第4話

 

【04】




 テオは今回の調査で耳に入っていた情報を必死に思い出していた。


 発生しているのは蟻型の個体だと聞いていた。しかも人の身長ほどの体長を持つ巨大蟻の一種だ。


 巨大蟻とは名にある通り、一体一体が大の大人を横に倒したよりもずっと大きい図体をしている。その大きな体躯のせいで、テオの持つナイフでは仮に甲殻を突破できても内臓まで到達しない。


 腹部の内臓を狙わず致命傷を与えようと思うと、次に狙うべきは首をだろう。巨大蟻のパーツの中で最も細い部分だ。けれど、巨大蟻の攻撃はその強固な顎による噛みつきが主なので、首を狙った腕が食いちぎられたなんてこともある。

 それを掻い潜ったとしても、やはり手に持つのは四十センチのナイフ一本であることに変わりはない。それでは首を断つのに短くない時間がかかってしまう。


 首を避けて攻撃するなら、次に細いのは腹柄節と呼ばれる腰部分だ。胸部と腹部を繋ぐ節である腹柄節は、周りと比べて括れている。

 しかしその場所は首周辺よりも更に太さがあるため、断ち切るのは首を狙うよりも難しかった。


 一体を仕留めるのに死に体になりながら奮闘しなければならないのに、それが群れでいるのだ。向き不向きの問題がある。

 そういうのは魔術が使える者か、剛力の持ち主でなければ立ち向かえない。なにより、今回の発生場所は狭くてかなわない。


 そこまで考えたテオは思わず苦い顔を漏らした。自分の手には負えないと言わざるおえなかったのだ。


「そんな事言わないでくれよお。鉱山を再開させるにも、ま、魔物がいたら作業員が仕事場に戻れない。安全を確保するためにも魔物を駆除するしかないけど、せ、狭さが狭さだから、槍や弓があまり役に立たない。そのせいで中に入って戦えるパーティが、か、限られてしまっているんだ」


 カップを覗き込むように首を曲げたホゾキが、ぶつぶつと呟くように言葉を吐く。


 坑道は巣に繋がっている部分を含めても、横幅が五メートルを越す場所は少ない。さらに一度道を外れれば、陽の光の入らない空洞は伸ばした腕の先すら覚束無いほどの暗闇に包まれる。

 遠くの敵に対して先制攻撃や牽制を主体とする弓はもちろん、振りかざし、突き上げた瞬間壁に引っ掛かって武器が使えませんでした、なんてことになりかねない槍もまた不向きな戦場だった。


「それに今はほとんどの冒険者が城壁のほうに、か、駆り出されてる。こっちに参加できる人手が、ほ、ほとんどないんだよ」

「……そうでしたね」


 鉱山の事故とは別に、現在この街を囲う城壁の南側で魔物が大量発生している問題がある。

 そちらの対処にも多くの冒険者が当たっていることはテオも知っていた。実際テオも先週までは、その戦闘に加わっていたからだ。


「今街にいる冒険者達からは、ほ、他に適役が見つからないんだ。ソロ活動してる人達は比較的残っているけど、そ、そっちは癖が強くて、生半可に他のパーティには放り込めない! わ、わかるだろう!?」


 わあ!と声を上げて頭を抱えるホゾキ。その様子が普段の様子とかけはなれすぎていて、テオは思わず目を見張った。

 きっと余程困っていたのだろう。人手をよこせと鉱山と城壁のどちらからもせっつかれているのかもしれない。


 ソロで活動している人間の癖の強さと言う点もだ。分かる分からないの問題で言えば、テオにだってその言い分は理解出来た。


 冒険者という仕事の特性上、とにかく戦闘が多く付きまとう。パーティを組んで複数人で敵を叩く方が、一人でちまちまと敵を続くよりもよほど効率的だ。だからこそ殆どの冒険者は仲間を集いパーティを作るのだ。


 しかしその中にもソロと呼ばれる、単独での活動を続ける者がいる。それらは冒険者が行う大概の活動を一人で賄えるほどの実力者であることが多かった。

 けれどその実、裏を返せば人と組めない性格破綻者ばかり。一人がいいからソロでいる、のではなく、他人と組めないからソロでいるしかないのだ。その一端に身を置くテオとしても、なんとも苦いものがあった。


 あまりにも珍しいホゾキの姿に、世話になった身としては首を縦に振れるものなら振りたいとテオだって思う。

 でも流石に今回のこれは難しい。単純に向き不向きの問題で相性が悪かった。テオはソロなので自らの手に負えない事は出来ないと言うしかない。安全マージンは十二分に取らなければならないし、自分の命の使い所はもう決めていた。


 テオはがしがしと頭をかきながら、どうにか断れないかと言葉を絞り出す。


「……俺だって狭い場所は苦手です」

「後方支援でも、つ、追跡の補助でもいいんだ」


 今にも縋りつかんばかりに、ホゾキの細身で大きな手がうろうろと揺れている。話の初めにテオが半身引いていたせいで、腕を畳んだままでは微妙に届かなかったのだろう。


 うーん、と唸り声を漏らしながら考えるテオを、ホゾキが手を組んで見つめた。

 その祈りの様な姿勢を目に入れたくないテオは、手にしたカップの中身を飲み干して、何かないかと視線を巡らせる。


 辺りを見回すテオの視界の端に入ったのは、いつの間にか出勤してきていた、最近ギルドに務め始めたばかりの受付係の女性であるメリルだった。


 跨ったハイチェアの丸い座面に指をかけるようにして、テオは背中を仰け反らせる。

 メリルのいる受付カウンターの方を覗けば、ぼちぼちと慣れない様子で依頼書の張り出しを始めている所だった。


 お下げにした栗色の髪を揺らし、同じ色の目を細めながら、精一杯の背伸びをして壁に張り付いている。手にした依頼書を貼りつけようと、壁に掛けられたコルクボードに挑戦していたようだ。

 しかし小柄なメリルの体躯では、長身のホゾキが難なく貼り付ける高さの掲示板でも手に余るらしい。

 手の届く範囲は既に埋まっているので何枚か貼り終えたあとなのかもしれない。少し離れたところにホゾキが出しっぱなしにしていた脚立があるが、それに気付いた様子もなかった。


 テオは黙ったまま、奮闘するメリルを指さす。その示す先を見て、ホゾキもメリルの様子に気が付いた。

 助けを出そうと座っていた椅子から腰を浮かせるが、話の途中だったことを思い出してテオへと振り返る。


「とりあえず、か、考えておいてくれるかな。明日も、こ、ここには顔を出すだろう?」

「はい。じゃあ明日の朝に来ます。お茶、ごちそうさまでした」

「うん。引き止めて、わ、悪かったね。明日待ってるからね」


 空になった二つのカップを引き上げて、ホゾキは足早にメリルの元へと去っていった。

 奮闘するメリルへと声をかけたホゾキは、メリルにカップを預け、代わりに受け取った依頼書を張り出す。


 そろそろ仕事を求めた冒険者達がギルドのドアを開く頃だろう。通りに面する出入口のスイングドアの外から、朝の活気を含んだ声が微かに聞こえ始めた。


「……帰ろ」


 夜通しの見回りの後だ。戦闘もしている。テオもいい加減眠たかった。


 受け取った二枚の銀貨を手のひらで転がしながら、酒場のハイチェアから立ち上がる。

 入った時と同様に軋むスイングドアをくぐれば、降り注ぐ朝日が冷えたテオの頭髪を温めた。


 いい天気だ。こんな日は外に行って、草原に寝転んだらきっと気持ちがいいんだろう。眠気で潤んだ目を擦りながら、テオは呑気に思いを馳せた。


 三人ほど連れ立った若い冒険者達が、ギルドの方へと楽しげに会話をしながら歩いていく。


 その向こう、建物の日陰を渡るように俯いた女性が一人で歩いていた。

 落窪んだ目は足元を捉えてそれより上に向かず、口元は固く引き結ばれている。足元がふらつき、一歩一歩の間隔が異様に狭いのは、止まりたがっている体を無理やり動かしているように見えた。

 その弱った様子とは反して、細く皺を寄せた指が強くスカートの布を握りこんでいる。

 

  そんな様子の女性を気にかける者は、活気溢れた朝の通りの中でも、特に見当たらない。テオもまた同じようにその脇を通り過ぎる。


 しかしテオの頭の中は、妄想のような思考が、通りに差した影のようにべたりと伸びるのを止められないでいた。


 この街を潤す収入源の一角である鉱山で事件が起きた。十二名もの人間が死んだ。


 それでも、案外知らない顔で以前と変わらず生きている人間は多かった。

 けれど時々、あの女性のように窪んだ目をして俯き歩く人間とすれ違うとテオは、ああこの人はあの鉱山の関係者で、あの十二名の中の誰かの死を悼んでいるのだろうか、なんて根拠の無い考えを持ってしまう。


 すれ違ったその人は、事故とは全く関係のない人だったのかもしれない。

 それでもテオは、自分が知っている狭い世界の中に、その憂いの原因を探して結びつけてしまいそうになる。

 知っている悲しみでしか測れないから。知らない事は想いもできないから。押しつけも、寄り添いも、知ることを放棄しては始まらないのに。


 放棄したからこうなったテオは、その恐ろしさをよく知っていた。


 今から鉱山で行われる調査とは名ばかりの討伐隊への参加は、どうしたってテオの手には余るだろう。

 それでも。そこで必死に戦っている冒険者達の痛みを知らず、恐れを理由に退くのは、その放棄と何か違うのか。


 自分は弱いし、無駄死にだってできないけれど。

 堅い甲殻を相手に出来なくとも、目玉や触覚を潰すことは出来る。囮として物音を立てて気を引くことも、罠を張って敵を留めることも。敵が逃げることが問題なら、速度を重視し一人で後を追ってルートを割り出してもいい。


 テオは今までソロで活動してきたのだ。目の良いホゾキが推薦してきていることもある。きっとそのくらいなら自分でも出来るのだろうと、テオも考えている。


 殺傷するだけが戦いではない。けれど、どれもリスクがあった。

 自力で無力化できないものを相手取るのは、永遠に攻撃され続けることとあまり変わらない。


 けれど、このまま何もしなければ。自分はどうなってしまうのだろうかと、テオは自問する。


 あの俯いた女性とすれ違った自分が、鉱山事故でグールになり果て、この手で首を折った十二名の作業員を思い出したように。

 今度はその冒険者達の痛みを想像し、憂いた目にその苦しみを勝手に繋げて、言い訳のような言葉を頭に浮かべながら、それでも知らない顔をしてその隣を通り抜けるのだろうか。


 空回る自らの思考に、眩むような感覚を覚える。とめどなく、意味もない。

 ただテオにとってそれが、飲み込み難いものであっただけなのかもしれない。


 麗らかな日差しに晒されているにもかかわらず、嫌に冷えた指先を擦り合わせる。乾燥した皮膚が引きつって、ぴりりと痛んだ。

 よく見れば小さな擦り傷が指の脇に出来ている。きっと見回りの仕事中に出来たのだろう。かすり傷とも呼べない程度の傷だ。放っておけばすぐに治る。けれど。


「調査、受けようかな……」


 ぼそりと小さく呟く。

 死んだ人間の傷は治らない。それもまた、テオはよく知っていた。




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