第10話 呪粒子

幻覚機げんかくき、ですか?」


「そうだ。ユニットのように見えるが目的はまったく違う」


 店に入った加奈と麻依は外部の人間の死角に当たる場所で会話をしていた。


 加奈は先ほど二人の男に使用したサイバーアーツのユニットに似た物を見せるが、麻依にとってはどこからどう見ても普通の刀の柄にしか見えていないようだ。


「この名前が示す通り、私はこれを使って彼らに幻覚を見せて混乱させていた。見下す対象が分身して鋭い牙を剥き、おまけに進路を絶たれたら誰だって逃げたくなる」


「あたしには何も見えなかったですよ?」


 麻依の疑問に、加奈はただ頷いた。


「サイバーアーツを扱える者に幻覚機は通用しない。もっと言えば、対象となる的を絞って幻覚を起動できるから、人々のほとんどはまったく影響を受けない」


「何となくわかりましたけど、一体どんな仕組みで引き起こしているのか気になりますね」


 麻依は頭上に疑問符を浮かべながら幻覚機をじっくりと見つめている。


 加奈が彼女の反応を見る限りでは、守護士の持つ常識の一部が欠けているように見えていた。次に思考した時には「そうだった」と、自分自身の誤りに気づいた。


「君は普段から現想界にいるんだったな」


「はい。こういったお店とか、現実世界のことはちょっとわからないです」


「……」


 口が達者なわけではない加奈だったが、自分へのおさらいも兼ねて麻依に伝えようと試みた。


「高い能力を持つ守護士は人に危害を与えてはいけない。そういう決まりなんだ。相手がどんな罵詈雑言を吐こうとも、どんな暴力を受けようとも、決して立ち向かってはならない。あくまでも身を守るために、幻覚機による自己防衛は許される。だが、人を守るために作られた守護士が差別的な目で見られるのは何よりの皮肉だ」


「加奈さんを怖がったり嫌な考え方をする人がいるのは、そういうことだったんですね……」


 若い守護士であればその現実に対抗できるだけの術を身に着けることができるだろう。しかし、向き合って話す麻依には教わる者がいなかったか様子だ。


「麻依。君も気を付けるんだ。幻覚機の一つは使えるようにしておけばだいぶ楽になる」


「副作用とか起きないんですか?」


呪粒子じゅりゅうしが人の脳に干渉するが、一定の距離を離れるか機器の操作を行えばすぐに元通りだ。心配はいらない」


「呪粒子……初めて聞きました」


 麻依の発した一言は、加奈に一定の衝撃を与えるには十分だった。


 守護士なのに呪粒子を知らない? どうして今までの曖昧な知識のまま現想界で旅を続けられたのだろうか? 心の底から謎が湧き出てきた。


 この年齢で守護士の資格を持つ存在。自分は今、未知なる存在との接触を続けてきたのではないかと焦りが出てきた。


「麻依。まさかとは思うが、君は守護士なのか?」


 麻依が軽く首を振った。

「いつも言っているじゃないですか。あたしは旅をしているだけだって」


「君の年齢にしてはサイバーアーツとユニットをそれほどまでに使いこなしている。私の考える限りでは異常――」


「異常なんかじゃないです」


 麻依はその一言でバッサリと切り捨てた。そして彼女の声は、心なしか震えていた。


「この力が使えることをおかしいだなんて……思ったことなんか、無いです……」


 伏し目になった麻依の表情が暗くなった。


 今までの疑問を口に出してしまい、築き上げようとした守護士同士の信頼関係を揺らがしてしまいかねない状況に陥った。


 早合点もいい所だ。まだ麻依が倫理規定に違反した守護士だという決定的な証拠などない。


「すまない。私が間違っていた。君は現想界の『旅人』なのだろう?」


「そういうことに、しておいてください……」


 守護士の掟のようなものを思い出した。不用意な相手に干渉を続ければ執着に変わり、執着は依存に変わる、依存が変われば……守護士の姿をとどめることは困難になる。つまりは本当の化け物——電妖体に成り代わってしまう。


 思い起こした瞬間、背筋が凍った。化け物呼ばわりされている自分が、本当の化け物になってしまったら……


 加奈の中で思い起こされる光景が浮かんだ。病室のような空間で両腕にカテーテル、胸のあたりに心電図へとつなぐ線が貼り付けられ、顔の下半分には酸素吸入器のような器具がくっつき、大津波のように襲い掛かる激痛をベルトで拘束された全身で受け止め続けていた。


「うっ……」


 それを想像して以降、視界がぐるぐると回る眩暈、激しい動悸に焦燥感、加奈の過去を思い出させる精神状態と重なり、その場に膝を折った。


「ちょ、ちょっと加奈さん!? 大丈夫ですか!? 今お店の人呼んでくるので待っててください!」


 麻依の声は慌てていた。


 うまく沙希に伝えてくれていればいいが――そう考えながら倒れ込み、みるみるうちに意識が遠のいた。


   ▽


 店の奥にいた沙希は初対面の少女から話を聞き、それが長い付き合いのある友人の異常だと気づいた。


 普段からあまり本音を言わない彼女が突然意識を失うのは、安心しきった時か大きな不安を抱えていている時だと決まっている。今回もどちらかは不明だが、すぐに店に戻ってきたところから店の外で何らかのトラブルに巻き込まれたのだろうと読んだ。


 一先ず店から少し離れた居住スペースへ加奈を運んで寝かせ、意識が回復するまで様子を見ることにした。


「麻依ちゃんだっけ? もしかして加奈、誰かに絡まれちゃった?」


「は、はい。それで、幻覚機というものであたしを助けてくれたんです」


「なるほど。張り切って消耗しちゃったわけだね」


「消耗、ですか?」


 沙希は「うーん」と悩みながら唸っていた。


「幻覚機っていうのは身体の中にある呪粒子を使って相手の脳に干渉させるんだけど、加奈の場合は過剰に放出し過ぎることが多いの」


 沙希は両腕を組んで複雑な表情を浮かべている。


「加奈さんがこんな状態になるなんて考えもしなかったです」


 一緒にやってきた麻依という客人が驚くのも無理はない。彼女の持つ弱点が目に見える形で引き起こされるのは滅多にないからだ。


「まぁ普通の人だったらそれが起きないんだろうけど、加奈は守護士だからね。しばらくしたら回復するよ」


「わ、わかりました」


 動揺が隠せていない麻依に、自分がどんな声を掛けられるだろうか。そう思いながら、彼女に対して言葉をゆっくりと選んだ。


「そういうことだから、加奈をよろしく頼むよ。わたしじゃ手に負えないところもあるから」


 それを聞いた麻依は、沙希に向かって驚いたような顔を見せた。


「どうしてあたしなんですか?」


「麻依ちゃんはサイバーアーツを使えるでしょ。現想界で何かが起きた時に加奈を助けられるのはあなたくらいしかいないと思うんだよね。守護士って男がそれなりに多いからさ」


「はぁ……」


 麻依は今一つピンと来ていないようだったが、沙希の中では加奈と麻依がより親密な関係に進んでいくのだろうという勘がはたらいていた。


「いつかあなたにもわかるよ。加奈を知れば、もっと大切にしたくなるって」

 そう言いながら、幾分か表情の和らいだ加奈を見つめた。


 どういうわけか放っておけない友人の姿を見ていくうちに真面目な顔が崩れ、微笑みが隠せなくなった。


 加奈は不思議な存在感を放っていた。それは最も身近な友人として期待と不安を持ち合わせている鏡のように映し出されているようだった。

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