第六話 人の創りしもの、襲来

 裏庭の真上、屋根の高さを超えて大きな真っ黒い塊がいた。そこから何本もの足が四方に広がってる。


「な、何、あれ! く、くも?」


「見えるのか……やはりな」

 赤い玉の人は驚いた様子も見せずに上を向いたまま。でも私は、また腰が砕けちゃいそうだった。

 黒い塊から何か聞こえる。ウオンウオン、哭いてるみたいな叫んでるみたいな、耳障りな嫌ーな音。聞いてるこっちの心がざわざわしてくるような、不快な音。


「早く中に入れ」

「だ、だけど……」

 言いかけたところに、怪物の肢がドスンっと落ちてきた。足元の地面が揺れる。


「きゃーっっ!」 

 思わず頭を抱えたとき、柔らかな布がふわりと触れた。何かと思ったらチャラ男だ。私の身体に手をまわしてくる。

「この娘は、俺が護るよ」

 笑いながら赤い玉の人に言う。赤い玉の人は、ふん、と鼻を鳴らしただけ。

「おーい、封境は?」

 のんきな声を出して家の中を振り返る。

「心配ない。もう絶っている」

 答えたのは電気の人。心配そうな水希ちゃんの横に立って、あっちもかばっているように見えた。

 今だけは、この人たちを信用していいのかな。不思議なことにちょっと安心してる。


「はい。じゃ、あっちに行こうか」

 にっこりスマイルで微笑むチャラ男にうながされて家の中にもどる。うーむ、この笑顔には確かに騙されるわ。とと、そんなことは置いといて。

 庭を振り返ると、赤い玉の人が腕を上に伸ばしてる。それでまた腕が赤くユラユラーって、

 え、まさか! 思わず叫んだ。

「ねぇ! お願いだから、火はっ……」


 腕から炎がゴーッ!


 あの……聞いてました、私の話?


 赤い玉の人がジャンプした。 って、人間が跳べる高さじゃない!


 水希ちゃんと二人、顔を突き出すようにして上を見る。お化けみたいに大きな蜘蛛の周りを跳び回って、そのたびに炎が出てる。

「ちょっと! 近所に知られたらどうするの?」

 大慌ての私。

「大丈夫だ。周りからは見えん」

 電気の人が言う。

 それってどういう? と思ったけど、そういえばさっきチャラ男と何か会話してた。絶ってるって、家の周りに何かしたってこと?

 と、横でピピッ。


「水希ちゃん! ドウガ撮ってる場合じゃないでしょっ」

「えーだって、凄いよ、これ!」

 スマホを覗くのに夢中の彼女。

「まさか? CANBASEカンバセに上げるとか言わないよね!」

「そこまではしないけどさ、ウフッ」

 何だ、最後のウフッ、て。


 CANBASEって、半年ほど前にリリースされたマルチタイプのSNSで、プロフィールや情報公開、通信、検索、画像・動画配信まで何でもオールマイティーのチョー便利なネットサービス。

 国産でかなりきめ細かな内容だし、セキュリティーも万全で、何よりコンプライアンスが行き届いているから、炎上や中傷の危険性が低い。

 とにかくアプリ一つ入れれば、ネットコミュニティーとしては何でもできるんだけど、欧米生まれのフランクでオープンなものより、自分で公開レベルや友達のレベルが選べる日本人好みなところが受けて、公開されたとたんにわっと火がついた。

 いまは私の周りもみんな以前のSNSをやめてCANBASEのユーザー。名前のCANBASEは、日本語で顔の意味の「かんばせ」と英語の「カンバセーション」をもじってる。


 彼女が撮影した動画をどうするのかちょっと不安になったところへ、赤い玉の人が飛び降りてきた。


「なんだ、もう終わりか」

 拍子抜けしたようなチャラ男の声。

 終わったの? と思っていたら、空からヒュルヒュル音がして何かがポテッと堕ちてきた。大きさは両手を広げたくらい。細い煙を上げながらプスプスいってて、焦げくさい。


 水希ちゃんがつっかけを履くと恐る恐る、でも顔は好奇心ダダ洩れで近づいていく。

「うわぁ……」

 私も庭に下りた。水希ちゃんの後ろから覗くと、燃えカスみたいになった蜘蛛だった。


「でかっ!」

「うん。でも、さっきの姿からすると、ちっちゃいよね。それに……」

 水希ちゃんがキョロキョロと見回す。

「あんな大っきな肢が踏んだのに、この庭、何にもなっていないし」


「あれは見せかけだ」

 赤い玉の人が言った。

「こいつが本性だ。たいしたもんじゃない」

 そう言うと、蜘蛛に向かってまた右手を伸ばす。ちょっ、待ってよ!

「おい、よせ」

 電気の人が庭に下りてきた。

「本当に火事になってしまうぞ。俺に任せろ」

 持っていた剣をスラリと引き抜く。 アブなっ! 後ずさる水希ちゃんと私。

 電気の人が宙を切るように剣を翻すと、足元の蜘蛛を一気に突いた。光る刃の上を青白い電気がバシバシっと走る。

 そうしたら、刺された蜘蛛がフーっと消えたの。


「これでいい。当分は戻らない」

 剣を鞘に納めて、私たちを見る。チャラ男がふっと笑うと肩をすくめる。

「近くに森があるだろう?」

 電気の人が言った。あの公園のことかな。

「そういうところに集まるのだ。低級な奴らが」


 なんだか分からないけど、でも確かにあのでっかい蜘蛛がいた。見せかけって言ったけど、その幻みたいなものを作ったということは事実なんでしょ?


「……今の蜘蛛って、何なの?」

 そう訊く私にチャラ男が言う。

「ゴミかな」

「真面目に答えて!」

 渋い顔をした電気の人が、やれやれとつぶやきながら私たちを見る。

「お前たちの言葉でなら、妖気とでもいうべきか」

「妖気って……それは、つまり」


 水希ちゃんと顔を見合わせる。次の言葉は二人で同時。

「妖怪?」

 

 え? マジ? 本当に?

 荒唐無稽かつ壮大な話をされて、正直ついていけない。もし水希ちゃんがいなければ、頭がパニックになってたと思う。


「妖怪、物の怪、化け物……呼び名は何でもいいが」

 電気の人が言ったところで、チャラ男が割って入った。

「まあまあ、騒動は収まったことだし、もう一度落ち着いて話すのがいいんじゃないか? ん?」

 思わせぶりな眼で私たちを見た。

「あ、じゃ、お茶を淹れなおすわね」

 と水希ちゃん。

 おいおい…… ジジババが縁側で話すのとわけが違うんだぞ。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―

 

「つまりは、下等で邪な気の塊だ。一つ二つでは何も問題はないが、長い時の間に多くが集まると、それ自体が形を成し意志を持ち始め、そして欲が生まれる。自らのためなら他に害を及ぼすことでも平気でやる。それを、お前たちが妖(あやかし)などと呼ぶわけだ」

 元通りソファーに座ると、電気の人が律儀に説明してくれる。その横で、赤い玉の人は相変わらず黙ったまま。

 で、チャラ男は、今度は紅茶に加えてクッキーにまで手を伸ばしてる。

「うーん、これは美味い! スゥのようなものだな」

 こいつは、まったく。


 でもさっきは私を護るって言ってくれた。それに、落ち着いて話そうと言ったのも、私たちへの気遣いなのかな。

 ちょっと複雑な気分でいると、チャラ男と目が合う。にっこり微笑まれると、顔が火照ってくるような気がして目をそらした。

 ヤバい。やっぱりコイツが一番ヤバい。

 他の二人は火と電気だけど、こいつの武器はたぶんこの笑顔だ。


 ドギマギしている私の横で、水希ちゃんは電気の人の話を興味深く訊いていた。

「さっきの蜘蛛も、そういう気が集まってできた、その……妖怪なわけね。で、あれは結局どうなったの?」

「こいつの炎で力を殺ぎ、俺の剣で散らした。当分の間、あの姿にはならん」

「当分って、じゃ、またいつかは元に戻るってこと?」

「この世のすべて、形を変えはしても無くなるということはない。もちろん、あれがまた同じ形で同じ場所に現れるかは分からぬが、気が集まればまた似たような奴は出てくる」

「放っておいて大丈夫なの?」

 そう訊く彼女に、電気の人はちょっとあきれ顔で言った。


「大丈夫も何も、全てがそういうものだ。これ以上できることはなく、する必要もない。そもそも、お前たちも含めこの世にいる者たちの気が集まってできた奴らだ。お前たちがいる限り無くなることはない」


 いろんなことが起こりすぎて、私はもう黙って聞いてるしかないけど……

 妖怪なんて、そんなのいるの? しかも、私たちの悪い気持ちが集まってできてる、とか、なんかこっちが悪いみたいじゃん、と思ったけど、そもそも光る玉から出てきたこの三人が目の前にいて、しかも昨日からのおかしなことにもう常識は通用しないと半ば思いかけてるから、すんなり体の中に入ってくるような気がした。

 これがいいことだとは到底思えないけど。


「それで、ここからが本題だけど」

 と前置きして水希ちゃんが言った。

「あなた方は何者なの? 妖怪をやっつけたということは、そういう危険なものの退治を専門にする方?」

 彼女の横で、私も三人をじっと見る。でも、しばらく誰も口を利かなかった。


「同類ですよ」

 沈黙に耐えられなくなったように口を開いたのは、やっぱりチャラ男。言うと同時に紅茶のカップを口に運ぶ。

「え?」

「さっきの奴と同類。ま、あんなやつとは比べ物にならぬくらいに高等だけどね」


 水希ちゃんも私も、目からビームが出そうなくらい力を込めて三人を見る。でも、それきり誰も何も言わない。

「ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃ……あなたたちもその……妖怪ってわけ!?」

 椅子から転げ落ちそうになった。


「確かに、お前たちの言うヒトではないな」

 赤い玉の人がポツリと言う。

「で、でも、人間の姿をしてるよ」

「これは、本来の姿ではない」

 チャラ男も電気の人も、肩をすくめるようにうなずく。

 水希ちゃんが訊いた。

「それじゃ、あなたたちもさっきの蜘蛛とおんなじ、気の集まりってこと?」


「いや、それは違う」

 否定したのは電気の人。

「我々は……」

 と言いかけて二人を見た。何となく三人まとめて、というのが引っ掛かってるみたい。


「我々は、自然から生まれた、というべきだな」

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