第43話 保険
まさにその通りだったアンジェラが目を泳がせると、複雑そうなコンラッドの顔が目に入り俯いた。実際イリスに戻ってコンラッドたちの無事を確かめたうえで戻れたらと考え、方法を思い巡らせていた。それでもイリスでコンラッドの顔を見てしまったら、動けなくなるのではないかと思って怖かった。
「だって、わたくしは多分、もう一度くらいこちらに来れるんじゃないかって思って」
方法だけなら武器召喚の応用で、難しくはあるができるような気がするのだ。
「先生ならできるでしょうね。でもこっちに着いた途端倒れることも目に見えてる。確実に寿命も縮むだろうね」
おそらくそうなるので、ぐうの音も出ない。
「閣下。ちょっとこの
わざとふてぶてしい物言いをするエドガーに、コンラッドは柔らかく微笑んで「そうだな」と言った。
(コンラッド、「そうだな」じゃないですわ。しかも婚約したことはまだ誰にも言ってないはずなのに、どうしてエドガーにバレてるのよ!)
コンラッドが話したのかと思って見てみても、彼は否定するように肩をすくめて見せる。恐ろしいほどのエドガーの勘のよさに舌をまいた。
「でもね、エドガー。わたくしはあなたのことも守りたいのよ」
本当に、心の底から守りたいと思っているのだ。
彼のことが可愛いこともあるが、セシルが処刑されたのと同じ十六歳の彼が心配だった。まだ出会った頃のリンと同じように、二十歳を超えていたなら違っていたかもしれない。
万が一にもエドガーをセシルのような目に合わせたくない。若さゆえの甘さをカバーしてやりたい。でもそれは傲慢なことなのだろうか。
エドガーは大仰にため息をついて「閣下、ごめん」と言ってから、アンジェラの頬を両手で挟み、コテンと額をくっつける。それはアンジェラが小さな子どもを諭すとき、ごくまれに使っていたスタイルだった。
「ありがとう、先生。俺、わりと本気で、先生と同世代に生まれたかったよ」
「エドガー?」
「そんな風に思ってくれるのは、完全に俺が未熟なせいだろう?」
「そんなことは」
ないと言おうとしたものの、至近距離で見るエドガーの目には寂しそうな、それでいて悔しくてたまらない怒りのような色が浮かんでいて、アンジェラは言葉が止まった。
彼はまだ十六歳になったばかりでも、ここに来ることを自ら決め、覚悟を決めた男なのだと、アンジェラはその時やっと理解した。
セシルは子どもだった。彼に比べて無知で幼くて、何も見えてない子供だった。
エドガーには選ばれた者だと言う気持ちもあっただろう。思いきり力をふるえないイリスより、どこかで自分の力を確かめたいという好奇心もあっただろう。でも彼は単純に、「助けたい、役に立ちたい」と思っている。セシルよりもずっとしっかりしているし、頭もいいし、見た目よりずっと大人だ。
母親であるヴィクトリアは何より息子を信じていた。他人のアンジェラのほうが、彼のことを無意識に侮っていた。
それに気づいてアンジェラは全身から力が抜けた。羞恥で身が縮む。
「ごめんなさい、エドガー。わたくしが傲慢だったわ」
アンジェラの謝罪に、エドガーの目が優しく細められる。
「俺、多少の痛みなんかには負けないから。ちゃんとイリスに帰って、学生生活も送るって約束する。身体のほうは先生がガードを付けてくれたって知ってるし。もしものときの精神面は、まあ大丈夫じゃないかなぁ」
額を外してエドガーがマリオンを見ると、彼女は明るく笑って頷いた。
「ぼくがいるよ、アンジェラ」
「マリオン」
「ぼくはその為について行く。アンジェラがしたかったことは分かってるつもりだし、それなりに役に立つだろ。君は自分の世界に帰ったほうがいいって思ってたし、これが最善だ。――まあ、色気的な意味では、アンジェラの代わりは無理だけど」
真剣な目をした後、くねっとシナを作ったマリオンにアンジェラとエドガーが同時に噴き出し、コンラッドは上品に顔をそむけた。
「だから先生は、向こうで待ってて。――あ、もしもの場合は、引っ張り上げてもらうかも……しれ、ない、し」
万が一、急遽イリスに戻る必要な場面が生じたら。
そんなことを考えたのか、アンジェラとエドガーはハッと顔を見合わせて同時に頷く。
「コンラッド」
ささやきに近いアンジェラの呼びかけに、彼がすぐそばに立つ。
「どうしました」
「これからエドガーに保険をかけます。手伝っていただけますか」
もしもエドガーがイリスに戻れなくなるようなことが起こった時。
もしくは、急遽イリスに戻らなければならない事態が起こった場合。
この先なにが起こるか分からない今、かけられる備えはすべてするべきだ。
「エドガーに召喚の印をつけます」
人を召喚するのは、武器を呼ぶのとは勝手が違う。
それでも、自分がこの世界に戻ることを考えたときにしようと思っていた方法を応用すれば可能だ。でもアンジェラ一人の力では、武器よりはるかに重いエドガーを転移させることは厳しい。
力を貸してほしいというアンジェラに、コンラッドは黙って頷く。
「エドガー、かがんで」
アンジェラは頭の中で素早く考えを巡らせ、計算をすると、エドガーの両頬と額、それから顎に素早く指先で印を描く。最後にエドガーの胸のあたりに見えない印を素早く描き、固定した。次にコンラッド、それから自分の胸のあたりにも、エドガーの印に呼応する印を描いた。
「
召喚のための術式を受けたエドガーは、「俺は先生たちの武器だね」と面白そうに笑った。コンラッドの提案で、もしもの時に水を呼べる力を貸せるようにする。
「ぼく、技術の貸し出しって初めて見たよ」
「私もしたことがないが、うまくいくことを願うだけだ」
「閣下に借りずに済むように、技術を磨きます」
すべてはもしもの備えである。時空を超えるのは魔力の使用量を考えれば、実際にできると言う保証もない。そのためエドガーは神妙な顔でそう誓った。
「それでも力強いお守りです。やっぱり先生は、大魔導士ってことでいいんじゃないですか?」
母親そっくりの表情でキラッといたずらっぽく目を輝かせるエドガーに、アンジェラは小さく笑った。
「そういうことにしておきましょうか」
なら大魔導士らしく振舞ってみよう――。
パーテーションの向こうで待っていたサシャたちに話は終わったと伝えると、二人は立ち上がって、なぜか神妙に一礼をした。
◆
アンジェラたちがシドニーたちを呼んで帰る手順について説明をすると、メロディは目にうっすら涙を浮かべて不安そうな顔をした。シドニーとライラは「承知しました」と答えただけで、表向きは平然としたものである。
「メロディ、大丈夫よ。すぐに帰れるわ」
アンジェラがメロディの髪を撫でると、彼女は「みんな一緒ではダメなの? 来たときみたいに」と言った。少しの時間でも離れることが不安なのだろう。
気丈に保っていたメロディの心がぐらついていることを感じ、アンジェラはメロディを抱き寄せ、しばらくあやすように髪を撫で続けた。
それでもアンジェラの背に回される手が震えているのに気づき、コンラッドが何か言おうとするのを目で制止する。
サシャが安定する条件に挙げた、月の位置がちょうどいい場所に来るまでもう少し時間がある。メロディは賢い少女だ。落ち着きを取り戻せば大丈夫。今はその為に少しだけ時間が必要なだけ。
「アン先生」
「なあに?」
「一人で行くのは怖くないですか?」
(自分のことではなく、私のことを心配しているの?)
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