シールドナイツ ~JKと妖怪たち~

はらおのこ

プロローグ

 暗い。

 息が詰まる。

 いや、それは私が遮二無二走っているからだ。奴らに捕まらないように。どうやっても逃げ切れるように、一心不乱に駆ける。

 この歳で。


 この手の中にある物。これを奴らに渡してはならない。


 だが、息が切れる。胸がひりつく。大げさに呼吸をしているのが分かる。追ってきている奴らにも、聞こえているのではないのか。薄い靴底を透して、アスファルトの硬さが足の裏を叩く。膝が嗤い、脚がもつれる。ついさっき、背中に感じた鋭い痛み。この身の中で、何かが起こっている。

 本のひと息でも良い。休みたい。どこかに身を隠さねば。


 街灯に照らされた何処ともつかぬ藪を見つけた。辺りに人影はない。這うようにして身を潜める。荒い息を鎮めるよう身体に命じる。だがその指示に、身体はなかなか従おうとしない。全身が強張っていくようだ。


 誰かいないのか。

 私が最後に願いを託せるような、この手の中のものを、しかるべき場所に戻すべく闘ってくれるような、誰かは。

 だがそんな者は望むべくもない。もう力も尽きる。このまま、奴らの思い通りに事は運んでしまうのか。


 不意に藪が動いた。誰かが忍び込んでくる。やつらか。いや違う。こちらにはまるで気がついていない。

 これは天の啓示か。

 神か仏か。私の最後の願いが、この世を統べる何者かに届いたのか。


 真っ暗闇の中、すぐ傍に白く丸みを帯びたものが見える。最後の力を振り絞り、それに手を伸ばした。


 掴んだものは温かく柔らかく、明らかに人の身体だった。触れた途端に弾け上がりそっくり返る。私には理解不能な声がした。どこの誰かも分からない。だが、この反応は間違いなく奴らではない。

 逃げ出そうとする影に向かい声を絞り出す。

「ま……待ってくれ」


 私に、もう時は残されていなかった。

 眼が回る。全身から力が抜ける。

 もうだめか。


 突如、額にひんやりとした感触。それが私に最後の力を与えてくれた。目がかすむ。暗闇に相手の顔も分からない。

「大丈夫ですか……」


 その声に、意識が引き戻された。

 そうだ。とにかくこれを託さねば。伝えねば。動かぬ唇をこじ開け、息を吐き出すように告げる。

「うぶかざ、こふん……りょうい……さんびき」

「え? なに」

 相手が訊き返す。

「……うぶかざ……こふん……りょうい……」

「ちょ、ちょっと待ってて」


 女の声だった。しかも若い。

 わさわさという葉ずれの音が聞こえた。藪から出ていったのか。だめだ。周りにいるのは奴らばかりだ。

 伸ばした手が何かにあたる。カバンのようだ。ファスナーを探り当てると引き下げた。隠し持っていたあれを、無理やりねじ込む。そうだ。これでよい。奴らの手から少しでも遠ざけられれば。

 この救いの主が誰かは分からないが、悪い人間ではなさそうだ。


 あとはこの場を一刻も早く離れることだ。奴らはもう間近に迫っている。一緒のところを見られてはいけない。

 残った力を振り絞り、私はよろよろと立ち上がった。足を引きずるように藪から出る。ほどなくして後ろからひそやかな声が聞こえた。

「あ、あれ? どこ」


 だが、もう私には振り返る気力も時間も残ってはいない。背中の痛みは全身へと回り始めていた。後は運を天に任すしかない。よろめきながら歩く。


「ねえ……おじさん、どこ?」 


 誰かも知らぬ女の方よ。頼む、この世を救ってくれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る