男なのか。私は奴と一緒に何度も話したが…とは言え、所詮私の抱く疑いだってただの勘でしかないが」
「そうかね? だが勘というものは古来より多くの成功を生んだ。それは常に成功したわけではないにしても、決して無意味で無価値なものではない。君達人間が持つ素晴らしい能力だ。それに案外相手の纏う空気や表情などで何かよからぬものを察知できるものだ。よく言うだろう? ベテランの刑事は相手を見れば怪しい者かどうかがわかると。そうでなかろうと、見るからに怪しい、挙動不審、そのような者を見れば人々は怪しむ」
つまり私が言いたいのは、とナイリアは背後から回り込んでケインの膝の上へと滑り込んでそこに座った。ケインもまた自然な流れで彼女を抱き止め、それに満足した彼女は先を続けた。
「すなわち、君が怪しいと思うならばそれを本気で調査する価値もあるという事だ」
雨は更に勢いを増し、風が窓をがたがたと揺らしていた。冷房は止めていたが、部屋の中は涼しかった。
だがナイリアと名乗るこの恐らく人間ではない相手をケインは愛していた。故に彼女の暖かさがとても心地よかった。
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