小牧原美心はいただきますが言えない 24

「あの……なんですか、お話って」


 少し居心地が悪そうに、相談室のソファーに漆野が腰かけている。居心地が悪そうにしている理由は、今がとっくに授業の始まっている時間だったからだろう。チラリと時計に目をやってはそわそわとしていた。

 ことんと音を立てて、來華が机に二人分のお茶を置いた。暖かそうな湯気が立ち上る。

「あ、ありがとうございます」

 そう言ってカップに触れた漆野だったが、思っていたより熱かったのか、すぐに指を離した。


「ごめんなさいね。授業時間だというのに」

「い、いえ。私に話があるなんて東雲さんに言われたら、気になって授業に集中出来そうに無かったですし」

「あなたが今ここにいるって、さっき冴島先生に伝えておいたから。多分担当の先生には上手い事言ってくれてるはず。だからそこは安心して」

「あはは……なんか、すごく自由ですね」

 來華は漆野の隣に腰を下ろした。ソファーの左端。漆野とは人ひとり分のスペースが空いている。


「話というかその。お願い事なのだけど……」

「東雲さんが私に? ちょっと嬉しいかも。情報棟の件では東雲さんにもお世話になったし、私に出来る事ならなんでもするよ」

「ありがとう……ならその、単刀直入に言うけれど……」

「うん」


「私と一緒に、合コンに参加して欲しいの」



「……」


「…………」


「…………ごめんなさい無理です」


 硬直の後に頭を下げた。來華はそうでしょうねと言わんばかりに、落ち着いた様子でお茶をすする。


「え、合コン? 東雲さんが? ちょっと待ってください。結構混乱してるんですけど。え、合コン?」

 頭を抱えて右に左に目を動かす。本人が言う通り、かなりの混乱が見て取れた。

「落ち着いて。別に本来の目的で行くわけでは無いの。ちょっと特殊な理由があって」

「理由? き、聞いても大丈夫なやつですか?」

「……まぁ、そうなるわよね」

 來華は立ち上がって神原の席に置いてあるPCを取り、彼の作った捨て垢でハルキにSNSを表示した。

「……それは」

「これから話すことは、誰にも言わないって約束できる?」

 静かに力のある声で來華が言う。少し空気が変わったのを漆野は感じ取った。

「誰にも話さないです。……真剣な話ならなおさら」

「よかった」


 來華は再びソファーに戻り、美心の事をかいつまんで話した。

 彼女の家庭と信仰の事。中学までの事。ハルキと文化祭の事。話が進むたびに漆野の表情から混乱の色は消え、真剣なものへと変わっていった。


「……というのが、今私たちが直面している問題よ」

「そうだったんですか……。ということは、私が情報棟で聞いた例のお経みたいな声は小牧原さんの」

「えぇ。彼女は冴島先生の助けで、あの情報棟で食事をとってたの。元はといえば、あなたがこの相談室に来てくれたおかげで、彼女の秘密はまだ守られているみたいなものね」

「全然知らなかった。といっても小牧原さんとは、吉祥寺君を通して数言話をした程度でしたけど……それでも、あまり放っておきたくない話ですね」

「私は、なんとかしたいと思っている。少なくともこの文化祭で、彼がSNSで言っている様な事は阻止したい。そう思っているの」

「じゃあさっき言っていた合コンって」

「えぇ。そこで彼に会う」

「……」


 漆野はPCに視線を落とす。トラックパッドを撫でてタイムラインを遡った。彼とその友人との会話を読んでいる。するとある一文に目が留まった。


「『蓋身の文化祭、延期になって土曜授業の日になったらしいから行けない』ってコレ……」

 漆野はゆっくりと顔を上げて來華を見る。彼女は何も答えず、怪しげな笑みを小さく浮かべるだけだった。

「嘘ですよね……あの雨漏りって東雲さんがやったんですか……? バレたら怒られるどころじゃないですよ」

「その時はその時。それよりも彼が大勢でやってくることだけは避けたかったの。それに、この案は冴島先生の案だし、やったのは彼とよ」

「……吉祥寺君?」

 來華は頷いた。

「それくらい私たちは本気なの。……本来なら、彼女の秘密は私が勝手に話して良い事じゃないと分かっている。でも、阻止するためにもう一人の助けがどうしても必要……だから私はあなたを信じて、話した」

「……東雲さん」

「……私も人話すのは得意じゃないから。当日の事を考えると、今から胃がキリキリするし吐きそうになる。だから同じタイプのあなたに、こんなお願いするのは心苦しいのだけど……それでももう一度お願いするわ。彼と話をする手伝いをしてほしい。小牧原さんを助けてほしい」


 來華は向きなおって頭を下げた。彼女を知る誰もが持つ「高圧的で他人に嫌われることを厭わない東雲來華」というイメージとは、まるでかけ離れた姿が漆野の目に映っていた。


「……どうしてそこまで出来るんですか?」


 漆野の高音は、下げた頭に突き刺さるような感覚を与え、來華はゆっくりと顔を上げた。

「自分でも分からない……初めは、彼女が私に似ているからだと思ってた。それに……友達、だから。あと私がまだ教室にいた頃、彼女だけが私にも話しかけてくれていたからとか。……色んな事を考えた。でも、結局どうしてこんなに必死なのかは、自分でも分からないの……。答えにならなくてごめんなさい」

「いえいいんです」

 漆野は首を振った。そして続ける。

「……分かりました。協力します」

「漆野さん」

「でも一つだけいいですか」

「……なに?」

 漆野は來華から視線を外し、正面に向き直った。向かいのガラスに自分が映っている。先程の昼休み、雪輝と話していた時と同じようだった。ガラスに映っている自分は小さく、自身なさげで、どこまでも透明。そんな事を漆野は考えていた。


「私は、私の目的のために行きます」






 雪輝たちの教室がある階の、一番奥の空き教室は文化祭用に臨時の物置と化していた。教室に置ききれない大きな制作物などは、クラスも関係なくみんなその教室に保管している。雪輝とタケルは、製作途中だった仕掛け扉を取りにその空き教室に入った。


「他のクラスも結構モノが出来てきてるな」

 演劇用だろうか、わけのわからない仮面やら刀やらをそっとどかしつつ、雪輝は教室に持って帰るパーツを集め始める。

「テル、このデカい本棚がそうか?」

「あぁ。空いた場所に本を入れると鍵が開く仕掛け扉にしたいらしい。仕組みはリョウに聞いてくれ」

「あいつが作ってるのか。そういや昔から得意そうだったな、こういうの」

「なんか張り切って色々作ってるぞ」

 タケルが本棚を少し浮かしてずらす。一緒に持っていくパーツを雪輝が本棚の中に詰め始めた。


「なぁそう言えばテル。お前、最近は相談室行ってないのか?」

「ん? あ、あぁそうだな。テスト前ぐらいから行ってないよ」

「じゃあ東雲とも会ってないのか?」

 その名前が出て、雪輝の動きがピタッと一瞬だけ止まる。

「会って……ないけど。どうかしたか?」

「なんで会わねぇんだよ」

「なんでって言われたってよ……。別に相談室に行く用事ないし。それに戻ってくんなって言われてるし」

「仲良さそうに見えたのにな」

「どーだか」

 持っていくものを詰め終え、タケルが本棚を傾ける。浮いた底面に雪輝が手を入れて、二人で本棚を持ち上げた。


「気恥ずかしいのか? 理由なしに会うのが」


 歩き始めるとタケルが再び口を開く。雪輝に睨むような視線を向けられタケルは笑った。

「図星か」

「黙って運べ」

「あはははっ」

「笑うな」

「ラブレターの時の仕返しだ」

「あーうぜ」

「まぁ気持ちは分からんでもないがな」

「あっそ」

 拗ねたように顔をそむけた雪輝を見てタケルは笑い続けた。雪輝はそれを無視して持ち上げた本棚を押すように進む。廊下を少し歩いたところで、自分たちの教室の廊下に立つ美心を見つけた。目が合うと彼女は二人の元に小走りで向かってくる。何か話し始める前に美心は二人の間に入り、本棚を支えるように手を滑り込ませた。

「すっごい重そう」

「別に二人で大丈夫だぞ」

「あははっ落としでもしたらリョウ君怒っちゃうよ」

 そのまま三人で教室に入る。机は後ろに寄せられ、前の空いたスペースにリョウが腰を下ろして何かを作っていた。その周りで男女数人が作業を見守っている。扉の前でタケルがリョウを呼ぶと彼は振り返り、三人にそこに置いておいてと指示を出した。言われた場所に本棚を下ろすと、リョウが手を止めて立膝でにじり寄ってくる。


「よーし。今日はこいつを完成させるぞ」

 作りかけの仕掛け扉の本棚に頬ずりする勢いで、リョウは中に入っている部品を取り出す。

「お前、なんか一番楽しんでるな」

「突っ立ってないでタケルも手伝ってよ。これ結構力いるんだから」

 リョウにズボンを引っ張られ、タケルは腰を下ろした。


「なぁ、美心。この後は何かすることあるか?」

「ちょっと待ってて。ほら、演劇部の子にお願いしてたゲームのシナリオ。今日完成するって言ってたから、それを一緒に確認して欲しいな」

「あーまだだったんだな。色々作り始めてるけど大丈夫なのか?」

「モノに合わせるから心配しないでって言ってたよ。楽しみだよね」

 そう言って美心は笑った。すると丁度その時、廊下からどたどたと走る足音が聞こえ、そのまま音は教室内に入ってくる。二人が出入り口に目をやると、そこには満面の笑みで息を切らす女子生徒の姿があった。


「はぁはぁ……出来た! 出来たよ小牧原さん!」


 浮かれ気味に揺れる肩と、見せびらかすように頭に乗せられたベレー帽が特徴的なその生徒は数枚の紙を美心に手渡す。


「お疲れ様ー! ありがとうね」

「ううん、というか遅くなってごめんね。いやー図書室すっごくはかどったわー。テルキチ君も読む? いや読んでよ!」

「へいへい。あとそれ浸透させんな」


 二人は椅子を用意して、ベレー帽の女子生徒から受け取った紙に目を落とした。そして美心が読み上げて雪輝が隣から覗き込む。


「目が覚めるとそこは見知らぬ洋館だった。そして目の前には一枚の手紙――うんうん」

「なんかフリーゲームみたいだな」

「みんな好きでしょ、こういうの」

「まぁそういうもんか」

「続けるよ。……手紙にはこう書かれている『隠された三つのロザリオを探しだし、聖母マリア様に捧げよ』……と」


 美心の声が止まった。紙を持ったまま眼球が小刻みに揺れる。その様子の変化に雪輝はすぐに気がついた。どうかしたかと声をかけようとした時、彼女の『出来ない事』を思い出した。そのままベレー帽の女子生徒の様子をうかがう。彼女は顔に笑みを浮かべたまま、もじもじとシナリオの感想を待っている様だった。美心の変化には気づいていない。美心の手から紙を取り上げようと雪輝が動いた時、ベレー帽の女子生徒が口を開いた。


「どうかな? ロザリオを三つ集めたら、聖母様が現れてクリアっていう風にしたいんだけどね。その聖母様の役に、小牧原さんがピッタリだと思うんだ」


 美心が口を開けたまま女子生徒を見上げる。もはや動揺を一切隠せていない。額には薄っすらと汗を浮かべ、顔が一瞬にして青白くなる。その様子を見て雪輝も背筋に寒気を感じた。シナリオの書かれたペラ紙を奪う様に取り上げ、必死に頭を回転させる。雪輝が知っているのは、美心が他の宗教イベントに参加が出来ない事、崇拝が出来ない事だ。聖母の役をするなどもってのほかだろう。喋れそうにない美心の代わりに断れるのは自分しかいないと、言葉を探す前に雪輝は口を開いた。


「と、当日は忙しくて出来ないんじゃないか? ホラ美心は受付とかあるだろ?」

 辛うじて平静を装えた雪輝がやんわりとそう断る。彼女に本当に受付の仕事があるかは知らないが、断らないといけないという気持ちだけで彼の口は回った。がしかし、ベレー帽の女子生徒はすぐに「そんなの私がやるよ」と声を張った。それに反応したのか、教室で作業をしていた生徒たちが、何の話をしているのと三人の周りに集まり始める。ベレー帽の女子生徒はシナリオの事とマリア様の役を美心にやって欲しいってことを話し始めた。雪輝はマズいと思ったが、声を上げてそれを止めるわけにもいかず、ただ盛り上がるクラスメイトを見守る事しか出来なかった。美心は必死に震えを抑えている。これは良くないという焦りが雪輝の脳内を廻った。


 だがもう遅かった。


「小牧原さんピッタリだよ! 綺麗だし優しくて聖母様ってイメージだもんね」

「ね! 当日の仕事ならみんなでやるから、私からもお願いしたいなぁ」

「せっかくだから私衣装作りたい!」


 集まったクラスメイトが次々にそう言い始める。この空気を変えなければと必死に言葉を探す雪輝だったが、その思考を止めたのは美心の声だった。


「み、みんながそう言うなら……」


 絞り出されたようなその声は震えていた。しかし周りにいたクラスメイトはそんなことは気に留めず、美心が役を引き受けてくれたことに喜びの声を上げている。


「美心……お前――」


 雪輝は首を回して美心を見る。その視界に映った美心の顔は、笑顔を保とうと強張り固まっている。それがとても痛々しく見えたのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る