リリィの体

昼も夜も分からない閉鎖的へいさてきな空間で、魔法のランプの明かりが奥の通路から順々に点いていく。その気配に起こされる様にいち早く目を覚ましたホヅミ。武装した兵士らがカチャカチャと五月蝿うるさく音を立ててこちらへと歩いてくる。ホヅミ達のいる牢屋の前で足を止めると一人の兵士が前に出て腰に下げた複数の鍵の内一つを鉄格子の扉の錠に差し込む。


「ロウシュ中隊長がお呼びだ。我々と来てもらおう」


ついに来たかと息を呑むホヅミ。


「分かった、でも二人を起こさないと」


そう言うホヅミを差し置いて牢屋の中にずかずかと入り込む一人の兵士は、リリィ、そしてマリィのお腹を踏みつける。


「なっ……」


寝ている最中に突飛な起こされ方をした二人はひしゃげた奇声を上げて、苦悶の表情で目を覚ます。一方ホヅミはあまりに非道徳な行いを目にして愕然とする。


「あ……あんまりでしょ!? 酷過ぎる!」

「貴様の中身は人間であると聞いたが、なぜ庇う?」

「なぜって……」


聞くに呆れる問いにホヅミは言葉も出ない。彼らは酷く魔物を嫌っている。そこに思慮はなくただひたすらに魔物を絶対的な悪とせんがばかりの秩序が揺らめいている様だ。それは狂気にも似た、人間を悪魔たらしめるおぞましい信仰しんこうだ。


「そうか忘れていた。これは貴様の体であったな。ははは! すまない事をした」

「……狂ってる」



三人は兵士らに連れられて地下牢を後にする。外の広場ではロウシュ率いる小隊が待ち構えていた。兵士の顔は兜に隠れていて分からないが、数だけで言うならば昨日捕まった時と同じくらいだろう。ただ一つ大きく違う点があった。恐らく、いや確実にそれが目当てであろうと思える存在がその背後にはあった。虎が十頭は入りそうな大きな鋼の檻。その中には尋常でない大きさの熊がリードのない首輪をして入っていた。ホヅミでも分かる、それは魔物であると。


「やあおはよう。昨夜はよく眠れたかな?」


相も変わらずなおごり高ぶった態度でロウシュが迎える。ホヅミ達三人は顔をしかめた。


「おや、まだ眠気が取れていないらしい。では眠気覚ましに一つ」


ロウシュが掌を前にかざすと光が出始める。同時に三人の首は絞まり、三人は悶え苦しむ。それを満足気に眺め終えたロウシュは光を消した。


「目は覚めたかね?」


せる三人を見てにたにたとさげすんだ目を向ける。


「悪魔」


軽蔑を含んだホヅミの言葉を軽く鼻であしらうと、ロウシュはホヅミへと歩み寄って封魔錠スペルオフに手をかける。ロウシュの手には鍵が握られており、錠は外されホヅミの両手は自由となった。


「今から貴様には試験として、先日我々が捕らえたあの檻の魔物と戦ってもらう」


"リリィの体"を戦力にしようというたくらみから予想はついていた。それを改めて告げられると、ホヅミの全身は強張こわばる。


「待って! ホヅミんは魔物と戦った事があまりないの! それに魔法だってまだ少ししか出来ないの!」


リリィは叫ぶ。


「ほう、それは本当か?」


ロウシュはリリィ、またホヅミへと目線を行き来させる。リリィもホヅミも各々おのおのに首を縦に振って頷いた。


「開けろ」

「なっ!? ボクの話聞いてた!?」


ロウシュは構わず檻の開放を指示する。一人の兵士が檻に駆け寄ると檻の魔物は牙を剥き出しにして唸り声を上げる。その凄まじい迫力は空気を伝い、ホヅミの体、心へと入り込んでくる。


「ああ聞いていたとも、だが信じてはいない」

「そんな……」

「檻の魔物はSスーパークラスの魔物、キングベアー。あれに手こずる様であれば、そもそも貴様らになど用はない」


そうしている内に檻は開けられる。キングベアーはその瞬間を見逃さずに檻を開けた兵士に飛び掛かった。


「キュアアアアア!!」


キングベアーは悲痛な叫び声を上げる。転げながら自身にかけられた首輪に手をかけていた。よく見ると檻を開けた兵士が掌をかざして小さな光を生み出している。詰まる所あのキングベアーのしている首輪は絞輪錠ストレンジオフだろう。


「要するに……あの二名を死なせたくなければ本気でやれ」


ロウシュは後退際にホヅミへ耳打ちする。リリィはホヅミの元へ行こうとするが、兵士に拘束されてその場から動くことが出来ない。


全兵ぜんぺい下がれ! 結界班用意!」


ホヅミとキングベアーのみを広場に残し、こぞって兵らとそれに連れられるマリィとリリィは砦の中入り口付近まで後退する。


「結界を張れ!」


ロウシュの合図と共に広場の四隅にて立て膝ついて待機していた兵士達は一斉に両の掌を足元の黒い箱に乗せる。


「「「「発動せよ、下位結界魔法オビスミノール!!」」」」


目には見えないが何かそれらしい気配が感じられたホヅミ。目の前にいる魔物か自分、どちらかが斃れるまでとことん戦わせるつもりだろう。誰の助けも及ばない、この空間で。


「グオオオオオオ!!!!!」


檻を開けた兵士が離れた所で魔力を抑えると、怒ったキングベアーは猛り狂う。狭苦しそうな檻から完全に抜け出て、檻にラリアット。鋼で出来ているからか壊れこそしないものの、当たった部位はへこんでしまった。見ればそこらかしこが凸凹だ。キングベアーは初めて見た時は大人しくしていたが、それまでは檻の中で酷く暴れていたのだろう。それらを見たホヅミの足はがくがくと震えが止まらない。


「ニクイ、ニクイ」


キングベアーの視界にホヅミの姿が映る。


「オマエ、ニンゲンカ?」


キングベアーの単純な問いを理解する事が出来ない程ホヅミの頭は恐怖でいっぱいだった。今までは魔物と対峙した時にホヅミの傍にはリリィやエルフのサーラ、シュウがいた。その時の安心感は今は無い。一人なのだから。その上ホヅミの目の前にいる魔物は、日本にもいた危険動物である熊を十数倍もの体躯たいくにした様な怪獣かいじゅうだ。ホヅミはフリーズしていた。


「ええぃ、何をやっている……ん?」


なかなか場面の進展しない硬直状態。それを遠目とおめで見ていたロウシュはごうを煮やして、ある事に気がつくと大声で叫ぶように言い放つ。


「キングベアーよ、聞けぇっ!! 貴様の同胞どうほうを討ったのはその"人と魔物の混血"だ!!」

「はあ!? 何をでたらめいっむぐっ!?」


ロウシュはすぐにリリィの口を手で塞いで言葉を遮った。


「ナンダト? グオオオオオオ!!!!!!!」


キングベアーはますます怒り心頭になった様で近くにいたホヅミの鼓膜が敗れてしまいそうな程の雄叫びを上げる。今世紀最大にしてホヅミの心臓は跳ね上がり、今にも息の根が止まってしまいそうになる。


「オマエ、コロス!!」

「ふぉむぐっっ!! ふむぁえ!!」


キングベアーは動く。ホヅミに向かって突進していく。けれどホヅミは迫る恐怖に、逃げるという思考すら奪われてしまっていた。


「うぉっふぐ………ホヅミん!! 逃げてぇっ!!」


リリィは何とかロウシュの手を振り払って声を上げる。その声を聞いて我に返ったホヅミは寸での所でキングベアーの突進を躱す。しかしキングベアーは方向転換すると再び追撃体勢になる。


「ホヅミん!! 魔法!! 魔法を使って!!」


リリィは自身を拘束している兵士をも振り払ってまた叫ぶ。それを聞いて瞬時にホヅミの脳裏に浮かんだのは最も使用回数の多い魔法だった。


下位風魔法ブリーズ!」


ホヅミの体は魔法によって生まれた風によって大きく吹き飛ばされる。それを確認したリリィはチャンスと思ってロウシュがしたように大きな声でキングベアーに向かって言い放つ。


「キングベアーちゃん!! あなたのお友達をやっつけたのはこのちょび髭ですよ~!!」

「き、貴様! 何を言うか!」

「グオオオオオオ!!!!!」


キングベアーの耳にはまるで入っていない様だった。あまりの怒りにホヅミの事しか見えていないのかもしれない。


「……ふ、ふんっ! ああなってしまったキングベアーには言葉など通じない。残念だったな。これも計画通りだ。キングベアーがあの者に混じる魔物の血に反応して攻撃をしない可能性もしっかりと考慮していたのだ。まあそれも当然。なぜなら私はロウシュ=バーナム。次期大隊長を継ぎ、王直属の近衛兵このえへいとなる男なのだからな。それから私は決して焦ってなどいない。そのようなみっともない無様を晒すわけがあるまいふはは」

「いや棒笑い……足も震えてる」


リリィが冷めた目でロウシュに視線を送る一方、ホヅミは下位風魔法ブリーズによって回避の一手で防戦していた。


「グオオオオオオ!!!!!」

「(斃さなきゃ……リリィが、リリィのお母さんが……)下位風魔法ブリーズ!」


回避を続けていく内にホヅミの平静が少しずつ持ち直されていき、次第に思考にも余裕が生まれ始める。躱してばかりではいけない、とホヅミはキングベアーを斃そうという考えに転じていく。


「(一旦距離を取らなきゃ)下位風魔法ブリーズ!」


ホヅミは端の方へとキングベアーを誘き出す様に回避かいひを繰り返す。


「(よしっ、今だ!)下位風魔法ブリーズ下位風魔法ブリーズ下位風魔法ブリーズ下位風魔法ブリーズ!」


キングベアーを端に置き去りにして、ホヅミは正反対の端へと移動する。十分な距離を取ることに成功したが、急がなければ巨大な体躯のキングベアーならばすぐにでも距離を縮めてしまうだろう。ホヅミは攻撃魔法を思い浮かべた。それはエルフのサーラとの特訓で得た応用魔法。ホヅミは目を閉じて深く呼吸をし、少しでも心を落ち着かせる。右の掌を前に突き出してサーラの言葉を思い出した。


「(下位風魔法ブリーズで生まれた風の渦を掌に凝縮)風の《ブリーズ》……」


この時、ホヅミのイメージにはとある変化が起きていた。サーラとの特訓では小さな風の渦をイメージする事だった。だが今のホヅミはキングベアーを斃したい。斃さなければ大事な人が殺されてしまう。そんな想いがホヅミのイメージを過剰かじょうで過大なものに変えてしまったのだ。通常であれば身のたけに合わず魔法は不発となってしまうだろう。けれど現在ホヅミはリリィの体に入っており、その瞳は紅く輝き始める。


(こ、これは? ……これがリリィの体の力?)

「グオオオオオオ!!!!!」


目を開くと右の掌の前には、自身より一回り大きな大玉状の空気の塊が宙で揺らいでいた。ホヅミは驚くも、キングベアーの雄叫びを聞いてすかさずねらいを定める。


弾丸ショット!!!」


大玉状の空圧は進路の地面を大きく削り取りながらキングベアーに向かっていく。キングベアーは怒りで前が見えていないのかそのまま直進してホヅミの魔法に激突。その巨体は軽々と後ろへ弾かれる様に押しられて、結界を突き破ってあっという間に鋼の壁面に叩きつけられた。空圧によってはりつけ状態にされるキングベアーは苦痛に悲鳴を上げる。空圧は細かく刻む様に、押しつぶすようにじわじわとキングベアーの体を侵食していく。時間が経つと空圧は小さくなり空中で弾けた。はりつけ状態から解放されたキングベアーは地面に二本足で立つ。鋼の壁面に出来た巨大熊型クレーターとその実物が結界から出てきた事に驚く兵士。檻を開けた兵士が慌てて絞輪錠ストレンジオフで押さえ込もうと掌を突き出すが、ロウシュはそれを制す。


「オマエ、ドウホウ、コロシタ」


体から血が吹き出るキングベアーは再び四足で構える。


「ドウホウノ、カタキ」


キングベアーは脇目わきめも振らずに走り出した。体は傷だらけになってしまったのに、先よりも勢いを増してホヅミ目掛けて突き進んでいく。


「え! 嘘でしょ!?」


ホヅミは迎撃げいげきの用意をする。


風の弾丸ブリーズショット風の弾丸ブリーズショット風の弾丸ブリーズショット! 何で当たらないの!?」


次々と魔法を連発するがキングベアーは俊敏しゅんびんに全て躱していく。怪我を負う前よりも、その身のこなしは敏捷びんしょうになっていた。


「コロス、ドウホウノカタキ、コロス」

「(お願い、当たって)風の弾丸ブリーズショット風の弾丸ブリーズショット!」


一向にホヅミの魔法は当たらず、いつのまにか広場にはホヅミの魔法が通った跡が鮮烈だ。


「これならどうよ! 下位氷魔法ヒュルル!」


ホヅミはリリィの体での魔法の使い方に気づいて、大げさな意識を持って唱えてみる。けれど下位氷魔法ヒュルルに至っては旅館で練習した時に出来てしまっていたらしく、さほど威力の変わらないものだった。応用魔法でもないその氷魔法は、キングベアーの巨体を全て凍りつかせるにはまるで足りなかった


「そんな」


打つ手がない。だけど諦めれば、リリィもマリィも殺されてしまう。何か手を考えなければと、ホヅミは再び回避かいひの一手を取る。


下位風魔法ブリーズ! きゃっ!! がはっっ!!?」


ホヅミは魔力の向上が為された時の下位風魔法ブリーズがどれほどなのか予想しきれていなかった。凄い勢いで鋼の壁面に叩きつけられる。ぐったりと壁にもたれるホヅミは、後頭部を強く打った様で、視界や意識が朦朧もうろうとしていた。


「……ホヅミんを守らなきゃ」


リリィは走り出した。兵士がそれを見て止めに入ろうとするが、それもロウシュは制す。


「放っておけ。あのような虫けら共は、いらん」


ホヅミがキングベアーも斃せないと知ったロウシュは見限りをつけてしまった様で振り返って砦の中へと歩き始める。


「待って!」


それは今まで口を開かずにいたマリィの声だった。それにはロウシュも足を止める。


「今すぐキングベアーを大人しくさせて! 私があの子に魔法を教えるわ!」


もしもこの機会でなく早くの段階で申し出ていれば、猜疑心さいぎしんの強いロウシュは人質の提案など聞こうともしなかっただろう。ロウシュがホヅミに魔法の技術がない事に納得し、生まれた隙。しかもこの実戦試験でリリィの体内で生成される魔力量を目の当たりにすれば、その戦力欲しさにロウシュはマリィの提案に食いついてくる。マリィはそこを突いた。


「ほう、面白いことを言うではないか」


ロウシュは興味有り気にマリィへと向き直る。


「あの子はまだ下位の魔法しか唱えていない。私が上位魔法を教えるわ」


マリィが言うとロウシュは、檻開けの兵士に指示を出す。そして今まさにキングベアーは前に立ち塞がるリリィの背後にいるホヅミに向けて、鋭く巨大な爪を振り下ろした。


「キュオアアアアア!!!!!」


首が絞まり悲痛な叫びを上げて倒れるキングベアー。大きな地鳴りが響く。それには視界がおぼろげなホヅミも、自身が命を拾った事を察した。


「ホヅミん聞こえる?! ボクだよ?! リリィだよっ?!」

「……リ……リィ」


決死の覚悟であったリリィはキングベアーが倒れる直前を見ていた。首元の絞輪錠ストレンジオフに手をかけて苦しむその姿を。リリィはキングベアーがそうなった原因のある方へと顔を向ける。目に付く所では、マリィとロウシュが向き合って何かを話している様だった。それを見たリリィはママが上手くき伏せてくれたのだと感極まり、敬いの目を向ける。


「そうか。我々も今回の様な事を予見しての試験だ。存外でなかった。貴様の案、乗ってやろう。だが時間が惜しい………二日だけ待つ」

「わかったわ。ただこの錠がかけられてると魔法が使えなくて教えられないから、外してくれるかしら?」

「……ふん、良かろう。左手を出せ」


ロウシュはマリィの元に歩み寄る。マリィの首にもキングベアーと同じように絞輪錠ストレンジオフをかけているとはいえ、マリィの動向にはよく注意を払いながらその左手の封魔錠スペルオフを解錠した。


「二日後に再び試験を行う。ただし言っておくが、次に用意している魔物はキングベアーよりも強力だ」

「一ついいかしら? あなた達の目的は何?」


ロウシュは鼻下のちょび髭を整えながら、ニヤリと笑う。


「戦争だよ。とある国を落としたいのだが、間が悪くその国には勇者と名乗る用心棒がついてしまってな。用心棒は我々ルノーラの軍をたった一人で押し返してしまった。聞けば多勢のAクラス以下の魔物を一人で返り討ちにしてしまうほどで、最近ではSスーパークラスのキングベアーですらたった一人で討伐してしまったらしい」


マリィは眉を顰める。多くの実力者が多勢集まってやっと斃す事の出来るSスーパークラスの魔物をたった一人で倒してしまう程の実力を持っているという事は、勇者というのも頷ける。


「それでリリィの力が必要と?」

Sスーパークラスを一人で片付ける規格外の化け物だ。化け物に化け物をぶつけるのは定石じょうせきであろう」

「な、リリィは化け物なんかじゃないわっ!! 私の可愛い娘よ!!」


マリィは眉をり上げて怒りを あらわにする。だがロウシュはまるで物ともしていない。ロウシュによってリリィやリリィの友人と共に一度に命を握られている事で、憎いその顔に一撃入れる事すら出来ずに無念であるマリィ。切れて血が流れるほどに唇を噛み締める。


「化け物であろう? 純然たる。魔物と人間の混血など気味の悪い生き物、化け物と言わずして何と言うのだ? ふっふっふ……片腕を失くした貴様も、化け物の親らしく化け物らしい風貌ふうぼうであるわ! とてもよくお似合いだ、化け物親子め」


マリィの後ろで足音がする。そこには兵士に連れられたリリィの姿があった。リリィは兵士を振り払い腰をねじって飛び上がる。足を突き出して、ロウシュの首元に鋭い蹴りが向かった。


「貴様、分かっているのか? 貴様の行動一つで、私の機嫌が変わり、私の行動一つで貴様ら三人の首は潰れるのだぞ?」

「!?」


ロウシュはリリィの蹴りを腕で防いでいた。運動神経は高めであるリリィであったが、それは紛れもない少女の蹴り。大人の男であるロウシュに通じるはずもなかった。


「どうやら理解した様だな。まあこの様なくだらない事で貴様らを殺してもつまらん。貴様が選べ。貴様の母親の残った腕か、私の靴を舐めるか」

「子供になんて事要求するの! いいわ、私の腕を持っていきなさい! 魔法はリリィに」

「黙っていろ欠陥品けっかんひん! 私はこれに聞いたのだ。さあ選べ。貴様の母親の腕を切り落として、より化け物らしくするか、ペットの様に私のくつを舐めるか」


マリィは拳を強く握るが、その拳をロウシュにぶつけてしまえば三人が同時に殺されてしまうだろう。マリィは逸る気持ちを押し殺して、じっとしていた。ロウシュが同様の絞輪錠ストレンジオフを三人に嵌めたのは、こんな時のためなのかもしれない。


「さあ早く選べ、さもなくば」


リリィはぎこちない動きで地面に膝をつく。四つん這いになると、ロウシュが前に出した靴のつま先を見つめる。そして顔を近づけて、リリィはロウシュの靴を小さく出した舌でひと舐めした。


「もっとだ。まだ汚れが残っているぞ」


リリィは躊躇いを押し殺して、ロウシュのくつを舐め回す。土汚れが隅から隅まで取れるまで、何度も何度もその舌を酷使した。


「良いだろう。先の事は水に流そう」

「ぺっ! ぺっ! ぺっ! ぺっ!」


リリィは舌についた泥を地面に吐き散らす。ロウシュは満足した様に笑いを零すと、マリィとリリィの背後にいるホヅミへと目線を移した。


「その者に回復魔法を。奥のキングベアーは廃棄だ。それから広場の地面をならしておけ」

「「「はっ!」」」


ロウシュの指示に従い兵士達は動く。まず檻開けの兵士は手を挙げて魔力を放出。共に上がる悲痛な断末魔を広場の全員が耳にした。そして一人の兵士はホヅミに下位回復魔法ヒールをかけ始める。


「さて、魔法を教えると言ったがどのように教えるつもりだ?」

「私は昔、氷魔法を教える講師をした事があるの。氷の上位魔法から応用魔法まで全部あの子に教えるつもりよ」

「二日で出来るのかね?」


ロウシュは半ばせせら笑いながら言うが、マリィの揺らぎない瞳を見て本気で言っているのだと理解すると途端無表情になる。ロウシュは目を瞑った。ちょび髭を弄りながら何かを考えている様だ。目を開けると綻んだ口で話しを再開する。


「分かった。だが魔法の訓練であれば国の外で行ってくれ。そこの化け物の魔法は想像以上に砦を壊してしまうからな」


ホヅミの魔法によって抉られた地面を兵士達が均す様子を改めて見るように促す。


「二日後まで……この人間の体に入った貴様の娘は人質として牢屋に入れておく。念の為に貴様らには付き添いも付けておくが、くれぐれも逃げる事のないように」


ロウシュは乱暴にリリィの髪の毛を鷲掴みにして引っ張る。苦悶の表情を浮かべるリリィ。マリィは咄嗟にリリィへと手を伸ばすがすぐに引いた。


「逃げないから離してよ! 髪の毛ちぎれちゃう!」


痛がるリリィ。そこに一人の兵士が駆け寄ってくる。兵士に手渡されたロープをロウシュは受け取ると、リリィの絞輪錠ストレンジオフに通して縛り、ロープをリードの様にして持った。


「では期待しているぞ」


ロウシュはリリィを引き連れて砦の中へと戻っていく。リリィは不安気な視線を残し、ロウシュの後へ着いていく。マリィはそんなリリィを心苦しく見送った。そうこうしている内にホヅミの治療が終わる。脳震盪のうしんとうも治まった様で、ふらふらと立ち上がり事態の収拾に努めようとするがなかなか呑み込めない。


「リリィのお母さん?」


するとマリィはホヅミに向き直る。重い表情で真っ直ぐホヅミを見詰めた。


「あの……いったい何が」

「ホヅミさん、これから私はあなたに魔法を教えなくちゃいけない」

「それって……」


マリィの真剣な眼差しにホヅミの胸はぐっと締め付けられる。


「生き残るために協力してくれる? お願い」


優しい口調に含まれたしたたかな思いを感じ取ったホヅミは、無意識に首を縦に動かしていた。





ホヅミとマリィは幾人かの兵士に連れられてルノーラの外へと出向いた。ルノーラ周りは立木もなく周囲を把握しやすい様になっていた。どんな敵が攻めてきたとしても対処しやすい様にだろう。ホヅミとマリィはルノーラから離れたとある一角で留まる。そこは林のすぐ手前だ。


「それじゃあ今からあなたに魔法を教えるわ。私は氷魔法しか使えないから、氷魔法限定になるけれど」

「はい! お願いします!」


マリィは林に向けて左掌を突き出す。目を閉じて深く呼吸をした。


中位氷魔法コヒューム!!」


カチカチカチカチ。

マリィの前方の宙にはたくさんの氷の粒が疎らな大きさで生まれる。更には周りの木々は風に葉を揺らしているのにも関わらずマリィの前方の木々だけ時間が止まってしまった様に凍りついていた。ホヅミには覚えのある光景だ。それは自身が初めて使った下位氷魔法ヒュルル。けれども音の鳴り方や宙で生まれた氷も、マリィのものよりも断然に違った。


「これが中位レベルの氷魔法よ。最も、あなたの体で唱えればもっと威力の高い魔法になるわ」


腰に手を据えてホヅミへと説明する。


「まずあなたには今の魔法を覚えてもらいます。本来なら魔法学からしっかり理解した上で、レベルの低い魔法で慣れてから安全に覚えるのが普通なの。大きな魔法程、それが不完全だったり体に見合わないレベルだったりするとその副作用や代償は大きいからよ。でもあなたの……リリィの体は特別。魔力量が膨大だから、ひたすら魔法が出来るまで唱え続けても平気だわ。リリィが間違った氷の上位魔法を唱えてた事があったの。暑いからって毎日毎日、そう毎日唱えていたわ。でもリリィには何ともなかったわ。だから氷の上位魔法程度までなら、例え不完全でも副作用や代償はほとんどないから安心して」


ホヅミは"安全に"という言葉が気になった。回復魔法でリリィが酷い目に遭っていた件を思い出す。マリィの言う副作用というのは、あの一件が該当するだろう。

マリィはホヅミの元へと寄って、体のあちこちを触り始める。細かくホヅミを観察しながら、その姿勢を整えていく。


「あの……リリィのお母さん」

「マリィでいいわ」

「……マリィさん、実は私、魔法学とか習った事ないです」


これを言うのに躊躇いを感じていたホヅミ。命のかかっている状況なのにも関わらず、マリィの足を引っ張る様な事実を明かすのがとても怖かった。恐る恐るマリィの顔色を窺う。


「そうなのね」


予想外の軽い反応であった。今から行う特訓では魔法学の知識を要さないという事だろうか。

ホヅミはふと気がつく。久しく忘れていた義務教育という言葉を。この世界は日本と違い義務教育は徹底されていない。そもそもホヅミの世界でも日本以外で見れば義務教育も行われていない国さえあるのだ。この世界ではとことんホヅミの常識は無にすのである。


「両手を出して、目を瞑って? 鼻先に全意識を集中しながら鼻で深呼吸を十回」


ホヅミは言われた通りに行った。


「息を吸うと同時にお腹を膨らませて、吐くと同時にお腹を凹ませる」


マリィはホヅミのお腹に手を当てながら言う。学校の音楽の授業で習う、腹式呼吸をさせられているみたいだった。


「氷魔法の鉄則は冷やそうって考えるだけじゃ足りないの。そこの所初心者の子は大体勘違いしているわ。空気の流れを止める。風の流れを止める時の流れを止める。心の揺らぎを止める………そして固める」


ホヅミは深層心理に入っていた。五感から感じる全てものを止める。止まった世界で、ホヅミはじっと一つの何もない空間に焦点を合わせていた。


「下位魔法が花ならば、中位魔法は花畑。好きなお花畑の記憶の一面を切り取って、あなたの目の前に置くの。それは変わらないままあなたの目の前で広がり続ける。いいえ、変えさせないように、氷漬けにしてしまいなさい」


そして今、ホヅミは目を開く。


中位氷魔法コヒューム!!」


バキバキバキバキバキッ!!

ホヅミの前方にある木々は風の影響を受けずに固まったまま。宙に散らばった氷塊はガリンガリンと地面へと落下する。ホヅミは足を前に踏み出した。踏まれた草は簡単に粉々こなごなに砕けてしまう。辺りには変わらず吹く風によって冷気がただよい、兵士達は身を震わせていた。


「一回で出来ちゃうなんて筋が良いわ。後は何度か唱えてれましょう。そうしたら次は上位魔法よ」

「はい!」


それからマリィとの氷魔法特訓が続いていく。



ホヅミとマリィの魔法の特訓は夕方にまで続いていた。夕焼けの光が凍った草木に反射して万華鏡まんげきょうの様にきらびやかな景色を彩っていた。連続で打ち続ける氷魔法によって、ホヅミの前方は氷結の林と化してしまっている。空気中の水分は著しく無くなってホヅミもマリィも兵士達も肌や喉がカサカサだった。気温も下がり各々の体温を激しく奪っている。


上位氷魔法ヒュルゾネス!! はぁっ、はぁっ」


ホヅミの上位氷魔法ヒュルゾネスは一向に完成しない。上位氷魔法ヒュルゾネスに挑戦し始めてから、纏まりのない魔法の放出をしてしまったり、不発だったり、手応てごたえのない威力でまるで中位魔法よりも弱い魔法を唱えているとさえ思える様な、不完全な魔法しか発動していない。時折何度か暴走をして、自身に冷気をこうむったりしたせいで、ホヅミの服には霜が堆積たいせきしている。両手は真っ赤になっていて、指の感覚がほとんどなくなってきた頃だ。


上位氷魔法ヒュルゾネス!!」

「ホヅミちゃん、呼吸が乱れてきているわ」

「はい!」


マリィの指摘によって再び呼吸を整えるホヅミ。改めて教わった事を思い出す。中位氷魔法コヒュームは範囲を広げる魔法。上位氷魔法ヒュルゾネスは更に範囲を広げ、冷気を急激に下げる魔法。温度を下げるイメージがホヅミにはなかなか難しい。体験をした事がないからだ。リリィの様に火炎の魔法であれば、簡単に想像はついたであろう。けれど氷の上位魔法に有する冷気は、具体的にどんなものか分かってはいない。マリィには何度も上位氷魔法ヒュルゾネスをお手本として唱えてもらっているが、発動の瞬間に白い霧が爆発的に溢れ出している。だがホヅミの魔法にはそれがない。


「マリィさん、もう一回見せてください!」

「良いわよ……すぅ……はぁ………上位氷魔法ヒュルゾネス!!」


ボォォオワアアアアバキバキバキバキバキッ!!!!!

草木は既に凍りついてしまっていてほとんど変化が見られないが、やはりマリィの上位氷魔法ヒュルゾネスは白い霧が爆発的に溢れ出している。


一方ホヅミとマリィの二人を少し離れたところで監視していた兵士達。


「なあおい」

「あん? 何だよ 」

「あのホヅミって奴は魔物の体だから分かるけどよ、あっちの方は人間なんじゃねぇのか?」


兵士達は二人に戦慄せんりつを覚えていた。


「知らねぇよ」

「実は魔物の血が混じってましたとかじゃないのか? 今日だけで上位魔法十回以上は唱えてるぞ。有り得ないだろ」


明らかに人間の唱えられる上位魔法の限界回数を超えていたマリィ。普通の人間であれば二回、多くても三回が限度である。


魔法を覚えるには実際に魔法を体感するのが一番だとマリィから教わっていた。ゆえに十回以上、お手本であるマリィの氷魔法を見たホヅミは、初めよりも一段と成長している。


上位氷魔法ヒュルゾネス!!!」


だがここに来て不発。先程までは何だかコツが掴めてきた様な気がしていたホヅミの集中力は一気に瓦解氷消がかいひょうしょうしていく。落胆するホヅミの肩にそっとマリィは手を置いた。


「そろそろ限界みたいね」


かれこれ百回以上は上位魔法を打ち続けたホヅミの瞳は紅色から緑色に戻っていた。マリィはそれを見てホヅミに残る魔力を悟る。


「待って! まだ……あと少しだけ」

「いいえ、あなたの魔力はもう限界がきているわ。もしそれ以上続けたら何が起こるか」


ホヅミはマリィの話を聞き入れず、感覚のない両手を前に再び突き出して、林へと鋭い視線を向ける。


「私……いつもリリィに迷惑かけてるんです……無茶させてるんです……だから今度は私がリリィを助けたい……助けられるくらい強くなりたい………ここで頑張らなきゃ……またリリィに辛い思いをさせる気がするから」


強い思いを心に宿し、ホヅミは呼吸を整える。するとそんなホヅミの心境の変化によるものなのか、ホヅミはこれから発動する魔法を唱える前から手応えを感じていた。小さな両手からは白い冷気がじわじわと溢れ出してきている。


上位氷魔法ヒュルゾネス!!!!」


ボォォオワアアアアオオオオオバキバキバキバキバキッ!!!!! バリバリバリバリバリン!!!!!

空からはバスケットボールくらいの大きさの氷塊があられの様にホヅミの前方へと降り注ぐ。凍りついた木々はもろく次々に砕けていった。溢れ出る白い冷気が煙幕えんまくを張るように前方を多い、だんだんとそれは晴れていく。見ればかなりの広範囲までホヅミの魔法は及んでいた様だ。ホヅミを中心に扇形おうぎがたを描く様に、その規模は八十メートルくらいあるだろう。


「出来た」


ぐらつくホヅミに気づいて、目を見開いて固まっていたマリィが我に返る。


「凄い、凄いわ! ホヅミちゃん、よく頑張ったわぁ!」


ホヅミを抱き寄せて後頭部を撫でるマリィ。温かいその抱擁ほうようにホヅミは安心すると、そのまま眠る様に気絶してしまった。





ホヅミは夢を見ていた。ホヅミは両手を上げて、その双方の手を誰かが握ってくれている。前を歩く二人は温かく笑いかけてくれていた。自身の左手を握るのはマリィだ。けれどホヅミの知るマリィとは少し違う。そう、既にあるはずのない右手でホヅミの左手を握って前を歩いていたのだ。それだけでなく、随分見上げた所に顔が見える。ホヅミは自身が縮んでしまったのではないかと錯覚さっかくした。


「リリィ、今日はお家に帰ってお料理の練習しましょうねー」

「マリィ、何を言うんだ! 今日はボクとリリィで昆虫観察こんちゅうかんさつをする約束をしたんだぞ?」


口を尖らせて話す男の人の声。自身の右手を握るのはホヅミの知らない人だった。ただ男の人の頭には小さな角の様なものが生えており、いつか見たリリィの瞳の紅色と、同じ色をした瞳だった。


「あなたこそ何言ってるの? リリィは女の子なのよ?」

「女の子だって昆虫好きかもしれないじゃないか! それに今から慣れさせておけば、大人になって……きゃあ〜虫怖い〜……ってならなくて済む」

「きゃあ〜! ふふふふふ」


ホヅミは口を動かそうとしていないにも関わらず、勝手に声が出る。男の人の真似をしたのだろう。マリィと男の人はその振る舞いに、困った様に笑って顔を見合わせる。


「リリィ、お料理好きよね?」

「リリィ、昆虫観察したいよな? かえるさん好きだよな?」


二人は互いにリリィの気を引こうと撫でるように甘い言い方をする。


「……ん? かえるって昆虫じゃないわよね?」


突っ込まれて焦る男の人は表情が固まる。


「リリィどっちもすゆ! どっちもパパとママとすゆ!」


その瞬間ホヅミはこれがリリィの記憶なのだと知る。リリィの体に入っているのだから、こういう夢を見る事もあるのだろう。



「ははは、そうだな。パパもママとリリィの三人でやる方が楽しいと思うよ」

「そうね、お料理も昆虫観察も三人でしましょう」


屈託のないリリィに二人は考えを改める。


「ただしパパ? お料理で家まで燃やすのはもうやめてちょうだいね? じゃないと凍らすわよ?」

「ひっ、ひぇ〜」


パパと呼ばれた男の人は、マリィの言葉に背筋を凍らせていた。

そして場面が切り替わる。そこはとある一軒家の外。リリィの目の前で、リリィのパパが地面に寝転がっていた。


「パパ? どうしたの? あ、もしかしてお魚さんの真似? リリィもする! ぎょっぎょっぎょ〜」


小さい頃のリリィを通して見ていたホヅミ。リリィのパパは赤紫色の液体に塗れ、地面に突っ伏していた。リリィはそれをお魚の真似と思って、同じ様に地面で寝そべってピタピタと跳ねる。


「ぎょっぎょっぎょ〜ぎょっぎょっぎょ〜……ねぇパパもやってよ…………パパ?」


何か様子がおかしいとリリィはパパを揺さぶる。


「うぅっ……あ……リリィ……ママを……呼んできてくれるか?」


リリィはパパの様子が呑み込めずに少し考えたが、分からないのでとりあえずママを呼んでくる事にした。


「うん! 分かった!」


リリィは家に入るとマリィを呼んだ。


「ママ! パパが帰ってきたよ!」

「パパが? 意外に早かったわねあの人」


マリィは家事の手を止めてリリィの立つ入口へと向かう。


「あ、リリィ! またお洋服泥だらけにして! もう、何やって……………!?」


マリィは血相を変えてリリィの元に駆け寄った。リリィの右手と右の袖口はべったりと赤紫色の液体で汚れている。マリィはリリィの右手を取り何かを確かめた。ふとリリィの背後の向こうの光景を見たマリィの顔色はより一層に青ざめる。マリィはゆっくりと入口の外へと歩き出した。


「嘘……嘘よ……ダリア……ダリア!!! 」


マリィは、リリィのパパであるダリアの元へと駆け寄った。ダリアは傷だらけで、赤紫色の液体を体中から流していた。息も絶え絶えで、苦しそうにしている。


「すまないマリィ……ボクはもう」

「そんな、嫌よ。あなたが死んだら……私は……リリィは……」


リリィはその小さな歩幅でてくてく歩いて、マリィの背後に立つ。振り向いたマリィは泣いていた。


「ママ? どうして泣いてるの?」

「リリィ……これは……」


マリィが答えあぐねっていると、満身創痍まんしんそういなダリアが、棘も苦しげもない口調で、優しくリリィに語りかける。


「リリィ、ボクは旅に出なくちゃならない。ママとお留守番、頼めるかな?」


見上げるダリアの顔は笑っていた。リリィの右手を引いて笑いかける様に、穏やかで、優しく、力強く。


「うん! パパの代わりに、私がママを守る」


ダリアは左の人差し指を立てると、リリィはそれを小さな小さな両手でめいいっぱいに握る。


「マリィ、行ってくるよ」

「気をつけて、ダリア」


それを見届けるとダリアは動かなくなる。

そこで視界は暗くなり、目の前には真っ黒な空間が広がった。そっと目を開けると、見覚えのある温かみに欠けた天井てんじょうが広がり、すぐにそこは牢屋の中だと気づく。


「おはようホヅミん! 良かった! 帰ってきてから全然目を覚まさないんだもん! 心配したよ!」


満面の笑みでリリィが見下ろす。


「リリィ……」


ホヅミはふと、一筋だけ目から涙を流した。悲しそうにするホヅミを見て、リリィの表情は一変する。


「ホヅミん? どうしたの? 嫌な夢でも見た?」


心配そうにホヅミの顔を覗き込むリリィ。ホヅミの見た夢は嫌という言葉で形容して良い様なものではなかった。リリィが大切に思う父親の死。だがそれ以上にその夢には、愛と優しさに溢れていたのだから。


「ううん、違う……違うの………」


夢の内容をリリィに話してしまいたい。辛かったねと慰(なぐさ)めてあげたい。けれど話すだけで余計な記憶を掘り起こしてしまうならとホヅミは言葉を飲み込んだ。



聞けば今現在は既に朝を迎えているらしい。ホヅミはマリィとの魔法の猛特訓のあとから、なんと今の今までずっと眠りこけていたらしい。魔力をほとんど使い切ると、大抵の人は疲れて眠くなるらしいが、ホヅミの場合はリリィの体という事もあって、その回復にかなりの睡眠時間を要していた。


「はい、ホヅミん。お食事だよ」


ホヅミは起き上がると、木製のトレイをリリィに手渡される。そこには直接乗せられたコッペパンの様なものが二つと、お皿には透明とうめいな何かのスープが入っていた。


「ありがとう」


ホヅミのお腹は背中とくっついてしまいそうなほどにぺこぺこだった。封魔錠スペルオフのかけられた不自由な手でパンを取ると、むさぼる様に口に押し込む。喉がつまりかけると、冷めてぬるくなったスープをゴクゴクと流し込んだ。パンはただのぱさぱさしたパン。スープは薄い塩味。味気ないものだったが、今のホヅミにとっては食べられるだけありがたい。


「ホヅミんずるいな。たった一日で氷の上位魔法覚えるなんて。ボクなんて二ヶ月近くかかったのに」


口を尖らせながら言うその様は、まるで夢で見た例の人とそっくりだった。


「ホヅミちゃんは特別。本来魔法学の方からきっちり学んで安全に覚える手順をすっ飛ばしてるんだから仕方ないの。文句言わない」

「はーい。でもでも、そんな風に覚えられるんだったら、ボクもそうやって覚え」


リリィは右と左の人差し指を突き合わせて口が減らない。


「リリィぃー?」

「わ、分かったってばぁ〜」


目を鋭くしてリリィに顔を近づけるマリィ。リリィは両手を振りながら笑って誤魔化した。


「ホヅミちゃんも、ここを逃げ出せたら魔法学を一からきっちり教えてあげるわ。毎日授業よ? 覚悟しなさい?」

「あはは、はーい」


指を立ててウインクをするマリィに、かわいた笑いを返した。


「ママ、ここから出られるの?」


リリィの率直な問いに、マリィは顔を曇らせる。


「…………現状、ロウシュが私達三人の命を握ってる。それからこの絞輪錠ストレンジオフ、昨日兵士に隠れてこっそり魔法を何度か当てて見たけれど、冷えもしなかった。何か物理的もので外すしかないわ。けれど少しでも妙な動きを見せれば、どこからどんな風にロウシュへ情報が伝達されるかも分からない。だから……」


マリィは言う。絞輪錠ストレンジオフが発動出来ない状態にしてしまえば良いとの事だった。ロウシュを眠らせるか、気絶させるか、封魔錠スペルオフ強奪ごうだつしてロウシュにかけるか。それを行うタイミングとしても、ホヅミが封魔錠スペルオフを外されている時をねらうべきだとマリィは言う。その際、三人は同じ場所にいなければならない。もし誰かが牢屋に残るなどしていれば、すぐに情報が伝達されて牢屋に残った者が処刑されてしまうからである。


「たぶん、魔法の特訓中では狙えない。外に出た時も、どこかからずっと視線を感じていたわ。ルノーラ帝国の至る所に目がある。だから動くならロウシュがいる戦争開始時。それと私達三人を連れていってもらうにはどうしたら良いかよね」

「ママ、そんなの簡単だよ」


リリィは言う。

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