第3話『みそ汁と手紙(中)』

   3


 という訳で名探偵の登場である。

 名探偵の名前は白原瞳はくはらひとみさん。

 ちなみにその名探偵はとびっきりの美人である。

 彼女は毎夕、近くの公園を通るルートで散歩しているのだ。

 学生ではなさそうなので、多分、働いていない。

 変わった人なのだ。


 ぼくは例の手紙を持って、彼女を一人で待っていた。

 汚さないように封筒に入れて大切に。

 もしも、汚したら大変なことになる気がしたから取り扱いには注意する。

 汚した場合、例えば、お父さんに怒られるなら仕方がない。こっちが悪いのだから。

 でも、例えば本当にお母さんに泣かれたりしたら、どうして良いのかぼくには分からない。


 三十分くらいは待ったと思う。

 すっごく暇でそこらのブランコに乗って時間潰しするけど、やっぱりどうしても気になって楽しめない。

 それに封筒を持って片手で乗るのって意外と難しいのだ。

 来るかどうかの確証なんて無かったけど、どうやらぼくは賭けに勝てたらしい。


「やった! 瞳さーん! おーい!」


 ぼくはブンブンと手を振って、その美しい女性に話しかけた。

 瞳さんは「あれ?」って小首を傾げて、こちらに近付いてきてくれた。

 ぼくも封筒を折り曲げないように小走りで近寄る。

 白原瞳さんは「こんにちは」と優雅な仕草で笑って、挨拶してくれた。

 ぼくもドキドキしながら頭を下げて挨拶する。


「こんにちは!」


 瞳さんは本当に美人だ。

 黒い長い艶やかな髪は本当に美しく輝いている。

 理知的な額、高く筋の通った鼻、やや薄めの唇とか本当に美人の要素を供えている。

 年齢は十九歳らしい。

 名前と年齢以外だったら、ぼくが彼女のことで知っているのはぼくより一つ年下の甥っ子がいるってことくらいしかない。

 だから、ニートかもしれないけどそんなことはぼくにとってはどうでも良い。

 瞳さんには一つ大きな特徴がある。

 瞳さんは美人だけど、そんな彼女の

 色素が抜けているのだ。

 黒目と白目の境界はほとんどない。

 アルビノというわけでもなく、何かの病気らしい。

 しかし、視力には問題がなく、紫外線に弱いと言っていた。


 そういう理由で彼女はいつも色の濃いサングラスを掛けているが、男物の大きなやつだ。

 その他の服装は薄い赤のカーディガンもスカートも可愛らしい普通の女物なので余計にサングラスが目立っている。

 それは無骨なのだが、だから逆に瞳さんを儚く美しく見せている。


 さて、ぼくと瞳さんが出会ったのは、春先に起きたある事件のことである。

 それは子犬誘拐事件とでも命名すべき、難事件だった。

 その名前通りに子犬が誘拐されたのだが、その犯人がぼくの担任の先生だった。

 その動機も意外なものだったのだけれど、瞳さんはその全てを事件に奔走ほんそうするぼく達に教えてくれたのだ。

 何で分かったの? と訊くと、その時に瞳さんは冗談っぽく言った。


「私は『千里眼』だからね。そのくらいは分からないとね。褒められるほどのことじゃないわ」


『千里眼』は彼女のあだ名らしいが、ぼくはそれ以来彼女のことを心の中で名探偵って呼んでいる。

 そして、それから何かある度に相談に乗ってもらっている。

 瞳さんは特に嫌がることも無く、楽しそうにそれらを解決してくれている。

 今までに解決できなかったことは一度もない。


   +++


 ぼくが一通りの出来事を説明し終えると瞳さんは頷いて言った。


「手紙の盗み見は感心しないわね」

「そ、そんなんじゃないよ!」


 ニヤニヤと笑いながらなので、明らかに冗談だと分かるのだが焦ってぼくは弁解した。

 まぁ、実際は盗み見そのものだから、弁解のしようもないのだ。

 ぼく達は公園にあるベンチに座って会話していた。

 他に人影はない。

 もう秋の夕暮れなのでちょっと肌寒い。

 どこかで秋の虫が鳴いている。

 ギー、チョン、ギー、チョンというあの鳴き声は多分キリギリスだ。


「ふーん、で、それって私には見せて貰えるのかしら」


 さっきまでは盗み見とか言っていたのにこんなことを言うのである。ひどい人だ。

 でも、ぼくはその為に瞳さんと会っているので頷いた。


「うん。良いよ」


 ぼくが封筒から取り出して手紙を渡すと、チラッと見て瞳さんは「ふーん」と頷いた。

 その横顔は好奇心に輝き、とても楽しそうだ。

 ぼくは瞳さんのそういう表情が好きだった。

 絶対に口には出さないけど。


「面白いわね」

「分かるの?」


 ぼくが勢い勇んで言うと、お姉さんは「幾つか質問して良い?」と逆に質問してきた。

 少しだけ勢いを殺されたけど、幾つかの質問で分かるなら、とうなずいた。


「お母さんってミステリ好きなんだ?」

「うん。特に翻訳物が好きって言っていたよ」


 ぼくもホームズだけは読んでいた。

 あと子供向けのアガサクリスティも。

 でも、ちょっとだけ見たブラウン神父は全く理解できなかった。


「で、この手紙はお父さんが送った、と」

「うん」

「ところでこれってどこから送ったのかしら……仏領ポリネシアか。へぇ、良いところね。どうしてこんな所から送ったのかしら?」


 と言われても、ぼくにはどこかもよく分からない。

 写真から考えて南の島国ってことは何となく想像できるんだけど。


「お父さんってロマンチストね」

「えっと……」


 瞳さんの言葉にぼくは困る。

 正直、お父さんはお酒大好きだし、適当な割に几帳面だし、無口なのに意地っ張りだし、とてもそうは見えない。


「プロポーズで全く迷わなかったお母さんも一緒ね」

「そうかも」


 それはそうかもしれない。

 しかし、何で大学を中退してまで結婚したんだろう? というか、お父さんは何で大学生のお母さんに求婚したんだろう?


「ところで、大士郎クンの家って毎日みそ汁なんだよね?」

「うん」

「米食なのね」

「パンの時も、パスタの時もだよ。シチューと一緒ってそんなに変かな?」

「それは何と言うか――素敵な話ね」


 って、あれ? もしかして……。


「分かったの!?」

「ええ、もちろん確証はないけどね」

「スゲー」


 瞳さんは事もなさげに頷いた。

 俺は感嘆するしかない。何で分かるのかが分からない。


「ねぇねぇ、じゃあ、どういう意味なの?」

「んー」と、瞳さんはこちらをイタズラっぽく見て、言ってきた。

「まだ時間は大丈夫?」

「うん、まだ大丈夫だよ」


 公園の時計はまだ五時半を少し回ったところ。

 もう日も落ちたけど、まだあと三十分くらいは全然問題ない。

 ここから家まで五分しか掛からないし。


「じゃあ、ちょっと自分で考えてみましょう」と、クイズを出しているノリで瞳さんは言った。

 ぼくは反論する。


「考えてみたよ!」

「ふーん、じゃ、言ってみて」

「か、考えて分かんなかったんだよ!」

「じゃあ、どこまで考えたか教えて」


 さっさと教えてくれれば良いのに、と思ったけどぼくも一応思いついたことを答える。


「えっとね、ぼくのお母さんってパソコン使って仕事しているんだけどね」

「うんうん」

「だからね、この手紙の一とゼロって二進法じゃないかなって思ったんだけど」


 瞳さんは何だか妙に楽しそうだ。他人と推理ごっこが好き、とか。お母さんじゃないんだから。

 でも、この人は好きそうだ。

 二進法――1と0の二種類の数字を用いて表記する手段だ。

 調べたら2を底とし、それにべき乗するらしい。

 正直、調べても言葉の意味はよく理解できなかったけど、計算の仕方自体は分かった。

 例えば、7だったら、二進法で表すと111になる。つまり、2の二乗+2の一乗+1。つまりは4+2+1=7という具合になる。


「だからね、最初は9でしょ? 次は、1かな? 何で2桁目が0なのかはよく分かんなかったけどね」


 お父さんがよく分かっていなかったという可能性もあるし。


「なるほど、じゃあこれは何を表しているのかしら?」

「銀行の貸金庫のパスワード……とか」

「ふむふむ」

「それでね、その中に婚約指輪とか結婚指輪が入っていた……なんてどうかな」


 正直、二進法というアイディアは中々だと自分では思っているが、ここがはっきりと分からなかったのだ。

 一体、何の数字なのか分からなかったのだ。

 ぼくの限界はここらへんだ。

 これが何か分かっていたらもっと自信をもって披露する気になれたんだけど、顔色を伺った。

 ぼくの言葉に瞳さんは頷いてから「それは素敵な意見ね!」と言った。


「でも、残念ながら現実とは少し違うみたいね」と、瞳さんはあっさりと言った。

「じゃあ、何なのさ」


 ぼくが少しだけムッとしながら言うと、「むくれないの」と瞳さんは柔らかく笑いながら答えた。

 そういう表情をされるとどうして良いか分からない。


「ダメよ。すぐに答えを求めちゃ。素敵な間違いとつまらない事実だったら、前者の方がずっと人生を豊かにするのよ」


 正直、どういう意味か分からなかったが、頷いて「でも、結局答えは?」とねだる。

 瞳さんは「確証は私もないんだけどね」と前置いて解説を始めた。

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