第21話 前々世

 メロディーがすっかり眠ったのを確認すると、アンジェラはそっとベッドを抜けだした。部屋のデスクに新しい紙があるのを確認すると長い手紙を書き、矢じりを外した矢に結ぶ。


(うまくいきますように)


   ◆


「起きているのは旦那様とエドガーだけですか?」

 アンジェラがリビングに入ると、コンラッドとエドガーがどこから出して来たのかカードゲームに興じていた。


「ああ。シドニー達は先に休ませました」

「そうですか」


 コンラッドは顔の印象は戻したものの、髪は金色のままだ。相当メロディのお気に召したらしく「パパ、お願い」とおねだりされていた。色々複雑な思いはあっても、メロディは彼を純粋に父親として慕っているのを感じる。同時にそれでいいのか悩んでいる節も感じられた。

(だからこそ金髪のほうが、より親子らしい感じがして嬉しかったのかもしれないわね)

 そうは思うものの、正直なところアンジェラとしては少し落ち着かない。

 顔はコンラッドなのに視線は暁の狼のように熱を帯びていて、アンジェラの肌がずっとチリチリしていた。懐かしくて胸が痛くて逃げだしたくて。でもそういうわけにはいかないから、なんでもない風に穏やかな笑みを浮かべる。


「エドガー。大事な話があるの。今二人になれるかしら」

「はい、先生」

「私は」

「旦那様はご遠慮ください」

 すみませんと頭を下げればコンラッドは立ち上がって、「このままこの部屋を使うといいですよ」と言ってドアに向かった。すれ違う時、

「その後、私とも話をしてもらえますか?」

 と囁かれ、小さく頷いた。


   ◆


「エドガーは、旦那様の異名やあの見た目を知ってたのね?」

 コンラッドを見送ったあとにそう聞くと、エドガーは母親から写真を見せてもらったことがあるのだと言った。


「アン先生は知ってましたか?」

「いいえ、全然。旦那様に会うのは学生の時以来ですもの」

 それは事実だ。アンジェラは黒髪のコンラッドしか知らない。


「そうなんですね。俺はこちらに来る少し前に、母上から幻視の魔法について習ってたんです。その使用例写真の中に閣下もいたんですよ。ずいぶんカッコいい人だなぁと思って見てたら、最初に閣下の髪を金髪にしたのが母だって。そこで色々と……」


 幻視の魔法は難しい。国でも使える人が限られているにもかかわらず、「身近に使える人が何人もいるほうがおかしい」と、一瞬だけエドガーが子どもっぽい顔を見せた。


 この魔法にははっきりしたイメージ力や、安定した魔力の流れが必要だ。歌で言えば、何オクターブもの音域を滑らかに一音も外さず歌い上げるような、努力だけではどうにもならない部分があるのだ。

 天才肌のヴィクトリアは指をパチンと鳴らすだけの手軽さで変えて見せるが、アンジェラがその域まで来れたのは二十代になってから。それは必要に迫られて、ある意味裏技的に習得した。

 エドガーはあまり上手くできないと言うので、アンジェラ流のコツを伝授した。エドガーなら大丈夫だろう。


 それから、話しにくい本題に入った。



「あのね、エドガー。貴方がわたくしをここに呼ぶことができたのは、複数の要素が絡むことだと思うのだけど。その一つは、わたくしが元々ここで生きていた人間だからだと思うわ」


 アンジェラに自分以外の人生の記憶が三つもあることを知っているのは、アンジェラの家族以外には、今は亡きヴィクトリアの祖父とヴィクトリア、そしてエドガーだ。ヴィクトリアの夫もエドガーの妹もこのことは知らない。

 正確にはエドガーに話したことはないのだが、彼の家庭教師をしていた時になぜかバレた。当時彼が十歳の時だ(だからこそ、彼も前世の記憶持ちでは? と考えたのだけど、今のところその兆候はない)。


「勇者だと言うエドガーのご先祖の方は、たぶんわたくしが知ってる人だと思うの」

 そうして理由を話すと、彼は驚いた顔をした後、面白そうにニヤリとした。

 予想通りの反応であり、二人で情報を照らし合わせた限り、ほぼ間違いないだろうという結論に落ち着いた。



「エドワード・リンジー・ゴルド。彼はそんな立派な名前だったのね」

「先生は何と呼んでいたんですか?」

「リン」

 目を閉じれば、今も鮮やかに浮かぶ金色に輝く長い髪、不敵な笑顔。前世のアンジェラにとっては仲間であると同時に恩人だった人。

「あなた、リンに雰囲気が似てるわ」


 自分が知らなかったその後の世界を、エドガーが教えてくれる。リンは魔王を封印・・したと伝えられているそうだ。


 魔王と言われると、アンジェラにとっては前前前世のランプの魔人が思い浮かぶせいで、どうも印象がぶれてしまう。魔王退治に武者修行と聞いて、思わず面白がってしまったのはきっとそのせいだ。


「魔王、ねぇ」

 だいたい当時はそんな呼び名ではなかったのだ。敵は、魔獣を操る男。とき色の魔術師と呼ばれていた。

「鴇色?」

「そう。髪の色が、可愛いピンク色だったのよ」

 黄色みがかった優しいピンクの髪。目は茶色。穏やかともいえる風貌だった。でも彼は死んだ――。


「封印なんてしていないもの。彼は死んだわ。本当に復活したというのなら、私のような存在かも知れないわね」

「なるほど。そうかもしれませんね」

 そう言いながら、エドガーはアンジェラには何も言わない。優しい子だ。



 この世界で生きた前々世のアンジェラは、後に聖女と呼ばれているようだと街で知った。

 <再生の力>

 それが、シェダイで生きていたアンジェラが持っていた能力だ。


 治癒ではない。生きているものであれば、その生命力を糧に元通りにすることが出来る奇跡の力。

 お綺麗な聖女様は、傷ついた勇者一行を癒す存在として伝わっていることに乾いた笑いが出る。実際は勇者と共に戦う戦士でもあったのに。


 前々世のアンジェラに母親の記憶はない。

 父親はいつも何か怒鳴っている人だった。母が生きていたころは知らないが、アンジェラの知る限り、いつも賭け事や酒におぼれていた。

 十四歳の時。金を払えなかった父はアンジェラを売った。

 その前の人生の最期は、ランプを狙った男たちになぶり殺されたことを覚えていたから、自分もここで死ぬのだと半分諦めていた。助けてくれたのがリンだ。


『よう、おっさん。俺と賭けをしようよ。俺が勝ったらその女をくれ』


 りんごを買うかのような気楽な口調の男は、マントのフードで顔は見えなかった。

 アンジェラを買ってもお釣りがくるほど大勝ちしたリンは、約束だからとアンジェラだけを連れて行った。助けてくれた理由は、彼が見えたアンジェラも知らなかった特別な力のためだと教えてくれたけれど、広い世界に連れ出してくれた彼は、間違いなく恩人だ。


 盲目的に彼を信じた。

 一緒に戦い、守った。

 たぶん唯一と言えるほど、前々世のアンジェラには家族に等しい人だった。七歳しか年は違わなかったけれど、彼に理想の父親を重ねていたのだと思う。


 すべてが終わると、リンは故郷に帰った。

『一緒に連れていけたらいいのに』

 その言葉だけで、十分報われた。

 そして残された戦士たちが労われ、尊敬される中、――――アンジェラは捕らえられた。


 再生の力は万能ではない。死んだ者は蘇らせることはできない。そんなことは神でも無理だ。

 戦いの中で命を落としたものは大勢いる。家族を亡くしたものも。

 それは一概に魔獣や魔術師のせいではなかった――。


 ある者が、アンジェラの力は鴇の魔術師に近しいものだと言い、家族や友を失い理不尽な憎しみをぶつける相手にアンジェラを選んだ。ちょうどいい「贄」だったのだと今ならわかる。


 守ってくれる人はもういない。

 仲間だったはずの人も、救ったはずの人も、皆アンジェラに背を向けた。

 アンジェラが死ねば、長かった戦いの最後の仕上げが終わると、皆がそう信じた。


 自分が処刑された瞬間、命尽きる瞬間を今も覚えている。あの変わってしまった人々の顔を、目を、今も覚えている。

 記憶に苦しみもがく今世のアンジェラを助けてくれたのが、ヴィクトリアの祖父だ。


(そしてさっき、コンラッドにも救われた)


 そのことに気づく。

 この世界での記憶は強烈で、一人で立てない程心が傷ついていた。

 間に日本で生きた記憶を挟んでいるにもかかわらず、この世界が、この国がシェダイだと気づいただけで、どこか昏く冷たい場所に引きずり込まれそうだった。

 いつも怖い時には楽しい思い出で心を奮い立たせてきたけれど、あの時はそれを取り出すまでもなくコンラッドに支えられた。


 まるで一人で戦わなくてもいいような気持ちになり、その心地よい錯覚に首を振る。

(彼はただ優しい人。わたくしの中にスミレの影を見ていただけだとしてもね)


 エドガーには、前世のアンジェラがなんという名前だったのかも、ましてやどんな末路を辿ったかは言わなかった。希望を胸に抱いている勇者である彼を苦しめる必要はない。伝説は伝説として綺麗な姿になっているのだから、醜さなど見せるまでもない。もうずっと昔に終わったことなのだから、それでいい。


 前世のアンジェラは、リンという勇者の側にいた戦士の一人。

 それだけでいいのだ。

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