017 航空母艦見学


 原子力艦艇に備えられた軽水炉内……。チェレンコフ放射の青白い光が灯る――。




{出港用ー意!}

 海上自衛隊の各護衛艦では出港ラッパが響き、米海軍もアナウンスで出港の合図を出す。




「――大きい船ですが、随分と滑らかに動きますな」

 全長332.9メートル、基準排水量74,086トン。戦艦大和をも凌ぐ巨艦、ニミッツ級航空母艦〈アーノルド・モーガン〉。ブリッジ艦橋では乗組員達が各々の持ち場に就いている。


「本当にな。まったく次から次へと……。驚いても驚ききれないね」

 戦艦や空母など重量のある船は、馬力に優れた蒸気タービンを動力に使用するのが主流だ。その点では大和も、この〈アーノルド・モーガン〉も同じである。


『……ほとんどの艦が主機関を停止していたようだが、こんなに早く出られるなんて』

『ええ、本艦およびあそこのバージニア級潜水艦は、ボイラーのかわりに原子力で蒸気タービンを回しますから。他の艦艇はガスタービンエンジンですので、主機関停止だけならば数分で始動できます』

 潜航する前の潜水艦や、見える範囲に居る周辺の艦艇を指差しながら解説を交えるノラン大佐。


『ほう……』

 ガスタービン――きっとディーゼルとは違う利点があるのだろう。それに、蒸気タービンは重油を燃やしたボイラーによって稼働させるモノというのが自分達の常識だった。

 それは大型艦である程規模も大きくなるが、単に高火力を要するだけという訳では無い。


 大型である程、急激に熱すれば熱膨張による損傷を招く可能性があり、どうしても加熱するペースが制限されてしまうのだ。そのため、定格出力を得られる温度に達するまで半日〜1日程度の長い時間を要していたのである。


『――さあ、どうぞご覧下さい』

 革新的な技術に感心している山本達へ、今度は甲板の見える窓枠を示すノラン大佐。

 案内された2人は腕を組み顎を摘んだり、眉間を抑えたりしながら窓際に歩いて行く。


「……ほお、何処に何があるのかが判りますな」

「うん、誘導灯や着艦照明も見やすい。作業員のジャケットには上等な反射材も使用されているようだ」


 どんな細かい所にも、未来の”便利”が巡らされている。


 次は、どんなモノが見れるのだろう――。


「辺境伯……いえ、長官。軽佻浮薄かとお思いになるかもしれませんが、私は楽しくなって来ました」

「……奇遇だな。俺もだよ、高柳少将」

 高柳の発言に、薄らと笑みを浮かべながら返事をする山本。

 未来だから未知が多いのは当然なのだ。もはや驚きより、楽しみな気持ちが強くなっている。

 若干の高揚感を覚えつつ、2人は互いに頷き合って再び窓の外に目を向けた。


「……しかし大きいな。零式の倍くらいはあるんじゃないか」

 甲板上にズラリと並んでいる航空機。大半が同じような機種だが、先程の会議で挙げられたスーパーホーネットとやらがどうやらコレらしい。

 うち3機周辺では着々と点検が進められており、茶色のジャケットを着た人物と操縦士らしき男が、入念に搭乗前の確認をしながら話し合っている様子も見て取れた。


「ええ、それにプロペラを備えていない。どのようにして推力を生み出すのかも興味深いですな」

 太平洋戦争中に活躍していた零式艦上戦闘機〈通称:零戦〉は全長約9メートル程だ。対してスーパーホーネットは約18メートル以上にも及ぶ。

 重厚な金属素材で構成された機体は見るからに重そうであり、そもそも離陸できるのかすら懐疑的に思えてしまう程だ。


 ――はてさて、は今度はどのような技術を見せてくれるのだろう。

 自分たちが居た時代は西暦1942年。それまでの知識でどこまで理解出来るのか――。


『――パイロットが搭乗しますよ』


 確認事項のすり合わせが終わったのか、複座型の機体に操縦士達が乗り込み始めた。続けて単座の2機も同様に搭乗が進められて行く。


『……ふむ。ところでノラン大佐、先ほどから彼らと交信している様子が無いが、ただ傍観しているだけで良いのか?』

『……おっと? そちらは艦長が航空指揮も行っていたのですか? ……私は航空機の詳細な運用にはタッチしていませんがね』


『『っなんと!』』


 現在の米海軍空母において、艦・航空機・甲板員の運用はそれぞれ指揮系統が異なる。艦長であるノラン大佐は、あくまで〈アーノルド・モーガン〉運航に関わる指揮権を有しているだけだ。

 航空機に関しては別の大佐が”エアボス”と呼ばれる役職に充てられ、一緒に空母へ乗り込みながら航空作戦の指揮を行っている。


「それは大助かりですな」

「うん、どう考えても空母の艦長は多忙の極みだったからな」

 思わず日本語で感想が漏れる2人。

 旧日本海軍の空母では運航・航空を含め全ての指揮を艦長が担っていた事もあり、この〈アーノルド・モーガン〉のように役割がしっかりと分担されているのは若干羨ましくもあった。

 なお、海上自衛隊のいずも型やひゅうが型護衛艦も米海軍と同じ方式を採用している。やはり”エアボス”として2等海佐の航空長が配置されており、場合によっては艦長が知り得ない航空任務を独自に担っている事もあるのだ。


「――うん? モーターのような音が聞こえるな。もう始動したのか?」

 操縦士が計器の点検を始め、まもなくしてエンジン始動用の補助動力装置〈APU〉が作動。機体内部からブォォ……という音が鳴り響く。


「イナーシャなしで……。すごいな」

 太平洋戦争中の日本海軍が保有していた航空機のエンジンは〈イナーシャ〉と呼ばれる手動慣性起動器を利用して始動させていた。

 だが、これは回転の勢いを強めた弾み車フライホールをプロペラの軸と直結する方式であり、始動に失敗する事も少なくは無かった。

 もし、自動で回し続けられる始動機を航空機へ内蔵できるとなれば、それもまた革新的な技術の1つと言えよう。


「――音が変わった。随分と甲高いですな」

「うむ、少なくとも気筒エンジンでは無いのだろう」

 ジェットエンジン特有の高音を響き渡らせるスーパーホーネット。キャノピーを閉じてゆっくりと前進を始め、カタパルトが設置されている箇所へのタキシング移動を開始する。


『ノラン大佐、あのカタパルトの動力は何だろうか? 火薬の動きでは無さそうだ』

 カタパルトの動作テスト。山本は目にしたモノに対し、次々と率直な疑問をぶつけて行く。


『ほお、良いところに気がつきましたね、山本辺境伯……いや、ジェネラル大将殿とお呼びした方が良さそうですかな』

 軍艦や航空機の細部までを観察・理解しようとする熱心な姿。その目つきはバイタリティに溢れ、全てを見透かそうとする野心も垣間見える。

 ノラン大佐は思った。山本は今後自分が指揮を執る可能性も鑑みて、出来るだけ多くの知識を吸収しようとしているのでは無いか。

 やはり彼は根っからの軍人で、頭の回る司令官なのだと――。


『あれは蒸気カタパルトです。火薬よりも安定しやすく、油圧式よりも対荷重に優れております』

『ふむ。しかし、そんなモノを繰り返し使えば大量の蒸気を必要とするのではないか?』


『フフ……我が艦は原子力艦です』

『――なるほど』

 ボイラー艦に蒸気カタパルトを搭載した場合、連続使用すると蒸気の供給が追い付かず、速力の低下を招いてしまう事がある。その点、原子力空母ならばほぼ無尽蔵に蒸気を生み出せるうえ、重量のある機体を何度も立て続けに打ち出す事が可能なのだ。


『さて、航空機の準備が整ったようです』


 カタパルト上にセットされた1機のスーパーホーネットが折り畳んでいた翼を展開し、エルロン・フラップをグイグイと動かす。後続の2機も点検を終え、スクランブル発進の準備までが整った。


『うん? 後部の床が起き上がりましたな。アレは何ですか?』

『あれはブラストディフレクターという装置です。ジェット機が発艦する際は出力を全開にしますから、後方の作業員や航空機などに被害を出さない為の風よけのような役割を果たしています』


『――ジェット機か。やはり実現は可能だったのだね』

 スーパーホーネットの発艦を食い入るように見つめる高柳と山本。ジェット機に関しては大日本帝国海軍でも研究開発が進められていたが、1942年時点ではまだ完成に至っていなかった。

 実際には橘花きっかという純国産ジェット機が1945年に初飛行をおさめるものの、山本達は知る由も無いのである。


 ――程なくして黄色いベストを着た”カタパルトオフィサー”がしゃがみ込んで左手を後ろに組んだ。続けざまに前のめり姿勢となり、右手と共に2本の指を真っ直ぐ水平方向へ突き出す。


『彼女は何をしている?』

『”シューターポーズ”です。退役した空母〈ミッドウェイ〉で有名なポーズでしたが、我が艦でもすっかり定着してしまいましてね――』


 スーパーホーネットのアフターバーナーが点火され、轟音が響く。


『すごいな、噴炎が明瞭に見える――』

『これは……かなりの高出力でしょうね。しかし、あの輪は一体何だろう?』

 真っ暗闇の中、スーパーホーネットの後方で明るく美しくもある輝きを放つ炎。山本と高柳は時折眉間に皺を寄せたり、顎をさすったりして食い入るようにそれを見つめている。


『……少々専門的な話となりますが、あれは”ダイヤモンド現象”と呼ばれるモノです』

 アフターバーナーは、ジェットエンジンの排気へ燃料を噴射して推力を増加させる装置だ。その噴流は音速を超える為、衝撃波を生み出して燃料ガスを圧縮したり希薄したりする。それが規則的な濃淡を生み出し、”ダイヤモンド現象”と呼ばれる特徴的な模様を作り出すのだ。


『噴射された燃料が音速を超える……。何ともはや――』


 ――カタパルトが動き出し、僅か数秒でスーパーホーネットが空の彼方へ消えて行く。後続の2機も同様にスクランブル発進し、つい今しがたまで響いていた轟音はあっという間に聞こえなくなってしまった。


『……』

『……全力で吹かせばマッハ1.6まで出せますが、今回はそこまで必要ないでしょうな』


『……なんという速さだ』


 30トン近い重量の航空機が一瞬で離陸速度に達し、最高速度はマッハ1.6にまで達する――。

 空いた口が塞がらないとはこの事だろう。山本達は険しい表情ながらも口元は緩み、困惑の色を隠せないでいる。


『さて、目標へ到達するまで約90分程かかります。艦内見学でもどうですかな?』

 涼しい顔で山本と高柳に声を掛けるノラン大佐。内心は満足気だ。2人の反応が面白くてしょうがないのである。

 まるで少年に社会見学をさせるように、もっと色々な驚きと感動を与えて見たいと思うのであった。


『……ふう。わかったよ。少しは手加減してくれないか、ノラン大佐』

『ハッハッハ、驚くか楽しむかは貴方次第ですよ、ジェネラルヤマモト――』




『――こんばんは、サー』

『お会いできて光栄です、サー』

『ごゆっくりと楽しんで下さい。サー!』


 〈アーノルド・モーガン〉艦内。歩く所々ですれ違う乗組員達が敬礼しながら挨拶をして来る。


 ――アメリカなのに……。


「なんだか、やはり違和感が拭えませんね」

「うむ。つい昨日まで敵国だと思っていた連中だからな……」

 日本語でヒソヒソと話し合う高柳と山本。ダナエ王国に来てから5年経ったが、今日、福島達がやって来るまで米国の位置付けは太平洋戦争時のまま……敵国だった。


 こんな強大な艦が今や味方なのか――。

 とはいえ、共に作戦行動をしていない限り自分達はただの客人だ。実質的な司令官はマクドナルド中将である事に変わりは無い。今後、この艦隊がどのような行動をとるのかは彼ら次第なのである。


 ――やはり、共存のため協力関係を築いて置きたいものだ。

 少なくとも、現時点で自分達の居場所はこの〈ダナエ王国〉しかない。この国を守り生きて行くのか、それとも他の道が開けるのかは全く解らないままだ。……だが、それは彼らも同じ筈。

 出来れば彼らを引き留め、これからに向けて建設的な話し合いを進めて行きたい所であった。


『ジェネラル、こちらはコンビニエンスストアです。折角なので立ち寄ってみませんか。スナックも取り揃えておりますよ』

 〈アーノルド・モーガン〉内のコンビニエンスストア。菓子・ジュース類・日用品など、さまざまな物品を取り扱っている。


『ほお、大和の酒保よりも物品が充実しているな。……フンフン、酒は置いていないのか』

『……んん、ああ、我が軍は原則としてアルコールの持ち込みは禁止です。日本の海上自衛隊も同じかと』


 旧日本海軍の場合は、軍艦内に〈酒保〉と呼ばれる物品販売所を設けていた。缶詰や干し菓子などの食料品から、ちり紙・石鹸・歯ブラシなどの日用品に加え、日本酒・ビール・ウイスキーなどの酒類も取り扱っていたのだ。


「……ふふふ、ここは勝ったな――」

「でも、長官は酒を飲みませんよね」

 この空母で取り扱っていない品目が大和にあった――ほんの少しだけ勝ち誇ったような気分に浸る山本へ、高柳の冷静なツッコミが入る。


「……ううむ」

 山本は下士官だった頃、酔ったまま溝に落ちて寝入った事があり、後日それをひどく恥じた。以来、二度と同じような醜態を晒す事の無いよう、断固として酒を口にしないと心に誓っていたのである。


『――ジェネラル。甘い物はお好きですかな?』

 たった今購入したばかりの6個入りのチョコレート菓子を差し出すノラン大佐。

 山本は快くそれを受け取る。


『おお、ありがとう。早速食べてもよいかな?』

『ええ、どうぞ。でも折角ですから、そこのコーヒーショップに寄って行きましょう』


 少し歩いた先に、芳醇なコーヒーの香りを漂わせるエリアがある。民間大手のシアトル系コーヒーショップが出店されているのだ。

 コーヒー好きのアメリカ人が集う艦内において、とりわけ人気のある店舗の1つとなっている。


『……もはや街だな』

『ええ、よく言われます』

 周囲の乗組員が注目する中、談笑しながらコーヒーショップのカウンター前で立ち止まる3人。レギュラーコーヒーを3つ注文し、ノラン大佐が専用の電子マネーで決済をする。


「……随分と華奢だな。彼女も軍人かね? それとも民間人か?」

「確かに。もしくは軍属かもしれませんな」

 窓口で注文を受けているラテン系の女性水兵を見つめながら、山本と高柳が日本語で話し合う。


「い、イエスサー! わ、わわ私はテイラー・カバレロ、上等水兵でありますっ」


「――うんっ? 日本語を話せるのか」

 日本語が理解できるだけに、緊張のあまり答えてしまう女性水兵、テイラー。


 ――おっ思わず日本語出ちゃった。

 緊張の表情を浮かべ、目をまん丸にして小刻みに震える。


「っほぉ、大したものだ。どうやって覚えたのかな?」

「あ、ええと、留学し、してました。あと、バイト」

 テイラーは注文内容を記入したメモをきゅっと握りしめ、質問してきた高柳の目を真っ直ぐと見つめて返答する。


「……バイト?」

「アルバイトの事だろう。若者同士の隠語だったらしいが、なるほど君達の世代でも使われているのだね」

 聞き慣れない単語。少し困惑する高柳へ助言するように口を開き、続けて山本はテイラーへ目をやる。


「ほほう、何のかな?」

「……コレです。コーヒーショップ店員」

 若干照れながら、あどけない手つきでカップに描かれているロゴを示しながら答えるテイラー。質問を繰り出した高柳は「ほぉ〜」と声を出しながら優しい笑顔で頷く。

 側から見ていれば、数年ぶりに再開した孫と祖父のような光景だ。


 暫くして、別の女性水兵が山本達の元へコーヒーを持って来た。


「――コ、コンニちワっ」

 ぎこちない日本語。またもや華奢で少女のような水兵だ。


「こんにちは。あんたも軍人かな?」

「イエス……私の名前はアビゲイル・トムソン、上等水兵デス。ニホン語はべんきょうをしていマス」

 アビーだ。おずおずと上目遣いで山本を見つめ、コーヒーを渡してから敬礼をする。


「ありがとう、トムソン上等水兵。はっは、軍人ならもう少し堂々としたほうが良いだろうがね。応援しているよ、頑張ってくれ給え」

「……sorry?」


『ハッハ、今日はありがとう。応援しているよ。日本人の友達でも出来ればすぐに覚えられるさ――』

『――いっ! イエス、サー! ありがとうございますっ! へへへ』

 あまり流暢な日本語は通じないようなので、一度言った事を英語でやんわりと濁す山本。

 そしてその言葉を聞いた瞬間、アビーは屈託の無い笑顔を見せ、嬉しそうに返事をした。山本達は少し呆気にとられるが、本当に日本が好きな様子を見せるアビーに対して自然と笑みが溢れるのだった。


「――邪魔したね、お嬢さ……カバレロ上等水兵、トムソン上等水兵。また機会があればお邪魔するよ」

「は、ハイ。いつでもお待ちしています」

「アリガトーございましタっ」


『――この辺りにしましょう』

 コーヒーショップを後にし、今度はレストランへ立ち寄る3名。

 ノランに勧められるがまま山本と高柳は丸テーブル席に座り、被っていた帽子を脱いでテーブルの上に置いた。

 そして、コーヒーを嗜みながら先程のチョコレート菓子を開封して行く。


『高柳さんもいかがですかな』

『ああ、これはどうも。頂きます』

 高柳も同じくチョコレート菓子を1包受け取り、1個だけ取り出して口にする。


『――おお、これは美味い』

『ピーナツバターカップだ、懐かしいね。アメリカで食べた事がある。……うん、美味い美味い。コーヒーとの相性も良いぞ』

 昔、ハーバード大学に留学していた事のある山本は馴染みがあった。

 ほんのり粒感が残るピーナツヌガーをミルクチョコレートで挟んだ甘い菓子、ピーナツバターカップ。小さなカップケーキのような形状をしており、古くからアメリカで根強い人気のある商品の1つだ。


 噛むと程よい硬さで表面のミルクチョコレートが割れ、ピーナツヌガーに含まれる生クリームの濃厚な風味と、僅かな塩気の混じったピーナツバターが口の中で一緒に溶ける。

 甘い。とにかく甘い。舌から頭の奥までガツンと染み渡るような甘さだ。それでいてピーナツバターがクセになるコクを生み出している。

 飲み込んで口の中から居なくなっても、喉の奥まで濃厚な余韻を残す――。


『しかしコーヒーも美味いね。彼女達の腕がよいのかな?』

 芳醇なコーヒーの風味がピーナツバターカップの濃厚な甘い余韻を押し流し、香ばしさのあるふくよかな旨味が口中に広がって鼻から抜ける。

 至福のひとときとも言える、何とも贅沢な味わいだ。


『そうですね、我が艦のコーヒーショップは複数ありますが、どれも自慢のクオリティを有していますよ』

 先ほど出会ったテイラーとアビーを思い出し、談笑を続けるノラン達。

 確かに、2人とも大手コーヒーショップチェーンでの勤務経験があり、社内資格の認定も受けていた。

 そしてこれは米海軍において珍しい事では無い。日頃から積極的にコーヒーショップ関連の人材登用を進めており、なかには退役軍人や民間人を店員として配属する事もあるのだ。


「……それだけ余裕があるという事だろうね」

「確かに。強者の余裕とも取れます」

 軍艦にこれほど快適な空間を提供し続けられる余裕……。

 先程の航空機といい、やはりアメリカという国はどの時代においても強大な国家であるようだ。


 ――大東亜戦争……こんな国に日本が勝てたのだろうか。いや……。


 留学のほかに、駐米大使館付武官としてアメリカへ滞在していた事もある山本。

 デトロイトの自動車工場やテキサスの油田の規模を目の当たりにし、物量勝負では日本の国力で到底太刀打ち出来るモノでは無いと感じていた。山本は苦い表情で思いに耽る。


『――ジェネラル? 何か考え事でも?』

『ん、ああ……すまん』

 険しい表情で中空を眺める山本に、心配そうにノラン大佐が声をかける。山本は深く息を吸い、ふと我に帰った。


「ん、あれ」

『ハハハ、ジェネラル、中々の甘党ですな』

 ピーナツバターカップはもう無い。山本が全部食べてしまったのだ。テーブルの上にあるのは包装のゴミだけである。


『……すまん。つい手が止まらなくてね。流石に食べすぎだな』

『いえいえ、良い食べっぷりが見れて光栄ですぞ』


 ――ふうむ、長官もなかなかお茶目な所があるもんだ。

 心の中で正直に感想を述べる高柳。山本は絶対的存在の司令長官であり、そして誰よりも人間味溢れている。


 ――本当に、一緒に居て飽きないお方だ。


 3人はその場に留まり、コーヒーカップが空になってからもその場で小一時間、談笑を続けるのだった。


{――各員、データリンクに備えよ}

 艦内放送が鳴り響く。


『おぉ、スーパーホーネットが目的地点に着いたようです』

『なに、もう着いたのか』

 束の間の談笑を楽しんだ後、偵察任務再開のため席を立つノラン大佐。山本と高柳も続けて立ち上がり、帽子を被って群司令部指揮所へ向かう――。




『――マクドナルド司令、ただいま戻りました』

『ウム。……高柳少将、山本大将殿もよくぞ戻られました。画像が来ていますよ――』

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