第26話 愛するということ


 翌日の加奈と麻依は何事もなかったように現想界の問題解決を終えてから巧一朗を呼び、風雷の持つリビングを囲って議論を続けていた。


「——というわけだ。浩輔さんからの提案を基にして作戦を練っていこうと考えている」


「いいっすね。さすがは守護士を二人も抱える力を持った風雷さんです」


 加奈の提案を聞いた巧一朗は思わず唸った。


「巧一朗さんの所はどうだったんですか?」


 麻依の問いかけに、巧一朗は両腕を組んで考える素振りをし、重々しく口を開いた。


「駄目っすね。俺の研究所は守護士協会おえらいさんの言うことを素直に聞かなきゃいけないんで、俺に賛同する人がこっそり参加するくらいしか手立てはなかったっす」


「それでも支持してくれる声はあったのか」


「まぁ、政府の求心力が失われている以上は民間の研究機関が動かなければならないっていうのは薄々勘づいていると思うんすよ。だから俺たちのようなが増えるのも時間の問題っすね」


 加奈たちの行動ははかりごとに等しく、戦略ゲームで言うなれば最初から劣勢に立たされている。敵陣の猛攻を掻い潜り、いかにして敵将の玉座を目指すのか、いかにして平和的な解決まで導くのか、問題は山積みのままだ。


「最低限、私たちには風雷のバックアップがついている。佑香さんと浩輔さんがオペレーターを兼任する形になるだろう」


「万が一でユニットの修理はアメノマフィックスの沙希さんにお願いするとして……後はどうしましょうか?」


「私たちにできることはここまでだ。後はいつも通り仕事をしながら機会を待つしかない」


「そうですね。早くお父さんたちが報われてくれる世界になってほしいです」


 加奈は麻依の顔色を見る限り、答えを急いでいるように見えていた。


「麻依。今は焦るときじゃない。私たちがゆっくりと変えていくしかないんだ」


「そうっすよ。まぁ、一気に世界が変わっちゃったら人も電妖体も生きていけなくなりますし、守護士も職を失いかねないっすからね」


 巧一朗は苦笑していた。


「お二人とも、ありがとうございます」


 修司から託された理想郷の構築を考えつつ、三人は解散して巧一朗が風雷を去った。


 二人きりになった風雷のリビングで、加奈はこれからやるべきことを考えようとしていた。


「加奈さん」


「どうした?」


「今のうちにやっておきたいことがあるんです。あたしのお願いをきいてもらえますか?」


「どんな願いなんだ?」


「加奈さんを抱きしめたいんです。思いっきり」


 麻依の願いを聞いた加奈は意外そうに驚いた。気丈な麻依がこのように甘えることなど今まであまり見てこなかったためだ。しかし、加奈は何か理由があるのだろうと思い、彼女の願いの意図を汲みとって受け入れることにした。


「構わない。好きなだけやるといい」


「ありがとうございます。では、失礼して……」


 次の瞬間、麻依が飛び込むように加奈を思い切り、きつく抱きしめた。加奈にとって苦しさは感じず、寧ろ彼女と緊密に触れた際の体温で心の底から温もりを感じている。こんな風に凍った心を溶かしてくれたのはきっと彼女のおかげだと思っていた。


「加奈さん」


「なんだ?」


「頭、撫でてください」


「いいのか?」


「いいんです。加奈さんだから、撫でてほしいんです」


 加奈は頷いた。麻依が願うのであればそれに従いたいという想いで一杯になり、心から彼女の頭を撫でた。


 麻依の頭部からわずかに溢れる体温に触れ、加奈の手は温もりを知った。


「……」


 麻依は電源を落とした機械のように何も言わなくなった。ただわかっていることは、加奈の胸の中でうずくまっているという事実だけだった。


 加奈は麻依を抱きしめながら何度も彼女の頭を撫でていくうちに何かが変わったような気配を感じていた。


「ううっ……ひぐっ……ひぐっ……!」


 麻依は泣き出し、溢れんばかりの嗚咽を漏らしていた。加奈は麻依が耐えがたい感情の奔流に振り回されているように見える。


「大丈夫か?」


「加奈さん……加奈さぁん……!」


 加奈が問いかけるものの麻依は嗚咽を止めず、困惑した表情を続けるしかない。


 しばらくの間、リビングの中では麻依の声だけが響き、抱き締め続けられる加奈はその様子を見守るだけだった。


 麻依の嗚咽が止んだ頃には彼女の両目は真っ赤になり、瞼は腫れていた。


「もう、大丈夫です……」


「いつもの君らしくない。どうした?」


 加奈の言葉は不安定な感情を持っている麻依の状態を的確に表していた。


「ちょっとだけ、加奈さんに甘えたくて。でも、甘えすぎちゃいました」


「私は別に構わない。ただ、君が泣くほど辛い思いをさせてしまったのなら謝ろう」


「ち、違うんです! 加奈さんは全然悪くないです!」


 麻依は思い切り首を横に振った。


「じゃあ、どうして泣いたんだ?」


 加奈は胸元にできた麻依の涙の跡を見つめていた。


 麻依はたった一言だけ呟く。


「——あたし、ずっと怖かったんです」


「怖かった?」


 しばしの沈黙が続いた後、麻依が重い口を開いた。


「ずっと旅を続けて楽しいこともいっぱいありました。でも同じ分だけ辛いこともありました。そんな時に加奈さんと出会えてあたしの世界は変わりました。加奈さんを守りたい、一緒にいたいって想いが、ずっと強くなったんです」


「麻依……」


 加奈には麻依の言葉の意味が何を指し示すのか、既に輪郭を捕らえていた。


 きっと、これは……


「加奈さん。あなたが大好きです。ずっとそばにいさせてください。どんな場所にいても、どんなに辛い時も、楽しい時も、一緒にいるって、約束してください」


 加奈は言葉よりも先に両腕が動き、麻依をひしっと強く抱きしめた。


 言葉はいらなかった。その証拠に、麻依もまた、加奈を強く抱きしめていた。


 過去の加奈が心を許す者は殆どおらず、貴重なその一人こそが麻依だった。これから先で予測できない展開が待ち受けているかもしれない。その障害を乗り越えていくためには、麻依を愛し、愛されることが何よりも重要だった。


「ああ。約束しよう。私も、君が大好きだ」


 加奈は抱き締めていた麻依を解放した。次に彼女の顔を見た時には満面の笑みを浮かべ、涙はどこかへ姿を消した。


「えへへっ。なんだかすごく身体が軽いです」


「それは泣いたからじゃないのか?」


「違います。絶対に加奈さんのおかげです。加奈さんがいなかったら、今のあたしはいませんでした」


 加奈は麻依のことで気持ちが一杯になっていた。心から彼女を愛したい、できることならいつでも、ずっと隣で戦っていきたいという感情が強くなっている。


「私もだ。君と一緒に過ごした日々は無駄にはしない。この世界の未来に誓って――」


 甘い紅茶を注ぐように、二人は甘美な束の間の一瞬を過ごした。

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