第二話「暗くて深い地の底へ」

 ――翌早朝――。


 始発を待つ駅の改札に、眼鏡を曇らせた一人の男がいた。

 泥のような目をした男の名は栗山林太郎、仲間たちからはクリリンと呼ばれている。

 本人はその事実を昨日知ったばかりである。


 いまとなっては“元”仲間だが。


「……納得いかねえ」


 彼の表情は雲が低く立ちこめた冬空よりもどんよりとしていた。

 これまでただひたすら社会正義のために尽くしてきたのに、よもや“いらない子”扱いされ網走くんだりに左遷とばされるとは。


 年末年始ぐらいは休暇きゅうかをとって旅行にでも出かけようかと、先月買ったばかりのキャリーバッグには愛用の生活用品一式がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


 旅行の日程が早まった上に長期滞在たいざいになったと思えば少しは気が晴れるかと思ったが。

 当然のようにそんなことはなく、林太郎の心は網走の空がごとき猛吹雪の只中ただなかにあった。


 これから今日一日電車にられ続ければ、心だけでなく身も極寒の空の下である。


(ああ、このややこしい路線図や過密ダイヤともお別れか……)


 こんなとき、いきどおりに身を任せて周囲にあたり散らせればどれほど気がすくことだろう。

 


 林太郎が腹いせに他のメンバーのロッカーを木工用ボンドでガチガチに封印ふういんしたことを思い出していると、不意に声をかけられた。



「あっ! いたいた、もう探したッスよぅ」



 最初に目に入ったのはきば模様もようが入った青いパーカーフード。

 それをすっぽりと頭から被った少女がそこに立っていた。


 亜麻色あまいろの髪からのぞく、少し欠けた月のような大きな目。

 尻尾を振る仔犬こいぬのような人懐っこい笑顔。

 そして林太郎よりも頭ふたつ低い背丈せたけ


「……子供?」


 思わず周囲を見渡した林太郎であったが、保護者らしき大人の姿はない。

 だがこの目の前にいる少女はどうサバを読んでも小学生にしか見えなかった。


 とはいえ林太郎に声をかけてくることからしてヒーロー関係者であることは間違いない。

 それにしてもかなり若い部類には入るが。


「んじゃついてくるッス」


 そう言うと青いパーカーの少女は林太郎の返事も待たずにトットコ歩き出した。

 林太郎は重いキャリーバッグを引きながら、案内されるがままに少女の後を追う。


「迎えが来るなんて聞いてないぞ」

「およ? おかしいッスね。ま、いいッス」


 肝心かんじんな連絡が本人に行き届かないとは。

 ヒーロー本部の情報伝達能力が低いのか、それとも林太郎がそれほどまでに嫌われているのか。

 未来の無い二択が脳裏をよぎったところで林太郎は考えるのをやめた。


「サメっちは鮫島さめじま冴夜さやッス。サメっちと呼んで欲しいッス」

「俺は栗山だ、栗山林太郎」

「わあ、略したらクリリンさんッスね」

「二度とその名で俺を呼ばないでね」


 そんなやりとりをしながら、ふたりは用意された車に乗り込んだ。


「秘密基地までたのむッス」

「了解しましたウィ」


 車が向かった先は都内にあるヒーローの秘密基地らしい。

 不本意ながら、林太郎はほっとした。


 口ぶりやその若さから察するに、サメっちは都内の別のヒーローチームに所属するメンバーなのだろう。

 ヒーローというのは職務柄しょくむがら、特殊車両を所有していることが多い。

 航空機を借りられれば網走まではひとっ飛びな上、乗り換えもないというわけだ。


 トバされることに変わりはないのだが、十五時間も電車に揺られるよりは幾分いくぶんマシである。


「栗山さん外ばっかり見てるッスね」

「そうか? まあ東京も見納めかと思うとな……寂しいもんだよ」

「おおー、ちょっとカッコいいッス。ハードボイルドッス」


 ハードボイルドどころかいまにもハートがブレイクしそうなのだが。

 林太郎はひとり盛り上がるサメっちを尻目に、遠くに見えるヒーロー本部庁舎を憎々にくにくしげに眺めていた。


 やはり左遷の理由が“成績優秀すぎて他の連中がかすむから”では納得できようはずもない。

 しかしいきどおりに任せて訴えかけたところで、この不当な人事がくつがえらないことも重々じゅうじゅう理解している。


(今考えるべきは、どうやってビクトレンジャーに復帰するかだよな……)


 とはいえヒーローが『怪人を倒しすぎて申し訳ありませんでした』と上司に頭を下げるなどもってのほかだ。


 重要なのは林太郎がビクトレンジャーにとって必要な男だと証明することである。

 いっそ今すぐ怪人による襲撃が発生すれば、挽回ばんかいの機会を得られるのかもしれないが。


「……爆発しねえかなあ、ヒーロー本部」


 そんな気骨のある怪人など、この東京に残っているはずもない。

 目立った怪人組織は、他ならぬ林太郎自身が片っ端から壊滅し尽くしてしまったのだから。



 …………。



 ほどなくして車は都内で最も高いビルの地下駐車場に入った。


 ピカピカに磨き抜かれた大理石のエレベーターホールには、当然のように埃ひとつ落ちていない。

 私服の林太郎とパーカー姿のサメっちが並ぶと異様なほど浮いていた。


「こんなところに秘密基地があるのか……」


 ヒーローチームは全国にあるため待遇に差があるのは致し方ない。

 とはいえ、どうしても壁の薄いしみったれたビクトレンジャー秘密基地と比べてしまう。


「圧倒されてるッスか?」

「組織格差を感じているところだよ。この絵とかいくらすんの?」


 いっそここに左遷されたいと思った林太郎であったが、ここはあくまでも中継拠点である。

 林太郎が向かう先は極寒ごっかんの網走、最果さいはての地であることに変わりはない。



「んじゃさっさと行くッスよ」



 林太郎はうながされ、高速エレベーターに乗ってサメっちと一緒に地下へと潜る。

 サメっちの話によると地上六十階までたった一分で到達するらしい。


「……どこまで降りるんだこれ?」

「もうちょっとッス」


 エレベーターが下りはじめてもうかれこれ三分・・ほど経とうとしていた。

 このまま地獄の底まで連れて行かれるのかと思い始めたころ、ようやく重い扉が開かれる。



 暗く長い廊下を抜けると、そこには地下とは思えないほど広い空間が広がっていた。


 黒を基調とした装飾にいろどられた室内を照らし出すのは電灯ではない。

 どういう仕組みか青い炎をたたえた燭台しょくだいが並べられており、天井は見えないほど高かった。


 ヒーローの秘密基地というよりは暗黒密教の聖堂といったおもむきである。


「サメっち、帰還しましたッス」

「クックック……フハハハハ……ハァーッハッハッハッハ!!」


 その聖堂の最奥さいおうから響く笑い声。

 不釣り合いなほど大きな椅子に腰かける初老の男がそこにいた。


 ヒーローチームの指揮を執る司令官、にしてはやけに迫力のある爺さんである。

 言うなればそう……まるで悪の総帥そうすいだ。


 初老の男はみがかれた剣のようにするどい目で林太郎を一瞥いちべつすると、口角こうかくを吊り上げた。

 そしてマントをひるがえし――


「よくぞ参った、我輩はドラギウス三世! 秘密結社アークドミニオンの総帥そうすいであーるっ!」

「………………はい?」


 林太郎はそこでようやく自分のおかしたあやまちに気づいた。

 ここは――この場所は――。


「ようこそ“怪人の怪人による怪人のための組織”アークドミニオンへ、ッス!」


 そう言ってニカッと笑った少女の口には、鋭い牙が並んでいた。



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