シーン1-2 昼休み

 そして、午前の授業が終わり昼休みのこと。

 八束高校には生徒たちの要望によって学食が設置されており、昼休みには弁当を持参していない生徒たちでごった返している。

 普段は弁当を持参するあやめであったが、今日は家の都合と部活の朝練があったこともあり学食を訪れていた。

 カウンターでカレーを受け取って空いている席を探すあやめは、ふとぽっかりと空席になっている場所を見つける。


(何かあるのかしら……?)


 首を傾げながら空いている場所に目を向けると理由が分かった。

 そこでは一人の生徒が一人で食事をとっている。いかにも陰気そうに食事をしているが、他の生徒が寄り付かないのには別に理由がある。

 あやめは澄ました表情ですたすたとその場所に歩いていくと、何でもないと言った様子でわざわざその生徒の真正面にカレーの乗ったトレーを下ろす。

 突然のことに驚いたその生徒は食事の手を止めてあやめのことを見つめた。


「こんにちは。広い場所で悠々食事だなんていいご身分ね、歩生君」

「飛田さん……今日はお弁当じゃあないの?」

「家の都合でね……ここ、いいかしら?」


 突然のことに戸惑う優希に構わず、あやめはさっさと正面の席に腰を下ろす。

 優希に対するいじめは他クラスや上級生の間にも知れ渡っている。最初のうちはそれでもここまで避けられてはいなかったのであるが、時が経つにつれて南井たちの無法な振る舞いが他の生徒たちにも伝わるようになり、段々と優希のことを敬遠するような風潮が生まれてしまったのである。

 勿論、そのことを一番痛感しているのは優希本人だろう。


「歩生君は何食べてるの? ……焼き魚?」

「焼き鮭が好きなんだ。体にいいような気がして」

「ふーん……まあ、あれだけ色々されていれば体に気を遣うようにもなるわね」


 あやめは自分のカレーを口に運びつつ、ひとまず差し障りのない話題を切りだす。優希には言いたいことが山ほどあるが、いきなりそれを切りだすのも気が引けるような気がしたのだ。


「飛田さんはカレー? ……食べる前に何か振りかけていたみたいだけど」

「ああ、これね。……これは通常の三倍辛い一味唐辛子なんだって」

「通常の三倍……!?」


 事も無げに言うあやめに優希は絶句する。


「辛くないの飛田さん? 結構な量振りかけてたけど」

「そりゃ辛いわよ。何当たり前なこと言ってるの」

「そ、そうじゃなくて! そんなもの食べて大丈夫なのかって」

「全然平気よ。むしろこれくらい辛くないとカレーじゃないわ」


 あやめは澄ました顔で答えながらカレーをパクつく。流石に額には汗をかいているが、途方もなく辛い物を食べているような印象は全く受けない。

 それを見た優希は呆れたような表情を浮かべる。


「飛田さんって、ものすごい辛い物好きなんだね……」

「部活の友達や先輩にもしょっちゅう言われるわ。……私に言わせれば、皆の辛さ耐性が弱すぎるんだと思うけどね」

「……絶対その人たちの方がまともだと思うな、僕は」


 優希は顔をしかめながらぽつりとつぶやく。気持ちが少しほぐれてきたらしく、口もなめらかである。

 それを感じたあやめは、いよいよ本題を切りだすことにした。


「まあ、私のことは置いておいて……歩生君はいつまで南井君たちに好き勝手させてるつもりなの?」

「それは……」


 あやめの口から出た言葉を聞くや否や、優希の顔ははっきりと曇った。野次馬根性丸出しで聞き耳を立てていた連中も慌てて聞こえないふりをする。南井の名前が出たとたんにこれである。

 あやめは周囲の状況に構わず言葉を続ける。


「あいつらの言ってることじゃないけどやられっ放しで悔しくない? どうしてあいつらと戦おうとしないのよ? このままいったら……」


 死ぬかもしれないわよ、と言いかけてあやめは口を閉ざす。別に大げさでもなんでもなく、優希がこのままでは死にかねないとあやめは危惧していた。南井や東元はともかく、阪西はキレると手が付けられないことで全校から恐れられている。ちょっとしたはずみで人も殺しかねない危うさをあやめは阪西から感じていた。

 優希はあやめの問いかけにすぐには答えなかった。どう答えたら良いのか、言葉を探しているような印象をあやめは感じていた。

 少し経って、優希はゆっくりと口を開く。


「僕は可能な限り、人には手をあげたくないんだ」

「はぁ?」


 あやめは聞こえてきた言葉に思わず素になって問い返す。


「うん、なかなか誰にも信じてもらえないんだけれどね。色々あるけど、それでもなるべく人には暴力を振るいたくない」

「ちょっとぉ! そんな悠長なことを言ってる場合じゃないでしょ? こんなに毎日毎日いじめられてばっかりなのに!」


 つい声が大きくなるあやめ。確かに暴力が嫌いだというのはわかる。だが、事態が自分の生死にも関わりかねないほど悪化しているというのにまだ平然とそんなことを言っているという優希の神経が信じられなかった。


「……ごめんね。飛田さんにはいつも助けてもらってるから、もう少し前向きな答えを返せればよかったんだけど……」

「……全くだわ、嘘でもいいからもうちょっとカッコいい台詞を聞きたかったわね」


 済まなそうにうつむきながら謝る優希にあやめは皮肉で応じ、それ以降は何も言わずに淡々と残ったカレーを口に運ぶ。

 先に食べ終わっていた優希は逡巡しながらも席を立ち、トレーの返却口に行こうとする。

 それを見たあやめは視線を向けずに優希に声をかける。


「午前中はまだ何もなかったみたいだけど、午後はどうするの?」

「保健室に行くよ。座間先生に用もあるし」

「そう。私放課後は部活だから何かあっても行けないわよ」

「大丈夫だよ……ありがとう、飛田さん」


 優希はあやめに頭を下げて礼を言うと、静かにその場を立ち去っていく。優希が遠ざかっていくのを感じながら、あやめは最後の一口を食べる手を止めて小さくため息をついた。

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