固定観念の絞殺3

「まずは一応紹介をしようか。彼はコンラート・ファイネン。街外れの寂れた教会で神父をしている。友達がいないんだろうね、おかげで僕にべったりだ」

「ヴォルフ、君は私のことをちゃんと紹介する気があるのか?」

「事実しか言っていない気がするんだがどこに不満があるんだい?」


 長い、長い長い大息がコンラートの口から吐き出される。額に当てた手でそのまま髪を掻きむしりそうなほどの憤慨を発露させてから、彼は真っ直ぐ俺を見据えた。


「コンラートだ。よろしく、青年。君は……アドニスくんの兄か?」

「え、いや、違います。俺は……」

「彼はスヴェン・ディークマイアー。旅人だよ。船が難破したみたいでね、僕が海辺で拾ったんだ。ちょうどいいから雇ったのさ」

「雇った? 君、ええとスヴェンくん、給料はちゃんともらっているのか? 大丈夫か?」

「寝床と食事は用意してもらってます」


 コンラートの胡乱な視線が葬儀屋に注がれる。葬儀屋はそれに一瞥をくれることもなく腕を組んでいた。


「事件の話……をしたいと思ったんだがね、そこの神父は何故居座る気満々で僕の隣に腰を下ろしたんだろうね、帰って欲しいんだが」

「私は君を心配してだな!?」

「警察だって別に僕を疑ってはいなかっただろう? 心配する要素など一つもないはずだ。ほら、招かれざる客は早く出ていきたまえ」

「そもそも君の家に来たのは昨日の埋葬に関する話を……」

「あれか。あー……アドニス、スヴェンくん。言いたいことはわかるね? 後は任せたよ」


 彼が黙示しているのは、事件の解決だろう。もしかすると今回も魔法使いとかかずらうものなのかもしれない。白髪が目の前を掠めた。プラム色の袖を靡かせた彼女を追って俺も立ち上がる。


「それでは、行ってまいります」

「あぁ。アダマスの鎌を見つけておいで」

「は……?」


 疑問符を落としたアドニスが振り返る。けれども葬儀屋がそれ以上何かを語ることはなく、ひらひらと片手を振っていた。コンラートが彼と会話を始める。アドニスは彼らに背を向けて白日の下へと進んで行った。


     (二)


 アドニスの気遣いのおかげで、午前は街の東から宿泊施設を回っていった。けれども、姉、エリーゼの手掛かりとなるものは何も得られていない。五年前は確かにフェストにいたがそれから別の所へ行ってしまったのか、まだフェストに滞在しているのかすら掴めなかった。現在の宿泊客に『エリーゼ・ディークマイアー』という女性がいるか否かは聞くことが出来た。しかし五年前の宿泊客の名簿まで確認してくれるホテルは流石に一軒もなかった。


「はぁ……」

「フェストは外から来る人がそれなりにいるから、ホテルも多いんだ。気を落とすのは早いよ」


 パン屋の店内、窓際のテーブルで項垂れる俺に、アドニスがサンドイッチの乗ったトレーを運んでくる。空転しているような感覚に疲労が滲まないわけがない。彼女はそれすらも感取してくれたのだろう、休息の時間を作ってくれた。


 机上に置かれたサンドイッチは二つ。塩漬けにされたニシンとピクルスが挟まっているもの、アボカドとサーモンの上にエビがたっぷり挟まれたもの。歩き回って消耗していたようですぐに手が伸びてしまう。しかし触れる前にふと手を止めた。


「あんたはどっちを食べるんだ?」

「私は食べないから、どっちも君の分だよ」

「は?」


 思わず鋭い目遣いをしてしまう。華奢な肩に細い四肢。何故あれほど戦えるのか不思議なくらい、その体躯は心配になるものだ。二つのサンドイッチを凝視し、分厚く見えるエビのサンドイッチを彼女に差し出した。


「ほら」

「スヴェンは、エビが嫌いだったのかい?」

「違う、あんたもちゃんと食べた方がいいって意味だ」

「……葬儀屋の魔法はさ、単なる治癒魔法じゃないんだよ」

「なんだいきなり」


 白手袋を嵌めた彼女の手が、卓上から膝の上へと落とされる。それは受け取らないという意思表示のようにも思えた。


「触れたものと契約を結ぶんだけど、契約した時の状態を保存しているような感じでね。葬儀屋が魔力を注ぐと契約時の状態に戻るんだ。私は肉体だけを彼の魔法で固定されている。だから私が負傷しても、負傷していない時の私の体に戻される。私が食事をして肉を付けようとしても、葬儀屋の魔力で今の私に戻る。だから食べることに意味なんてないんだよ」

「……だとしても、美味しいって気持ちは、残るだろ」

「そうかもしれない。ただ、その……色々あって。私は臓器がいくつかないんだ。だから……食べるのが、怖いから。君が食べてくれ」


 ほんの少しだけ俯いた相貌は苦笑を象っていた。彼女が笑みで隠そうとしている弱さを気色けしきってしまう。窓から差し込む陽射しの中に、消えてしまいそうな泡沫じみた儚さ。彼女を撫でてやりたくなったが、テーブルを挟んだ俺達の距離はそれほど近くはなかった。


「悪い。押し付けるような真似をして。あんたに嫌なことを話させて、ごめんな」

「いいよ。私は別に気にしてないし、それより君を困らせるようなことを言ってしまったから、私の方こそ――」

「スヴェンくんは沢山謝ったほうがいいわよねぇ。アドニスちゃん昨日は大変だったもの」


 他の客とのやりとりを終えたらしく、カウンターの向こうにいたグレーテがいつの間にか傍らに立っている。穏やかな笑みを浮かべて俺に色濃い影を落としてくるものだから、自身の頬が引き攣っていくのを感じていた。


「グレーテ、私はいいから……」

「一人でパンを取りに来たのよ? 真っ暗な夜に一人で、ねぇ? どうしてかしら。私、アドニスちゃんのこと助けてあげてねって、スヴェンくんに頼んだはずなんだけれど……」

「す、すみません……」

「アドニスちゃん可愛いから、酔っぱらって入ってきたお客さんに絡まれちゃって、ほんと大変だったわよねぇ」

「ほんとに、申し訳ないと思ってます」

「あらあら、どうして私に申し訳ないって思っちゃうのかしら」

「いえ、その、アドニスに……申し訳ないって……はい、思ってます……」


 柔和でありつつも小さな棘を放ってくる声に、顔を逸らしたくなる。母親、という人がいたのならこんな雰囲気なのだろうか。グレーテの年齢は恐らく姉と近いはずだが、エリーゼは長閑やかに怒る性格ではなく、もう少し子供らしかった。そう黙然してから、それが五年前の記憶であったことを思い出す。幽かな憂愁に浸かり始めていたら、そんな俺をアドニスの朗笑が引き上げていた。


「あっはは……!」

「な、なに笑ってるんだよ」

「君がどんどん俯いていくからおかしくって……! そんなに落ち込まなくていいし、気にしなくていいんだよ。グレーテが心配性なだけで、私は気にしていないから」


 声を上げて笑う彼女は意外だった。外見が成長しない、と言っていたことも相俟って、彼女はどこか大人びていた。だからこそ年相応に見える姿は、こちらの頬を緩めてくる。俺と同じような情感を抱いたのだろう、グレーテも見守るような瞳を弓なりに撓らせていた。


「ふふ、アドニスちゃんが楽しそうだからスヴェンくんのこと許してあげるね」

「はぁ……どうも」

「でももう一人にさせちゃダメよ。昨日だって殺人事件があったんですもの。さっきお客さんに聞いたんだけれど、妊婦さんが殺されている事件、犯人はお医者様だったそうよね。逃げたみたいで行方不明になったって言ってたわ」


 扉の方で鈴の音が転がる。来客に振り向いたグレーテが、ロングスカートを揺らしてカウンターへと戻っていった。


「……ヘルマン、行方不明ってことになったのか」

「この街は行方不明事件も多い、と言われているけど、その一端はこういうことだよ。それより今回の件について、スヴェンはどう思う? 葬儀屋の言っていた『アダマスの鎌』……それと被害者の性別に法則があるのかも気になっているんだけど」

「五人だったよな。殺された正確な順番が分からないが……少女が三人、少年が二人……。アダマスの鎌なんて聞いたことがないし……」

「舞台の話かしら?」


 眼界の端で三つ編みが靡く。グレーテはどこから話を聞いていたのだろうか、と不安になりアドニスとの会話を遡ってみたが、俺達がヘルマンを殺したこと、葬儀屋がその処理をしたことには一言も触れられていなかった。曖昧にぼかしながら、それでも俺には伝わるように話していたことに気が付き感心した。


「探偵ごっこの話だよ。でもどうして舞台?」

「アダマスの鎌、前に見た舞台で聞いた気がするのよ。先月……去年? いえ、もっと前だったかしら、ええと……いつ見たかは覚えていないのだけれど、『神々の誕生系譜テオゴニア』っていう劇よ。自分の子供に権力を奪われるって予言を受けた農耕の神クロノスが、それを恐れて子供を食べていってしまうの」

「……子供は、女が三人、男が二人だった?」

「どうだったかしら。ヘスティア、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン……その次のゼウスだけは確か食べられずに済んだのよね」


 神話に疎いせいで名前から判別することしか出来ないが、恐らく前半の三人は女神、後二人は男神だろう。葬儀屋は子供をまじまじと観察していた。子供達の性別、傷口。彼がそこから連想したのが農耕の神だったのかもしれない。


「クロノスを演じた役者に会ってみたいんだけど、グレーテ、わかる?」

「そこまでは分からないけれど……劇場に行ってみたらどうかしら。今度また別の劇を上演するみたいだから、団員さんが稽古をしているかもしれないわ」

「そうか……ありがとうグレーテ」


 話が一区切りついたところで、サンドイッチに喰い付いた。港湾都市だからだろうか、この街の魚介類はとても美味しく感じる。身のしっかりしたエビと、噛むほどに味がしみ出してくるサーモンを堪能していたら、アドニスがグレーテを見上げていた。


「そうだグレーテ。クッキーの作り方、知ってる?」

「クッキー? どうだったかしら……ラスクなら売っているから作るんだけれど」

「クッキーなら、作れるぞ」

「えっ」


 丸い宝石が煌めく。子供じみた尊敬を宿して見つめてくる彼女に俺が狼狽してしまう。照れくささをサンドイッチと一緒に飲み込もうとした。


「スヴェン、お菓子作り出来るのか……」

「クッキーだけだ。姉がよく作ってくれて、それで」

「そうだったんだ。後でレシピ書いてくれないかな、作りたくてね」

「あぁ、わかった」


 姉が作ったクッキーの味を想起する。幼い頃はあれが好きだったなと微笑した。もう一度だけ食べたくなる。同じレシピで作れば同じ味のものは出来る。けれどもそうではない。姉が、綺麗に焼けたと嬉しそうな顔で勧めてくるクッキーが食べたかった。


「アドニスちゃん、クッキー、出来たら私にも食べさせてね」

「上手く作れたら持ってくるよ」

「楽しみにしてるわ」


 二つ目のサンドイッチを食べ終え、席を立つ。アドニスも静かに椅子を整えると、「またね」と見送ってくれたグレーテに手を振った後、俺の袖を引いてきた。


「よし、行こうか」

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