第30話 帰り道

 えらく気力を消費する朝食だった。

 ヨルンさんの口にひたすらパンやら卵やらハムらや野菜やら入れて、こちらも無言のままひたすら口に入れられて……途中からヨルンさんの顔がお麩が水を吸い込んでふやけるようにゆるゆると緩んできたから楽しんでるようだと気は抜けたが、最初はそれこそ真剣勝負のような妙な緊迫感があり、まるで叩いてかぶってジャンケンポンをしている気分だった。何が防御で攻撃でジャンケンかはわからないが。

 ただ朝食が終わると後は早かった。

 ヨルンさんは不揃いになってしまった髪をハサミではなく短剣で男前にざっくり短く揃えると、隊長さんと目立たないようフード付きのマントを羽織り私を収容。用意されたらしい馬に跨った。

 それから人の賑わいのある街中を過ぎて静かな場所へと出るまで一時間程度といったところか。


「もう出て来ていいですよ」


 ヨルンさんの言葉にちょろっと袖から頭を出して辺りを見回せば、人が踏み固めたらしき道を進んでいるところだった。たぶん街道だろう。

 ひょいっと抜け出して、ふいーと飛んでいるとヨルンさんに呼ばれた。


「人型になれますか?」


 ここにとヨルンさんが騎乗している馬の背を示されて、出来ますよと人型になってそこに座る。浴衣みたいな服なので跨るのは難しく横向きに座ったら肩に何か掛けられた。


「マント?」


 薄い黄色のマントのようだ。肌触りがよくてあったかい。フードつきのようで、ヨルンさんは首下の留め金を嵌めるとフードをポフリと被せてきた。


「白髪は居なくはないですが珍しいですからね」

「ヘビになって隠れてますよ?」

「それだと外の様子が良く分からないでしょう?」


 そうだけど……いいのかな?

 私に接触したいと思う人が出てくると話していたのだ。目立つ事は避けた方がいいのではないだろうかと。


「迷惑じゃないですか?」


 心配になって見上げると目元を優しく緩めていいえと首を横に振られた。


「そんな事気にしてんのか?」

「わっ」


 後ろから頭に手を置かれてぐわんぐわんと回された。と思ったらパシッと叩く音がして解放された。


「ってーな」


 どうやらヨルンさんが隊長さんの手を跳ね除けてくれたらしい。


「ダルト。あなたはもう少し手加減を覚えてください」

「はあ? しただろ」


 後ろを見れば何が問題あるんだと言わんばかりの顔があって、やっぱり隊長さんに手加減は望めないなぁと苦笑い。

 あ、でも待てよ。以前なら鷲掴みがデフォルトだったから改善してるのかも?


「それよりお前、自分の事をヘビって言ってるけど違うぞ」

「え?」

「あぁそうでした。キヨ、白峰の主は天竜ですよ。ですからあなたもヘビではなく天竜、竜です。我々がフェザースネークと呼んでしまっていましたから混乱させたのかもしれませんね」

「……りゅう?」


 思わずあの母の姿を思い出す。

 長細くて手足がくっついててふさふさで羽があって。

 いやおかしくない? 竜って言ったら普通鱗があるものでは? この世界の竜って毛が生えてるの?? それ言ったらヘビなのに毛が生えてるのもおかしいかもしれないけど。


「あの、竜って毛が生えてるんですか? 鱗ではなく」

「そういうのも居るが白峰の主は毛だな。あれが綺麗だっつって欲しがる輩もいるぐらいだ」

「それはまたなんとも命知らずな……」


 母様が戦っているところなんて見た事無いが、感情をちょっと出しただけで周囲へ多大な影響を与えている姿を見ていればそれがいかに無謀かとわかろうものだ。


「人間の欲ってのはどこまでも深いからなー」

「そこは世界が違っても同じなんですねぇ……」


 しみじみ頷いていると、何やら視線を感じた。

 見上げるとヨルンさんが驚いた顔をしていた。何故?


「世界が違う?」


 ……あ。そうか。そこは話してなかったか。


「私の前世はこことは違う世界だと思います。文化も力のあり方も生物も違いますから。生きていた時代が違うとかそういう類の話ではないかと」

「へぇー、違う世界なんてものがあるのか」

「こちらにはそういう概念は無いんですか?」


 目を丸くする隊長さんに尋ねると、そうだなぁと首筋に手を当てて考えるようにその黒い目を前方へと向けた。


「俺が知る限りだと無いなぁ。ヨルンは?」

「私もありません。並行世界という発想は魔導士の間にありますが夢物語と認識されていますね」

「私のいた世界でも同じ認識です。だからこちらで目が覚めた時は状況がわからなくて困りました」


 卵の殻から出た時を思い出して思わず溜息が出た。


「どんな状況だったんだ?」


 隊長さんが馬を私の向いている側に移動させて訊いてきた。何気に後ろを向くのが辛かったのでありがたい。


「私の記憶では元の世界で普通にベッドで寝ていて、気がついたら卵の中にいたんです。狭くて真っ白で、誰かに拐われて閉じ込められたのかと思いました」

「それは……怖かったのでは」


 眉を寄せ気遣わし気に背に手を当ててくれるヨルンさんに、笑って首を横に振る。


「思い返してみると怖い状況なんですけど、あんまりそういう感情はなかったです。母様の声が聞こえていて、出ておいでって言われて。でも殻が硬くて押しても叩いてもびくともしなくて困りました」

「白峰の主が殻を破ったのですか?」

「いえ。母様はひたすら応援してました。それ今だやれ今だとあてにならない掛け声だけ掛けられて、いらっとして身体を突っ張ったら頭突きで殻が破れたんです」


 ぶっと隊長さんが吹いた。


「頭突きってお前」

「言っておきますけど必死だったんですよ。手の感覚とか身体の感覚がおかしくてうまく動けなくて」


 小さな手のひらをニギニギしながら当時の事を思い出す。


「しかも殻を破ったら目の前にでっかい白い生き物がいて牙も見えて食べられると思ったんですから」

「あー……いきなりあれに出くわしたらビビるか」

「挙げ句の果てになんとか卵から出たら咥えられてブンブン振り回されるし、いきなり空を飛んだかと思ったらとんでもない雄叫びあげて吹き飛ばされそうになって……嬉しくてついと謝られましたけど、母様ってそんな感じの人……じゃなくて精霊で、かなり天然というか、姿を変える方法もぐっとやってぱっとするとか要領を得ないし……まだ精霊全般がそういうタイプなら諦めもつくんですけど、お父さんの方はそんな事なくて普通にわかりやすくて……」


 ついつい愚痴をこぼせば隊長さんの同情的な視線に気づいて半笑いになってしまう。

 精霊じゃ無かったら何度死んでたか……本当に冗談抜きで死んでたと思う。

 まぁ精霊なのでその辺は感覚的に母様もわかってやってるんだろうとは思うけど、それに気づいて慣れるまでは気が気じゃ無かった。


「まぁなぁ。あの白峰の主がああいうタイプだとは思わなかったからな」

「精霊と言えば北の主のような存在の方がイメージとしては合っていますからね。私も白峰の主の言動には少し驚きました」


 あぁ、やっぱり母様タイプってあんまり居ないんだ……

 なんとなく手慰みで馬の鬣に指を通し、ん?と気づいた。


「そういえば、ヨルンさんって馬に乗れるんですね。臆病な動物というイメージがあったんですけど」

「魔導士隊の馬は特殊なんですよ。感覚を鈍化させているので私でも乗るだけなら出来るんです」


 どこか申し訳なさそうに話すヨルンさん。

 もしかすると鈍化というのが、馬にとっては負担がかかる事なのだろうか。

 なんとなくよしよしと馬の背を撫でると、首を巡らしてこちらを見るような仕草をした。

 嫌だったのかな?


「珍しいな。鈍化させた奴が反応するなんて」

「精霊は霊力の塊みたいなものですから、動植物は何か感じるものがあるのでしょうね」


 あんまり余計な事をしない方がいいだろうと手を引き戻そうとしたら、パチッと静電気のようなものを感じた。痛いわけではなかったが、タイミング的に嫌な予感がしてそーっと馬の様子を窺うと、また首を巡らしてこちらを見てきた。そしてばっちり目が合っているような気がする。


「……キヨ。まさか」

「え、ええと……だ、大丈夫でしょうか?」


 後ろから掛けられた声に、あははと乾いた声が出た。

 ヨルンさんはすぐに馬を止めると降りて、私も地面に降ろすと慎重に馬の首に手を伸ばした。

 隊長さんはまじかよ。という顔で様子を見守っているが、どうしよう。やってしまったのだろうか。


「……解けていますね。でも、怖がっていないようです……」

「だ、大丈夫そうですか?」

「何故か大丈夫そうですが……」


 首を傾げるヨルンさんに、馬は普通に目を向けている。確かに怖がっている様子は見られない。


「そういやお前、威圧が減ってるな」

「え?」


 見守っていた隊長さんが馬上のままヨルンさんに近づいた。


「気にしてなかったから気づかなかったが、確かにお前威圧が減ってるぞ」

「それは漏れる魔力の量が減ったという事ですか?」


 特に魔力総量が減った感じはありませんけどとヨルンさんが言えば、隊長さんは首を傾げた。


「いや、たぶんだが量は減ってない。質が変わった感じだな。なんだろなこれは」


 ヨルンさんは口元に手を当てると、考えるように視線を落とした。


「ひょっとすると……霊力?」

「霊力?」


 ヨルンさんの呟きを拾った隊長さんが聞き返す。


「霊力って妖精や精霊が使う力でしたっけ?」


 魔法の講義をしてもらった時の事を思い出して尋ねれば、ヨルンさんはよく覚えていましたねと頭を撫でてくれた。


「キヨと契約をしてから少しずつ魔力の質が変わっていた自覚はあったんです」

「質?」

「魔力を自覚する話をした時に少し話をしたと思うのですが」

「あぁ、鉄がドロドロに溶けた感じという?」


 鉄が?という顔になる隊長さんをスルーしてヨルンさんは続ける。


「それが変わっているんです。軽く通り抜けていくというか、早く巡るというか……」

「それは痛いとかそういう事はないんですか?」

「あぁ、それは無いです。むしろ息がしやすくなって随分と楽になりました」


 良かった……悪影響出してたとかだったらどうしようかと。

 こちらの不安を感じ取ったのかヨルンさんは微笑んで私の頭に手を置いた。


「推測でしかありませんが、昔無理矢理蓄えさせられた魔力が私本来の力に変わっていってるのだと思います」

「お前本来って」

「魔力と、霊力ですね」

「………それはなのか?」


 隊長さんの確認にヨルンさんは肩をすくめた。


「全く問題ありませんよ。さて、馬が怖がらなければ進めますね」


 私を持ち上げて馬に乗せ、自分も乗り込んだヨルンさんは隊長さんの物言いたげな視線を無視して馬を歩かせた。





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