小牧原美心はいただきますが言えない 3

 今から一か月前。

 日の落ち始めた夕方の教室で、吉祥寺雪輝は、クラスメイト二名を暴行した。

 一発ずつだったが、全力で振るった拳は的確に顔面を打ち抜き、殴られたクラスメイトはそのまま失神。我に返った雪輝は自分から教師と救急車を呼んだ。失神の理由は幸い軽い脳震盪との事だったが、片方は鼻を骨折する怪我を負った。

 退学か。と校長室に呼ばれた彼は諦めていたが、学校側が言い渡したのは無期限の謹慎だった。その上、事件以来会ってすらいないクラスメイトの二人とは、なぜか和解した事にされていて、学校内では事件に関して緘口令が出される事になった。

 隠蔽。

 雪輝はすぐにその事実に気づいた。そして、その理由にも。


 いつ戻れるか分からない謹慎の中、結局もう戻れないのかなと考えていた雪輝の元に現れたのは、冴島あかねだった。

「君の身体は、あたしが学校から貰っちゃったから。明日からあたしの下で働いてもらうわよ。これは決定だかんね」

 無茶苦茶な事を言う。雪輝の冴島への第一印象はそれだった。

 あんな事をしたんだ、もう学校には自分の居場所はない。彼は冴島にそう言った。

「あたしは真逆の事を君に期待してるんだよ」

 そう言って彼女は手をさし伸ばす。


「君がみんなの居場所になれるってね」


 謹慎わずか五日目。吉祥寺家の玄関に突如として現れた相談室教諭のその言葉は、全てを諦めかけた雪輝を、強引にも学校に戻らせる事になった。





 使われていない商業棟の階段で向き合う雪輝と來華。換気口から漏れる光、宙を舞うチリ、そして午後の静けさが相まって、妙な緊張感が漂う。


『吉祥寺雪輝は優しい人間? それとも知らないふりが苦手なだけ?』


 じっと雪輝の顔を見つめる。彼の表情には戸惑いの色が見られた。

「……ど、どういう意味だよ」

「まぁ、答えは言わなくていいわ」

 そう言って再び階段を進む。

「ちょ、ちょっと待てよ。おいおい、そんな意味深な事言い残して何普通に進もうとしてんだよ」

「意味深だったかしら。あなたは今、会ったばかりの漆野さんを助けようとしている。そして無駄に私も付き合わせて、嫌われ者で可哀想な私と強引に関りを持とうとしている。その理由が気になっただけよ」

「理由って言ったって……漆野の件は、なんて言うかほっとけないし、それにお前に関しては完全に自意識過剰だ。何? 構ってもらってるって思ったの? あそこにいたのが神原先輩だったら俺は神原先輩を誘ってたぜ」

「答えなくていいって言ったでしょ」

「それに」

 雪輝は來華の元まで階段を昇る。

「お前が嫌われ者なのは知ってるが、別に俺はお前を可哀想なやつだとかは、これっぽっちも思ってないからな」

「……そう」

 人に可哀想と思われるのは、とても惨めなものだ。

 雪輝は昼に相談室のソファーで見た夢の内容を今思い出した。泣いている少年。それを見つめて可哀想だと思う。ただ可哀想だと思うだけの嫌な夢を。


 三階の電算機室も他の部屋と同じような状態だった。埃の感じからしてここも人が入った形跡は無い。

 しばらく室内を調べているとチャイムが鳴り響いた。五限目の終了を伝えるチャイムだった。

「戻りましょうか」

「結局あの部屋以外は特に変な所なかったな」

「彼女にはどう伝える?」

「とりあえず幽霊はいなかったって事と……そうだな、しばらく俺が掃除に付き合う事にするよ」

「それがいいかもね。クラスメイト二人を殴り殺した暴力魔がボディーガードにいたら、悪戯も無くなるかもしれないし」

「いや殺してはねぇよ」


 二人は階段を降り、商業棟の外に出る。

 すると外はもう休み時間の景色になっていた。体育から急いで戻る生徒、逆に体育の為に急いで校庭に向かう生徒。ベンチに集まって談笑する生徒たち。さっきまでの静けさとは打って変わって、とても賑やかな光景が広がっていた。

 するとその生徒たちの一部が二人を見つけて、ぼそぼそと話をし始める。

 來華はまた冷たい目になり、顔を伏せた。

「おうおう。相変わらずの嫌われようだな」

「……今はあなたも同じ立場よ」

「はぁ? 俺が? 事件はあったけど、それでも元々はクラスの人気者だったんだぞ。まぁ見てろよ」

 そう言って雪輝はこっちを見て内緒話をする女子グループに、にっこりと近づいた。

「よう、どした? 俺らになんか用?」

 手を振って満面の笑みを見せながら雪輝は言った。

「い、いやっ」

 するとその女子グループは青ざめた顔で後ずさりする。

「ご、ごめんなさいっ!」

 そう言うとグループは一目散に去っていった。


「……嘘だろ。俺、前まではこれでもクラスの人気者だったんだぞ」

「二人も殺したからよ」

「だから殺してねぇよ!!」


「テルキチ-!」


 その声に二人は振り返る。背後から走ってきたのは体操服姿の小牧原美心だ。

「よぉ小牧原」

「テルキチこんな所でなにしてたの?」

「あぁ、ちょっと相談室の用事でな」

 すると美心は隣にいる來華に目をやる。

「あっ、東雲さん。久しぶり!」

 にっこりと笑って手を振る。來華は分かりやすく困惑した表情を見せ、額には汗すら浮かべる。

「お、お久しぶり」

「もー東雲さん相変わらず固いー! ねぇ、次はいつ教室に来る?」

「え、えっと、その」

 上手く言葉が出ず、視線も泳ぐその姿を見て、雪輝は思わず口から笑いが漏れる。  

「ぷっ。陽キャに絡まれてコミュ障全開の陰キャじゃん」

 すると來華は思いっきり彼の足を蹴っ飛ばした。

「イっっっった!!」

「コミュ障? 誰が?」

 その二人の掛け合いを見て、美心も笑いが零れる。

「ふふっ、二人とも結構仲良しじゃん! 良かった良かった」

 するとまたチャイムが響く。

「やっば! 遅刻!! 私行くね。今度は教室で会お!」

 そう言って美心は手を振りながら校庭の方へ走り去って行った。

「おーう。じゃあなー」

 來華は雪輝の後ろで、小さく、恥ずかしそうに手を振った。


「いい奴だよな、小牧原。誰にでも等しく優しくて」

「ええ。その分ちょっと不気味だけど」

「不気味?」

 二人は相談室に向かって歩きながら話し始めた。

「彼女がよく一緒にいるグループ、確実に私の事が嫌いなのよ。でも小牧原さんは、私が教室にいる時にたまに喋りかけて来てくれるの。東雲と喋っている所なんて見られたら気持ち悪がられるかもとか、東雲と仲がいいと思われたら私まで嫌われるかもだとか、普通そういう損得勘定が働くはずなのに、彼女からは、そういったものが感じられなかったわ。それが少し不気味」

「言ってて悲しくないか?」

「ほっといて。……というか、あなたも今は同じような状況でしょ。あなたの殴った大宮君達って彼女らのグループと仲がいいじゃない」

「……うぐっ。確かに俺もあいつらのライングループ追放されてた」

「ようこそ、ぼっちの世界へ」

「うるせぇ! 俺は絶対に教室に戻ってやるからな!」

「ええ、頑張りなさい。私も早く静かで穏やかな相談室生活に戻りたいから応援するわ」

 六限目が始まり、休み時間の喧騒が嘘のように消え去った。二人が歩く道にも静けさが戻っている。中庭を抜けると、校庭が目に入った。覗いてみると、先ほど慌てて校庭に向った美心が、クラスメイトと楽しそうにストレッチをしている。雪輝らは遠目からその様子を見ていた。彼女が一緒にストレッチをしていたのは、いつものクラスカーストトップのグループの人ではなく、地味で目立たないオタク系の少女だった。見た目も性格も、小牧原美心とは正反対の人だ。

「小牧原さんと一緒にストレッチしているあの子、私と同じくらい教室で浮いてるぼっちの子よね。ホント聖人か何かなのかしら」

「あー聖人かー」

 そう納得したように呟いた雪輝。

「お前の言う不気味とは違うけど、確かに俺も、小牧原ってたまになんか先生と話してる様な気分になるんだよな。誰にでも優しいっていうのもあるんだけど、少し達観している節があったり、人との付き合い方が少し大人っぽいというか。あのグループとも、仲がいいのは学校だけで、別に放課後一緒に遊んだりとかはしてないみたいだし」

 雪輝はふと、先ほど商業棟の中で來華に問われた言葉を思い出した。

 『吉祥寺雪輝は優しい人間? それとも知らないふりが苦手なだけ?』

 その問いに当てはめるなら、小牧原は間違いなく『優しい人間』なんだろうな。などと雪輝は考えていた。

「なんか掴めないやつだよな」

 そう呟いて、二人は歩き始めた。

 歩いている間、雪輝は美心の事を考えていた。

 雪輝にとって小牧原美心は、事件の後も変わらずに話しかけてくれる唯一のクラスメイト。でも考えてみると、彼女の事を何も知らないのだと気づく。いつもみんなに優しくて、クラスの中心だった彼女だが、思い起こしてみると、深い関りを持っている人を誰も知らない。昼休みにも、誰かと特別親しく食事をとっている姿を見たことがない。

 知っているのはただ一つ。小牧原美心は誰にでも優しいという事だけだった。


 二人は相談室に戻った。中に入ると冴島と漆野がソファでお茶をすすり、神原が美術の授業から戻っていて、自分の席でスケッチブックを広げて絵を描いていた。

「おかえりー」

 冴島が手を振って二人を迎え入れる。

「何か分かりましたか……?」

「あぁ、そうだな」

 雪輝は少し言いよどむ。すると來華が話し始めた。

「言ってたお経は聞こえてこなかったわ。でも、部屋には人が入った形跡があった。だから誰かの悪戯の可能性が高いわね」

「そう……ですか」

 漆野は少し暗い顔をする。

「私、前にお掃除の仕方でクラスの男子を一度注意したことがあったんです。もしかしてって思ったけど、やっぱりその時にみんなに嫌われて……」

 目には薄っすらと涙が浮かんでいる。零れないように必死に眉に力を込めている姿を見て、雪輝は慌てたように割って入る。

「ちょっとちょっと、まだ別にいじめられているって決まった訳じゃないからな。本当にただの悪戯かもしれないし、たまたま人の入った形跡があっただけで、お経自体は漆野の聞き違いかもしれないし」

「……そうですね」

「とにかく、当面の間は俺が掃除に付き添ってやるから安心しろ」

「……そんな、悪いですよ」

「いいんじゃない?」

 冴島がそう答えた。

「彼の事件は知ってるわよね?」

 漆野は雪輝を見つめて、少し申し訳なさそうに答える。

「はい。その、喧嘩で何十人も病院送りにしたっていう……」

「え、何それ? 俺の噂、尾ひれ付き過ぎでは?」

 それを聞いて冴島が笑った。

「あっはははは。彼が殴ったのは二人だけだよ」

「そうなんですか……? みんな吉祥寺君の事怖がってたので本当の事かと……」

「あの時の事は、学校が喋るなって緘口令を敷いちゃったからね。でもまぁ、彼の事をみんな怖がってるのなら、ボディーガードとしては使えるんじゃない?」

「漆野が俺の事嫌じゃなければ、俺は構わんぞ」

 そう言うと漆野は首を大きく横に振った。

「い、いえそんな! 私、吉祥寺君が優しい人だって分かってるから、嫌じゃないよ!」

「そ、そうか」

 雪輝は少し照れる。

「……その、じゃあお願いしていい、かな?」

「おう。どうせ奉仕活動で一日中掃除してるから、全然いいぜ」

 そう言うと、漆野の表情が少し明るくなる。

「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げた。

「じゃあ明日からそうするってことで、漆野ちゃんはそろそろ授業に戻りなさい」

「……はい!」

 そう返事をして漆野はいそいそと部屋の出入り口に向かった。部屋を出る前にもう一度頭を下げて、雪輝ににこっと微笑んだ。



「さて」

 漆野が去り、静かになった相談室に冴島の声が響く。

「神原君はどう思う?」

 先ほどまで我関せずといった感じで黙々と絵を描いていた神原だったが、その声にペンが止まる。

「なんで僕に聞くの、あかねちゃん」

 神原は面倒くさそうに口を開いた。

「いやー、この学校の人間関係で神原裕彦以上に詳しい人間はいないからねぇ」

「僕が詳しいのは恋愛関係だけ。それも描いてるマンガの為に取材してるに過ぎないから」

 そう言う彼の手元にあるスケッチブックを、雪輝は横から覗き込む。するとそこには、雪輝も知っている生徒たちの、デートの様子のスケッチがビッシリと描かれていた。

「……うわぁ」

 その絵を見て雪輝は声を漏らす。それを神原は聞き逃さなかった。

「なんだその反応は?」

「い、いやぁ……絵がすごく上手いなぁと思いまして……」

「ふん。まぁいい。これは僕の大事な取材ノートなんだ。もし次勝手に盗み見る事があったら、今度は君が病院で目覚めることになるからな」

 長い前髪の奥から鋭い目つきで雪輝を睨んだ。

 雪輝はその気迫から逃げる様に離れ、來華の隣に身を寄せた。

「……なぁ、神原先輩のスケッチブック、あれ取材ノートって言うか、ストーカーノートだよな」

來華にだけ聞こえるように小声で尋ねる。

「……えぇ、この学校の生徒、全カップルのデートをストーキングしてスケッチしているらしいわ」

「ストーキングじゃない。取材だ。聞こえているぞ、一年ども」

 腕を組んだ神原がまた睨む。

「すんませんした!! そうですよね、取材ですよね! あはははは!」

「僕はいつか最高の恋愛マンガを描く。その為にこの学校の全生徒の恋愛関係を調べ、デートの後をつけてスケッチしてるだけなんだよ。ストーカーなんかと一緒にするな」

 きっぱりと言い張った神原。しかし雪輝と來華は顔を見合わせて首を傾げた。

「……理由はどうあれ」

「……結局ストーカーよね」

 今度は神原の耳には入らなかったらしい。

「でよ、神原君。漆野ちゃんについて何か知ってることはないの?」

「漆野シノねぇ」

 そう言って鞄の中から何やら分厚い手帳を取り出す。

「あぁ、さっき『男子に嫌われてるかも』って言ってたけど、それはないんじゃないか?」

 手帳を見てそう話し始める。

「彼女、あまり人とつるむタイプでは無いようだが、男子にはかなり人気があるそうだ。小さくて見た目も可愛らしいし、普段静かなのに掃除のときだけウキウキしている様子が人気の要因らしい」

「なるほど。家庭的な女がタイプの僕ちゃんが多いのね」

 冴島が呟いた。

「それとギャップ萌えってやつだろう」

「じゃあむしろ女子生徒からの嫉妬なのかしら?」

「それも考えにくい。男子からの人気に加えて、女子からはクラスのマスコット扱いを受けているらしい」

「あぁ、それは何となく分かるな。ちょっと小動物っぽいとこあるし」

「僕が知っているのはこれぐらいだ」

 そう言って神原は手帳を閉じた。

「じゃあいじめられてるって訳ではなさそうか」

「あくまで僕の知ってる情報で、だがな。まぁ、男子たちがちょっかいをかけてたという筋はありそうな気もする」

「思ってたよりもくだらない理由ね。流石サル共」

 來華はそう言うと興味を無くしたように自分の席に座った。

「しかし流石神原君。頼りになるわ」

「あかねちゃんの頼みならもっと調べるけど?」

 すると冴島は雪輝に「どうする?」と視線を送る。雪輝は首を横に振った。

「まぁもういいだろう。俺も同行は漆野が安心するまでにするよ」

「りょうかーい。ありがとね、吉祥寺君。神原君。あと東雲ちゃんも」

 雪輝もソファーに腰かけ、少し安堵の息をつく。來華はまた教科書とノートを机に広げ、さっきの授業のレポートを取り始めた。神原もスケッチブックにまた絵を描き始める。相談室に再び、穏やかな静けさが戻った。


   


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