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◇◆◇



 世話係になって一日目は、ほぼ廐舎内の掃除で終わってしまった。

 そのためドラゴンの様子を見るのは翌日からとなり、レイラは朝食を与えたあと、一頭一頭の体をくまなく調べ、必要な処置を思案していた。

(栄養はこれからの食事で補うとして、まずは体の汚れを落とさなければ)

 ドラゴンに与えられていた食事は、一律で生肉だった。残飯なんかを与えられていたらどうしようかと不安だったので、少しだけ安心した。

 それでも、量が足りていたのかなどは分からない。何せドラゴン達は、食えと命令されて従うだけだったのだ。

 まずは手前の火竜から、レイラはお世話を始める。

 用意していたぬるま湯で火竜の体を流し、汚れをいていく。剝がれかけの鱗に気をつかうので、意外と神経を削った。ボロボロの鱗が、これから元に戻ることを願うばかりだ。

 馬よりも大きな体は、綺麗にするだけで一苦労だった。同時に傷がないかの確認もしているので時間がかかる。

 だが幸か不幸か、術具のおかげでドラゴン達はおとなしく、作業の邪魔はされない。

 本当はすぐにでも術具を外したいところなのだが、廐舎内で暴れられたら困るとのことで、ドラゴン用の敷地が用意されるまではこのままだ。だからこそこうやって直接体を洗ってあげることもできるわけで、皮肉ではあるが今のうちに体の特徴を摑むことに決めた。

「明日にはリッツ様が、皆様の場所を用意してくれます。それまでのしんぼうですから」

 虚空を見つめる赤い瞳を、レイラは覗き込む。

「そのときこそ、しっかりとあいさつさせてくださいね」

 火竜の体に怪我などは見つからず、無事に洗い終えた。

 次は水竜だ。

(名前も決めなければ。六頭……いえ)

「ピィ?」

 子竜の鳴き声が聞こえてきて、レイラは水竜を洗っていた手を止めて振り返った。

 隅っこで寝ていたはずだが、起きてきたらしい。柵の中を覗き込んでいる。

「貴方の名前も、決めなければですね」

「ピィ!」

 休憩もねてレイラは柵から出ると、小さなその体を抱き上げた。

(しかし、なんと名付けましょうか)

 今までどうやって動物達に名前を付けてきただろうかと、レイラは思い出す。その子の印象に合わせたものだったり、親子で似た名前にしたり。

(ドラゴンの名前……)

 レイラが思い出すのは、幼い自分と仲良くしてくれたドラゴンだ。

「カール……」

「ピィ!」

 口にすれば、間近で声が返ってきた。

「貴方のことではないですよ」

「ピィ?」

 きょとんと首を傾げる子竜に、レイラは微笑む。

「ですが……そうですね。もしよければ、アールと呼んでもいいですか?」

 『カール』に反応してくれたことから、レイラは似た発音の名前を提案する。

 この子竜が、どこまで言葉を理解しているのかは分からない。けれど子竜は、レイラの案に鳴いて応えてくれた。そのこわは、心なしか弾んでいるようだ。

「アール」

「ピ!」

 バシバシとレイラの腕を叩くように揺れる尻尾から、呼び名を気に入ったことが分かる。

 ――不意に、ぐー、と音がした。

「……ピ……」

 子竜がお腹を押さえてレイラを見上げる。

 そういえばそろそろ昼食にしてもいい頃合いだ。

「いい子で待ててえらかったですね。では私達も食事にしましょうか」

「ピィ!」

 笑い返したレイラは、子竜――アールと共に一旦廐舎をあとにした。

 レイラの仕事は朝早く、また、終わる時間も不規則だ。そのため城での食事提供をレイラは断った。廐舎から城まではきょがあるのでいちいち食事のたびに戻るのは面倒な上、自分のためだけに用意してもらうのも気が引ける。

 しかしアールに出来立てのものは食べさせたい。

 そこでレイラは、食事は廐舎から近い騎士館の食堂でらせてもらうことにした。きんきゅうの仕事にも対応できるよう、朝早くからよるおそくまで開いているからだ。

 レイラは、アールを抱いて食堂に足を踏み入れた。

 途端、にぎやかだったそこは水を打ったようにシンと静まり返る。

(時間をずらすべきでした……)

 そうしたつもりはあったのだが、騎士達も訓練や仕事の関係で時間がずれ込んだのだろう。思ったよりたくさんの人数が集まっていた。

 騎士館には、竜騎士団の騎士以外もいる。というより、魔物討伐に長けた騎士達の中から選ばれた者で竜騎士団が結成されたため、専用の騎士館というものは存在しない。

 そして騎士達は当然、これまでのドラゴンの扱いを知っており、それをよしとしていた。

 そんな中にアールとのこのこと入るのは躊躇ためらわれたが、もうおそい。

 一度入室した手前出ることもできず、レイラは騎士達に混じって食事を受け取りに行く。

 席を探すレイラに、視線が集まる。正確にはレイラに対してではない。彼らが見ているのはアールだ。

「ピ……」

 視線から逃れるように、アールがぎゅーっと抱き着いてくる。その姿に母性本能をくすぐられ、レイラの頰はつい緩みそうになった。

 かべぎわのテーブルが空いているのを見つけて、レイラは腰を下ろす。

 いつの間にかレイラの周辺にだけ、不自然な空席が生まれていた。

 アールを膝に座らせて、レイラは「いただきます」とスープを口にふくむ。

「お。クラウス、こっち空いてる」

 ふと、ざわつきを取り戻し始めた食堂に明るい声が響いた。誰かが近づいてくる気配に レイラは顔を上げる。

「やほー、レイラちゃん、子竜ちゃん」

 片手を上げてこちらにやって来るのは、茶色の髪と瞳の、体格のいい青年だった。背も高いせいであつかんを覚えそうになるが、優しげな表情が彼の雰囲気をやわらげてくれている。

 アノン・カレンベルク。竜騎士団の副団長である。昨日レイラに、ドラゴン達の食事について教えてくれた人だ。

 その背後には、げっという顔をしたクラウスの姿もあった。

「食堂で一緒になるの初めてじゃんね。ここいい?」

「はい」

 アノンはレイラの隣に腰を下ろすと、向かいの席を指差す。

「クラウスはそっちね」

「嫌だ」

「けど他に空いてる席もなさそうだけど?」

 トレイを手に、クラウスは不機嫌そうな表情だ。

「……チッ」

 クラウスはしぶしぶといった様子で、アノンの向かいに座った。もくもくと食事を始める。

「ピィ! ピ! ピィィ!」  

 目の前のクラウスを見て、アールはレイラの膝の上でじたばたと暴れ出した。もちろん クラウスはガン無視だ。

「アール、落ち着いてください。はい、あーん」

「ピー」

 暴れながらも、口元にスープを運ばれれば、アールは素直に口を開ける。もぐもぐして、ごっくん。

「ピィ!」

「上手に食べられて偉いですね」

「ピィィ」

 レイラにめられて、アールは嬉しそうにばんざいした。

「やっぱ……可愛いな〜!」

 そんなアールを見てくーっと声を上げるのはアノンである。

 アノンの声に驚いたのか、アールは「ピッ」と鳴くと、逃げるように丸まってレイラのスカートに顔をめた。

「ほんっとぬいぐるみみたい! ドラゴンがみんなこんだけ可愛かったらな〜。あ、でもそしたら乗れないから意味ないか」

 食事をしながら、アノンが残念そうにいきく。彼はドラゴン自体はそこまでではないが、小さいものは好きなようで、アールに対しては随分と好意的だ。

「てか赤ちゃんなのにミルクじゃないんだ? あと名前はアールになったの?」

「はい。歯は生えていたので。薄めの味付けにして、スープや、柔らかくんだ肉、野菜などをあげています」

「へえ」

 きょうしんしんなアノンと、全く無視のクラウス。同じ竜騎士でも対照的な反応だ。

「ピ……」

 ふと、アールが顔を上げた。その目が、向かいのクラウスをとらえ……

「ピィィィ!」

「あっ」

 アールはテーブルによじ登り、よちよちとおぼつかない足取りでクラウスの元へ向かっていった。両手を伸ばす姿は、まるで抱っこをせがむ子どもだ。

 実際アールは、そのつもりだったのかもしれない。

 対してクラウスは。

「ッ、来るな!」

 アールをはらうように腕を振るう。

 驚いたアールはバランスをくずして、その場にしりもちをついてしまった。

「ピィィ……」

 他意があったわけではないのだろう。だがぽかんとするアールの鳴き声に、クラウスはさすがに気まずそうな、まどったような表情になった。

 しかし転ばせたことは事実。

「ピィ?」

 いまいち本人は何があったのかよく分かっていないようで、戸惑うようにきょとんとしているアールを、レイラは「おいで」と言いながら抱き上げた。

「まだ小さい子なのに……」

 クラウスを睨むようにして見れば、彼はごこ悪そうに視線を逸らす。

 が、次の瞬間には不機嫌そうに舌を鳴らしていた。

「……言っただろ。次はないと」

「まー、ほら、クラウスもわざとじゃないからさ。でも悪いのはお前だぞ、クラウス」

「お前はどっちの味方だ!?」

 フォローしたいのか違うのか。クラウスがアノンに怒鳴る。

「やー、オレは小さい子の味方よ。ねー?」

「がうっ!」

「ぎゃっ!」

 頭を撫でようとしたアノンの手に、アールはぱかっと口を開けて噛みつこうとした。

「こら!」

「ピィ?」

「すみません、カレンベルク様。じゃれているつもりだと思うのですが……」 「そ、そうだよね? なんかすごい殺意向けられたような気がしないでもないけど……」

 アノンとアールの目が合う。するとまたもやアールは「がう!」と吠えた。

「チビでも魔物だからな。油断するなよ、アノン」

「ピィ、ピィ、ピ!」

 冷たく言い放つクラウスに向かって、アールがじたばたと暴れる。

「ピイィ!」

 届かない腕をけんめいに伸ばす姿は、レイラ以外に見せたことはない。少なくともアノンに対しては全くしないのだ。

「えー、なんでオレじゃなくてクラウス? クラウス、この子に何かして気に入られた?」

「するわけないだろ」

 二人の会話を聞きながら、レイラはアールが産まれたときのことを思い出す。 (もしかしてこの子は――)

「恐らく……刷り込み効果だと思います」

 呟いたレイラに、アノンが「え?」と聞き返してくる。

「ご存じですか? 一部の動物には、初めて見たものを親だと思う習性があって……」

「それは知ってるけど」

「この子が産まれたとき、私と団長がいました。それで私達を親だと思ったのかも……」

「えっ、じゃあクラウス、いきなりパパじゃん。で、レイラちゃんがママ?」

「はァ!?」

 スープをしそうになりながら、クラウスが引っくり返った声を上げた。

「冗談じゃない! 俺は魔物……ドラゴンなんて、だいきらいだ! 今すぐ処分したっていいくらいだぞ!?」

「やめてください、子どもの前で!」

 レイラは咄嗟にアールの耳――正しくは耳っぽい場所を両手でふさいだ。

(この人は先ほどから……!)

 産まれたばかりのな相手になんという態度だ。アールがクラウスに何かしたわけでもないというのに。

「ピィ?」

 クラウスが自分をどう思っているのか、アールに理解できるわけもない。つぶらな瞳を、レイラとクラウスへ交互に向けるばかり。そこには敵意もけいかいしんもなかった。

(こんなに可愛いのに……)

 無条件にレイラとクラウスをしたっている。ただそれだけなのに――!

「……分かり、ました」

 アールを抱くレイラの腕に力がこもる。同時にレイラは勢いよく立ち上がった。

「貴方を父親とは認めませんし、力も借りません。この子は、私が立派に育ててみせます!」

「ああ、ぜひそうしてくれ!」

 レイラにつられてか、クラウスもテーブルを叩いて腰を上げる。

 周囲の騎士達が何事かと見てくることも意にかいさず、火花を散らして睨み合った。

「ピィ?」

「もうその辺にしといたらー? パパとママがけんしてたらアールも悲しがるって」

 あきれたようにアノンが口を挟む。

「ま、逆に喧嘩するほど仲がいいとも言うか。いいなー。家族っていうか、ふうっていうか」

「夫婦じゃありません」

「夫婦じゃない!」

「ピィ!」

 不機嫌そうなレイラとクラウス、何故か嬉しそうなアールの声が、食堂に響き渡ったのだった。

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