世界一めんどくさくて可愛い君と

「悠太ー! もうできる?」

「もうすぐ」

「早く早くー! おなか空いちゃったよ!」


 ぐつぐつと煮える鍋を覗き込んだ水無瀬が、「いいにおーい」と頰を緩めた。鍋の中身は関東風の雑煮で、だしの香りがふわりと漂ってくる。

 水無瀬は正月に俺のおせちを食べ損ねたのがよほど悔しかったらしく、いつまでも「悠太と年越ししたかったあ……」とうるさいので、今日はせめて雑煮を作ってやることにしたのだ。

 野菜もいい具合に煮えてきたので、そろそろいいか、と思った俺は、器に切り餅を入れて、上から雑煮をかける。最後に三つ葉を乗せると完成だ。

 既に完成していた鰤の照り焼きを皿に入れて、雑煮とともにリビングに運ぶ。こたつテーブルの上に置くと、後ろからついてきた水無瀬がいそいそとこたつに入った。


「美味しそう! 早く食べよう!」


 水無瀬の正面に腰を下ろして、俺もこたつに足を入れる。両手を合わせると、二人揃って「いただきます」と食べ始めた。

 書道部部室でのやりとりを経た俺たちは、一応「よりを戻した」という形になり、俺は再び周囲からの顰蹙を買う羽目になった。悪友たちからは一発ずつ背中に蹴りを入れられ、透からは「おまえら、マジでめんどくさいな」と呆れられた。ちなみに、新庄は涙目になりながらも、諸手を上げて喜んでくれた。やっぱりあいつはいい奴だ。

 俺と別れているあいだの水無瀬の生活は荒れ果てていたらしく、おおよそ一ヶ月ぶりに彼女の部屋を訪れたときには、それはそれはひどいありさまだった。俺は水無瀬を叱り飛ばしながら掃除をさせて、彼女のためにロールキャベツを作って一緒に食べて、大量の作り置きを冷蔵庫にぶち込んで帰った。

 俺の完璧な栄養管理により、水無瀬ひかりの体調はあっというまに回復し、再び輝かんばかりの美しさを取り戻していた。むしろ以前より磨きがかかったぐらいだと、もっぱらの評判である。あまりの変貌ぶりに、「上牧と付き合うときれいになれる」だなんて噂がまことしやかに流れてしまった。

 冗談混じりに「わたしも上牧と付き合ったら、ひかりちゃんみたいにきれいになれるかなー」だなんて軽口を叩いた女子に、「絶対ダメー! 悠太は私の!」と水無瀬が大声で喚いて、周りをびっくりさせていた。

 最近の水無瀬は友人たちの前で少しずつ素を出すようになったし、周囲もそれを「親しみやすくなった」と好意的に受け入れているようだ。本当の自分を曝け出したところで嫌われたりはしないのだと、彼女もそろそろ気付いてくれればいいのだが。


「お雑煮、おいしいー! あったまるー!」

「そりゃよかった」

「昔おばあちゃんの家で食べたお雑煮、白味噌だったんだよねえ……あれもおいしかったなあ」

「あー、関西の方は白味噌の雑煮もあるって聞いたことある。来年作ってみるか」

「いいの!? じゃあ来年は白味噌ね! 今度こそ一緒に年越ししようね! お母さまにもご挨拶しなきゃ!」


 こうして疑いもなく来年の約束をできることが、何より嬉しい。俺は温かい雑煮をすすりながら、餅と一緒にささやかな幸せを噛み締める。


「……でも、来年は受験とかあるしな。おまえ、大学行くんだろ?」

「あ、そっかあ……うん、進学はするつもりだけど、まだあんまり考えてないなあ……悠太はどうするの?」

「んん」


 水無瀬の問いに、俺はやや口ごもった。正直なところ、多少考えていることはある。まだまだ全然、具体的な話ではないのだが。


「……まだ、わかんねえけど……料理の勉強しようかな、って」

「え!? 修行でもするの!?」

「修行て。いや、専門学校行って調理師免許取るとか……」


 やはり俺は、自分の作ったものを誰かに食ってもらえるのが好きだな、と再認識した。こんな俺にも他人を喜ばせることができるなら、それを仕事にするのも悪くはないのではないかと思ったのだ。俺は何の取り柄もない人間ではないと、教えてくれたのは水無瀬だ。


「いや、まあ、未定だよ」


 歯切れの悪い俺の言葉に、水無瀬はアーモンド型の大きな瞳をきらきらと輝かせる。


「すっごく素敵だと思う! 絶対向いてるよ、悠太!」

「そんな、大袈裟な……」

「いっぱい勉強して、これ以上お料理上手になっちゃったらどうするの!? お店とか出しちゃうの!? いいなあ、絶対通っちゃう! 悠太の作ったごはん食べられる人は幸せだよ……」


 うっとりと溜息をついた水無瀬に、俺は小さく肩を竦めてみせた。


「なに他人事みたいなこと言ってんだよ」

「え?」

「たぶんこれから先、俺の作ったメシ一番食うのおまえだぞ」


 俺の言葉に、水無瀬はしばらくキョトンとした表情で考えてこんでいたが、やがて「ぎゃー!」と叫んで両手で顔を覆う。声がでかい。このマンションの壁はそう薄くないと思うが、あまりやりすぎると苦情が出るぞ。


「ふ、不意打ちでデレるのはずるいよ……!」

「別にデレてねえよ」

「悠太のデレはレアなぶん破壊力がすごいの! もっと小出しにして!」


 指の隙間から真っ赤な顔で睨みつけてくる水無瀬に、俺は笑いを噛み殺しながら「わかった」と答えた。

 水無瀬が俺の好意を嫌がることはなくなったが、どうやらまだ慣れないらしく、ほんの少しデレの片鱗を見せただけで過剰に動揺している。相変わらず俺にすげなくされるのも好きらしく、「たまにはゴミを見るような目で見つめてね……」と甘えてくるので呆れた奴だ。残念ながら、俺にはそういう趣味はないぞ。

 雑煮と鰤の照り焼きを美味しくいただいた後、じゃんけんで負けた俺が片付けをすることになった。寒いキッチンで洗い物を終えた後、リビングへと戻ってきた。コタツ布団にすっぽりと包まった水無瀬は、クッションを枕にして眠たげにウトウトしている。その姿はコタツで丸くなるネコを彷彿とさせて、俺はこっそり笑みを溢した。

 水無瀬の隣に身体を捩じ込むと、彼女はぎょっとしたように跳ね起きる。頰を染めて、「な、なに?」とうわずった声を出した。


「くっついた方があったかいんだろ」

「そ、そうだけどお……」


 水無瀬はもじもじとテーブルの上で両手を組み合わせると、俯き加減に視線を逸らした。ぴたりと触れ合った部分から、どんどん体温が上がってくる。スウェット姿の彼女からは、信じられないくらいに甘い香りがする。

 抱きしめたい、という衝動に抗わず、俺は華奢な肩を抱き寄せた。水無瀬の身体がびくりと震えて、緊張に強張るのがわかる。


「水無瀬」


 名前を呼ぶと、水無瀬は真っ赤な顔でぎゅっと固く目を閉じた。至近距離にある長い睫毛が震える。右手で頰に軽く触れて、嫌がられないのを確認してから、薄桃色の唇に誘われるように顔を寄せると――


「ちょ、ちょっと待ってー!」

「ぶっ!?」


 俺の顔面に衝突したのは、水無瀬が押しつけてきたクッションだった。ガードするようにクッションを構えた水無瀬は、こちらを見て「やっちゃった」というような表情を浮かべる。


「ご、ごめん悠太! 思わず……!」

「……はいはい終わり。解散解散」

「ち、違うのー! 今のはびっくりしちゃっただけで……全然嫌とかじゃないからねー!」


 水無瀬は慌ててそう言い募ると、がばっと俺に抱きついてきた。

 彼女はずっとこんな調子で、自分からは腕を組んだり抱きついたりベタベタしてくるくせに、俺がちょっと行動を起こそうとすると、まるで別人のように動揺して慌てふためいてしまうのだ。よって俺は、きちんと両想いになった今でも、どうにも彼女に手を出しあぐねている。

 俺だって当然、彼女に触れたい欲がないわけではない。それでも異性との交際に大きなトラウマを抱えた彼女に、無理強いするつもりは毛頭ない。俺は彼女の頭に右手を置くと、「いきなり悪かった。ごめん」と素直に詫びた。水無瀬は俺の背中にぎゅっと腕を回してくる。


「……ううん、こっちこそごめんね。めんどくさいって思う? 嫌いになった?」


 瞳を潤ませた水無瀬が、おずおずと俺の顔を覗き込んでくる。俺は彼女の額を軽く小突くと、「ならねえよ」ときっぱり答えてやる。


「んなもん、序の口だろ。おまえの本気のめんどくささはこんなもんじゃないっつーの」

「うう……」

「こんなんで嫌いになるぐらいなら、最初から付き合ってねえよ」


 焦茶の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻き回すと、水無瀬はほっとしたように「よかったあ」と笑った。本当に心配性な女だ。そんなに不安にならなくても、俺がこいつを嫌いになることなんて未来永劫あり得ない。


「……大好きだよ、悠太。少なくとも私のこと嫌いになるまでは、私のそばにいてね」


 そう言って微笑む女は、きっと今でも誰よりも己のことを嫌悪している。そんなめんどくさい女のことを、俺がどれだけ好きなのか、彼女はきっとまだわかっていないのだ。

 ――さて、これからゆっくり時間をかけて、どうやってこの気持ちを伝えていこうか。

 手始めに柔らかな身体をぎゅっと抱きしめて、耳元で「俺も好きだよ」と囁いてやった。




「……し、心臓壊れそう……! 悠太、ちょっといったん離れてー!」

「……やっぱ、めんどくせえな」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る