第36話 テネイラ

 今日の午後は、メロディにねだられてアンジェラも街に行くことになっていた。間もなく帰れるのだから、一度くらいは異世界を見ておくのもいいだろう。

 基本的にイリスの人々が外国に行ける機会はあまりない。異世界なら尚更だ。

 子どもには、機会があるなら少しでも色々なことを体験させたい。それがアンジェラの主義だった。


 ライラとシドニーは留守番をしているそうで、コンラッド、エドガーの四人で行くことにした。目的はメロディに外を見せること。その為アンジェラはメロディの髪色を黒に変え、姿も念のため男の子に見せた。


「わあ、面白い。ワンピースを着てるはずなのに、ズボンに見える!」

 最初に市場で買った質素なワンピースを着たメロディは、顔立ちはそのままだが、黒色にした髪を無造作に後ろで一つに束ねただけで、街に普通にいた子どもと変わらない雰囲気だ。

 エドガーも昨日と同じく髪と目の色を濃くしただけで、なぜか地味な印象に変わっている。小さなころからかくれんぼ上手だったエドガーは、その気になれば人や物に紛れるのがすこぶるうまかったけれど、どうやら今もその特技は健在らしい。


 コンラッドはと言えば、髪の色を変えようと目元の雰囲気を変えようと無駄に色気、もといフェロモン駄々洩れ状態なので、もはやアンジェラも諦めの境地だ。エドガーが面白そうに短く口笛を吹いたので、そう感じたのは自分だけではないのだろう。


 昨日ひげを剃るためのカミソリが購入できたにもかかわらず、彼だけ使っていない。コンラッドは無精ひげが伸びているのにだらしない感じがするどころか、妙に野性的な色気が加わっていてアンジェラは頭を抱えた。

 メロディがアンジェラの好きな俳優をばらしてしまったため、「なら、このままひげを伸ばしましょうか」と言われたときは冗談だと思ったのに!

 好みをばらしたのはナタリーだろうと気づき、よけいなことをと思う。

(たしかにコンラッドに再会した日、十年、二十年後が楽しみだとは思いましたけどね?)

 それでも彼をおいていくことは、メロディの安全面を考えればありえなかった。


 アンジェラも男に見せようとしたのだが、メロディの

「男だけのパーティーより、家族で買い出しのほうが目立たなくはありません?」

 との意見に渋々同意した。

 まったくもって正論すぎる。

 しかもメロディとアンジェラは目の色が似ていて、髪色を変えたことで今はより親子感が強いのだ。間違いなくそのほうが自然に違いない。



 街に入るとメロディは、好奇心が抑えられない様子で目をキョロキョロさせていた。隣を歩くエドガーの腕をつかんで「あれは何?」と聞く姿が微笑ましい。

 間もなく市場に入るとき、アンジェラはメロディを呼び止めて視線の高さを合わせた。

「メロディ、あなたに使命を与えます。あなたのお父様は目を離すとすぐ女の人に捕まってしまうので、しっかり守ってあげてくださいね」

 アンジェラがあえて真面目な顔で保護者役を逆転させてみれば、コンラッドは苦笑をこぼし、メロディは目を輝かせて「まかせて、アンジェラママ!」と胸を張った。

(ママ!)

 その朗らかな笑顔にアンジェラは思わず息が止まりそうになり、胸元をぎゅっと握りしめた。


「幼くても美人の笑顔の破壊力ってすごいわ」

 店を覗きにいったメロディとコンラッドを見送りながら脱力すると、エドガーが「へえ?」と面白そうな顔をする。

「じゃあ俺も言ってみようかな。アンジェラママ?」

 にこっと幼いくらいの笑顔を見せるエドガーに、アンジェラは思わず吹き出した。

「か、可愛いわ、エドガー」

 本気で小さかった頃の彼が見える!

 その生暖かい視線に気づいたらしいエドガーは、

「うげっ。やめておけばよかった」

 と、げんなりして見せた。


 そんな二人に向けられる微かな視線を感じたけれど、エドガーもアンジェラも気付かないふりをしながら――。


   ◆


 新鮮な野菜と果物を少し購入し、メロディたちも思い思いに少しだけ買い物をすると、まだ日の高いうちに帰途につく。

 間もなく館が見えてくるあたりまで来た頃――。


「来る!」


 微かな葉音を合図に振り向きざまにアンジェラが矢を放ち、エドガーが剣を構え、コンラッドがメロディを後ろにかばって剣に手をかけた。メロディが上げそうになった悲鳴を、すんでのところで我慢したことがわかる。

 森の中から現れたのは耳と牙の大きな黒い獣だ。コンラッドよりも一回り大きいであろうしなやかな肢体は、黒豹に似ている。テネイラだ。


 一発目の矢がテネイラの肩をかすめたことで、獣は隙を探すかのようにゆらりと尻尾を揺らした。

「――旦那様はメロディを」

 あと少しでエドガーが張った防御壁の中だ。そこまでメロディを連れていくよう、アンジェラはテネイラから目を離さないまま囁いた。

 コンラッドはこんなところで、騎士道精神を発揮してアンジェラを守ろうとはしない。かつてヒィズルで何度も連携をとった経験から、それは邪魔にしかならないと彼は知っている。

 だから互いを信じ、呼吸を図った。


 二発目の矢に魔力を込める。左にいるエドガーも同じように剣に魔力をためた。

 エドガーとは視線でさえ合図はいらない。


(今だ!)

 心の中でゴーサインを出した瞬間、コンラッドはメロディを抱えて走り出し、アンジェラは地を蹴ったテネイラに矢を放つ。それは高く跳んだテネイラの心臓を貫き、エドガーの剣によって首が切り裂かれ、ドスンと思い音とともに地面に倒れた。

「とどめを!」

 エドガーの剣がテネイラの背中側から心臓へと深々と突き立てられる。強いエドガーの魔力を流されたテネイラは数秒間激しく痙攣した後、だらりと弛緩した。


「さすがの命中率ですね、先生。こいつはなんですか?」

 まだ油断なく獣を見ながら、エドガーがクイっと顎をしゃくる。

「テネイラ。主にこの地方の山に生息する大型獣よ。今の時期は人の匂いを避けて山奥にいることが多いわ。いきなり襲ってきたってことは、たぶん近くに子どもがいる。子どもはある意味、親より危険だから気を付けて」


 念の為ぐるりとテネイラの口の周りを縛った後、それが出てきた当たりの草むらを探す。

「先生、二匹みつけました。もっといますか?」

「いえ、テネイラは毎年二頭しか子を産まないから、それで全部のはずよ」


 ニーニーと鳴くテネイラの子は成猫ぐらいの大きさだ。今の見た目は可愛くても食欲が大人の比ではない魔獣は、今の時点でもメロディくらいの子どもならあっという間に食い尽くしてしまう。

「今のうちに仕留めておかなくては危険だわ」

 事実とびかかってきたテネイラの子に、アンジェラは弓を短剣に変えると逆手に持ち直して仕留め、もう一匹はエドガーが仕留めた。


「メロディがいなくてよかったわ」

 飛竜や大人のテネイラならともかく、見た目だけは愛らしいテネイラの子を仕留めるところを見ればショックだろう。やはり安全なイリスに早く帰さなければと思う。

「先生、脇!」

 エドガーの声に自分を見下ろすと、さっきテネイラの子をかわしたときに爪が服をかすったようで、胸のあたりから足の付け根あたりまで、すっぱりと服が切り裂かれてしまっていた。

「大丈夫、切られたのは服だけよ」


 ショックを受けている様子のエドガーに、アンジェラは手で裂かれた部分を抑えながら微笑んだ。

「服が切れたくらいでそんな顔をしないの」

「先生、守り切れなくてすみません」

「いいえ? これはわたくしの力不足です。やっぱり年かしらね。体がなまってるわ。鍛えないと」

「誰が鍛えるんですか?」

 剣を構えたコンラッドが鋭い目で周囲を見ながらアンジェラに近づいてくると、息絶えた小さな獣を見てからアンジェラを見た。


「いえ、なんでもありませんわ。メロディは?」

「館に置いてきました」

 走って往復したにしては早い。あまりの短時間にアンジェラはコンラッドが昔よりも力があることを知り、少しだけ嫉妬した。

(ずるいわ。同じ年なのに)

 だから心臓が騒がしいのは嫉妬のせいだ。


「お怪我は?」

「ありません。大丈夫です」

「閣下、怪我はないけど先生の服が切られました」

「エドガー!」

 コンラッドに気づかれないよう体の向きに気を付けていたのに、エドガーにしれっとばらされてしまった。

「だってそのまま手をはなしたら、胸から腹まで全部見えますよ」

「さすがにそこまでは見えないわよ!」


 真っ赤になったアンジェラに、コンラッドがシャツを脱いで「とりあえずこれを着ててください」と押し付ける。

「それじゃあ旦那様が」

 上半身裸になってしまう!

 彼の逞しい上半身を直視できなくてアンジェラが目を泳がせると、

「私は男ですので別に構わないでしょう」

 と、コンラッドから固い声で言われシュンとした。


(これは、かなり怒ってる)


 コンラッドが感情を抑えていることがわかる分、余計にその怒りが感じられた。

 これは、幻視の魔法を使えばいいと言っても駄目だと言われるのは火を見るよりも明らかだ。どうせ誰かに見られるわけでもないなどと言おうものなら、火に油を注ぐ様な予感がする。コンラッドがめったに怒る人ではないことを知っているだけに、余計にアンジェラはうなだれた。


 ただし彼が怒っているのはアンジェラにではなく、自分自身にだということは理解している。彼は最善のことをしただけ。なのにアンジェラのミスのせいで、彼のほうが自分を責めて怒っている。

 彼はそういう男なのだと無意識に考え、雷が落ちたようなショックを受けた。



 それでもここで謝るのも変なので、アンジェラは大人しく二人が魔獣を処理するのを黙って待つことにした。

「テネイラは肉は食用には向かないので、毛皮だけとって、あとは灰にしましょう」

 死骸を置いておくのは危険なので、少し時間はかかるけれど仕方がない。

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