物忘られ        ♧

 このところどうもボンヤリしているようで、しょっちゅう物を忘れる。傘や本、上着に鞄、財布に携帯、果ては乗って来た自転車を忘れて歩いて帰宅だ。さすがに自分が心配になって医者を訪ねた。

「物忘られですね」

 さまざまな検査のあと医者は言った。

「まだ物忘れ程度ってことですか?」

「物忘れではありません。物忘られ、つまり物にあなたが忘れられているんです」

「はい?」

「気をつけてくださいね。症状が進むとそのうち靴とかパンツにも忘れられてしまいますから」

「それは…」

 想像したくない。

「それで先生、どうすればいいんですか?薬で治りますか?」

「まぁお薬も出しますけど、いちばんいいのは話すことですね」

「話す?自転車と」

「やはり存在を覚えてもらうには声を出さないと」


 そんなわけで、ぶつぶついろいろな物に話しかけている人を見ても不審に思わないで欲しい。

 誰だって忘れられたくはないのだから。

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