第二話 見知らぬ、お宝

 ドオオォーン!


 思いっきり閉めたドアの音に、水希ちゃんが奥からパタパタ飛んできた。

「どしたぁ? アオイ」


「みずきちゃん!」 

 思わず胸に飛び込む。うっ、もっちりメロンパンの合間にうずまって窒息しそう。相変わらずおっきいな、七五のEカップ。私と三歳しか違わないんだけど。


 今年二十歳の大学二年生。

 まさにナイスバディの乙女で巨乳。素材は良いのに人生イコール彼氏いない歴になってるのは、身だしなみに気を遣わないからだよ。

 今だってよれよれのTシャツに、下は中学時代の学生ジャージなんだから。


 でもそんなことを言ってる場合じゃない。

「お、おじい、じじ、ど、どっかのおじさんがっ」

 じじい、と言わなかっただけ上出来だった。


「……とにかく、靴脱いで上がりなって」

 促されてダイニングとつながったリビングに入る。ソファに腰を下ろした私に、水希ちゃんが麦茶のボトルとコップを持ってきてくれた。

 喉を鳴らして一気に飲み干すと、ちょっと落ち着いてくる。


「で、どうしたの? 誰かに追いかけられた。え、まさか痴漢とか」 

「ちがう! けど、もっと変なの」


 眉をひそめる水希ちゃんに、自然公園での出来事を早口で話す。茂みにいたおじさんのこと、車から降りて何かを探していた男の人たちのこと。

 水希ちゃんは黙って聞いていたけど、私が話し終えるとふーっとため息をついた。


「で、そのおじさんだかおじいさんは、何処に行ったの?」

「わかんないよ! でもすごく苦しそうで、ねぇ、もし死んじゃったりしてたらどうしよう」

「どうしようって、アオイが看病したのにいなくなったんでしょ? なら自分で歩いて行ったっていうことだよね。近くのおじさんが気分が悪くて倒れてたけど、元に戻って家に帰ったということは考えられない?」

 そう言われて私は黙り込んだ。まぁ、確かにそうなんだけど。


「でも、あの男の人たちはなんだったのかな?」

「何か音は聞こえた? 誰かを無理やり引きずっていくような」

 ううん、と言って首を横に振る。水希ちゃんがまたため息をついた。

「それなら、そのおじさんが男の人たちに拉致されたかどうかは分からないよね。そもそも男たちがおじさんを探してたっていう証拠もないし、別件かも知れないよね」

「だけど……」


 私の言葉を遮るように水希ちゃんが両手を振る。

「ねぇ、気になるのは分かるけど、もしその男たちが怪しいのなら関わらなくってむしろラッキーだったじゃない。何かの事件に巻き込まれたかもしれないんだよ」

 そう言われて、ちょっと頭が冷えてきた。


「……あのね、アオイ。今うちは女二人だし、近くに頼れる人もいない。だから自分の身は自分で守る。それが鉄則だよ」


 そうなんだ。水希ちゃんは私の身を案じてくれているんだ。もしあの人たちが何か危ない人たちだったとして、もしあのおじさんを探していたとして、私に何ができるの。

「もし、どうしても気になるなら、明日一緒に交番に行こうよ。それで今日のことをみんな警察に話すの。どお?」

 警察という単語を聞いて俄然リアル感が強まった。それが良いとは思うけど、何か怖い。あのおじさんは気になったけど、でも顔もよく見えなかったし、もう見つけることもできない。


 シュンとした私に、水希ちゃんがふーっと息を吐いた。立ち上がると手をひらひらさせながら笑う。

「とにかく、晩御飯食べよう。お腹いっぱいになれば落ち着くから」


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 翌朝、なんだかもやもやしたままとりあえず起きた。


 昨夜のことは結局何も分からない。ご飯を食べてお風呂に入って、いつもなら寝る前にベッドでヴェルの曲を聞くのが日課だけど、とてもそんな気分にはなれなくて、そのまま寝た。


 スウェットのまま下りていくと、キッチンのテーブルに水希ちゃんがいた。

「おはよー」

 トーストをかじりながら、広げた新聞から目も上げずに言う。


 水希ちゃんは昨夜のこともそれほど気にしていないみたい。そう思うと、ちょっと気が軽くなったりもする。やっぱり私の思い過ごしで、あのおじいさんは自分の家に帰ったのかもしれない。

 トースターに食パンを入れてスイッチをひねった。食器棚からコップを出して椅子に座ると、テーブルの上のパックからオレンジジュースを注ぐ。

 一口飲んだところで、水希ちゃんがこっちを見た。


「どお? 一晩寝て、気分は晴れた」

「……どうだかなぁ」

「警察は?」

「え? いやいや、それは無いっしょ」

 慌てて手を振る。

 事件か何かも分からないのに警察に言っても意味ないし、それに正直に言えばちょっと面倒で、これ以上関わりたくないのも事実。あの男の人たちがどこの誰かは知らないけど、このまま知らないでいたほうが良いような気もする。


 水希ちゃんはふーん、て鼻を鳴らしてまたトーストをかじった。

「私、今日は二限からだけど、帰りは夜だよ。アオイ一人で大丈夫?」

「……うん、だいじょぶ。オッケー」


 トースターがチーンっと鳴って。そこからはいつも通り。朝食を食べて、顔を洗って、着替えて、わぁ、もうこんな時間。慌てて自分の部屋に戻る。

 あちゃ、今日の授業の用意してないや。

 時間割を見ながら昨日のままのスクールバッグに足りない教科書を突っ込んだ。ま、これでいっか。


 階段を下りると、水希ちゃんの声が飛んでくる。

「テーブルの上にお弁当あるよー」 

「ありがとー。行ってきまーす」

 お弁当をひったくってバッグに突っ込む。

 家の前から、あの公園は通らずに駅まで向かった。でもなんだか気が重い。学校に着くまで、ずーっと頭の中がもやもやしてた。


「オハヨー」

 学校に着いた私に、ノー天気な声が響く。

 リナだ。岡本里奈。声を聴いたとたんに何だかどっと疲れが出た。


「なによぉ、ノリ悪いじゃん」

「疲れてんだよー」

 机の上に突っ伏す。

「朝っぱらから? うふふん。昨日の夜になんかあったな」

 その言葉にドキッとする。


「なにー? 何の話」

 カオリンだ。田沢香識。リナもカオリンも同中おなちゅうからの進学で、一年でも一緒。いつも三人組。


「アオイがね、夜中になんか疲れることをしたんだってさー」

 リナの言葉にカオリンがプっと噴き出す。

「バカぬかせ!」

 私がにらむと二人ともコロコロ笑う。

 あーいつもの日常だ。でも、やっぱり昨夜のことが頭から離れない。気のない返事で会話に相槌を打っているうちに予鈴が鳴って、本鈴が鳴って、朝礼があって、普段と同じ授業が始まった。


 そして結局、他愛もない一日が終わる。だけどやっぱり昨日の私とは違う自分がいる感覚。

 でも、ぼーっとしながらも昨夜のことを思い返してみて、一つの発見はあった。もやもやの原因。あのおじさんが気になっていたのは、あの時の「うわごと」だ。

 もごもごだったからよく聞き取れなかったけど、


 ナントカ…コフン…リョウイ…サンビキ


 だったかな?

 何のことかわからないけど、おじさんにしてみたら必死で何かを伝えたかったような、そんな気がする。

 そう、これなんだ。ずっと引っ掛かっているのは。


「アオイー、帰ろう」

 浮かない顔をしている私にリナが声をかけてくる。私が立ち上がった時、あ、いたいた、と言いながらクラスメイトの田中さんが近づいてきた。

「柴咲さん、中村先生が呼んでるよ」

 その言葉にギクッとする。まさか、あれか。


「う、うん。わかった。じゃ、リナ、今日は先帰って」

 手を振って、職員室に向かう私。ううー。おじさんの心配どころじゃない。私自身の危機が始まる予感。

 はぁ、行きたくないなー。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「柴咲、これだよ。これ」

 中村先生がデスクの上のプリントを指でトントン叩く。予感は当たった。先週やった基礎化学の学力チェックテスト。

 指名の欄には私の名前。横の点数は……十三点。


「……はい……すみません」

 消え入りそうな声で返す。やった途端にこういう結果は分かってたんだけど、この化学っていう教科だけは、どうしても苦手なんだよな。


「俺も担任だしさ、自分が教える教科くらいはクラス全員に普通の成績を取って欲しいわけよ。わかる?」

「……はい」


 そういったって、あのちんぷんかんぷんで自分の一生に絶対に関わってこないであろう知識さんとだけは、どうしてもお付き合いできません。ワタシ。

「とりあえず期末テストに期待するしかないが、このままだと危ないぞ。もし同じような点数だと夏休み補習になる」

「えーっ、先生、そこは何とか」

「何言ってる。一年で教えたところもあるんだ。きちんと復習しろよ」

 口をとんがらせてる私に、先生はあきれ顔でため息をついた。

「ということでな、罰ゲーム」


 へ? 中村先生が、横にある段ボール箱を指さす。

「机を片付けて古い資料をまとめたんだ。これはしばらく保管しておく分。邪魔だから理科準備室に片付けたいんだが、俺、これから打ち合わせなんだ」

 デスクの引き出しを開けながら言う。

「じゃ、柴咲、これ理科準備室まで運んでおいてくれ。ほい、カギ。終わったらここに戻しておいてな」

 先生はそう言って、手にカギをぶら下げた。


 といういきさつで、自分のカバンをしょったまま、両手で段ボール箱を持たされた私は、よっこらよっこら理科室へと向かってる。

 まったく、女の子にこんな重い荷物を持たせるとは、中村め。


 箱を持ったまま理科室のドアを蹴って開けると、机の間を後ろまで進む。

 準備室のドアまで行ったけど、カギを開けるには箱を下ろさなきゃならない。でもこの重たいのをまた持ち上げるのいやだなぁ、右脚を上げて膝で支えるとポケットから先生のくれたカギを引っ張り出そうとした。でも中に引っかかったみたいで取れない。

 ええーい、こいつ!


 悪戦苦闘していたら箱がずりっと落ちそうになった。

 わわわ、バランスを崩す。

 箱がドスンっと床に落ちて、はずみで転んだ私は、膝こぞうを脇の戸棚にいやというほどぶっつけた。


 いったーい!

 膝をなでながら立ち上がる。でもゆびが赤い。あれっと思ってみてみたら、戸棚の角で切ったみたい。血が出ていた。

 もう、ついてないことばっかじゃん!


 化粧ポーチにカットバンがあったはず。机の上にカバンを置くと中をガサゴソ探る。ポーチを取り出そうとしたとき、一番下に見慣れないものがあるのを見つけた。


 引っ張り出してみたら、手のひらに収まるくらいの茶色い袋だった。

 口が絞ってあって、時代劇とかに出てくる「巾着」みたい。革でできているけど、ずいぶん古くてちょっと汚らしい感じ。

 なんだろう。

 私は入れた覚えがないし、だいいち見たこともない。で、中に何か固いものが詰まっている。口を広げると中を覗き込んだ。

 でも、理科室の照明スイッチも入れてなかったから、袋の中はよく見えない。

 机の上に出してみたら、丸い玉。全部で三つ。三センチくらいで、ものすごく綺麗。


 赤と青と銀の玉。


 つるつるでキラキラ輝いているけど、でも三つとも白いひもが絡みついている。縦横斜めにぐるぐる縛ってあって、そこに小さな紙切れが付けてあった。何か書いてあるけど読めない。古典の教科書にある昔の文みたいだよ。


 赤い玉を取り上げてみた。窓から入ってくる陽に透かすようにすると、本当に綺麗。宝石みたいに輝いてる。

 もしかしてこれ、本物のルビーじゃないの?


 やば、紐に血がついちゃった。

 そうだ、膝こぞうの手当てをしなきゃ。と思ったとたんに手が滑って玉が落ちた。

 あっあ、あ!


 赤い玉が転がって、机のはじにあるシンクの中に落ちる。慌てて拾おうとしたら、その玉が光りだした。それ自体から光が出てシンクの中がどんどん赤くなっていく。

 え? なに、やばい、どうしよう。

 と思っているうちに眩しくて思わず目をつぶった。圧力を感じたような気もして後ろに押される。ちょっと、どうなるの、これ!


 ボバーンッ!


 爆発したみたいな音に、私は思わずお尻を突いた。まさか、爆弾? 恐る恐る目を開ける。何か煙みたいな、靄っていうのかな、白っぽいものが漂ってる。

 それが次第に消えていって……


 目の前に、変な人がいた。

 誰かが、理科室のあの机にくっついた流しの中にいる。頭に大きな笠をかぶった人が、体育座りして白くて狭いシンクにはまり込んでる!


 なに? どこから来たの、この人?

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