勇者の癖に

死んだ。そう思って、味わったことのない、味わいたくもなかった死を今か今かと待つ。だがいつまで経っても痛みはやってこない。痛みを感じる間もなく、魂のみとなってしまったのかと錯覚する瞬間、地鳴り。そっと目を開けた先に見えたのは、仰向けに倒れるキングベアー。ローレンスは自分がまだ生きていることに気がついた。そしてかがみ込んで自身をおおうう影の正体に目を移す。


「ったくよぉ、大きなうめき声が聞こえたんで来てみりゃ……何だよそのザマは。勇者様?」

「はひ?」

「グオオオオオオォ!!」


起き上がって口から滲む血を腕で拭うキングベアー。怒りを加速させて、目の前にいる腕を構えて不敵に笑う少年に、とがらせた赤色の瞳を向ける。


「ローレンス? だっけ? 勇者の名を語るんなら、Sスーパークラス程度の魔物にビビってんじゃねぇよ!」

「誰だよお前、いったい、何したんだよ……」

「俺か? ……俺はなっ!」


言うと地面を蹴り高く空へと跳躍ちょうやくする。起き上がったキングベアーに焦点を合わせると、にぃと笑う。体を屈めて回転し、その勢いに任せて踵落かかとおとしを繰り出す。かかとは魔物の頭にめり込み、少年の何十倍もあるその巨体は凄まじい勢いで地面へと叩きつけられる。少年は着地。キングベアーは突っ伏す。その光景を目にしていたローレンスは開いた口が塞がらない。自分はキングベアーに少しも歯が立たなかったというのに、自分よりも小さな体躯であのキングベアーを圧倒してしまう少年。


「シュウ……シュウ・トサカ! まぁ、勇者だ」

「ゆ……勇者? まさか本物!?」


地面に頭をめり込まして寝ているキングベアーに、シュウはゆっくりと歩み寄っていく。足に力を込めてキングベアーの下顎したあごを蹴り飛ばした。キングベアーの体はり数メートル先まで吹っ飛んでしまう。


「グオオオォォォ」

「おいおい、まさか熊が死んだフリとは呆れるなぁ」


にやりと何やら楽しそうに笑みを浮かべるシュウ。蹴り飛ばされてすっかり怯えきったキングベアーはゆっくりとやってくるシュウから逃げるように体を後ろへと引きずる。


「なぁ、知ってるか? 俺は武器を使わない主義なんだ。だってそうだろ? 武器なんてもんを使っちまえば、相手は簡単に伸びちまう」


シュウはそう言うと足を止める。


「逃げるなよ。せっかく見つけたサンドバッグだ。もっと俺を……」


瞬間、シュウはキングベアーの目と鼻の先に姿を現す。


「楽しませろよ」


シュウはどのような表情をしていたのか、この場にいる誰もが知らない。キングベアーだけが知っている。その魔物よりも魔物らしい、悪魔の微笑みを。

こうして町に襲来した魔物キングベアーは、勇者シュウの手によって惨殺される。町の人々にはSクラスの魔物と必死に渡り合っている勇ましい姿に見えたのだろう。

そしてシュウが人々に持てはやされると同時に、ローレンスは町から追われる身となる。





カウンター腰には、蝶ネクタイをきっちりと閉め、透き通るワイングラスを綺麗な白い布で磨くマスター。外は暗く、酒場内は天井についた魔法のランプの灯りのみで照らされる。奥で下品に騒ぎ立てる酔っ払い達の火の粉にかからぬ様に、ホヅミは隅を通ってカウンターへと足を運んだ。



すっと綺麗な姿勢で立つマスターに聞けば、カウンター右奥に座る者がホヅミの探し求めていた勇者のようだ。目線を移したそこにはそれらしい人間が一人、大剣を背負ったたくましい姿はまさに勇者らしい。


「勇者さん? ですよね?」


しかしお目当ての勇者は隣にいる人間と話をしている様で、こちらの声には耳をかたむけない。


「お願いしますって。俺がいれば、必ず役に立ちますから」


何やら込み入った話のようで、今話しかけるにはタイミングが合わなかったようだ。


「お願いしますよ! 勇者様!」

「え? 勇者…さま?」


勇者と思っていた男から出た言葉に、ホヅミは驚いた。その男が下手したてに出て話しているのは、更に右隣にいる人物。まさかと思いその人物を覗くと、そこにはホヅミと同じ年くらいの黒髪の少年が、グラスを片手に座っていた。手には黒いグローブ、その腕には腕輪の様なものがめられている。エルフの村長が言っていたソウルリングと呼ばれるものだろうか。


「だーかーらっ! お前はダメだっての!!」

「ちっ……何だよ。仲間はいても減らないだろうが」


目の前にいた男は席を立ち上がると、入口に向かって歩いていく。ホヅミが目を移した少年は、グラスに入った飲み物を少し口にして、ため息をついた。すると後ろの方からドンッと扉を強く蹴る音がして、ホヅミは振り向く。それは先程の男だった。えら御立腹ごりっぷくの様だ。ホヅミは再び少年に向き直る。


「あの……勇者……さん?」

「ガキはダメだ」

「へ?」


ぎろり、少年の鋭い眼光がんこうがホヅミに突き刺さる。


「ガキはダメだ。すぐ死ぬだろ」

「え、は?」

「お前など仲間にいらん」


その愛想あいそのない態度に、少しかちんと頭に来たホヅミの心には小さな火がついた。


「いや、仲間になりたくてきたんじゃないの。お願いがあってきたの」


内心怒り、にこりとさわやかに微笑んでみせるホヅミをいぶかしげに見る。


「聞こう」


少年はグラスに入った飲み物をちょいと口にしてホヅミに向き直った。


「実は、私の友達が貴族にさらわれたの。でも私、何も出来なくて」


少年は目を瞑ってしばらく考え込むかのように飲み物を口にする。


「貴族か……ここらで貴族って言やぁハイシエンス王都のか?」


ホヅミは聞き覚えのある名称に頷いた。エピルカが語っていた王都だ。シュウは大きくため息をつくと、酒のにおいが乗ってホヅミの鼻をつく。


「で、いくら出す?」

「え? い、いくらって……」

「金だよ金! お前、まさか勇者だからって何でもしてもらえるとでも思ってきたのか?」


言われてみれば当然の事ではある。ホヅミは勇者だと聞いて、正義のためならと無償むしょう助力じょりょくをしてくれるのではと、多少なりとも思ってしまっていた。


「これ……だけしか」


ホヅミはエルフ族からいただいた銀貨ぎんかを五枚、ポケットから取り出した。


「銀貨か……ガキにしちゃ持ってんな……で、お前ここに住んでんのか?」

「え? ううん、私は……エルフの……村から」


日本から、と言ってしまいたかったが、もし聞いた事もない地の名前を出してしまえば、あやしまれて依頼を断られてしまうだろうと思い、エルフの名を口にした。


「エルフ? ……お前はエルフじゃないよな?」


ぐいっと身を乗り出してホヅミの瞳を覗く様に見つめる少年。少年の顔が近くなって、思わず意識してしまうホヅミ。しばらく見つめると、少年は席に着く。


「って事は、友達ってのはエルフの事か?」

「え? ええと、友達は人間」


少年はすっとグラスを口に添えて一口。


「……分かった。銀貨四枚で引き受ける。残り一枚で、宿にでも泊まれ。明朝みょうちょう町の入口で待ってろ」


と少年はグラスの飲み物を一気に飲み干すと、席を立ち上がる。


「あ、ありがとう」


半信半疑ではあった。同年代くらいの男の子が、目新しい武器も持たずに、勇者という存在である事は、少し疑問にも思う。エルフのシンラが情報の正確性について五分五分と言っていたことを思い出して、ホヅミは不安になっていた。


「安心しな、ガキ。お前の友達は必ず、この俺、勇者シュウ様が、助けてやるよ」


トントンと肩に叩くと、ホヅミの横を通り過ぎるシュウ。


「何がガキだよ。そっちだって未成年のくせに」


呟いた。限りなく小さな声で。だが勇者シュウの耳にはその声が届いてしまっていたようだった。シュウは慌ててホヅミの肩を掴んでその体を自分へと向ける。ガシリと頬ごと顎を鷲掴わしづかみにして、瞳孔どうこうの開いた目でホヅミを睨みつける。


「今何て言ったあ!?」

「ほへ? ほほふご」


そのあまりの形相ぎょうそうに、ホヅミは自分の発言をかえりみる。


「ちょっと……こっち来い!」


顎から手を離すと、シュウはホヅミの手を無理やり引っ張って行く。


「痛っ……痛いって」

「うるせぇ! それどころじゃねぇ!」


シュウはポケットから取り出した銅貨を一枚取り出すと、カウンターに叩きつけた。そしてそのまま酒場の扉を強く開け放つと、ホヅミを連れて外へと出る。酒場から出てすぐの路地裏に入り込むと、投げる様にホヅミを石壁に叩きつけた。


「痛っ!? ……何するの!」


シュウは間髪入かんぱついれずに勢いよくホヅミに向かって片手を伸ばすと、その掌はれてホヅミの顔の横を突っ切りドンッと音を立てる。


「お前ぇぇぇええええ!! さっき何つったああ!」

「ひぃぃぃいいい!?」


その恐ろしい形相にホヅミは怯える。日本で高橋に襲われた記憶がフラッシュバックする。体は震え出して言う事を聞いてくれない。目からは意識もせずに涙が溢れてきた。


「お前さっき、未成年とか言わなかったか!!」

「いいいい言ったけど、だって、子供だと思ったんだもん!」


シュウは怯えるホヅミから視線を下ろし、石壁についた手を退ける。跳ね上がる心臓が治まらないホヅミは、その様子を不審に思う。


「俺、日本から来たんだよ」

「え? にほん……て、日本?」


見当違いな発言にホヅミは唖然とした。


「俺の名前は、登坂修とさかしゅう。橋川中学三年」

「え……えええええ!?」





冷たい床が、頬に、腕に、太ももに、張り付いている。エピルカとの戦いから録に治療も施されず、体のそこら中から血が滲む。前の両手に大きな手錠をかけられていた。目の前には大きな鉄格子。薄暗く、魔法のランプの火に照らされてゆらゆらと影を揺らす。

リリィは目が覚めた。体中が熱い。特に右手は腫れ上がってぱんぱんだ。指も変な方向に曲がったままであり、力を込めても動かす事が出来ない。リリィは起き上がって体を鉄格子まで引きずる。

リリィは牢屋に入れられた後に意識を失っていた。よって連れてこられた時の様子を思うにここはかなりの深さの地下牢である。石造りの牢屋が左右にずらりと複数並び、その内の一つに収容されている様だった。目先の牢屋にはボロボロになった布キレ一枚を着て、力なく項垂うなだれて座っている者がいた。リリィと同じ様に大きな手錠をかけられている。そして気になったのは切れ長な耳。エルフに見られる特徴だ。リリィは村長の言葉を思い出した。


「あの、すみません」


話しかけるリリィ。しかし反応を見せない。聞こえていないのだろうか。すると遠くからコツコツという音が響いてきた。しばらくするとそれは足音だと気がついて、リリィは慌てて反対の方向を向いて寝そべる。


「おい、出ろ」


リリィはそっと後ろを向いた。少し目を開けて見やると、隣の牢の前に人影が少し見える。


「エピルカ様がお待ちだ」

「……いや」

「何を言っている。貴様は既に、エピルカ様のもの。貴様の意見など「もう嫌だあああああ!!!」」


叫び声が地下に響く。壁からはゴンゴンゴンと何かをぶつけるような音が連続する。そしてボコっと生々しい音が一つ聞こえてバサリ。誰かの倒れた様な音が聞こえた。ズルズル引きずる音ともに、人影は消える。やがて音が途絶えると、リリィは震えるため息を吐いた。

それからしばらくだ。上の方から悲鳴がとどろく。胸をいばらしばり上げられる程の痛々しい悲鳴にリリィは思わず耳をふさぎたくなるが、両手にかけられた手錠てじょうはそれをさせてはくれない。

悲鳴が止むと、リリィはふらつきながらも立ち上がる。牢屋から脱出しようと、何か方法はないかと中を見回した。中には備え付きのボットン便所が隅にあり、それ以外は何も置いてはいなかった。そういえばとリリィは自分の体を見回した。エピルカに受けた風魔法のせいでボロボロ衣服だが、ホヅミの着ていた異世界でのもの。もしかすると、脱出に役立ちそうなものが衣服に身につけられているかもしれないと、手錠のかかった手で探る。

胸ポケットにはヘアピンが二つ。この二つのヘアピンを使えば、解錠ができるかもしれないとリリィは考える。リリィは塾で鍵の仕組みについて習った事があった。その際に二本の針金を使い、鍵を開けるピッキングの技術をも授業で習っていた。知恵のついた魔物も、鍵を利用する世の中だ。魔物にもし捕えられてしまった場合、ピッキングが必要となってくる。

リリィは一つのヘアピンを、動かせる左手と口を使って真っ直ぐに伸ばし、もう一つのヘアピンは口に加えたままに。二つのヘアピンを手錠の鍵穴に差し込むと、ゆっくり鍵穴の中の形状に合わせてヘアピンを奥へと差し込んでいく。

カチャリ。

ヘアピンを回すと解錠が成功した。 すぐに封魔錠スペルオフを体から離し、体に残る魔力を左手に込める。


下位回復魔法ヒール!」


ぱんぱんに腫れ上がり、変な方向に折れ曲がった指は次第に元の形状や元の位置に戻っていく。握って広げて右手が自由に動かせる事を確認すると、今度は両手を体に翳(かざ)して下位回復魔法・倍ヒール・バイリングをかける。よって火傷したかのように熱かった痛みが体から引いていく。体中の傷は癒え、少し気が楽になった。

リリィは牢屋の鉄格子に近づくと再び魔力を手に込める。燃え盛る火を心に置いて、熱くなるその意識を翳した掌に集中させる。


中位熱魔法アップヒート!」


グォンと空気の波が広がると、同時に手を翳した範囲で鉄格子てつごうしが黄色い熱を帯び、みるみるうちに溶けて……いかない。


「あれ? 足りないかな……あ! そっか、ホヅミんの体だと、魔力が足りないのか」


リリィは考える。浮かび上がったのは上位魔法。塾ではまだ習うことのない魔法だ。本来ならば、リリィの年齢で上位魔法を使うことなど出来ない。しかしリリィには出来る。また、リリィは増幅魔法バイリングという魔法の威力を増幅する魔法を使うことが出来るが、これは得意とする火炎系、回復系にのみ使用が可能であった。熱魔法では使えない。だがこの場で増幅魔法バイリングを用いた下位火炎魔法ジェラを発動してしまうと、周りの牢屋にいる者まで被害が及んでしまう。もちろん増幅魔法バイリングなしの下位火炎魔法ジェラでは鉄格子を溶かすにまでは至らないだろう。リリィは上位魔法を使うことに決めた。ホヅミの体では上位魔法による魔力消費が心配であった。生き物は皆僅みなわずかな魔力をたよりに生命を維持していると言っても過言ではない。特に魔力を使い切ってしまうと、魔法が発動しないどころか動けなくなってしまうかもしれない。それ故に使用がはばかられるがそうも言ってはいられなかった。リリィは覚悟をしつつ、目の前に両掌を翳す。


上位熱魔法オーバーヒート!」


グオオォン。


大気は揺らぐ。牢屋の鉄格子は一瞬にして溶けたどろどろに変形した。その威力は前の牢の鉄格子にまで影響を与えて、一部が黄色く光っている。


「よし……あ…」


とふらつくリリィ。尻もちをついてしまう。


「やばい……魔力使い切っちゃったかな」


リリィはやってやったと不敵にわらう。ぷるぷると震える足でゆっくりと立ち上がると、ふらつく足取りで牢屋を出た。そして先程話しかけても反応を示さなかったエルフのいる牢屋に近づく。


「エルフさん……必ず、助けるから」


その声に一瞬エルフの瞳に光が戻った様な気がしたが、色のない表情で俯いて黙り込んでいるだけだった。気づくと上階から聞こえていた悲鳴が止んでいる。無音の恐怖に心を侵食されながらも、リリィは奥に構えた上階へと続く階段に向かって足を動かした。その道すがら、牢屋に捕えられている者達を見た。ほとんどが虚ろな目をして外を歩くリリィに見向きもしない。生きてはいるのだろうが、生きた感じのしない表情を誰しもがしている。エルフ以外にも人間や人間の子供までが囚われていた。


「お願い……助けて」

「大丈夫、必ずお姉ちゃんが助けてあげるからね」

「ありがとう」


せ切った顔に笑窪えくぼを浮かべる子供。リリィが決意を込めてぐっと固く拳を握りしめると、上階へとのぞんだ。



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