32話 スラム街


「フォードお兄ちゃん、リリ、絶対に帰ってきてね!」


「帰りをお待ちしてますね、フォードさんっ、リリさんっ……!」


「お二人とも、頑張ってくださいですニャー!」


「くだしゃいみゃー」


 俺たちは何度も後ろを向き、手を振り返す。モモ、ウサリアだけでなく、ネネとミミの亜人姉妹も、まだ薄暗い早朝のうちから俺たちを見送るためにわざわざ『桃源郷』の前まで駆けつけてくれたんだ。


 みんなの姿が段々遠ざかってきて、俺はまもなく立ち止まった。リリが数歩だけ先に進んで不思議そうに振り返ってくる。


「フォード……?」


「リリ……後戻りするなら今のうちだぞ? 俺が帰ってくるまで、モモたちと一緒に留守番するっていう手もある」


 兵士たちがどこかで俺たちを見張っているのはわかるが、リリを置いていくだけならきっと見逃してくれるだろう。


「そりゃ確かに怖いけどさ……それは強がってるフォードも一緒だろうし、あたしが側にいてあげるよっ!」


「こいつ……」


 リリの切れ味鋭い返しに、俺は思わず笑みをこぼしてしまう。ここで全然怖くないとかあたしを守ってほしいとか、らしくない台詞が飛び出そうものならやっぱり置いていくべきじゃないかと不安になるところだったが、やっぱりそこは俺の相方パートナーだった。


 とにかく正直で自然体だから、俺も肩肘張らずにそういう風にいられる。これは本来の……あるいは、それ以上の力を発揮する上で重要なことのように思えるんだ。彼女が側にいることで、なんでも屋の仕事はスムーズにいくんだと改めて思い知ることができた。




「「おおっ……」」


 歩きすぎて足が攣りそうになってきた頃、俺とリリの弾んだ声が重なる。郊外の丘にひしめく広大なスラム街を見渡せるようになってきたからだ。


 あそこへ行くのはもちろん見るのも初めてだから、魔境と呼ばれているだけあってどんなに恐ろしい場所かと不安を覚えてたんだが、割りと普通の街並みだったので驚いた。というか、これでもかと夕陽を浴びてる影響もあるかもしれないが、『桃源郷』のある貧民街より綺麗なくらいだ。


「……」


 だが、街へ近付くにつれ、明確に雰囲気が違うと感じ始める。


 やたらと壁に落書きグラフィティがあって、赤黒い頭部に目玉が幾つもあるおどろおどろしい化け物から、挑発的なポーズを取るスタイリッシュな美女まで種類は豊富だ。そういうのが至る場所にあって、やはり今までとは毛色が違うというか、そこかしこから危険な臭いが漂ってくるのがわかった。


【歩き屋】スキルに加えて【希薄】スキルを自分たちに使おうかとも思ったが、これから一月もの間ここで生活しなきゃいけないわけで、雰囲気に慣れておかないと仕事がし辛くなる可能性も考えて、あえて我慢することに。


「――ふう……。ようやく着いたな。宿を探すか……」


「だねえ。あたしももうヘトヘトだよ……」


 スラム街に到着する頃には周辺がかなり暗くなってて、俺は【輝く耳】と【降焼石】を【分解】して合わせることで作った【輝く石】スキルで周囲を照らし出しながら坂道を上り始める。


「「うわっ!?」」


 道の真ん中で誰かがうつ伏せに倒れてると思ったらハエの集った死体で、石を向けてよく見ると、端のほうにも変わり果てた亡骸が無造作に転がっていた。


 しかも、往来する者たちがみんな死体を素通りしていく。さも当たり前の光景であるかのように。これは酷い。たまに髑髏が足元に転がってる程度だった都の日常とはわけが違うぞ。どうなってるんだ、ここは……。


「リ、リリ、足が震えてるぞ?」


「フォ、フォードもね……!」


「「ははっ……」」


 ここじゃ、以前の生活にも増していつ殺されてもおかしくないってことだな。さすがは駐屯地すらない魔境。今まで以上に自分たちの身は自分たちで守るしかないってことだ……。


 俺たちは死臭と恐怖に耐えながら宿を目指し、一つに固まるようにして歩いていく。とにかく今は何をするにも体を休めないと始まらない。


 巨大スラム街の地図については既に入手していたので、【視野拡大】と【宙文字】を組み合わせた【視野文字】を使って、視野に地図を描いて進んでいく。地図を見ながら歩くより、このほうが何かあったときに対処しやすいからだ。


「――あれ、ホテル通りってこの辺だったはずなのに……」


「すっかり寂れちゃってるねえ……」


 最初の坂道を上ったところにあるはずなのに、どこの建物も照明が一切ついてないし、罅割れた窓ガラスや壁や看板には落書きだらけで、これじゃまるで廃墟だ。外は暗くなってるとはいえ、まだ空に明るさは残ってるし、閉まるような時間帯でもないと思うんだが……。


「「……」」


 宿泊できる場所すらないとか、想像以上にヤバイところに来ちゃったみたいだな……。しかも、どこからともなくが飛んでくるのがわかる。これはおそらく、そこら辺に隠れたならず者たちから、俺たちが獲物として相応しいかどうか調べられてるんだ……。


「ハッハッハッハ!」


 俺は腰に手を当てると、笑う女アイラばりに豪快に笑ってみせた。【目から蛇】【輝く耳】と合わせた【眼光】スキルで目をギラギラと輝かせながら。


「フォッ、フォード……? いきなりどうしたのさ……」


「いいから、リリ、お前も笑え」


「わ、わかったよ……アハハッ!」


 これにはちゃんとした理由がある。こうして場違いに大笑いすることで、こいつらは一体何を考えてるんだと相手に警戒させることができるわけだ。


 もちろん、戦う準備は出来ている。だが、相手の数も正体もわからないのに無暗に戦うべきではない。それはあくまでも最終手段だ。


 効果覿面だったらしく、向かってくる鋭利な視線がかなり鈍った気がする。とりあえず一安心だな。


 しかし、これからどうしようか。まずはゆっくり休みたいもんだが、そんな場所はどこにも……って、そうだ。があった……。

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